Please Say That

国沢柊青

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act.39

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 キッチンでの撮影後、ショーンはリビングに戻って衣装を替えた。
 今度は少しアジアンチックな衣装で、一度無造作に整えられていた髪をジェルで綺麗に撫でつけられた。
 シンシアが化粧させてみたいというので、アンが少し退廃的なイメージのメイクをショーンに施した。ベースメークは少し青みのがかった肌色に仕上げ、目の周囲に少し濃い色のシャドウを入れ、唇に赤いグロスをのせる。
 撮影場所はリビングの白い壁。
 羽柴の部屋は天井が高く大きな空間が広がっているので、シンシアはそれをとても気に入っていた。
 ティムが言うに、今日のシンシアはノリがいいらしい。
 ショーンが自分の家族と知り合いだったこともあるのだろうが、何より最初の撮影でハードルの高い注文をショーンが素直に受け入れ、シンシアに身を任せてくれたせいだろうと彼は言った。
 シンシアはいつも最初に難しい注文をモデルにして、その反応を窺うらしい。
 なるほど、そこで否定的な感情を持ったり、出し惜しみしたり、手抜きをしたりすると、彼女にはすぐにそれが分かるということだ。
 本質的に美しいものは、もっと美しく。本質的に醜いものは、本当に醜く。
 こういうタイプのカメラマンは非常に苦労すると思うが、このスタイルで大成することができれば、きっと大物になるだろう。
 ショーンも今まで数多くのカメラマンに会ってきたが、ここまで被写体に挑んでくるカメラマンも珍しかった。その姿勢は、ファッションフォトというより、報道カメラマンに近い感じがする。
「── ショーン。自分が神聖なものだと考えてみて。何者にも汚されないという自信を見せて欲しい」
 ショーンが壁の前に立つと、シンシアにそう言われた。
 ショーンは思わず戸惑ってしまう。
 ── 自分は、そんな神聖な存在なんかじゃない・・・。
 その気持ちが、シンシアに伝わったのだろうか。
 三脚の上に鎮座するカメラを覗き込みながら、シンシアは続ける。
「あなたがあのチャリティーコンサートで歌った時の気持ちは、崇高なものだった。あなたが以前いた世界の人々には触ることも汚すこともできないの。あの瞬間のあなたは、まるで空を飛んでいるように神々しく見えたわ。その輝きは、あなたを傷つけようとしている下界の人々にとってはミステリアスでもあり、恐怖にもなりえるの」
 その言葉を聞いているうち、ショーンの中にあの時の熱い力が込み上げてくる。
 まるで腰の刺青が疼くような。
 自然と瞳に輝きが篭もり、その少し謎めいた衣装とメイクも相まって、常人が触れられないような神聖さが現れてくる。
 魂の透明さ。
 ピュアな精神。
 シンシアはそれを、ミステリアスな異国の神のように演出したかったのだろうか。
 濃紺の衣装が、ショーンの赤い瞳と髪を更に際だたせる。
 それはとても力強く、そして益々華やかに輝いた。
 ショーンの表情の変化に、後ろで見ていたリサやアンが息を飲む。
 さっきまでむしろ温厚そうなイメージだったショーンが、まるで崇高な精神の下に戦いを挑む神話の登場人物のような雰囲気に見えたのだ。
 リサは確かな手応えを感じた。
 ── この撮影は、エニグマの歴史上、最も興味深いフォトセッションになると。
 恐らく、いや間違いなく今日のこのシーンがエニグマの巻頭を飾り、数多くの人に衝撃を与えるだろう。
 今まで、ろくにスポットが当てられてこなかった若きロックスターの、新しい姿。
 いや、それは間違っている。
 これが真実の姿だ。
 セクシーでグラマラスでピュア。
 何者にも汚されない精神を持ち、見る者の心に訴えかけてくるような壮絶な瞳の色をしている。
 これは単なるファッションフォトなんかではない。
 力強い、メッセージだ。
 真実を見てくれ。虚栄に惑わされるな。本当のショーン・クーパーはここにいる・・・。
 エレナの作戦は、大成功だ。
 リサは全身鳥肌が立つ感覚を覚えながら、そう思った。
 撮られる者も必死だが、撮る方も必死だ。
 若い二人は、全力で今ぶつかり合っている。
 シンシアの撮影姿勢を批判する人間は多いけれど、この撮影ではそれが必要だった。
 真実を探求する目。
 好奇心。
「素晴らしいわね・・・」
 リサの隣でアンが呟く。
「そう、まさにそうね・・・」
 リサも同じように呟いたのだった。
 
