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act.11
ショーンが声が出なくなったのは、ショーンが“ウソ”の会見をした後、再開したレコーディングがきっかけとなった。
会見の翌日、ようやくスタジオに戻るとプロデューサーのカート・ヒルが、力強い握手と笑顔で迎えてくれた。
「君の帰りをずっと待っていたよ。いいアルバムを作るために、また一緒に頑張ろう」
そう言われ、ショーンは微笑みを浮かべ、頷いた。
その様を、カートの向こうで腕組みをして立っていたルイ・ガルシアが苦々しい表情で見つめている。
ショーンは、そんなルイの表情を見て不安になった。
ルイは、あの記者会見を見て、ショーンが『嘘つき』であることを既に見抜いているのではないかと感じた。
ショーンがおずおずとルイを見上げ、「Hi」と声を掛けると、ルイは軽く溜息をつき小さく微笑みを浮かべ、ショーンの肩を優しく掴んだ。
「まったく酷い顔つきをしてるな。いつもの素敵な笑顔が、強ばってるよ」
ショーンは、戯けて肩を竦めて見せた。
「さ、早速続きを始めよう。ルイ、前回までの音を出してやってくれ」
カートの声がかかり、ショーンは録音ブースの中に入って、椅子に腰掛けた。
ヘッドフォン越し、カートの声が「指鳴らしをする程度に、軽く弾いてみて」と言われ、久しぶりに抱えるギターを膝にのせた。
それはいつもショーンが使っているハチミツ色のグラデーションが美しいギブソンES-335で、いつの時もショーンに触れられることを喜んでいるようなイメージを受けたが、その時はなぜかそんな感覚は何も感じることができなかった。
ショーンは少し眉間に皺を寄せて、ギターを弾く。
指は問題なく動いた。
ギターの弦も何の問題もなかった。
けれど次の瞬間、ショーンははっきりと感じた。
── これは、違う、と。
その思いは、音に敏感なカートやルイにも伝わったようだ。
「どうした? ショーン」
すぐにヘッドフォンからカートの声がする。
ショーンは、ギターを弾くことを止め、自分の両手を見下ろした。
ギター蛸が沢山できた自分の手が、まるで他人の手のように見えた。
手のひらに嫌な汗がブアッと吹き出すのを感じる。
ショーンの意識の向こうで、身体が赤信号を点しているような錯覚を覚えた。
「も、もう一度今のところ弾いてもいいですか?」
マイク越しにショーンが言うと、「ああ。そうだね」とカートが答えてくる。
再度ショーンは、ギターを弾き始めた。
何だか、馴染みのES-335がショーンに触れられるのを嫌がり、悲鳴を上げているように感じた。
ショーンは肩に力を込め、暴れるES-335をねじ伏せるようにしてギターを弾いた。
必死な顔つきのショーンの向こうで、分厚いガラス越し、カートとルイが気難しい顔をして互いに視線を合わせている。
突如、ビィィンッとギターの弦が切れ、ショーンの指先を傷つけた。
「痛!」
ショーンが思わず両手を開くと、肩紐を掛けてなかったギターは、ガランと床に転がり落ちた。
ショーンは口をぱっかり開けて、愕然としたまま、床に転がるES-335を見つめた。
「ショーン! 大丈夫か?!」
ブースの防音ドアが開いて、ルイが駆け込んできた。
その手には、救急箱が握られている。
ルイは、椅子に座ったまま硬直しているショーンの前に跪いた。
ショーンの左手人差し指の先から、真新しい血が板張りの床にポタポタと落ちている。しかしショーンは、そんなことに気付かない様子で、ただギターを見つめていた。
ルイは眉間に皺を寄せると、ショーンの左手を掴んで手当をする。
ショーンは、ルイが床のギターを拾い上げたところで正気に戻ったようだ。
「本当に大丈夫か、ショーン?」
ルイがショーンの顔を覗き込んで訊く。
