いとでんわ

こおり 司

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意図電話

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 尾崎翔は恋をしている。
 相手は神奈川真美である。
 真美とは生まれた病院が同じで赤ん坊の時からの仲だったが、彼女を好きになったのは意外にも今年の桜が散り始めた頃だった。
 民家の塀に座っている猫に向かって「にゃー」と言ってる真美を偶然見かけた。
 可愛いなと思った。
 ただそれだけのきっかけだった。
 翔は顔がいいだけあって女の子に困ったことがない。
 交際に発展するかはともかくとして、モテモテだった。
 実際に付き合った人数も少なくはない。
 しかし、顔面の良さとギャップのある話し方や性格、彼女よりも友人を優先する傾向から、いつも長続きせずにフラれていた。
 最初こそフラれたことにショックを受け指摘された部分を改善しようとしたが、次第にそこまでして付き合い続けたいかとか知り合って数か月の人間と何年も友人関係を続けている相手を天秤にかけるのもおかしな話だと思うようになり、無理に自分を偽るのをやめた。
 それからというもの、フラれてもまたかー、くらいの感想しか抱かなくなった。
 結局、いくら付き合ったところで自分が相手に本気になることはなかったのだろう。
 失礼な話だとも思うが、それが事実なのだから仕方がない。
 そんなわけで、好意を向けられることには慣れていても好意を向ける側になるのは慣れていなく、自分の感情ながら真美への想いを認識した時には戸惑ったものだった。
 相手である真美は翔には興味ないようで、それとなくアプローチしてもいつも流されていた。
 まぁ、それはそれでいい。
 具体的に付き合いたいとか2人きりでデートをしたいとか、不思議とそういった欲求が強いわけではない。
 今はまだ、友人の隼人を交えて3人で過ごしている方が楽しかった。
 その隼人とは小学5年生からの友人であるが、彼もまた恋をしているようだった。
 相手は同じ団地に住む少女で橘葵と言った。
 そして彼女は幽霊だった。
 世にも奇妙な話が過ぎるのだが、隼人は毎晩葵とお手製の糸電話で会話をしていた。
 その話をしている時の表情がなんとも言えず幸せそうで、彼の淡い恋心を覗き見しているようで少々気恥ずかしく感じることもあった。
「パンケーキ食べに行かない?」
 夏休みも残りい1週間となった頃、隼人がそう誘ってきた。
 真美がずっと行きたいと言っていた店だ。
 勉強道具の持参は禁止。
 受験生にとってこの夏休みは勉強に向き合う大事な時期ではあるが、こうやって定期的なガス抜きも大切だ。
 休む時はとことん休む。
 そうやってメリハリがあった方が結果的に勉強に集中することができるからだ。
 気分転換をしたいんだなと、そう思った。
 隼人の想い人である葵が消えたと報告を受けたのはつい先ほどのことだった。
 妙に落ちついて話すので最初は冗談かと思ったのだが、葵の父親に会いに行った話などを聞いて納得した。
 きっと心残りがなくなったのだろう。
 村瀬隼人の恋はひと夏の奇跡とでも言うように淡く儚いものとなった。
 なんとなく、話していないこともあるような気がしたが、あえてそこには言及しない。
 親友のよしみでも言いたくないことのひとつやふたつあるだろう。
 真美も同じことを考えているのか、それ以上葵のことには触れなかった。
 次の日、目の前に並んだ念願のパンケーキに、真美の顔が輝く。
 店は白を基調としたおしゃれな内装で、客のほとんどが女性かカップルだった。
「いただきます」
 ちゃんと手を合わせてから写真を撮る真美の姿に、人知れずきゅんとする。
「僕、進路を変えることにした」
 少しして、隼人が口を開く。
「写真学科のある大学を受験しようと思ってる。県外の学校になるから受かれば地元を離れることになるけど、ようやく進みたい道が見つかったからがんばってみようかなって」
 隼人の意外な選択に驚く。