  
 ラストは、程良い色落ちのヴィンテージジーンズに白いTシャツというシンプルな格好での撮影だった。
 もちろんメイクも落として、髪もランダムに直す。
 シンシアはショーンに自由に動いてくれて構わないと言った。普段、この部屋で過ごしている時と同じようにしてくれと。
 ショーンは窓際に座ってオベーションを弾いたり、Tシャツのままテラスに飛び出してブルブルとコミカルに震え上がったり、冷蔵庫にあるミニにんじんをバリバリと囓ったりした。突如、ジェルがついた髪を風呂場で頭だけバスタブに突っ込んで洗う。
 バスタオルで濡れた頭をゴシゴシ擦るショーン。ボサボサ頭で顔を顰めるショーン。
 ティムやリサ、アン達と談笑をして、自然に零れたキュートな笑顔をシンシアのカメラが的確に押さえていく。
 さっきまでと違って全く作り込まない素顔のショーン・クーパー。
 シンシアが最後に確かな手応えを感じた写真は、ショーンの携帯に電話がかかってきた時のものだ。
 撮影の様子を心配して、この部屋の主が電話をかけてきたらしい。
 電話の相手は、今回の企画をエニグマに持ち込んだジャパニーズだった。
 リサの友人で『羽柴』という名のその男性は、この素敵な撮影場所も提供してくれた。
 きっとショーンの恩人だろう。
 彼の提供してくれた空間でショーンは心底リラックスし、素晴らしい表情を次々と見せてくれた。
 けれど、それにも増して、彼から電話がかかってきた時のショーンの笑顔といったら!
 「sorry」と中座したショーンだったが、その表情があまりにもいいので、シンシアは思わず彼を追いかけた。
 ショーンは、カメラが追いかけてくるのを感じて少しテレた風な顔つきをしてみせたが、そんなこと構っていられないといった感じで携帯から漏れてくる相手の声に耳を傾けた。
 ショーンが返事をするごとに、花のような笑顔が零れる。
 カメラを覗き込みながらも、思わずシンシアは赤面した。
 ショーンの熱気に当てられてしまって。
 ── なんてこと! この坊やは電話の向こうの彼に片思いをしてるのね。
 ショーンがマックスと友達になった理由も、何となく分かったような気がした。
 ── 今夜マックスに会ったら、白状させなきゃ。ああ、それにしても、片思いなのになんて幸せな笑顔を浮かべるんだろう。まるで、私が若い頃、マックスに片思いをしていた時みたいに。
 シンシアは何となく心がくすぐったい思いに駆られて、最後のシャッターを押した。
 