ショーンは、かわいそうなほど茜色の瞳を大きく見開いて、ルイを見た。
「ショーン?」
ルイが再度声を掛けると、ショーンの目から大きな涙の粒が零れ落ちてきた。
「・・・ルイ・・・ルイ・・・。俺・・・、どうしよう・・・。ギターに・・・ギターに嫌われた・・・」
涙でグシャグシャになった声で、ショーンはそう言った。
そしてこれまで、仕事仲間には一切見せたことのない様な号泣をしたのだった。
遠くで、大人達がひそひそと話しているのが聞こえる。
あれは、カートとルイ、そしてロバートの声だ。
「ここのところ、慣れない騒ぎに追われていたから、大分疲れていたんだろう」
「いや、あれは疲れなんて簡単なものじゃないですよ。明らかにスランプだ。しかも、今まで僕等も見たことがないほど強烈な」
「そうだなぁ。私も少し驚いてしまった。彼があんな風になってしまうなんて。一体事務所では何があったんですか?」
「イアンに少々きついことを言われてね・・・。彼の言うなりにならざるを得なかった。それで少々、ショーンの意志に反することを記者会見でコメントする羽目になって・・・」
「・・・“少々”ですって? 本当に少々なのかな」
「まぁ、ルイ。熱くなるな。ここでロバートを責めても、何もならんよ。問題は、この先だ」
「このまま少し寝かせて、休ませればきっと大丈夫ですよ。彼は強い子だ」
「本気でそんなこと言ってるんですか? ギタリストは繊細でなければ、人並みはずれた音なんて出せませんよ。もっと根本的なことを何とかしないと・・・」
「もういい、ルイ。そこまでだ。それ以上は我々が口出すことじゃない。我々としては、明日ショーンの具合が回復しなくったって、彼がよくなるまで待つ体勢は整えることはできますが、そちらはどうですか?」
「まぁ、スタジオを延長して押さえることについては、何とかなるでしょう。ただ、イアンがアルバムの発表時期を口にしてしまったので、それを伸ばすことができないのです」
「そんなの、無理ですよ! 僕は、それに間に合うようにショーンが回復するとはとても思えません」
「う~ん・・・。それについては残念ながら私も同意見ですな」
「困ったなぁ・・・。イアンが宣言した以上、先延ばしは無理なんですよ。イアンを嘘つきにする訳にはいかないのでね。まぁ、幸い、残っているのはショーンの取り直しのパートだけで、おおよそはもう録り終えているのだから、最悪録り残しの分は誰か代わりのスタジオミュージシャンで・・・」
「は?! 本気ですか?!」
ルイが呆れた声を上げた瞬間、突如ショーンはムクリと身体を起こした。
三人が、ビクリとしてショーンを見た。
ショーンは、ロバートを見る。
ロバートはバツが悪そうな顔つきをしていた。
── 俺、ギター弾けなくなるの?
本当はそう言いたかった。
それなのに、声がまるで出なかった。
何度口を大きく開いて、息を吸い込んで吐き出しても、一緒に出る筈の声が全く出ない。
酸欠の魚のように口をパクパクさせているショーンの様子に、流石の三人もおかしいと気が付いたらしい。
側に駆け寄られ、何度も「ショーン?」と声を掛けられた。
けれど遂に、ショーンがそれに声で答えることはできなかった。
失声症。
それはショーンに取って馴染みの診断結果だった。
幼い時、父親と母親が目の前で殺されてから後の三ヶ月間、ショーンは失声症にかかった経験がある。
究極のストレスを感じた時に、どうやら自分は“声を失う”という形でそれを表現するらしい。
そんな自分がミュージシャンであることが何とも皮肉に感じた。
もちろん、こんな状態でギターが前のように弾ける訳もなく、再びイアンの怒りを買ったショーンは“晴れて”お役ご免になった。
病気を治す為に“長期休暇”を取ったらいいと言い渡され、その実スタジオから放り出された形になった。
── ギターの弾けないギタリストなんか、そりゃ用無しだよな。
