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第十二章 もとの日々へ

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「それでさ、朝陽ちゃん」
 小さなテーブルを挟んで向かい合っていた笹木が、身を乗り出し顔を近づけてくる。
「……今回、朝陽ちゃんに声をかけたのはさ、当然、デザインに対する信頼っていうのもあるんだけど、他の理由もあるんだよね」
 気が付いたら笹木の手が私の手に触れていた。乾いた熱が伝わってきて、ぞっとする。慌てて身を引こうとしても、逆の手が腕をしっかりと掴んでいて逃げられない。

「ねえ、わかってたんでしょ?」
「何が、ですか?」
 慌てて辺りを見回す、誰もこちらを見ていない……。
「いや、ほら。こんな場所に来たんだから、その気だって事だよね?」
「何言って…!」
 私は無理矢理に立ちあがろうとした、途端に膝から崩れ椅子に逆戻りになる。力が入らない。

「朝陽ちゃん、いきなり立ち上がったら、酔いが一気に回るから気をつけないとダメだよ」
 笑いながら笹木が向かいから隣へと移動してくる。今度は腰に手が回って来た。

 ロングアイランドアイスティー。私は笹木が頼んでくれたカクテルの名前を思い返す。
 どこかで、『割ってない焼酎』みたいな度数だって思ったことがあったのに。
「しごとのはなし、だって……いうから」
「うん、一緒に仕事をしたいのは本当だけど、せっかくだったらさ、もっと仲良くしたいなあって」
 声は澱みなく朗らかで、だけどそこに籠った嫌な熱は、私を追い詰める。

 怖い。

 笹木はまるで介抱しているみたいに私の腕の下に手を差し入れて支えると、立ち上がった。
 会計時に助けを求めようとしていたけど、この店はテーブルの上のコードを読み込めばその場で決済ができるようで、そのまま引き摺られるようにカウンター前を通って出口へ向かう。

 私は必死に、自分の手に「動け」「動け」と言い聞かせた。

 ガチャンと大きな音がして、私の手はカウンターに並んで飾られていた酒瓶を一つ払い落としていた。笹木が焦って声を上げる。
「すみません、彼女、酔っちゃって。ちゃんと弁償しますから……」
 カウンターの向こうに、必死に言い募る笹木。

 私の落としたブルーキュラソーと書かれた瓶は見事に割れ、床に青いシミが広がって行っていた。
 ……それはまるで、翼を広げた鳥みたいで。

 青い鳥。そう、いつか見たあの鳥は、深い『瑠璃色』をしていた。

「たすけて、……たすけて、ルリさん!」

 私の口から、ほろりとそんな名前がこぼれた。
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