 確かに写真館で手伝いをしているが、特段写真に興味があるわけではなかったように思う。
 話を聞いている限りでは、写真家の世界を残したいという強い意志とか限りある範囲の中に感じる生命力なんかに感銘を受けている印象だった。
 その隼人が写真学科とは。
「写真家になりてぇの?」
 フォークを止め、質問する。
「いや、まだそこまでは。写真家になれるのなんてほんのひと握りだろうし、将来的に仕事にできたらそれはそれで幸せなんだろうけど。まずはその可能性を少しでもつぶさないように基礎知識や経験を積むのが大事だと思って。いつか自分の足で歩いて自分の目で世界を見て、その世界の美しさを沢山の人に届けられるような写真を撮りたい。今はそれだけ」
 葵の影響かなと思う。
 外へ出たくても出られなかった女の子。
 自由に世界を見れなかった女の子。
 葵ができなかったことをやろうとしているのか、はたまた彼女と同じ境遇の人たちに向ける思いなのか。
 もっと複雑かもしれないし、逆に単純なのかもしれない。
 流石にそこまでひも解くことはできないけれど、隼人がそうしたいならいいと思う。
「いいんじゃね?」
「うん、応援するよ」
 真美も笑顔で同意した。
 葵の影響と言えば、
「俺も進路決めたぜ。隼人が受ける予定だった大学にコミュニケーション学科があったから受けることにした」
 翔もそれを受けたひとりだった。
「隼人と一緒に通えないのは残念だけど、これからはみんなそれぞれの夢に向かって進んでいくわけだし、案外いい機会だったのかもな」
 会ったこともなければ話したこともない少女の影響で進路を決めるなんて自分でも不思議に思うが、隼人から彼女の話を聞いているうちにどこか身近に感じるようになっていたのは事実で。
「なんでまたコミュニケーション学科?」
「葵ちゃんの話を聞いてて思ったんだよ」
 葵の名前に隼人が反応する。
「周りに頼れるような地域コミュニティがあればもっと違う結果になったんじゃなねぇかって。葵ちゃんの父ちゃんはひとりで抱え込まなくてよかったかもだし、葵ちゃんの寂しさを埋められる心のよりどころになったかもしれねぇ。今だってきっとひとりぼっちでどうしていいのかわからなくなってる人っていると思うんだよ。そういう人と周囲を繋いでみんなで協力していけるようなコミュニティを作れたらって考えるようになって。大学を卒業したら市役所のそういった課に就職するのが理想だな」
「尾崎がちゃんと将来のこと考えてる」
「見直した?」
「見直した」
 これは好感度があがったかと、ほんの少し下心が覗く。
「ありがとう」
「なんで隼人がお礼言うんだよ」
「なんとなく」
 どことなく隼人が嬉しそうだ。
 そんな隼人に、真美と目が合い笑い合う。
 このまま行けば、本当に3人はバラバラの道に進むことになる。
 こんな風に集まる機会も減るだろう。
 寂しいけれど、仕方がない。
 それぞれの夢があり、人生がある。
 きっとこれが大人になるということだ。



「アルバム、ありがとうございました」
 借りていたアルバムを返すことともうひとつの理由のために、隼人は永田写真館を訪れていた。
「どうだった?」
「すごく素敵でした」
「そうか。そう思ってくれたならよかった」
「あの」
 懐かしむようにアルバムの表紙を撫でながら棚にしまう館長の後ろ姿に話しかける。
「今日はお話があってきました」
 そして、意を決して写真館での手伝いを辞めたいことを伝えた。
 隼人の申し出に、館長は特に驚いた風もなく、
「そうか」
 と短く返しただけだった。
「やりたいことが見つかったか」
 振り向いて、隼人の頭に手を置いて乱暴に撫でられる。
 大きく武骨な手があんな繊細な写真を撮るのが不思議でならない。
「受験勉強、頑張れよ。チャンスは逃すな。全力でやりなさい」
「……はい!」
 目標が決まった以上、これからはそこに向かって全力で進んでいかなければいけない。
 名残惜しいけれど、写真館での手伝いをやめることが、この先全力で進んでいくための最初の1歩になる。
「あ、そうだ。お前に見せたいものがあるんだ」
 そう言い残し事務所の奥に消えていく館長。