ショーンも至極納得できたので、ショーンは大人しく長期休暇を取らせてもらうことにして、ニューヨークの自宅に帰った。
付き添いのアシュレーは、定期的にセラピストのところへ通うようにと念押しをしたが、もうどうでもよかった。
以前にこの病気にかかった時も、結局医者では治すことができず、病気を癒してくれたのは育ての親スコットの愛情だった。
── けれど、こんな状態で里帰りなんてできない。
ショーンはそう思った。
スコットを心配させたくなかったし、何だか都落ちするような気がして怖かった。
自分の実の父親のようにあっという間にスポットライトの外の世界に追いやられ、田舎に逃げ帰るだなんて。いつか自分もドラッグに溺れ、借金と裏社会の敵にまみれて殺されるような気がした。
かといって、この街に、頼りになる人間は誰もいない。
唯一親身になってくれるのはルイ・ガルシアだが、彼はスタジオに監禁されたも同然の状態だった。
ショーンは目を閉じて頭を空っぽにし、余計な柵を考えず、今一番誰に会いたいのか考えた。
そして、心に浮かんだ人の姿は。
「ただいま」
そう声がして、階段を上がってくる足音が聞こえた。
ショーンが振り返ると、紙袋を抱えた羽柴が、額に浮かんだ汗を拭いつつリビングに入ってきた。
「何だ、そんな寒いところにいるのかい?」
羽柴はそう言い残して、キッチンに向かう。
ショーンはリビングのローテーブルに置いてあったスケッチブックとペンを手にとって、羽柴の後を追った。
キッチンに入ると、羽柴は大きな紙袋から瑞々しい野菜や瓶詰めジャムを取り出している。
『ホントにジョギング行ってたの?』
ショーンがスケッチブックにそう書くと、羽柴は「もちろんさ。途中朝市に寄っただけだよ」と答え、ショーンが次の文章を書き終えるまでじっと待っている。
『この世の中に、そんな大きな紙袋抱えて走ってるジョガーなんていないよ』
ショーンが最後に大口開けて笑っている子どもの顔を描き付けると、羽柴は口を尖らせて「心外だな」と呟いて見せた。だがすぐにプッと吹き出す。
「ま、確かに朝市寄った後は、走るどころじゃなかったな」
ショーンも同じようにプッと吹き出す。
その鼻先を羽柴が指で軽く摘んだ。
ショーンが少し驚いてキョトンと目を剥くと、羽柴は「やっと自然な笑顔が出てきたな」と言った。
「ご褒美に、このとても美味しいと珍重されているミセス・マットストアのセサミベーグルを君に譲ろう」
恭しく羽柴は小さな紙袋からアツアツのベーグルを取り出して、ショーンに差し出した。
「軽くトーストしているのがミソだ」
ショーンは芳ばしい匂いをクンと嗅ぎ、ベーグルを頬張る。確かに美味い。
羽柴も同じように別のベーグルを行儀悪く立ったまま頬張りながら、「今日はどうする? 土曜日だから俺、休みだけど」とショーンに訊いてきた。
『なにか、予定ある?』
「同僚の子どもに贈るクリスマスプレゼントを買いに行こうと思っていたんだが」
『へぇ。彼女に買う訳じゃなくて?』
ショーンがイタズラっぽい目で羽柴を見ると、羽柴は「そんな目で大人を見るものじゃない」と口をへの字にした。どうやら羽柴は、理沙の言った『悪人』発言を今だ引きずっているようだ。
「そんな色気のあるプレゼントを送る相手は、残念ながら今年はいないね」
羽柴はそう続けて、残りのベーグルを口に突っ込む。
ショーンはその答えを心の中で密かに歓喜のダンスをしながら大いに喜び、表面的には努めてシラッとした顔つきをしてみせた。
『よかったら、俺も付き合っていい? 俺もダッドに贈るプレゼント買いたい』
「そりゃいいけど・・・」
羽柴が、ショーンの髪の毛に目をやる。
ショーンも自分の赤毛を見上げた。
「その赤毛を何とかしなくちゃ目立つよなぁ・・・」
── なんだよこれ! これ!!
