Please Say That

国沢柊青

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act.02

 ショーンをリビングに残して、さっさとバスルームに行ってしまった羽柴が去った廊下の先に目をやりながら、ハァ~とショーンは、また溜息をつく。
 今度はどこか甘い匂いのする溜息だ。
 子どものように彼の胸にしがみついたあの一瞬は、本当に心地よかったのだ。
 どこの誰かも知らない男相手に、そんな感覚を覚えたのなんて、初めてだ。
 ── 自分でも、どうしてか分からない・・・。
 しばしショーンがぼんやりとしていたら、ドアベルが鳴った。
 慌ててドアに向かうと、「ルームサービスです」とメイドの声がした。
「はい」
 ドアを開けようとして、ハッとする。
 ── いけない。彼に知らせなければ。
「ちょっと待ってください」
 ショーンはわざと低い声で返事をすると、バスルームに向かった。
 まだシャワーの音が聞こえてくる。
 ノックをしても聞こえないのか、返事はない。
「困ったな・・・」
 ショーンが思わずドアノブに手を遣ると、カチャリと開いた。
 ── 何だよ、鍵もしてないの?!
 再び男の暢気振りに呆れながら、ショーンは中を覗き込んだ。
 シャワーカーテン越し、男の肌色のシルエットが浮かんでいる。
「あの・・・、来たんだけど」
 なぜかショーンは照れくさくなって、小さな声でそう言ってみたものの、男には聞こえない。
「来たんだけど!」
 思い切ってショーンが叫ぶと、「うわ!」と男が驚いた声を上げて、シャワーカーテンをはぐった。
 その拍子に、丸裸な彼と鉢合わせする格好になった。彼の際どい部分まで見えてしまって、ショーンは思わず背を向ける。
「ちょっと! アンタ何考えてんの!」
 思わずショーンは悲鳴を上げてしまう。
 シャワーの音が途絶え、バスローブに身を包んだ羽柴がシャワールームから出てきた。
 羽柴は、顔を真っ赤にしているショーンを見て、怪訝そうに顔を顰める。
「女の子じゃあるまいし。何で赤くなる必要があるんだ? 君にも同じモノがついてるだろう?」
 確かにそうだけどさ・・・とショーンは口を尖らせながら、羽柴を見上げた。
 ドキリとする。
 間近に、あの濁りのない真っ黒な瞳があった。
 前髪から落ちてきた水滴に濡れた彼の瞳には、ポカンとした顔つきのショーンが映っていた。
 ── ああ、なんてマヌケな顔なんだ!
 ショーンが自分の格好悪さにショックを受けている最中にも、羽柴はショーンの肩に手を置いて、ショーンの身体を少し退け、表のドアまで向かった。
 すぐにメイドとの和やかな会話が聞こえてくる。
 ショーンは、さっとリビングと廊下の間にある格子戸の陰に身を潜めた。
 格子の間から、リビングの様子を見つめる。
 羽柴は受け取りのサインを済ませると、リビングのソファーに掛けてあったスーツの上着からドル紙幣を取り出し、メイドに渡す。
 その仕草は淀みがなく、自然だった。もし彼が本当に旅行者なら、かなり旅慣れていることが窺える。
 二人が談笑している様子を見て、ショーンは少しムッとした。
 羽柴は、さっきまであんなに無愛想な表情しか自分に見せなかったのに、今は満面の笑顔をメイドに向けている。
 その笑顔の、なんと屈託のないことか。
 さっきまであんなに気難しそうだった彼の顔が、笑顔を浮かべた途端、急に人なつっこくなった。その少年然とした笑顔は、何とも魅力的で。現に年若いメイドが、仕事中だというのに頬を赤らめて羽柴を見上げている。
 なぜかショーンは益々ムッとしてしまった。
 ── 何だよ。デレデレしちゃってさ。
 そう思ってすぐ、ショーンは自分が思ったことに冷や汗を掻いた。
 ── 別に俺がそんなこと思う資格なんてないんだ。
 自分は突然飛び込んできた所謂“邪魔者”であって、彼が自分に対して笑顔までみせるサービスをする謂われはない。
 こうして匿ってくれて、おまけに腹ぺこの自分を気遣ってくれて朝食までご馳走してくれるというのだ。もう十分過ぎるほどの好意は受けている。
「Thanks」
 羽柴の声と共に、ドアが閉まる音がする。
 すぐに「もう出てきていいぞ」と声を掛けられた。
 おずおずと格子戸からショーンが出ていくと、朝食ののったトレイをどこに置こうか迷っている彼がいた。
「ここには生憎ダイニングテーブルというものはないからな。そこのライティングデスクで食べるかい?」
「あ・・・。いや、ローテーブルで構わないよ」
 ショーンはそう言うと、羽柴は「え」と少し驚いた顔をした。
 ショーンは羽柴の手からトレイを受け取り、ローテーブルに置くと自分はペタンとカーペットの上に座った。行儀は悪いが、これが一番落ちつく。壁に向かったライティングデスクで羽柴に背を向け黙々と食事するなんて、なんだかそっちの方が居心地が悪い。
 羽柴は、「へぇ」と溜息に似た声を出す。
「有名人でも、地べたに座って飯を食うことがあるんだな」
「どういう意味?」
 羽柴の発言に少しまたムッときて、ショーンが口を尖らせると、「いや・・・」と羽柴は呟いて、「君はもっと我が儘かと思っていた。有名人は皆そうかと。案外庶民的なんだな」と先を続け、笑顔を浮かべた。
 その笑顔を見たなりに、ムッとしていた気分がどこかに行ってしまう。
 やっぱり、こうして面と向かって微笑まれると、益々眩しく見える。
 人の笑顔にここまで魅了されたのは、スコット以来だ。
 さっきの笑顔とはまた違って、静かに見せるその笑顔は、凄く穏やかで。
 彼の周りを包んでいる大らかな空気が、ショーンの身体までも優しく包み込むような錯覚を覚える。
 ── これって、こんな気持ちって、なんなんだろ・・・?
