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act.10
── 俺はアンタにメロメロなんだ・・・。
昨夜、ショーンが声なき声で羽柴に言った言葉。
それは、声が出ない今だからこそ言えた言葉だった。
単なる一目惚れだった気持ちは、今はもっと大きく膨らんで根深くショーンの中に腰を下ろしつつある。
けれど、その気持ちを羽柴にいきなりぶつける勇気はまだなくて。
しかしそれにしても・・・。
昨日ショーンがついにストレスを爆発させてしまった時、彼は大きな腕でショーンを抱き締めてくれた。
夢見た通り、大きくてすっぽりと包まれる心地の良い腕だった。
ショーンがこの病気になってから、いろんな人がショーンのことをどうにかしようと接してきたが、羽柴ほど瞬時にショーンの中のジレンマを無理なく表に引き出してくれた人はいなかった。
彼が「書くことを諦めるな」と言ってくれた時、その言葉がまるで神の言葉のように聞こえた。
また生きることのできる希望を受け取ったような気がした。
優しく髪を撫でられ。
背中を柔らかく叩かれ。
そして、ショーンの中の嵐はいなくなった。
彼の腕に包まれただけで心底安心でき、穏やかな気持ちになれた。
羽柴は、甲斐甲斐しくショーンの世話を焼いてくれた。
風呂の準備をしてくれて、髪の毛を乾かしてくれた。
そんな些細なことが、本当に嬉しい。
自分は今まで、余りにも周囲の人に全ての神経を使い切ってしまっていた。
自分の面倒をみてくれているスタッフの人間にさえだ。
自分の身体は疲労し切っていて、まして心は壊れかけていた。
ショーン自身あまり自覚はしていなかったが、羽柴のベッドに横たわると、いかに自分が何もかもに疲れ果てていたのかと思い知らされ、迫ってくる睡魔に対抗することができなかった。
そのお陰か、羽柴がベッドに入ってきた時も前みたいに身体が恥ずかしい反応をみせることもなく、ショーンは遠慮なく羽柴の身体にくっついた。
やっと本当の意味で身体中の余計な力が抜け切った。
── ああ、何て幸せなんだろう・・・
自分の想いなどまるで通じてないのに、今はそれでも幸せに思えた。
彼が、自分のために部屋のドアを大きく開けて、こんな自分を迎え入れてくれただけで・・・。
今、羽柴は、ショーンが暢気に眠りこけている間に、ジョギングに出てしまっている。
どうやら日課らしい。
目が覚めると、ポストイットに書き付けられた書き置きが、自分の額にペタッと貼り付けてあった。
思わずショーンは笑ってしまう。
彼ってこんな子どもみたいなこともするんだと思うと、笑えてきてしかたなかった。
『ジョギングに行ってきます。帰りに美味いベーグル買ってくるから、待っておいで』と書いてあった。
ショーンはパジャマのままロフトを抜け出して、リビングに降りた。
リビングの大きな掃き出し窓の向こうは初々しい陽が燦々とテラスに降り注いでいた。昨夜の冷たい雨が嘘のようである。
ショーンは、コート掛けに引っかけてある自分のダウンジャケットを羽織ると、テラスに出た。
やはり肌寒かったが、それでも心地よかった。
羽柴が、こんなに広くてきちんと片づいている部屋に住んでいるとは思っていなかった。
スーツの上着をソファーに脱ぎ置いてしまうところを見ると、もっと雑多に散らかった部屋を想像していたのだけれど。
おまけに昨夜食べさせてもらった手料理も文句なく美味く、更にショーンは驚かされた。
ジャパニーズレストランで、羽柴の女友達が言っていた「女性と付き合ってもすぐに別れてしまう」という話は、あながち嘘ではないのだろう。これだけ家のことが卒なくできれば、自分の面倒をみてくれる女性など、たいして必要がないように思える。
テラスに張り出した庇の下には、木のベンチと小さなテーブルが置かれてあった。それはとても古くて、一見すると高価な代物には見えないが、いい味を出している。
ショーンはベンチに腰掛けると、大きく息を吸い込んだ。
朝露に濡れたガーデンテラスの濃い草の香り。
ここで羽柴が毎日生活しているんだと思うと、また胸がじんわりしてきた。