声が出れば、そうショーンは叫びたかった。
髪の毛はいい。
ニットの帽子を被っているだけだ。
それは別におかしくない。
── それはおかしくないけど、ないけど!!
鏡に映るショーンの背後では羽柴が無理矢理笑いを堪えているが、目尻には涙が浮かんでいる。どうせ直に大笑いし始めるだろう。
鏡の中のショーンには、まるでヒトラーのような付け髭が顔のど真ん中に鎮座してる。
ショーンは責めるような視線を、鏡の中の羽柴に向けた。
羽柴は敏感に感じ取る。
「や、だってさ。髪の毛隠したぐらいじゃ、すぐにバレるだろ?」
だからってこんなの・・・。俺、今まで口髭なんて生やしたことない。しかも、こんな独裁者みたいな髭。
口を尖らせても、髭に隠れて見えなかったから、益々ショーンはガックリきた。
── ただでさえ口がきけないのに、これじゃ不機嫌だってこと、表現できないよ。
ショーンはそう思ったが、ショーンの瞳は口元より雄弁だったらしい。
羽柴は浮かんでいた笑みを消し、「気分悪くしたか?」と探るように訊いてくる。
そんな彼のおよそ成熟した大人とは思えない子どもっぽい顔に、ショーンは遂に根負けした。思わず笑ってしまう。
「なんだ。気に入ってるんじゃないか」
羽柴がまたふざけてそう言うので、ショーンは振り返って羽柴の胸板を拳で叩いた。
すぐにその手を取られ、グイッと抱きかかえられる。まるで兄が弟とじゃれ合うように。
羽柴が暴れるショーンを後ろから抱え、リビングまで運んでしまう。
そのままショーンはソファーに放り出され、隣に腰掛けた羽柴にまた鼻先を摘まれた。ショーンがピタリと動きを止める。
「結構可愛いよ、それ。去年俺が、ニューイヤー仮装パーティーでチャップリンの真似をした時より似合ってる」
羽柴はそう囁いて、フフフと笑った。
── 何だ。ヒトラーじゃなくて、そっちの方か。
ショーンはそう思って、羽柴と同じようにフフフと笑った。
会見の翌日、ようやくスタジオに戻るとプロデューサーのカート・ヒルが、力強い握手と笑顔で迎えてくれた。
「君の帰りをずっと待っていたよ。いいアルバムを作るために、また一緒に頑張ろう」
そう言われ、ショーンは微笑みを浮かべ、頷いた。
その様を、カートの向こうで腕組みをして立っていたルイ・ガルシアが苦々しい表情で見つめている。
ショーンは、そんなルイの表情を見て不安になった。
ルイは、あの記者会見を見て、ショーンが『嘘つき』であることを既に見抜いているのではないかと感じた。
ショーンがおずおずとルイを見上げ、「Hi」と声を掛けると、ルイは軽く溜息をつき小さく微笑みを浮かべ、ショーンの肩を優しく掴んだ。
「まったく酷い顔つきをしてるな。いつもの素敵な笑顔が、強ばってるよ」
ショーンは、戯けて肩を竦めて見せた。
「さ、早速続きを始めよう。ルイ、前回までの音を出してやってくれ」
カートの声がかかり、ショーンは録音ブースの中に入って、椅子に腰掛けた。
ヘッドフォン越し、カートの声が「指鳴らしをする程度に、軽く弾いてみて」と言われ、久しぶりに抱えるギターを膝にのせた。
それはいつもショーンが使っているハチミツ色のグラデーションが美しいギブソンES-335で、いつの時もショーンに触れられることを喜んでいるようなイメージを受けたが、その時はなぜかそんな感覚は何も感じることができなかった。
ショーンは少し眉間に皺を寄せて、ギターを弾く。
指は問題なく動いた。
ギターの弦も何の問題もなかった。
けれど次の瞬間、ショーンははっきりと感じた。
── これは、違う、と。
その思いは、音に敏感なカートやルイにも伝わったようだ。
「どうした? ショーン」
すぐにヘッドフォンからカートの声がする。
ショーンは、ギターを弾くことを止め、自分の両手を見下ろした。
ギター蛸が沢山できた自分の手が、まるで他人の手のように見えた。
手のひらに嫌な汗がブアッと吹き出すのを感じる。
ショーンの意識の向こうで、身体が赤信号を点しているような錯覚を覚えた。
「も、もう一度今のところ弾いてもいいですか?」
マイク越しにショーンが言うと、「ああ。そうだね」とカートが答えてくる。
