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68・サラの名前 下
しおりを挟む王都モルシェーンの門を抜けると、夕刻にも関わらず、またもや町の人が歓声をあげて迎えてくれた。すごい騒ぎには違いないけど、以前よりは少し落ち着いたようだ。
その時、突然気がついた。
誰かに、魔力を探られている。……どうして? どこかに、王宮の魔導師でもいるのだろうか。そっとあたりを見回してみたが、探る気配は既に消えてしまっていた。
いつも通り、陛下に報告に伺う。
「ミア、具合でも悪いのか?」
さっきのことが気になって黙り込んでいた私を、カインが心配してくれた。
「疲れてんだろ? 先に戻って休んでろよ」
グリフもそう言ってくれる。言われてみれば魔力もギリギリで、身体も重かった。黙り込んでいた理由はともかく、ここは甘えさせてもらうことにして、私は1人で引き返した。
もう日が落ちて、王宮の中を歩く人もあまりいない。薄暗い角を曲がった時、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「ミア様」
「!」
サラ様だった。驚いたのでとっさに挨拶が口から出ず、とりあえず頭を下げる私に、サラ様は言った。
「お話があるのよ。一緒にいらしていただけるわね」
……話? サラ様が、私に?
一向に反応のない私に焦れたのか、サラ様は私の腕を掴んで言った。
「いいからいらっしゃい」
そして手を放さないまま、私を奥へ連れて行った。
半ば無理やりサラ様の部屋へ連れていかれた私は、それでも何とか気をとり直し、サラ様と向かい合っていた。
「サラ様、お話というのは何でしょう?」
サラ様はすぐには答えず、何とも言えない微笑みを浮かべて私を見た。
「もしかしたら、なのだけど。貴女のチャージ法は、男と寝ることなのではなくて?」
「!?」
凍りついた私を、サラ様はくすりと笑った。
「図星ね」
どうして? なぜサラ様に言い当てられたのか分からず、私は何も言えない。
「どうして分かったのか、って顔ね?」
立ち上がって優雅な手つきでお茶を淹れて、私に差し出して微笑む。
「見ていれば分かるわ。……お上がりなさい」
思いがけないことを言われて動揺した私は、考える間が欲しくなり、お茶を一口飲んでサラ様の表情を窺う。でも変わらず艶然と微笑んでいるばかりで、サラ様の真意など、想像すら出来なかった。
「貴女のチャージは呪文だと、公には言われている。でも呪文なら、どんなに難しいとしても人前で出来ない筈はない。そしてあの3人の、貴女への執着。……そうそう、コカトリス討伐のときのことも聞いているわ。エリスに抱かれて消えたそうね?」
微笑むサラ様の目が、キラキラと妖しく光りだした。なぜかこのまま目を合わせてはいけないような気になって、私はカップに目を落とし、もう一口、お茶を含む。
「王宮へ来る前は、ルカとも寝ていたんでしょう?」
手が震え、カップがカタカタと音をたてる。どう答えたらいいのだろう? そもそも、サラ様が何を考えているのか分からない。
「な、何を……仰りたいんですか」
「分かるのよ」
テーブルに両手をついて身を乗り出したサラ様の顔が、息がかかるほど近づいた。私の瞳を覗きこんで、唇をにっと歪める。
「私と同じなのだから」
私と、同じ?
いったいそれは、どういう……?
意味が分からず、サラ様を見つめ返したその時。視界が、急に……ぐらりと揺れた。
「!?」
テーブルに手を置いていなければ、崩れ落ちていたかもしれない。
「あら、具合でも悪いのかしら?」
言葉とは裏腹に、ますます妖艶な笑みをみて、私は直感した。
まさか。……これ……?