 戻ってきた館長の手には、1枚の写真が握られていた。
「ほら」
 写真の中の人物には見覚えがあった。
 しかし、印象が変わりすぎていて処理が追い付かない。
「……橘さん、ですよね?」
「ああ、そうだ」
 写真の中の橘省吾は隼人が会いに行った時と大分印象が変わってた。
 短くセットされた清潔感のある髪、無精ひげはきれいに剃ったせいか見た目年齢が5歳ほど若返っている。
 切れ長の目は変わりないが、あの世界の全てを拒絶するような目付きではなく、隈も大分薄くなり、頬もふっくらしてきているようだ。
 そんな葵の父親が、真面目な表情で写真用紙の中にいた。
「どうしたんですか、これ?」
「いや、急にうちに来て写真撮ってくれって言われてな。用途を聞いたら遺影写真にするんだと。妻と娘に負けないくらいいい写真を残しておきたいって。3人並べた時に自分だけ変な写真だったらいたたまれないって言ってたな」
 葵と同じ一重の目がまっすぐこちらに向けられている。
 あの時は感じられなかった生命力が用紙越しに伝わってくる。
 葵の父親にも何か変化があったらしい。
「お前に会うことがあればこれを渡しておいてくれって、預かっているものがある」
「なんですか?」
 差し出されたのは4つに折りたたまれたメモ用紙だった。
 ゆっくりと開くと綺麗な文字が並んでいた。
「村瀬隼人くん、君のおかげで久々によく眠れた。食べ物の味がした。生きていると感じた。私はまだ生きていて、できることはたくさんあると気づかされた。なにをどうすればいいのかはまだまとまらないが、ゆっくりと自分にできることを探していこうと思う。君にも君の進む道があるだろう。苦労も後悔もあるだろうが、負けずに夢を叶えてほしいと願っている」
 そんな言葉が書かれていた。
 葵の父親からの、御礼と激励の手紙だった。
 手紙を読み終え丁寧にカバンにしまう。
 そんな隼人を館長は黙って見つめていた。
 何かいいことが書いてあったのだろう。
 隼人の表情を見て思うに留めた。
「手伝いは終わりだが、悩んだり困ったことがあったらうちの店に来い。役に立つかはわからんが、話しぐらいは聞けるぞ。道子たちも喜ぶ。だから、そこに遠慮は感じるな。いいな」
「はい、ありがとうございます」
 一呼吸おいて、改めて館長に向き合う。
「今までお世話になりました」
 頭を下げて、一礼する。
「頑張れよ」
「はい!」
 約3年間通った永田写真館での手伝いの日々は、こうして幕を下ろした。



 家に帰ると母がベランダに干していた洗濯物を取り込んでいるところだった。
「おかえり」
「ただいま。……写真館での手伝い辞めてきた」
「急にどうしたの」
「受験勉強に集中しようと思って。やりたいことも見つかったし」
「そう。まぁ、自分で決めたんなら頑張りなさい」
 母はそれ以上深く追求しなかった。
 昔からそうだ。
 隼人のやることには極力口出ししない、そんな母だった。
 関心がないのとは違う。
 確かに放任気味のところはあるが、たぶん母なりの信用の証なのだろう。
 昔はそんな母を冷たく感じ、わざと困らせるようなことをした時期もあったが、その時もうまい具合に流された記憶がある。
 母には進路を変えたことをまだ言っていなかった。
 タイミングが合わなかったというのもあるが、どんな道を選んでも反対されない確信が隼人にはあった。
 それでも、ずっと黙っているわけにもいかない。
 なにせ学費や当面の生活費を工面してくれるのは母なのだ。
 親を頼りにしすぎるのもよくないのかもしれないが、今の隼人に費用面での生活能力はないに等しい。
 一応永田写真館での手伝いで貯めたお金はあるが微々たるものだし、やはり母からの手助けは必要不可欠だ。
「母さん」
「なに」
「進路、変えようと思う」
「ふーん」
「ふーんって」
「なに、ギャーギャー言われたいの?」
「いや、言われたくはないけど……」
「なら、いいでしょ。好きにしなさい」
「学費とか……」
「それはあんたが気にすることじゃないでしょ。こっちは息子がどんな選択をしても対応できるくらいの貯蓄はあるんだから」
「……」