再度ショーンは、ギターを弾き始めた。
何だか、馴染みのES-335がショーンに触れられるのを嫌がり、悲鳴を上げているように感じた。
ショーンは肩に力を込め、暴れるES-335をねじ伏せるようにしてギターを弾いた。
必死な顔つきのショーンの向こうで、分厚いガラス越し、カートとルイが気難しい顔をして互いに視線を合わせている。
突如、ビィィンッとギターの弦が切れ、ショーンの指先を傷つけた。
「痛!」
ショーンが思わず両手を開くと、肩紐を掛けてなかったギターは、ガランと床に転がり落ちた。
ショーンは口をぱっかり開けて、愕然としたまま、床に転がるES-335を見つめた。
「ショーン! 大丈夫か?!」
ブースの防音ドアが開いて、ルイが駆け込んできた。
その手には、救急箱が握られている。
ルイは、椅子に座ったまま硬直しているショーンの前に跪いた。
ショーンの左手人差し指の先から、真新しい血が板張りの床にポタポタと落ちている。しかしショーンは、そんなことに気付かない様子で、ただギターを見つめていた。
ルイは眉間に皺を寄せると、ショーンの左手を掴んで手当をする。
ショーンは、ルイが床のギターを拾い上げたところで正気に戻ったようだ。
「本当に大丈夫か、ショーン?」
ルイがショーンの顔を覗き込んで訊く。
ショーンは、かわいそうなほど茜色の瞳を大きく見開いて、ルイを見た。
「ショーン?」
ルイが再度声を掛けると、ショーンの目から大きな涙の粒が零れ落ちてきた。
「・・・ルイ・・・ルイ・・・。俺・・・、どうしよう・・・。ギターに・・・ギターに嫌われた・・・」
涙でグシャグシャになった声で、ショーンはそう言った。
そしてこれまで、仕事仲間には一切見せたことのない様な号泣をしたのだった。
遠くで、大人達がひそひそと話しているのが聞こえる。
あれは、カートとルイ、そしてロバートの声だ。
「ここのところ、慣れない騒ぎに追われていたから、大分疲れていたんだろう」
「いや、あれは疲れなんて簡単なものじゃないですよ。明らかにスランプだ。しかも、今まで僕等も見たことがないほど強烈な」
「そうだなぁ。私も少し驚いてしまった。彼があんな風になってしまうなんて。一体事務所では何があったんですか?」
「イアンに少々きついことを言われてね・・・。彼の言うなりにならざるを得なかった。それで少々、ショーンの意志に反することを記者会見でコメントする羽目になって・・・」
「・・・“少々”ですって? 本当に少々なのかな」
「まぁ、ルイ。熱くなるな。ここでロバートを責めても、何もならんよ。問題は、この先だ」
「このまま少し寝かせて、休ませればきっと大丈夫ですよ。彼は強い子だ」
「本気でそんなこと言ってるんですか? ギタリストは繊細でなければ、人並みはずれた音なんて出せませんよ。もっと根本的なことを何とかしないと・・・」
「もういい、ルイ。そこまでだ。それ以上は我々が口出すことじゃない。我々としては、明日ショーンの具合が回復しなくったって、彼がよくなるまで待つ体勢は整えることはできますが、そちらはどうですか?」
「まぁ、スタジオを延長して押さえることについては、何とかなるでしょう。ただ、イアンがアルバムの発表時期を口にしてしまったので、それを伸ばすことができないのです」
「そんなの、無理ですよ! 僕は、それに間に合うようにショーンが回復するとはとても思えません」
「う~ん・・・。それについては残念ながら私も同意見ですな」
「困ったなぁ・・・。イアンが宣言した以上、先延ばしは無理なんですよ。イアンを嘘つきにする訳にはいかないのでね。まぁ、幸い、残っているのはショーンの取り直しのパートだけで、おおよそはもう録り終えているのだから、最悪録り残しの分は誰か代わりのスタジオミュージシャンで・・・」
「は?! 本気ですか?!」
ルイが呆れた声を上げた瞬間、突如ショーンはムクリと身体を起こした。
三人が、ビクリとしてショーンを見た。
ショーンは、ロバートを見る。
ロバートはバツが悪そうな顔つきをしていた。
── 俺、ギター弾けなくなるの?
