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76・ソフィア 下
しおりを挟む遠慮がちに扉を叩く音がして振り返ると、作業部屋の入口にグリフが立っていた。
「王妃様からミアにって、なにか届いてるぜ?」
「え、王妃様から?」
慌てて立ち上がって、グリフと一緒に下へ降りていく。
「何か考え込んでたみたいだけど、大丈夫か? カインが心配してたぜ、役目とはいえ、亡骸なんか見せなきゃよかった……って」
「ああ、違うの。そのせいじゃなくて……」
「うん、後で本人に言ってやれよ」
1階に降りると、食堂のテーブルの上に美しい包みが乗っていた。
「さっき届けられたんだ。王妃様からミアに、お見舞いだって伝言があったよ」
エリスに言われて開けてみると、おそらくお城の厨房で作られたのだろう、芸術品のような繊細な焼き菓子が、籠に注意深く包まれて並んでいた。
「きれい……」
「うわ、すげえな。食べるのもったいないみたいだ」
「グリフに一口で食べられちゃうんじゃ、確かにもったいないよね」
2人の声を聞きながらうっとり眺めていると、籠の隅に小さなカードを見つけた。
『ミアさん
詳しくはわかりませんが、なにか大変なことに巻き込まれたようですね。傷を癒すことはできませんが、甘いものは心をなだめてくれます。私からも陛下にお願いしておきますから、ゆっくり休んでくださいね』
「王妃様……」
嬉しくて、ありがたくて涙が出そうだ。こんなにも私を気にかけてくださるなんて。
王妃様だけじゃない。私の周りにいる人は、みな私を気遣って、大切にしてくれる。それが嬉しくて、私も同じように喜んでもらいたいと思うのだ。
エリスが私のためにお茶を淹れてきてくれた。
「ミア、ほら、早くいただいてみなよ」
「そうだよ、王妃様の好意だ、たくさん食べろよ?」
私は何日ぶりか、痛いくらいに目じりを下げて、何の屈託もなく笑えた。
王妃様の甘いお菓子で、私の頭の中まで甘くなったわけではないけれど。
ソフィアが王宮に入ったときには、こういう人達には恵まれなかったのかもしれない……と思った。
◆◇◆
王都から馬車で3日ほど離れた町、ティオ。王都モルシェーンに次いで大きな町であるティオには、毎日何台もの馬車が旅人を運んでくる。そんな馬車から降りた中に、特に目立って背の高い娘がいた。
娘は宿をとり、まだ明るいうちに外へ出た。店が立ち並ぶ一画へ向かい、化粧品を買い揃え、装身具もいくつか求める。
彼女はもちろんリーズの魔導師アデル……ではない、もはやソフィアだ。
もしリーズの町の者がいたとしても、彼女が町の魔導師だったアデルだとわかっただろうか。魔導師のローブではなく普通の娘の服装をし、水色の髪は目をひくので、くすんだ茶色に染められていた。
この国では髪の色は皆ちがうのが普通なので、今はもう、髪を染めることはしない。はるか昔、ソフィアの母親たちの間で流行った、草で染める方法だ。遠い記憶をたよりに染めたが、あまりに地味な色に仕上がってがっかりしていた。
そもそもこのアデルという娘には不満だった。
まず体格からして気に入らない。背が高すぎるし、身体つきも、細いのは良いとしても凹凸が無さすぎる。水色の髪は美しいと言えなくもないが、こんなに短く切り揃えてあっては何の楽しみもないではないか。
……全く、男に生まれたほうが良かったわね。ソフィアは胸のなかで毒づいた。
それに比べると、あのミアという小娘は良かった。
本当に、もう少しだったのに。
ミアが見抜いた通り、ソフィアにとって乗り移る身体というものは服を着替える感覚に等しく、愛着など湧いたことはなかった。長く纏うものだから良く吟味するし、なるべくなら美しいほうが良いが、まず魔導師であることが一番の条件だし、魔力の高さも譲れない。
昔、まだ力をよく分かっていなかったころ、魔力の低い娘に乗り移った。すると6000近かった魔力が半分近くまで下がってしまった。そういえば初めて自覚した時は侍女になっていて、ソフィアの魔力がほとんど封じられてしまい苦労した。