 柔らかな感じなのに、何かに急き立てられて浮き足立っているようにも感じる。
 上半身はフワフワしていて、でも身体の中心はギュッと掴まれている感じ。
 ── なんだろ、コレ。なんなんだろ、コレ。こんなの俺は知らない・・・。
 何だか訳が分からなくなってドキマギしていたら、急に泣けてきた。
 気付けば目頭がジワリと熱くなってくる。
「お、おい。別に庶民的っていうのは、悪口じゃないぞ・・・」
 羽柴が思いっきり慌てている。
 そりゃそうだろう。
 目の前でいきなり泣かれたら、誰だって慌てる。
 ── ホント、散々だよね、この人・・・。
 彼を困惑させている当事者であるショーン自身もそんなことを思いながら、涙をグイッと袖で拭った。
「・・・別に、悪口言われて泣いてるってんじゃないから・・・」
 そう言いながらも、ショーンは涙の意味を自分でもうまく説明できなくて、取り敢えず「見知らぬ人に優しくされたのは久しぶりだから」と答えた。
 羽柴はそれを聞いてホッとしたようで、目の前のソファーに腰掛けながら、「そうか。よかった。冷めないうちに早く食べるといい」と言ってくれた。
 目の前には、およそベーグル屋でお目にかかれないほどの素晴らしい朝食が並べられてある。
 フレンチトースト二枚に上質のバターの香りがするプレーンオムレツ。香ばしいかおりをまとわせた湯気を立てるオニオンスープ、ジューシーに焼かれた厚めのベーコン、目にも鮮やかなグリーン色のベビーリーフサラダ。ブルーベリーのソースがかかったヨーグルトに明らかに今絞りたてホヤホヤといった具合のフレッシュオレンジジュース。生のリンゴやメロン、ブドウが華やかに盛られた器にはさり気なく生ハムとチーズが添えられており、その隣にはポットに入った香り高いコーヒーまである。
「・・・いつもこんな朝食食べてんの?」
 明らかに質がよくて量も申し分ないメニューに、思わずショーンはそう口に出してしまった。
 羽柴はゴシゴシと髪の毛をタオルで拭きながら、「まさか」と答えた。
「いつもは街中のカフェでクロワッサンなんかをコーヒーで流し込んでるさ。今日は特別だよ。あんなに盛大に腹の虫を鳴かせているスターに敬意を表して」
 それを聞いて、またショーンは顔を真っ赤にする。
「べ、別に俺、いつも飢えてる訳じゃ・・・!」
 ハハハと羽柴に笑われた。
「そんなこと、思ってる訳がないだろう。今日は非常事態だったんだよな」
 羽柴はタオルを首に掛けると、立ち上がった。
「ま、邪魔はしないから、ゆっくり食えよ」
 そう言って去り際、ショーンの頭をクシャクシャと掻き乱していく。
 その仕草は、完璧にショーンを子ども扱いしているものだったが、図らずもそれはショーンにとって『泣き所』とも言える行為だった。
 羽柴が寝室に消えた後、ショーンはスプーンを口に銜えたまま、トレイの横にバタンと顔を倒す。
「あ~・・・」
 甘ったるい気分になって、ショーンはみっともなく溜息をついた。
 髪の毛をああいう風に掻き乱すのは、スコットがショーンに愛情を示す時によくやってくれた仕草だった。スコットの場合は、その後、ショーンの髪にキスをするのが常で。
 いずれにしても、仕事や周囲で起こる日頃からの騒ぎで忙しく、ギスギスしていたショーンにはダイレクトで響く。
 ── こんな時に、そんなことするなんて、反則だよ・・・。あの人一体、何者?!
