Please Say That

国沢柊青

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act.24

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 ハッピー・ニュー・イヤーの号令と共に始まったクーパー家の夕食は、予定より随分遅れてしまったものの、和やかなものとなった。
 久しぶりの父親の手料理に、ショーンも十分リラックスできた。
 スコットの料理は、羽柴が作るほどきちんとした料理ではないが、如何にもアメリカの家庭料理といった温かみがあって、旨い。
 劇場での一幕をショーンが身振り手振りを交えながら話すと、スコットは心底安心したような表情を浮かべて、仕切りと笑い声を上げていた。
 スコットは、案の定二人の帰りを何も食べずに待っていたが、それでも彼はちっとも不機嫌そうではなく、むしろ帰りが遅くなっていたことを歓迎している様子だった。ショーンがステージに立っていることを彼は予想していたに違いないし、それを望んでもいたのだろう。
 ショーンはスコットに今回のスランプの内容を話していなかったが、ひょっとしたらクリスからある程度のことを聞いていたのかもしれない。
 スコットはいつでもショーンを追いつめるような質問をしたりはしない。けれど彼の無言のいたわりがこれまで何度、ショーンを慰めたり、勇気づけたりしてくれただろう。それがスコットのやり方だった。
 夕食後、食器の片づけを手伝っていたショーンは、シンクに立って皿を洗っているスコットの隣に立ち、「ダディ、心配かけてごめん」と言った。
 スコットは穏やかな表情でショーンを見つめ返すと、両手の泡を洗い流して手を拭いた後、ゆっくりとショーンを抱きしめてくれた。
 ショーンもスコットの肩口に額を押しつけながら、スコットの身体をギュッと抱きしめる。
 その間二人とも無言だったが、言葉は必要なかった。
「さ、ビスケット買ってきてるから、コーヒーを煎れて羽柴さんに出して上げなさい」
「うん」
 ショーンは洟を啜ると、二年前にいつもやっていたように戸棚からコーヒーの粉を取り出して、コーヒーマシンをしかけた。ショーンが家を出た時と同じ場所に全てのものが収まっていて、ショーンは自分の淀みない身体の動きで、本当に家に帰ってこれたことを実感した。
 ビスケットとコーヒーの入ったポットを持ってリビングに行くと、つけっぱなしのテレビからは年明けの特別番組が流れてきていたが、向かいのカウチに座っていた羽柴はテレビを見ずに、アルバムを見ていた。
「何だよ、大人しいと思ったら、アルバムなんか見てたの?」
「ああ、さっきお父さんが出してくれて。なかなか可愛いよ。ほら、これなんか歯がない」
 小さな自転車に乗ったショーンが、カメラを見て笑っている写真。確かに前歯がない。
 ショーンは顔を赤らめた。
「丁度歯が抜け替わってた時期だったの! この家に引っ越してきたばっかりの頃」
「へぇ・・・」
「正式にダッドの子として引き取られることが決まって、この家に引っ越して来たんだ」
「ふぅん・・・」
 羽柴は指先で撫でるようにページを捲った。
 写真は撮り手の感情があからさまに表れるものだというけれど、羽柴の目の前に次々と現れる写真には、まさにスコットのショーンへの愛情が滲み出ている。
「君のお父さんは、素晴らしいお父さんだね」
 羽柴がそう言うと、ショーンは心底嬉しそうに微笑んだ。
「うん。世界一の父さんなんだ」
 丁度のその時、スコットがタオルで手を拭いながらリビングに入ってくる。
「身体は十分に温まりましたか?」
「ええ、それはもう。おいしい食事のお陰です。ありがとう」
 羽柴がそう言うと、スコットはテレ臭そうに微笑んだ。
「たいしたものではないですが、よかった。今夜はぜひ泊まっていってください。もう遅い時間ですから」
「しかし・・・」
「遠慮なさらずに。ベッドもショーンのベッドを使ってください。ショーン、今夜父さんのベッドを使いなさい」
「え? 俺、ひょっとしてクリスと寝るってこと? やだよ。それなら俺、カウチで寝る」
「いや、ホントお構いなく。家は隣の街ですし、食事のお陰で酔いも覚めましたから・・・」
「え?! 帰るつもりなの?!」