サラの身体はまあ悪くなかった。見た目は今までで一番だったし、あのワイン色の髪は気に入った。風属性しか使えなかったけれど、今までに得た特殊魔法が使えたので良しとした。封じられたままのソフィアの魔力でも影響するのか、かなりの間若くいられた。でもそろそろ年齢的に限界だったし、これ以上若いままいても、却って怪しまれてしまうだろう。
だから3年ほど前から、新しい体を探し始めた。
王宮には年に何人もの見習い魔導師が、試しを受けるためにやってくる。そこから探すのが最も手っ取り早い。サラの時もそうだった。
女性の試しの時の案内を引き受け、そっと魔力を探り、チャージ方法や住んでいるところなどを聞き出した。気長に探すつもりではあったが、それでも王宮の魔導師になれる程の魔力を持ち、ソフィアの条件に当てはまる娘は多くはなかった。
アデルは王宮から声をかけられていたので、これだと思った。見た目に不満はあったけれど、王宮に入る時に入れ替われば、知り合いもいないので怪しまれることはない。そう思って心づもりしていたのに、アデルは断って町へ帰ってしまった。ソフィアとしてはできれば王宮にいたかったので、残念だが諦めた。
ルカがミアを連れて来たとき、見た瞬間に分かった。既に『エメラルドの乙女』などと噂になっていたが、それ以上だと。圧倒的な魔力、アデルなど比ではない。この娘、この体が欲しい。
とはいえこれは難題だった。何しろルカの愛弟子だ。何の準備も無しに、迂闊に乗り移るようなことをしたら、あのルカの事だから、すぐに何かおかしいと気付くだろう。もう少し近づいてみようと思い、化粧をしてやったが、それだけでもルカは既に不審そうだった。
そしてミアも王宮に入る意思はないようで、すぐにルカと帰って行った。アデルの時はここで諦めたが、ミアでは諦めきれなかった。何年かかっても、絶対に手に入れてみせる、そう決めた。
勇者が交代する。そして騎士カインが、あろうことかあの娘を専属に迎えるらしい―――。
流れてきた噂を聞いて、これはまたチャンスかとも思った。しかしこれもまた無駄な期待だった。あの生意気な騎士達は、ぴったりとミアに貼り付いて片時も離れない。どうやら3人が3人とも、すっかりミアに夢中になっているようだ。ミアに乗り移った時に彼らを思い通りに操れるのなら良いが、あまりに今のうちから親密になられてはやりづらい。
忙しくさせておいたらどうだろう。そう思って、以前から退屈しのぎにやっていた魔物の召喚を、次々とあちこちで起こしてみた。
幸い勇者一行で討伐に出ることも増えて、忙しさに別行動をすることもあるようだった。まだあの娘が1人になることはないようだったけれど。
もっともこれはソフィア自身も忙しくなり、おまけに墓穴を掘ることとなった。大量の魔物召喚は思ったよりも魔力を必要とし、サラのチャージは『朝日を浴びる』だったので、ソフィアのチャージで手っ取り早く回復するには、何人かの男を部屋に呼ばなくてはならなかった。
そして一連の騒ぎを重く見た国王らは、ついにルカを担ぎ出して魔導士の面接などということを始めた。今まで誰にも疑われたことなどないが、これは下手をすると自分の身が危なくなるかもしれない。
その焦りが、判断力を鈍らせたのか。今思うと、あのタイミングでミアを襲わせたのは失敗だった。その結果が、これだ。
それにしても、良くあの時、部屋を抜け出せたものだ。そしてアデルが、面接でまた王都へ来ていたことも良かった。
……大丈夫、まだツキはある。
ソフィアは自分に頷いた。
人の多いこのティオの町なら、目立たずに身を潜めていられる。町の外に隠しておいた金貨も持ち出してきたので、しばらく生活にも困らないはずだ。ほとぼりが冷めたら、次の策を行動に移すのだ。
微笑んだソフィアの顔には、もうアデルの面影などどこにも見えなかった。
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