本当はそう言いたかった。
それなのに、声がまるで出なかった。
何度口を大きく開いて、息を吸い込んで吐き出しても、一緒に出る筈の声が全く出ない。
酸欠の魚のように口をパクパクさせているショーンの様子に、流石の三人もおかしいと気が付いたらしい。
側に駆け寄られ、何度も「ショーン?」と声を掛けられた。
けれど遂に、ショーンがそれに声で答えることはできなかった。
失声症。
それはショーンに取って馴染みの診断結果だった。
幼い時、父親と母親が目の前で殺されてから後の三ヶ月間、ショーンは失声症にかかった経験がある。
究極のストレスを感じた時に、どうやら自分は“声を失う”という形でそれを表現するらしい。
そんな自分がミュージシャンであることが何とも皮肉に感じた。
もちろん、こんな状態でギターが前のように弾ける訳もなく、再びイアンの怒りを買ったショーンは“晴れて”お役ご免になった。
病気を治す為に“長期休暇”を取ったらいいと言い渡され、その実スタジオから放り出された形になった。
── ギターの弾けないギタリストなんか、そりゃ用無しだよな。
ショーンも至極納得できたので、ショーンは大人しく長期休暇を取らせてもらうことにして、ニューヨークの自宅に帰った。
付き添いのアシュレーは、定期的にセラピストのところへ通うようにと念押しをしたが、もうどうでもよかった。
以前にこの病気にかかった時も、結局医者では治すことができず、病気を癒してくれたのは育ての親スコットの愛情だった。
── けれど、こんな状態で里帰りなんてできない。
ショーンはそう思った。
スコットを心配させたくなかったし、何だか都落ちするような気がして怖かった。
自分の実の父親のようにあっという間にスポットライトの外の世界に追いやられ、田舎に逃げ帰るだなんて。いつか自分もドラッグに溺れ、借金と裏社会の敵にまみれて殺されるような気がした。
かといって、この街に、頼りになる人間は誰もいない。
唯一親身になってくれるのはルイ・ガルシアだが、彼はスタジオに監禁されたも同然の状態だった。
ショーンは目を閉じて頭を空っぽにし、余計な柵を考えず、今一番誰に会いたいのか考えた。
そして、心に浮かんだ人の姿は。
「ただいま」
そう声がして、階段を上がってくる足音が聞こえた。
ショーンが振り返ると、紙袋を抱えた羽柴が、額に浮かんだ汗を拭いつつリビングに入ってきた。
「何だ、そんな寒いところにいるのかい?」
羽柴はそう言い残して、キッチンに向かう。
ショーンはリビングのローテーブルに置いてあったスケッチブックとペンを手にとって、羽柴の後を追った。
キッチンに入ると、羽柴は大きな紙袋から瑞々しい野菜や瓶詰めジャムを取り出している。
『ホントにジョギング行ってたの?』
ショーンがスケッチブックにそう書くと、羽柴は「もちろんさ。途中朝市に寄っただけだよ」と答え、ショーンが次の文章を書き終えるまでじっと待っている。
『この世の中に、そんな大きな紙袋抱えて走ってるジョガーなんていないよ』
ショーンが最後に大口開けて笑っている子どもの顔を描き付けると、羽柴は口を尖らせて「心外だな」と呟いて見せた。だがすぐにプッと吹き出す。
「ま、確かに朝市寄った後は、走るどころじゃなかったな」
ショーンも同じようにプッと吹き出す。
その鼻先を羽柴が指で軽く摘んだ。
ショーンが少し驚いてキョトンと目を剥くと、羽柴は「やっと自然な笑顔が出てきたな」と言った。