 そう悪態をつく一方で、凄く大きな手だったなぁ・・・と桃色の溜息をつく自分もいる。
「・・・パパラッチから逃げてる時に、こんな気持ちになるだなんて・・・俺、情けねぇ」
 ショーンは一人落ち込んだ。


 寝室から出てきた羽柴は、いかにもビジネスマンといった風な漆黒のスーツをパリッと着こなし、黒く短い前髪も整髪料で清潔に上げて額を出し、うっすら生えていた無精ひげも綺麗に剃られた格好で出てきた。
 さっきまでのこざっぱりとした男っぽさに加え、成熟した大人の男の色気が香る。やはりこうしてオンの体勢を整えた彼からは、年相応の迫力が滲んでいた。明らかに、寝起きの彼とは違う雰囲気だ。
 彼が手にしている鞄は黒のアタッシュケースで、明らかに旅行者には見えない。
 素直に黙々と朝食を食べていたショーンは、また呆気に取られて羽柴の変身ぶりに目を奪われていた。
「・・・仕事?」
 我ながらマヌケな質問をしたものだ・・・とショーンは思いながら、でもそう訊かずにはいられなかった。
 羽柴は、ライティングデスクの上にあった腕時計をつけながら、「実はもう五年ぐらいこっちで生活していてね。ニューヨークには仕事で滞在してる」と答えた。
 なるほど。それで納得できる。
 男の行動は堂に入っていて、戸惑いがないところをみると、外国生活に慣れているからこそなのだと思った。「旅行」と言ったのは、パパラッチを追い払うための口実だろう。
「もう時間だから出るけど、それゆっくり食べて行っていいからな」
 羽柴はアタッシュケースに読みかけの新聞をバサバサと突っ込みながら言う。
「え? アンタの分は?」
 羽柴も食べるだろうと気を使って食べていたのだが、「それを半分しか食べないで、君の胃袋が満足するのかい?」と探るように見つめられ、ショーンはまた頬を染めた。
「・・・でもなんか悪いよ。二人分頼んでくれてもよかったのに。俺、今持ち合わせはないけど、きっと朝食代は返すよ」
 必死になってショーンが言うと、羽柴はクスクスと笑った。
「カメラマンにこの部屋には一人しかいないと明言しといて、二人分のルームサービスの皿を廊下に出すのか?」
「あ! ・・・そうか」
 益々ショーンの顔が真っ赤になる。どうしてそんな簡単なことにも気づけないのだろうと恥ずかしくて仕方がなかった。
 これでも、ハイスクールの頃は将来イエール大学に進学するかと担任からそれなりの期待を掛けられていたはずなのに・・・。
 ショーンは恥ずかしさでいっぱいだったが、羽柴は特に気にも掛けていないようだった。
「俺は外で適当に食うよ。ま、好きなだけゆっくりして行くといい。鍵はオートロックだから、君が出たら勝手にドアは鍵がかかるし、フロントにはやっかいな部外者が侵入していると注意しておくから。君のこともフロントに知らせておくことにする。大丈夫。ここのホテルは、そういうところ凄く良心的だし、しっかりしてるから。優しくフォローしてくれると思うよ」
 こともなげにそう言われ、その優しさだけをここに置いて出て行かれることにショーンは何だか不安を感じた。
「でも、ホントにいいの? アンタが出ていった後、俺がこの部屋で悪さするかもしれないよ? そんなに俺のこと無条件に信用していいのかよ」
 ショーンはムキになってそう返す。
 羽柴は、ショーンの必死な物言いに少し顔を顰め、ショーンの向かいのソファーに座った。
 あの真っ黒い瞳が、ショーンを見つめてくる。
「そんなに怖がらなくてもいい」
 心の中を容易く見透かされて、ショーンはまた身体の中がギュッとなる。
「君は随分苛酷な人間関係の中で過ごしてきたんだな。こう見えても俺は、そんなに平和呆けしてる日本人じゃないんだ。君の目を見れば、君が悪い人間じゃないことぐらい分かる。そうでなければ、どこの誰かも分からない男を匿ったりもしないさ。俺の見込み違いなら、それはそれまでのこと。次からは赤毛のチャーミングな瞳をした男に気をつければいい。それだけのことだろ?」
 意外なほど優しげな声でそう言われ、ショーンの鼻の奥がまたツーンとなった。
「・・・ごめん・・・。ありがとう」
 ショーンが蚊の鳴くような声でそう言うと、羽柴はあの大らかな微笑みを浮かべ、ショーンの髪をまたクシャクシャと掻き乱した。
 ショーンはうっとりとして瞳を閉じる。
「朝食代も気にしなくていい。大スターのこんな顔が拝めたんだ。むしろ得した気分だよ」
 羽柴にそう言われ、ショーンはハッとする。
「こんな顔ってどんな顔だよ?!」
「ん? そうだなぁ。ゴロゴロ喉を鳴らしている猫みたいな顔」
「・・・!!」
 言葉をなくしてまた顔を真っ赤にしているショーンを置いて、羽柴は楽しそうに笑いながら部屋を出て行ったのだった。
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