時間的なことを言ってしまえば、出会って一日と少ししか経っていない相手だ。
それなのに自分は、こんなにも羽柴という存在に魅了されてしまっている。
幼い時に目の前で父親がドラッグの売人に殺されるという経験をしているせいか、年上の男に弱い体質なんだろうか、とも思う。自然に『父性』を他人に求めてしまうのかも、と。
自分の育て親であるスコットに対しても、そういうものが無意識の中にあって、恋心を抱いたのかもしれない。現に羽柴も、スコットより僅か二つ年下なだけだ。
── でも、他の年上の取り巻きには、こんなときめきなんか感じたことないし。
ショーンは、ベンチの上に両足を上げ、その膝に顎をのせる。
イアンや他のバンドメンバーだって思い切り年上だし、事務所の人達や社長だって年上だ。もちろんレコーディングスタッフも、イアンが選び抜いた熟練達ばかりで、比較的年をとった人が多い。
唯一、そういう意味で魅力的なキャラクターはといえば、レコーディングで一番大切なミキシングの仕事をしてくれているルイ・ガルシア・サントロだが── 彼は長身で年も若く、スタジオに篭もらせるには勿体ないほどの男前だ ── 彼に対する気持ちは、恋しい人というより一緒にいて気持ちのいい兄弟のようなものだ。だから結局のところ他の誰にも、羽柴に対するような気持ちを抱いたことはない。恐らく、過去深いつき合いをした女の子達にもここまでの感情を感じたことはなかった。
── だからこそ。
自分の声が出なくなったと分かった時、真っ先に思ったのは羽柴のことだった。
その時の瞬間を思い出すと、今でもたまらなく胸が痛み出す。
ショーンは、あの日のことに思いを馳せた。
イアンの機嫌は、ずっと悪かった。
ショーンの父親がビル・タウンゼントだったことにも腹を立て、それが自分に知らされていなかったことにもっと腹を立てていた。
フロリダからバカンスの予定を切り上げて帰ってきたイアンはただでさえ機嫌が悪かったのに、マスコミがショーンにスポットを浴びせかけたことが彼の怒りに更なる拍車をかけた。
イアン・バカランは、ロック界の帝王らしく、いつも自分に注目が集まってないと気が済まない人だった。
「いいか。こんなことは、あってはならないんだ」
事務所の例の部屋で、まるで虎が檻の中をウロウロするように行ったり来たりと歩き回りながら、イアンは言った。
「自分のバンドのメンバーのことを、このイアン・バカランが知らない、だなんてことはな」
イアンはふと足を止めて、ソファーに座っているショーンを睨み付けた。
ショーンは首を竦ませる。
同じソファーに座っていたベースのジェスとドラムのトイが同情の視線をショーンに向ける。
「まぁまぁ、イアン、落ち着けって・・・」
ロバートが辛うじてショーンに助け船を出そうとするが、いつものようにイアンは聞く耳を持たない。彼はいつも、彼がしたいようにしたいことをするし、言いたいことを言う。
「まさかショーン、お前、他に隠してることはないだろうな」
そう言われ、ショーンは緩く首を横に振った。
元々、ビルのことも隠していたつもりはなかったのだが、イアンにはそう思えたのだろう。
「とにかく、マスコミはショーンのコメントを欲しがってる。それで彼らが満足して黙ってくれるのなら、コメントを取らせた方がいいのではないかね」
部屋の片隅にある重厚なライティングに身体を凭れかけ、腕組みをした壮年の男がそう言った。
社長のジャック・クローネンバーグだ。
社長のその発言に、イアンは難色を示した。
「ショーンに記者会見をさせるだって? こんな二十歳にもならない若造に?」
イアンの険のある声に、ロバートが天井を見上げる。
「たまにはいいんじゃないか? ショーンもうちのバンドに入って二年目なんだし、そろそろ発言させてもいい頃だと思うが・・・」
ジェスがそう言い出したものの、イアンに睨まれて段々尻窄みになっていく。
「いいか。こいつを見てみろ」
イアンが両の手のひらでショーンを指す。
ロバートやクローネンバーグ、バンドのメンバーはおろか、同じ部屋の中にいるアシュレーやイアンの連れてきたフロリダガール ── 彼女は冬場だというのに、白い毛皮のコートの中にビキニトップにミニスカートという格好で一人掛けのソファーに腰掛けている ── までもが一斉にショーンを見た。