「サラ様、お茶に、何を……?」
「あら、分かったの? 安心なさい、毒などではないわ。……もっといいものよ」
含み笑いをしながら、サラ様が私の頬を指でなぞる。
「!!」
その瞬間に私の身体が、びくっと震えた。途端に全身の神経が、痺れるようにぴりぴりとざわめきだす。
「効いてきたようね」
この感覚は…覚えがあった。そっと視線を落とすと、恐れたとおり乳首が痛いほどになっているのが分かる。そして、驚きに思わず洩らした筈の息が、熱い。ああ、こんな……信じたくない……。
「わ、私……、失礼します……」
早く……早く戻らないと。あの時みたいに、なってしまわないうちに……。
ふらつく身体を支えて必死に帰ろうとした。なのに、もう腕にも力が入らず、立ち上がりそこねた私はそのまま椅子から崩れ落ちてしまう。カシャン、と音がしてティーカップがひっくり返り、零れたお茶が私に滴ってローブを濡らした。
「無駄な足掻きは止めて、いい子におなりなさい」
サラ様がくすくす笑いながら、椅子にかけて私を見下ろす。
「なぜ……、なぜこんな……」
「知りたい?」
私を見下ろす凄絶な笑顔は、まるで女王のようだった。
「貴女、この前ナーシュに行ったんでしょう? 私の噂くらい聞かなかったのかしら?」
床の上で身体を折って熱い息に耐える私に、サラ様は楽しそうに話し始めた。
ナーシュ? ……噂?
「サラ様の話なんか、知りません……。あそこで聞いたのは、ソフィア様、の……」
「そうね、魔導師ソフィア」
「……え?」
その時、サラ様の表情が別人のようになった、と思ったのは私の気のせいなのか。
「それが私の、本当の名前よ」
理屈では分からないし、この先一生かかっても、この時のことを説明出来るとは思えない。
ただ、サラ様の言っていることは真実だ。何故か、それだけは無条件で理解した。
「あの『ソフィア様』だと、言うんですか?」
答えはない。氷のような笑みが返ってきただけ。
「王妃になった、ソフィア様、なら……、亡くなった、はず……」
喋る息が弾んで、息を吐く度に身体が震えてしまう。
「そう、確かにあの時『ソフィア』は死んだ」
サラ様の目が私から離れ、どこか遠くを見ているような顔になる。
「陛下が亡くなってからは味方も少なくて、病気になっても私には侍女が一人ついているだけで……。苦しくて、でもまだ死にたくなくて。気がついたら、私は自分の亡骸の前に座っていた」
サラ様は独り言のように話し続けた。
「初めは訳が分からなかったけれど、鏡に侍女が映っているのに気がついた。その時初めて知ったの、私の特殊魔法を」
「特殊魔法?」
まさか。そんな、あり得ない……。
「そう。他人の身体に乗り移れる力よ」
「いろいろ試して、相手が弱っていないと駄目だと分かったわ。侍女は私の看病を押し付けられて、自分もぼろぼろだったのよ。……その後は簡単。乗り移りたい相手を選んで、心身ともに弱らせればいつでも乗り移れる。相手の魔力や特殊魔法も受け継げるのは助かったわ」
そしてサラ様は私を見た。
「今度は貴女の身体と、その魔力が欲しいのよ」
冗談でも何でもない。サラ様は本気だ。何故かそれがはっきり理解できて、何とか逃げようとする。でもすっかり力の抜けた私は、指先を動かすだけで身体が震えてしまい、喘ぐような息を上げるだけ……。
どうしよう、どうしたら逃げることが出来る?
もう使える魔力はほとんどない。
カイン達に連絡するには……、使い魔はここからは出られないだろうし、たぶんサラ様に邪魔されずに放つことは出来ない。
いつもの風魔法なら……、これも駄目だ。魔力のないカイン達には、直接送れないのだ。それなら……?
そして私が必死に考えているうちに、サラ様が奥の部屋の扉を開けた。すると、中からだらしない格好をした男が2人出てきた。
「さっき視させてもらったわ。魔力は限界よね。あとは、心と身体を弱らせて……。女なら分かるでしょ? 簡単な方法があるの」
薬の効果さえ一瞬消えた気がするほど、全身から血の気が引いた。
「いやあぁ!!」
私は最後の魔力を振り絞って、ルカ様へ向けて風を巻き起こした。
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