 ショーンが一際大きな声を上げた。
 思わず羽柴もピタリと口を閉じる。
 ショーンは羽柴とスコットを見渡して顔を赤らめると、俯いて「ごめん」と呟いた。
「クリスも泊まっていけって言ってたし・・・それに・・・今ぐらいの時間になると、道路も凍ってるかもしれないから危ないよ」
 ショーンがそう言いながら、彼のシャツの裾をギュッと握る。羽柴はその手を見つめた。
「そうだな・・・」
 羽柴は微笑みを浮かべ、そう呟く。
 ショーンが顔を上げた。
「やっぱり泊めてもらおうかな」
「ホントに?」
「君の寝室を占領するのは気が引けるけどね」
「じゃ、一緒に寝たらどうだい?」
 第三者の声に、一同がリビングの入口に目をやる。
「クリス!!」
 ショーンが驚いた声を上げた。
「・・・何だ、帰って来ちゃ悪かったか?」
 クリスが口を尖らせ、斜め上から皆を見下ろして、肩を竦める。
 スコットがクスクスと笑いながら席を立った。
「案外早かったな。徹夜になると思ってた。後片づけ、無事済んだのか?」
 スコットの問いかけに、クリスは派手に顔を顰めた。
「小僧達はまだパーティーの真っ最中さ。徹夜組なのはあいつらの方。そこまで付き合ってられないから、ラリーに任せて退散してきた。こっちは心静かに新年を迎えたいってぇのに、こっちにも小僧が一匹いること忘れてた」
 ショーンがブーイングする。
「そっちの方が後からの居候じゃん!」
 クリスは自分の耳に指を突っ込んだ。
「あ~、うるさいうるさい! とっととそこの色男連れて、自分の部屋に行け!」
 ショーンが顔を真っ赤にする。
 羽柴はそんなショーンの様子を背後から見ている形なので気付いてない。それどころか、「え? 色男って・・・えっ?! 俺のこと?!」と小さく驚きの声を上げている。クリスから見れば、何ともマヌケな光景だ。
 ── おいおい、なんだい、野暮ったいね・・・。
 クリスは唇の端っこを器用に噛みしめると、ショーンに耳打ちをした。
「またとないチャンスだろうが。しっかり部屋ん中閉じこめて、アピールしろよ」
「あああ、あんた何言ってんの?!」
「ウカウカしてると、俺が食っちまうぞ」
 ショーンが茜色の瞳を大きく見開く。と、目の前にあるクリスの耳が、油汚れに染まった指に挟まれてグイグイと引っ張られた。
「今夜お前が食っていいのは、ダイニングにあるヒヨコマメのスープだけ」
「いてッ、いててててててて」
 クリスはそのままスコットに引きずられ、ダイニングに姿を消した。
 微妙な静寂がリビングに訪れた。
 ショーンはそうっと羽柴に向き直る。
 ショーンとクリスのやり取りが聞こえていなかった羽柴は、呆気に取られて今の光景を見ていたようだ。
 ショーンが、ハハハと力無い笑みを浮かべると、羽柴も同じ様な笑みを浮かべた。
「意外に、君のパパ、強いんだね」
 温厚そうなスコットの意外な一面を見てしまった、というところか。
 ショーンも正直、スコットがクリスに対してああも強気だということは意外だったし、知らなかった。
 スコットの方が、いつも奔放なクリスに振り回されてるのだと思いこんでいたからだ。
 ふいにおかしくなって、ショーンはプッと吹き出した。羽柴も同じように笑い声を上げる。
「お父さん達、仲いいんだ」
「そうだね。俺も正直意外だった」
「それで? どうする?」
「え?」
「今夜。君がよかったら、一緒にいいかい?」
「え?! い、いいの?」
「随分窮屈になっちまうかもしれないけど。君やお父さんにカウチで寝てもらうのは気が引けるし、俺がここで寝ると言ったら、お父さんが逆に気を使いそうだし」
「そうだね。俺も、クリスと寝るのはヤダもん」
 そう言ってまた笑いあった。
「じゃ、案内する。二階なんだ」
 ショーンはそう言って席を立った。
 
 
 ショーンの部屋は、昨日までショーンがそこで暮らしているかのような雰囲気のままだった。
 それでもきちんと掃除が行き届いているところを見ると、スコットのまめさが窺える。
 傷だらけの勉強机。近所のおばさんお手製のキルトカバーがかかった素朴なベッド。少し黄ばんだ若葉模様の壁紙。その壁面にはよくありがちなポスター類はなく、一見すると音楽好きの少年の部屋には見えない。だがその実、ドア側のチェストには鬼のようにCDやLPが隠されてあるし、ベッドの下には今も初めて買ってもらったギターと同じ型のものが寝ころんでいる。