おもむろにイアンがこう言う。
「俺より若い。俺より背が高い。俺よりギターが上手い。おまけに・・・何て言うかその・・・顔も良すぎる」
オー・・・と一同が顔を顰め天井を見上げたが、フロリダガールだけは、チュッパチャップスを妖しげに銜え、ニヤリと笑いながらショーンを見つめる。
その様子を見て、イアンは益々熱くなった。
「ほら! 見てみろ!! こいつは黙っていたって目立つんだよ! このイアン・バカラン様よりもな!」
「何言ってるんだ、イアン。バルーンは、“イアン・バカラン・バンド”なんだってことは、世界中の誰もが知ってる。今更ショーンにそんなことで嫉妬したってしかたがないだろう? それに、バンド結成以来、売上げが下降気味だったところを、ショーンがメンバーに加わったことでまた上向きになったんじゃないか」
ロバートが呆れ声でそう言う。
「嫉妬するなだと?! ロッカーは常に何かに挑戦していないと魂が腐っていくものなんだってことが、分からないのか? もう何年もロックスターのマネージャーをしているくせに!」
イアンはそう言いながら、フロリダガールに熱烈なキスをする。
ショーンも段々バカらしくなって、イアンに見えないように溜息をついた。
バンドのフロントマンとして、そして優れたヴォーカリストとして、イアンは確かに素晴らしい才能を持ったカリスマだった。
イアンが突然爆発させる我が儘も、山の天気のようにころころ変わる機嫌も、成功したロックスターゆえのものと分かっているものの、自分に矛先を向けられると些か疲れる。
このままでは、イアンの機嫌は直りそうにもない・・・と思っていたところに、クローネバーグが打開策を提案した。
「じゃぁ、記者会見の席上にイアンも参加したらどうだ。ショーンのよき先輩として、付き添う形で」
イアンが、ん?と顔を顰めて社長を見る。
そして顎をさすりながら、「そうだなぁ・・・」と考えを巡らせた。
「うん。それはいい。如何にもショーンボーイが俺を頼りにしているって感じが演出できていいかも」
次第にイアンの顔色が変わってくる。
彼の中では、もうその記者会見の様子が頭の中に浮かんでいるようだ。
彼は、目に見えない報道陣のカメラに答えるように部屋の中央でポーズを取ると、ブツブツと何か呟いている。
「よし。ショーン、お前は俺が考えた筋書き通りに記者の質問に答えるんだ。いいか?」
イアンが、ショーンを見る。
そして一同全員が同じようにショーンを見た。
ショーンが訝しげに目を細める。
イアンがショーンにどんなことを言わそうとしているのか、大体想像が付いた。
それが明らかに、自分の意志と反するような、虚偽の内容となることも。
「いいな?」
再度イアンが念押しをしてくる。
ショーンは不安げに周囲を見回した。
皆、「頼むから、頷いてくれ」と言っている目でショーンを見つめている。
ショーンは結局渋々と頷くしかなかった。
記者会見は案の定、最悪だった。
イアンの作った台本通りに記者が質問し、イアンが作った台本通りにショーンが答える。そして時折ショーンの肩に手を回して立つイアンが補足のコメントを付け加える。
そんなカラクリだらけの記者会見でも、マスコミはそれで満足した。
今まで、こうした形でマスコミの前に立つことが一切なかった謎だらけの青年が、初めて自らのことやバンドのことについてコメントしたのだ。
天才ギタリスト、ショーン・クーパーの声を初めて聞いたというマスコミの連中がいるぐらいだから、彼らとしてはその映像をゲットできただけでも御の字だろう。
結局記者会見は、イアンの新譜を宣伝するコメントで締めくくられ、彼はいたって上機嫌になった。
その点で言えば、記者会見は大成功だった。
記者会見の後、イアンが例のフロリダガールと高級ホテルのスウィートルームを占拠してランチキパーティーを開いたのがいい証拠だ。
その後イアンは、新しい恋人とそのままその部屋に滞在して、途中で水を注されたバカンスの続きを楽しんでいる。
一方ショーンはといえば、気分はもう最悪だった。
まるで悪魔に魂を売ったような気分を味わった。