「ご褒美に、このとても美味しいと珍重されているミセス・マットストアのセサミベーグルを君に譲ろう」
恭しく羽柴は小さな紙袋からアツアツのベーグルを取り出して、ショーンに差し出した。
「軽くトーストしているのがミソだ」
ショーンは芳ばしい匂いをクンと嗅ぎ、ベーグルを頬張る。確かに美味い。
羽柴も同じように別のベーグルを行儀悪く立ったまま頬張りながら、「今日はどうする? 土曜日だから俺、休みだけど」とショーンに訊いてきた。
『なにか、予定ある?』
「同僚の子どもに贈るクリスマスプレゼントを買いに行こうと思っていたんだが」
『へぇ。彼女に買う訳じゃなくて?』
ショーンがイタズラっぽい目で羽柴を見ると、羽柴は「そんな目で大人を見るものじゃない」と口をへの字にした。どうやら羽柴は、理沙の言った『悪人』発言を今だ引きずっているようだ。
「そんな色気のあるプレゼントを送る相手は、残念ながら今年はいないね」
羽柴はそう続けて、残りのベーグルを口に突っ込む。
ショーンはその答えを心の中で密かに歓喜のダンスをしながら大いに喜び、表面的には努めてシラッとした顔つきをしてみせた。
『よかったら、俺も付き合っていい? 俺もダッドに贈るプレゼント買いたい』
「そりゃいいけど・・・」
羽柴が、ショーンの髪の毛に目をやる。
ショーンも自分の赤毛を見上げた。
「その赤毛を何とかしなくちゃ目立つよなぁ・・・」
── なんだよこれ! これ!!
声が出れば、そうショーンは叫びたかった。
髪の毛はいい。
ニットの帽子を被っているだけだ。
それは別におかしくない。
── それはおかしくないけど、ないけど!!
鏡に映るショーンの背後では羽柴が無理矢理笑いを堪えているが、目尻には涙が浮かんでいる。どうせ直に大笑いし始めるだろう。
鏡の中のショーンには、まるでヒトラーのような付け髭が顔のど真ん中に鎮座してる。
ショーンは責めるような視線を、鏡の中の羽柴に向けた。
羽柴は敏感に感じ取る。
「や、だってさ。髪の毛隠したぐらいじゃ、すぐにバレるだろ?」
だからってこんなの・・・。俺、今まで口髭なんて生やしたことない。しかも、こんな独裁者みたいな髭。
口を尖らせても、髭に隠れて見えなかったから、益々ショーンはガックリきた。
── ただでさえ口がきけないのに、これじゃ不機嫌だってこと、表現できないよ。
ショーンはそう思ったが、ショーンの瞳は口元より雄弁だったらしい。
羽柴は浮かんでいた笑みを消し、「気分悪くしたか?」と探るように訊いてくる。
そんな彼のおよそ成熟した大人とは思えない子どもっぽい顔に、ショーンは遂に根負けした。思わず笑ってしまう。
「なんだ。気に入ってるんじゃないか」
羽柴がまたふざけてそう言うので、ショーンは振り返って羽柴の胸板を拳で叩いた。
すぐにその手を取られ、グイッと抱きかかえられる。まるで兄が弟とじゃれ合うように。
羽柴が暴れるショーンを後ろから抱え、リビングまで運んでしまう。
そのままショーンはソファーに放り出され、隣に腰掛けた羽柴にまた鼻先を摘まれた。ショーンがピタリと動きを止める。
「結構可愛いよ、それ。去年俺が、ニューイヤー仮装パーティーでチャップリンの真似をした時より似合ってる」
羽柴はそう囁いて、フフフと笑った。
── 何だ。ヒトラーじゃなくて、そっちの方か。
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