 そういえば、似たようなことを言われた記憶がある。
 あれは、この団地に越してきたばかりの頃。
 どうしてこんなところに引っ越したのか母を問い詰めた時があった。
 ただでさえ薄気味悪くて嫌なのに、転校初日にはおばけ団地の住人だなんて言われて隼人は非常に不服だった。
 看護師をしている母の給料を明確には知らないものの、薄給ではないことは感づいていたためどうしてこんなボロ団地に住まなければならないのか理解ができなかったのだ。
 我が家はそんなに貧乏なのか。
 泣きながら問いただした。
 必死に訴える息子に、しかし母はケロリと答えた。
 貧乏なわけじゃない。
 あんたが将来の夢を見つけたとき、それを親として全力で応援できるように節約してんのよ。
 それに、大抵の場所は住めば都って言うじゃない。
 抱きしめられて、背中を擦られた。
 母のぬくもりに安心した。
 夢にお金がかかるというがなんでなのかよくわからなかったが、自分のことをちゃんと考えてくれているのだと感じ嬉しかった。
 それ以来、団地に関して文句を言ったことはない。
 いや、今にして思えばこの場所を選んでくれた母に感謝したいくらいだ。
 おかげで、葵に会うことができたのだから。
「ありがとう。でも、母さんにはちゃんと知っててほしいから、あとで話は聞いてほしい」
「……珍しいわね」
 母が洗濯物を畳む手を止める。
「隼人が自分のこと話すなんて珍しい。私が聞いてあげてないってのもあるんだろうけど。……なんか、お父さんのこと思い出しちゃった」
 母が父の話題を持ち出す方が珍しい。
 というか、離婚してから初めてじゃないだろうか。
「あんたがさ、糸電話作ってくれたことがあるの、覚えてる?」
 覚えてる。
 苦い思い出だ。
「隼人に言うことじゃないんだろうけど、あの頃って看護師のパートと子育てに追われて周りを見る余裕がなかったのよね。家事も完璧に、育児も完璧にって。自分の時間も満足に作れなくて、上手に息抜きできなくなって勝手に追い詰められてた。お父さんも寡黙な人で話をしたり聞いたりが苦手な方だったし、私も弱音を吐きたくないって意固地になってた。そんなんだから家庭も冷めきっちゃったのよね」
 そうだったのか。
 あの殺伐とした家庭内を思い出す。
「そんな時にさ、テーブルに糸電話が置かれてたわけ。これでお話してねって。ぶざけんなって思ったね。誰のせいでこうなってるんだって。隼人がそんなことをした意図も考えないで、なんの躊躇いもなくゴミ箱に捨てたの。母親として最低だったって今でも時々思い出す。ごめんね隼人。辛かったでしょ」
「……うん」
 素直に頷く。
「でも、もう気にしてないよ」
 そんな隼人に、母は苦笑いを浮かべる。
「あの時、糸電話を使ってでも無理やりお父さんと話してれば、もっと違った未来があったかもしれないね」
 違った未来。
 あの家で、家族3人で、今も暮らしていた未来。
「それでも、僕は今幸せだよ」
 気を許せる友達がいて、叶えたい夢があって、大切な家族がいる。
 糸電話も悲しい思い出だけじゃない。
 葵との大切な思い出になったから。
「そう」
 そう言って、再び洗濯物を畳み始める。
「……話、聞かせてね。ちゃんと聞くから。久しぶりに、ゆっくり話そう」
「うん」
 あの日、ごみ箱に捨てられた糸電話を見て、自分は余計なことをしたのかと悲しくなった。
 それでも同じことを繰り返したのは、父と母が好きだったから。
 残念な結果になってしまったけれど、無駄なことではなかったんだと今なら思える。
 あの糸電話の経験があったからこそ、葵との繋がりを得ることができた。
 沢山の会話をして、想いを伝え合うことの尊さを知った。
 それはきっと、これからの人生でかけがえのないものになるだろう。
 母に葵の話をしてみようか。
 きっと信じてはもらえないだろうけど、聞いてほしい。
 あの不気味で、美しく、愛おしい日々を。
 そんなことを考えながら、隼人は自室のドアを開けた。
 もうすぐ、夏休みが終わる。
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