イアンと並んでカメラのフラッシュを浴び、翌日の新聞に『バルーンの最終兵器・ミステリアスなギタリスト、ついにベールを脱ぐ』と報道され、自分はそんなにも世間から隠れて暮らしているように見られているのかと愕然とした。まるで、自分が全ての人々から背を向けて生きているような気持ちになった。
記者会見後、イアンがいなくなった車の中で、流石に落ち込んで俯いているショーンに、ロバートが肩を掴んで慰めの言葉を掛けてくれたが、それは更にショーンを落ち込ませるだけだった。
「お前はよくやった。今日、お前がイアンの言う通りにやってくれたお陰で、沢山の人間が助かったんだ。別に他人に迷惑をかける嘘を言った訳じゃないんだから、気にしなくていい」
── ああ、やはり自分は、『嘘』を言ったんだ。おそらく、全世界に向けて。
鼻の奥がツーンとなった。
それでも、不思議と涙は出てこなかった。
ショーンはスモークの張られた窓ガラスから、街並みを眺めた。
そこには、いつもと変わらない人々の営みがあって、その奥にどれだけの『嘘』が行き交っているかということに思いを馳せた。
街角のパン屋の軒先で笑顔を交わす女性二人の笑顔も、公園の片隅で自分の子どもに頬ずりをしている母親の笑顔も、ホッドドッグを販売する露天商の主人と客の男性が笑いあっている様も、どれもこれも偽りの笑顔のように思えた。
そして自分も、その仲間に今日加わったのだと思い、たまらない空しさが身体の中を支配した。
ショーンの顔が、苦々しく歪む。
今さっきまで思い浮かべていた『偽りの笑顔』について、ショーンはそんなことを考えてしまった自分に嫌悪を感じた。
── 罪もない人々の笑顔を捕まえて、『偽りの笑顔』だなんて。
嘘つきは自分一人で十分だ。十分なんだ。
窓の外を眺め続けるショーンに、ロバートが声をかける。
「とにかく、これでこの騒動の決着はついたんだ。後は何も考えず、レコーディングの続きに没頭してくれればいい。明日からすぐにできるように、既に手配はついてるから。またギターを持てば、気持ちも晴れるさ。な」
結局ショーンは、その言葉に答えることはしなかった。
昨夜、ショーンが声なき声で羽柴に言った言葉。
それは、声が出ない今だからこそ言えた言葉だった。
単なる一目惚れだった気持ちは、今はもっと大きく膨らんで根深くショーンの中に腰を下ろしつつある。
けれど、その気持ちを羽柴にいきなりぶつける勇気はまだなくて。
しかしそれにしても・・・。
昨日ショーンがついにストレスを爆発させてしまった時、彼は大きな腕でショーンを抱き締めてくれた。
夢見た通り、大きくてすっぽりと包まれる心地の良い腕だった。
ショーンがこの病気になってから、いろんな人がショーンのことをどうにかしようと接してきたが、羽柴ほど瞬時にショーンの中のジレンマを無理なく表に引き出してくれた人はいなかった。
彼が「書くことを諦めるな」と言ってくれた時、その言葉がまるで神の言葉のように聞こえた。
また生きることのできる希望を受け取ったような気がした。
優しく髪を撫でられ。
背中を柔らかく叩かれ。
そして、ショーンの中の嵐はいなくなった。
彼の腕に包まれただけで心底安心でき、穏やかな気持ちになれた。
羽柴は、甲斐甲斐しくショーンの世話を焼いてくれた。
風呂の準備をしてくれて、髪の毛を乾かしてくれた。
そんな些細なことが、本当に嬉しい。
自分は今まで、余りにも周囲の人に全ての神経を使い切ってしまっていた。
自分の面倒をみてくれているスタッフの人間にさえだ。
自分の身体は疲労し切っていて、まして心は壊れかけていた。
ショーン自身あまり自覚はしていなかったが、羽柴のベッドに横たわると、いかに自分が何もかもに疲れ果てていたのかと思い知らされ、迫ってくる睡魔に対抗することができなかった。
そのお陰か、羽柴がベッドに入ってきた時も前みたいに身体が恥ずかしい反応をみせることもなく、ショーンは遠慮なく羽柴の身体にくっついた。
やっと本当の意味で身体中の余計な力が抜け切った。
── ああ、何て幸せなんだろう・・・
自分の想いなどまるで通じてないのに、今はそれでも幸せに思えた。
