半モブ悪役令嬢は、中途退場できないようです

砂月美乃

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8・ノートの行方が気になります 前

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「じゃあね、おやすみ」

 シャルルはそう言って、私の額にキスをした。それから少し迷って、もう一度唇にも。

「近いうちに正式に求婚するよ。ご両親にも、ちゃんと挨拶をさせてもらう」

 そして足早に部屋を出て行く。私はそれ以上見送らなかった……見送れなかった。ドアが閉まると同時に、長椅子にへたり込む。

 ――ふわあ……。すごい一日だった……。

 シャルルに小説を読まれ、怒られたと思ったら……いつの間にかキスをして、しかも求婚されている。諦めから困惑、絶望、混乱……そして幸福。これが小説なら、今日一日で何万字書けるか分からない。

 そう、すべてはあの小説が……と思ったところで、私ははたと思いついて身体を起こした。
 小説。あれを書いたノートは……どこに行ったの?

「あれ、嘘……。ない……?」

 椅子の上にも机の上にも、引き出しにもどこにもない。疲れた身体を引きずるようにして部屋中を探し回ったけれど、もちろんどこにも落ちていなかった。
 私はまた長椅子に戻り、クッションに沈みこんだ。あてもなく視線をさまよわせながら、考える。

 考えたくない。想像したくもないけれど、これは……。
 シャルルが持ってるとしか、思えない。 

「どうしよう……」

 ヤケになって書き殴ったベッドシーンだ。自分でも、とうてい読み直す気になれなかった。あんな官能小説まがいのベッドシーン、この世界の恋愛小説では見たこともない。
 あれでは「こんないやらしい女とは結婚できない」って、そう言われても仕方ない。

 ああ、どうしよう。
 シャルルはきっと幻滅する。きっと明日にも、怒って乗り込んでくる。
 やっぱり私より、アイリーンを選ぶかもしれない。今日の幸せは、ぬか喜びで終わるのかしら。
 幸せから一転、私はその夜眠れなかった。

 ヒロインへの道は、まだまだ遠く険しいようです……。



 ところが翌日。ラボルジェ伯爵としての正式な婚約の申し込みが、お父さまを通して私のもとへ届いた。
 お父さまもお母さまも大喜びする中、私は顔を引きつらせていた。
 シャルルは小説について、何も言わなかった。私に対する態度も変わらない。

 ――どうして? きっと「結婚は止める」と、そう言われると思ったのに。

 私はその後も、例のノートを探した。けれどやっぱり見つからなかった。もしも家族が見つけたら今頃大騒ぎになっているはずだし、メイドなら私の字と見て黙って戻しておくだろう。だからうちにはない。それは確実だ。
 ノートはシャルルが持っている。

 だったら、どうしてシャルルは何も言わないのだろう?
 もしかしたらシャルルは、あのノートを読まずに捨てたのかもしれない。そう、もともと「焼き捨てさせようと思った」って言ってたくらいだもの。
 きっとそうだ。――そう思いたい。

 婚礼の支度が、着々と整ってゆく。銀糸の縫い取りをした美しいドレスに、揃いのヴェール。花に、宝石に、シルクのリボン。そしてたくさんの祝いの品。
 シャルルと結婚できるのは嬉しい。でもあのノートが見つからないことには、どうしても安心できない。
 私は不安にちくちく痛む胃を押さえ、婚礼衣装を眺めるのだった。


 ◆◇◆

 いよいよ婚礼の日が迫り、私はついに耐えられなくなった。あのノートがどうなったか、未だに分からないのだ。こんな不安を残して、シャルルと結婚したくない。
 私は思い切って、彼に直接尋ねることにした。

 デュシャン伯爵令嬢ミレーヌとしてラボルジェ伯爵家を訪れるのは、これが最後かもしれない。もちろん来週には私がラボルジェ伯爵夫人になるからだ。
 今日の訪問が、ヤブヘビにならなければ……だけど。

「やあミレーヌ、来てくれて嬉しいよ」

 シャルルは嬉しそうに笑って私を出迎えた。長椅子をすすめ、自分も隣に腰を下ろす。

「今日は、何か用があったの?」
「ええと、ちょっとお聞きしたいことが……」
「それなら、使いをくれれば僕の方から行ったのに」

 ゲームではツンデレキャラだったシャルルだけれど、今の私にはいつも優しい微笑みを見せてくれる。
 その笑顔を見ると、私は自分が取り越し苦労をしているのではと思いたくなる。
 きっとノートは、間違ってどこかで処分されてしまっているのだ。わざわざシャルルに尋ねる必要なんかない。自分で自分の幸せを、ぶち壊すような真似をしなくてもいいんじゃないの……?

 ――いいえ。それが怖いからこそ、今日ここへ来たんでしょ?

 ずっとこのまま不安――黒歴史とも言う――を抱えて行くくらいなら、いっそシャルルにぶつかってみる。そう決めたのだ。

「どうかしたの?」

 私の強張った表情に、シャルルが気付いた。私はこくりと息をのみ、思い切って口を開いた。

「シャルル、あのね。あの……いつか私が書いた、小説の……」

 その瞬間、シャルルの顔が真っ赤になった。

 ――え?

 私はシャルルがノートを最後まで読んだのでは……と疑っていた。でももしそうなら、真面目なシャルルのことだ。きっと怒るに違いないと思っていた。
 逆に、もし許してくれたとしたら。優しいシャルルはきっと「そんなもの読まなかった」と言うだろうとも思う。
 それが……、まさか。あのシャルルが、真っ赤になってあわあわしている。この反応は、予想していなかった。

「え……あの、シャルル……?」
「ごめん……」
「は!?」

 いったいどうしてシャルルが謝るのか。それでも、確実に分かったことはある。

「……読んだ、のね?」
「……うん」

 シャルルの赤面につられたわけではないけれど、私もかあっと頬に血が昇るのを感じた。
 私はそんなに恥ずかしいものを書いたのか。シャルルがあんなに赤くなるほどの……。そう思ったらもう耐えられなくなった。

「うう……やだ、どうしよう……」

 怒られる覚悟はできていた。ところがそうではなかったせいで、逆にいたたまれない。

「ごっ、ごめんなさい……!」

 帰ろうと立ち上がった私の手を、シャルルが掴んだ。

「や、離して」
「だめだよ。まだ何も……」
「嫌よ! お願い、離して。あんなもの読まれたなんて、恥ずかしすぎる。やっぱり私、貴方とは結婚できない……!」

 シャルルの手を振りほどこうと暴れた私は、ドレスの裾を引っ掛けた。

「きゃ……!」

 バランスを崩し、咄嗟にきゅっと目を閉じる。シャルルが何か言いながら、手を伸ばした。

 ――転ぶ……!?

 ところが倒れ込んだのは、固い床ではなかった。腰の下に柔らかいクッションを感じて、おそるおそる目を開ける。

「……そんなのダメに決まってるだろう」

 上からシャルルの声がして、心臓が止まるかと思った。

「!?」

 よく見たことはあるけれど、自分がそうなるのは初めてだ。どういう弾みでそうなったのか……。とにかく、長椅子に倒れ込んだ私は……シャルルに押さえつけられる形になっていた。



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