 スコットに買ってもらったギターは町を出る時に持ち出していて、今はNYのアパートメントにある。だが、ショーンはこの部屋からギターがなくなるのが嫌で、町を出る前にクリスに貰ったバイト代でギターを購入していた。そのギターが自分とこの家を結ぶ楔になってくれるような気がしたからだ。
 ショーンは、まだ真新しい艶のあるギターをベッドの下から取り出した。
「へぇ、そんなところにギター隠してたのか」
 ベッドに腰掛け羽柴がそう言うと、ショーンはテレくさそうな笑みを浮かべた。
「高校時代は本当にひねくれてたから。ギターがないと生きていけないだなんてこと、誰にも絶対に知られたくなかった。高校時代の友達は、本当に最後まで俺のこと音痴だって思ってたんだよ」
 ショーンはそう言いながら、ギターをつま弾く。
 ギターを持つと、自然とそういう風に指が動くのだ。
 それが今当たり前にできていることに、ショーンは内心自分で驚いた。
 ああ、本当に自分はギターと仲直りすることができたんだと実感できた瞬間だった。
 こんなに短い間にここまで回復できたのは、傍に羽柴がいてくれたからこそだ。
 羽柴と運命的な出会いをして・・・羽柴はどう思っているか分からないが、ショーンにとってはまさに運命的出会いだった・・・、羽柴の優しさに癒され、恋をした。だからこそ自分は、今こうして声を取り戻すことができ、前と変わらずギターと寄り添って生きていけるようになれた。
 ── 生憎、『恋』という部分に関して、俺に許された時間はもう終わってしまったけれど。
 あの時、シンデレラを引き合いに出して言った言葉は、自分に言い聞かせるためのものだった。
 羽柴の本当の気持ちを知り、自分の気持ちを押しつけるのは彼にとって苦痛でしかないと思った。だからこそ自分を征するための何かが必要だった。
 自分だけに判る有効期限。
 それがニュー・イヤーズ・デイまでだった。
 そして今夜、その瞬間を越えてしまった。
 もうその先はない。
 自分はもう十分コウから素敵なものをたくさん貰った。だからこれ以上、高望みしちゃダメだ。
 以前スコットに恋をした時は、より多くのものを求め過ぎて、どれほどスコットを傷つけたろう。
 同じ過ちを、コウに対しては繰り返したくない。
 だからあの瞬間に、素直に身体を羽柴から放すことができた自分を、ショーンは少しだけ誇らしく思った。自分の中にある自制心が自分をこの世界に引きとどめていてくれることに。
 昔の自分なら、とんでもない暴走をしていただろう。
 ── これが、大人になるってことなんだよね・・・。
 少し胸が苦しかったが、もうみっともない顔を羽柴に見せずにすむとショーンは思った。
 羽柴は今、ショーンの隣に腰掛け、滑らかに動くショーンの指先を見つめている。
 その穏やかな横顔を見つめていると、身体の中が温かくなってくる。
 この人は、どれほどの喜びと救いを俺にもたらしてくれたか。
 それに比べこの俺は、彼に対して何もしてあげられなかった。それどころか、彼の中から古い傷を引きずり出してしまったなんて。
 そんなちっぽけな自分を、ショーンは恥ずかしく思った。
「・・・ごめんね。そして、ありがとう。本当に」
 ショーンは小さく呟く。
 ショーンが言うべき感謝の言葉は、本来ならもっと沢山あってよかったはずだが、なぜだかショーンは他に言葉が選び出せなかった。だからショーンはバカみたいに何度も何度も「ありがとう」を繰り返した。
 それでも、その短いセンテンスの中に、表現しきれないほどの気持ちが込められていることを、羽柴は気付いてくれたようだ。
 羽柴は顔を上げてショーンを見ると、一言、「どういたしまして」と生真面目な声でそう返してくれた。それはとてもとても優しい声だった。
 ふいに自分という存在がこの世界から許されたような気がして、ショーンは少しだけ涙ぐんだ。
 羽柴がショーンの頭をぐりぐりと撫でる。
 ショーンは涙が零れ落ちる前に目尻を袖口で拭うと、テレ笑いを浮かべた。
 久々に髪の毛に感じる羽柴の手は相変わらず大きくて、切ないほど温かかった。
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