彼が、自分のために部屋のドアを大きく開けて、こんな自分を迎え入れてくれただけで・・・。
今、羽柴は、ショーンが暢気に眠りこけている間に、ジョギングに出てしまっている。
どうやら日課らしい。
目が覚めると、ポストイットに書き付けられた書き置きが、自分の額にペタッと貼り付けてあった。
思わずショーンは笑ってしまう。
彼ってこんな子どもみたいなこともするんだと思うと、笑えてきてしかたなかった。
『ジョギングに行ってきます。帰りに美味いベーグル買ってくるから、待っておいで』と書いてあった。
ショーンはパジャマのままロフトを抜け出して、リビングに降りた。
リビングの大きな掃き出し窓の向こうは初々しい陽が燦々とテラスに降り注いでいた。昨夜の冷たい雨が嘘のようである。
ショーンは、コート掛けに引っかけてある自分のダウンジャケットを羽織ると、テラスに出た。
やはり肌寒かったが、それでも心地よかった。
羽柴が、こんなに広くてきちんと片づいている部屋に住んでいるとは思っていなかった。
スーツの上着をソファーに脱ぎ置いてしまうところを見ると、もっと雑多に散らかった部屋を想像していたのだけれど。
おまけに昨夜食べさせてもらった手料理も文句なく美味く、更にショーンは驚かされた。
ジャパニーズレストランで、羽柴の女友達が言っていた「女性と付き合ってもすぐに別れてしまう」という話は、あながち嘘ではないのだろう。これだけ家のことが卒なくできれば、自分の面倒をみてくれる女性など、たいして必要がないように思える。
テラスに張り出した庇の下には、木のベンチと小さなテーブルが置かれてあった。それはとても古くて、一見すると高価な代物には見えないが、いい味を出している。
ショーンはベンチに腰掛けると、大きく息を吸い込んだ。
朝露に濡れたガーデンテラスの濃い草の香り。
ここで羽柴が毎日生活しているんだと思うと、また胸がじんわりしてきた。
時間的なことを言ってしまえば、出会って一日と少ししか経っていない相手だ。
それなのに自分は、こんなにも羽柴という存在に魅了されてしまっている。
幼い時に目の前で父親がドラッグの売人に殺されるという経験をしているせいか、年上の男に弱い体質なんだろうか、とも思う。自然に『父性』を他人に求めてしまうのかも、と。
自分の育て親であるスコットに対しても、そういうものが無意識の中にあって、恋心を抱いたのかもしれない。現に羽柴も、スコットより僅か二つ年下なだけだ。
── でも、他の年上の取り巻きには、こんなときめきなんか感じたことないし。
ショーンは、ベンチの上に両足を上げ、その膝に顎をのせる。
イアンや他のバンドメンバーだって思い切り年上だし、事務所の人達や社長だって年上だ。もちろんレコーディングスタッフも、イアンが選び抜いた熟練達ばかりで、比較的年をとった人が多い。
唯一、そういう意味で魅力的なキャラクターはといえば、レコーディングで一番大切なミキシングの仕事をしてくれているルイ・ガルシア・サントロだが── 彼は長身で年も若く、スタジオに篭もらせるには勿体ないほどの男前だ ── 彼に対する気持ちは、恋しい人というより一緒にいて気持ちのいい兄弟のようなものだ。だから結局のところ他の誰にも、羽柴に対するような気持ちを抱いたことはない。恐らく、過去深いつき合いをした女の子達にもここまでの感情を感じたことはなかった。
── だからこそ。
自分の声が出なくなったと分かった時、真っ先に思ったのは羽柴のことだった。
その時の瞬間を思い出すと、今でもたまらなく胸が痛み出す。
ショーンは、あの日のことに思いを馳せた。
イアンの機嫌は、ずっと悪かった。
ショーンの父親がビル・タウンゼントだったことにも腹を立て、それが自分に知らされていなかったことにもっと腹を立てていた。
フロリダからバカンスの予定を切り上げて帰ってきたイアンはただでさえ機嫌が悪かったのに、マスコミがショーンにスポットを浴びせかけたことが彼の怒りに更なる拍車をかけた。
イアン・バカランは、ロック界の帝王らしく、いつも自分に注目が集まってないと気が済まない人だった。
「いいか。こんなことは、あってはならないんだ」
事務所の例の部屋で、まるで虎が檻の中をウロウロするように行ったり来たりと歩き回りながら、イアンは言った。
「自分のバンドのメンバーのことを、このイアン・バカランが知らない、だなんてことはな」
イアンはふと足を止めて、ソファーに座っているショーンを睨み付けた。
ショーンは首を竦ませる。
同じソファーに座っていたベースのジェスとドラムのトイが同情の視線をショーンに向ける。
「まぁまぁ、イアン、落ち着けって・・・」
ロバートが辛うじてショーンに助け船を出そうとするが、いつものようにイアンは聞く耳を持たない。彼はいつも、彼がしたいようにしたいことをするし、言いたいことを言う。
「まさかショーン、お前、他に隠してることはないだろうな」
そう言われ、ショーンは緩く首を横に振った。
元々、ビルのことも隠していたつもりはなかったのだが、イアンにはそう思えたのだろう。
「とにかく、マスコミはショーンのコメントを欲しがってる。それで彼らが満足して黙ってくれるのなら、コメントを取らせた方がいいのではないかね」
部屋の片隅にある重厚なライティングに身体を凭れかけ、腕組みをした壮年の男がそう言った。
社長のジャック・クローネンバーグだ。
社長のその発言に、イアンは難色を示した。
「ショーンに記者会見をさせるだって? こんな二十歳にもならない若造に?」
イアンの険のある声に、ロバートが天井を見上げる。
「たまにはいいんじゃないか? ショーンもうちのバンドに入って二年目なんだし、そろそろ発言させてもいい頃だと思うが・・・」
ジェスがそう言い出したものの、イアンに睨まれて段々尻窄みになっていく。
「いいか。こいつを見てみろ」
イアンが両の手のひらでショーンを指す。
ロバートやクローネンバーグ、バンドのメンバーはおろか、同じ部屋の中にいるアシュレーやイアンの連れてきたフロリダガール ── 彼女は冬場だというのに、白い毛皮のコートの中にビキニトップにミニスカートという格好で一人掛けのソファーに腰掛けている ── までもが一斉にショーンを見た。
おもむろにイアンがこう言う。
「俺より若い。俺より背が高い。俺よりギターが上手い。おまけに・・・何て言うかその・・・顔も良すぎる」
オー・・・と一同が顔を顰め天井を見上げたが、フロリダガールだけは、チュッパチャップスを妖しげに銜え、ニヤリと笑いながらショーンを見つめる。
その様子を見て、イアンは益々熱くなった。
「ほら! 見てみろ!! こいつは黙っていたって目立つんだよ! このイアン・バカラン様よりもな!」
「何言ってるんだ、イアン。バルーンは、“イアン・バカラン・バンド”なんだってことは、世界中の誰もが知ってる。今更ショーンにそんなことで嫉妬したってしかたがないだろう? それに、バンド結成以来、売上げが下降気味だったところを、ショーンがメンバーに加わったことでまた上向きになったんじゃないか」
ロバートが呆れ声でそう言う。
「嫉妬するなだと?! ロッカーは常に何かに挑戦していないと魂が腐っていくものなんだってことが、分からないのか? もう何年もロックスターのマネージャーをしているくせに!」
イアンはそう言いながら、フロリダガールに熱烈なキスをする。
ショーンも段々バカらしくなって、イアンに見えないように溜息をついた。
バンドのフロントマンとして、そして優れたヴォーカリストとして、イアンは確かに素晴らしい才能を持ったカリスマだった。
イアンが突然爆発させる我が儘も、山の天気のようにころころ変わる機嫌も、成功したロックスターゆえのものと分かっているものの、自分に矛先を向けられると些か疲れる。
このままでは、イアンの機嫌は直りそうにもない・・・と思っていたところに、クローネバーグが打開策を提案した。
「じゃぁ、記者会見の席上にイアンも参加したらどうだ。ショーンのよき先輩として、付き添う形で」
イアンが、ん?と顔を顰めて社長を見る。
そして顎をさすりながら、「そうだなぁ・・・」と考えを巡らせた。
「うん。それはいい。如何にもショーンボーイが俺を頼りにしているって感じが演出できていいかも」
次第にイアンの顔色が変わってくる。
彼の中では、もうその記者会見の様子が頭の中に浮かんでいるようだ。
彼は、目に見えない報道陣のカメラに答えるように部屋の中央でポーズを取ると、ブツブツと何か呟いている。
「よし。ショーン、お前は俺が考えた筋書き通りに記者の質問に答えるんだ。いいか?」
イアンが、ショーンを見る。
そして一同全員が同じようにショーンを見た。
ショーンが訝しげに目を細める。
イアンがショーンにどんなことを言わそうとしているのか、大体想像が付いた。
それが明らかに、自分の意志と反するような、虚偽の内容となることも。
「いいな?」
再度イアンが念押しをしてくる。
ショーンは不安げに周囲を見回した。
皆、「頼むから、頷いてくれ」と言っている目でショーンを見つめている。
ショーンは結局渋々と頷くしかなかった。
記者会見は案の定、最悪だった。
イアンの作った台本通りに記者が質問し、イアンが作った台本通りにショーンが答える。そして時折ショーンの肩に手を回して立つイアンが補足のコメントを付け加える。
そんなカラクリだらけの記者会見でも、マスコミはそれで満足した。
今まで、こうした形でマスコミの前に立つことが一切なかった謎だらけの青年が、初めて自らのことやバンドのことについてコメントしたのだ。
天才ギタリスト、ショーン・クーパーの声を初めて聞いたというマスコミの連中がいるぐらいだから、彼らとしてはその映像をゲットできただけでも御の字だろう。
結局記者会見は、イアンの新譜を宣伝するコメントで締めくくられ、彼はいたって上機嫌になった。
その点で言えば、記者会見は大成功だった。
記者会見の後、イアンが例のフロリダガールと高級ホテルのスウィートルームを占拠してランチキパーティーを開いたのがいい証拠だ。
その後イアンは、新しい恋人とそのままその部屋に滞在して、途中で水を注されたバカンスの続きを楽しんでいる。
一方ショーンはといえば、気分はもう最悪だった。
まるで悪魔に魂を売ったような気分を味わった。
イアンと並んでカメラのフラッシュを浴び、翌日の新聞に『バルーンの最終兵器・ミステリアスなギタリスト、ついにベールを脱ぐ』と報道され、自分はそんなにも世間から隠れて暮らしているように見られているのかと愕然とした。まるで、自分が全ての人々から背を向けて生きているような気持ちになった。
記者会見後、イアンがいなくなった車の中で、流石に落ち込んで俯いているショーンに、ロバートが肩を掴んで慰めの言葉を掛けてくれたが、それは更にショーンを落ち込ませるだけだった。
「お前はよくやった。今日、お前がイアンの言う通りにやってくれたお陰で、沢山の人間が助かったんだ。別に他人に迷惑をかける嘘を言った訳じゃないんだから、気にしなくていい」
── ああ、やはり自分は、『嘘』を言ったんだ。おそらく、全世界に向けて。
鼻の奥がツーンとなった。
それでも、不思議と涙は出てこなかった。
ショーンはスモークの張られた窓ガラスから、街並みを眺めた。
そこには、いつもと変わらない人々の営みがあって、その奥にどれだけの『嘘』が行き交っているかということに思いを馳せた。
街角のパン屋の軒先で笑顔を交わす女性二人の笑顔も、公園の片隅で自分の子どもに頬ずりをしている母親の笑顔も、ホッドドッグを販売する露天商の主人と客の男性が笑いあっている様も、どれもこれも偽りの笑顔のように思えた。
そして自分も、その仲間に今日加わったのだと思い、たまらない空しさが身体の中を支配した。
ショーンの顔が、苦々しく歪む。
今さっきまで思い浮かべていた『偽りの笑顔』について、ショーンはそんなことを考えてしまった自分に嫌悪を感じた。
── 罪もない人々の笑顔を捕まえて、『偽りの笑顔』だなんて。
嘘つきは自分一人で十分だ。十分なんだ。
窓の外を眺め続けるショーンに、ロバートが声をかける。
「とにかく、これでこの騒動の決着はついたんだ。後は何も考えず、レコーディングの続きに没頭してくれればいい。明日からすぐにできるように、既に手配はついてるから。またギターを持てば、気持ちも晴れるさ。な」
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