 
 唐突に撮影は終わった。
 ショーンが電話を切ってリビングに戻ると、シンシアは何とも満足した表情で撮影の後かたづけをしていた。
 ショーンは思わず拍子抜けしてしまう。
「え・・・? もういいんですか?」
「ええ。撮影はもう終了したそうよ。いい写真が撮れたって」
 リサが穏やかな笑顔を浮かべてそう言った。
 彼女も、そして他のスタッフも、エレナが出て行った時に浮かべていた顔つきとまるで違っていた。彼らも確かな手応えを感じていたのだろう。
 ショーンは、彼らの様子にホッとした。
 どうやら彼らの期待には応えられたようだ。
 シンシアの傍らで衣装を片づけているアンを見て、ショーンは慌ててTシャツを脱ごうとする。
「ごめん! い、今着替えます」
 それをアンが笑って止めた。
「いいのよ。それ、今回の記念にプレゼントするわ」
「え?! だって・・・。Tシャツはともかく、このジーンズ、ヴィンテージでしょ?」
 ショーンは別にジーンズマニアではないが、自分が履いてるものがえらく高価であることぐらいは分かる。
 アンは肩を竦めた。
「だって、それだけ似合ってればね。洋服は一番似合う人に着てもらうのがいいのよ。本音を言うと、あなたのストリップは見たいけどね」
 Tシャツを胸元まで捲り上げた格好のままのショーンは、慌ててTシャツの裾を降ろして顔を赤らめた。一同が笑い声を上げる。
 その中でもシンシアは、黙々と片づけを終えていた。
 急いだ仕草で荷物を抱えると、ショーンの元までやってくる。
「ごめん、急ぐわ。これから知り合いの人が働く新聞社の現像所を借りる手はずになってるの。今日の夜には写真を上げて、編集部に送る。もちろん、明日にはあなたにも見てもらえるよう段取りをするから。連絡先はここでいい?」
「あ、ああ。今日はここに泊まる予定だから」
「そう。その方が都合がいいわ」
「あ、ねぇ、そう。今夜は実家に帰るの? マックス先生とミスター・ウォレスに会う?」
 シンシアが瞬きをする。
「ええ。そのつもりよ。実家に帰るの久しぶりだから、ちょっとドキドキしてるけど」
「よろしく言っておいて。俺があのチャリティーコンサートで歌う勇気が出たのは、彼らのお陰なんだ。本当に感謝してる。いつかお礼に行くからって伝えて」
 シンシアはニッコリと笑って頷き、手を差し出した。ショーンはその手を握り返す。
 シンシアの手は、女の子らしい小さくって柔らかい手をしていた。
 彼女は慌てふためくティムと共に部屋を出て行く。
 それを見送ったリサもアンも帰り支度を始めた。
「ジョーの纏める記事は、後日メールで内容確認してもらうわ。私達は真実のみを伝えたいから、あなたの考えと違うと思ったら、遠慮せずに赤ペンを入れて。それから歌の録音の件だけど、それはあなたの方が詳しいわね。一応、編集部の方から、あなたが紹介してくれたミスター・サントロに打診をしてるわ」
「うん。ルイからも連絡がありました。スタジオが押さえられ次第、連絡するって。多分明日か明後日には一度連絡をくれると思います。彼、きちんとした人だから」
 ショーンとリサ、アンの三人は玄関に向かいながら今後のことについて話し合った。
「明日の朝、写真の上がりを確認して私達はニューヨークに戻るわ。次会う時は、ゲラができあがった時ね。それまで、顔をあわせるのはしばらく先になるわ。レコーディングにはなるべく立ち会うようにしたいけど、状況によっては無理かもしれない。構わないかしら」
「もちろん。── リサ、アン、ありがとう」
 ショーンは彼女達と、しっかり握手を交わしたのだった。
 
 
 試し撮りのポラロイドを見て、羽柴は「へぇ・・・」と感嘆の声を上げた。
 トーフハンバーグにサラダ、ライ麦パンというヘルシーな食卓を囲みながら、羽柴は感心した様子で数枚のポラを眺めた。
「さすが、プロのカメラマンとスタイリストがつくと凄いね。スターのオーラがぷんぷんしてる」
 ショーンはハンバーグを頬張りながら、若干眉間に皺を寄せた。
「馬子にも衣装って言いたいんだろ」
「いやいや。だって、このTシャツとジーンズの写真なんて、いつもの君の格好に近いのに、凄くカリスマ的な雰囲気を感じるよ。自然な表情なのに不思議だ。凄く写真に力がある」
 軽い赤ワインを口に含んで、羽柴は言う。
 普通の寸胴タンブラーで無造作にワインを飲む羽柴に、何だかショーンはドキドキした。
 セレブリティが集う世界を知ってるのに、家に帰るとこうして飾らないでいる羽柴がやたらカッコよく見えた。
 羽柴の何気ない仕草が、本当にショーンの胸を鷲掴みにする。
 笑う時に浮かぶ目尻の皺、料理する時に慣れた手つきでナイフを操る大きな手、ネクタイを緩める指の動き、ショーンに背を向けてジャケットを着る時の広い背中、そしてふいに考え込むようにして口元に右手を持っていく瞬間・・・。
 ── ああ、なんて魅力的なんだろう。
 こんな人が今自分の目の前にいて、同じ空気を吸って吐いているんだなんて思ったら、無性にテレくさくてまともに顔なんて見られなくなる。
「ミセス・ラクロワが言ってた通りのカメラマンだったって訳だ。プロフィールをみたら凄く若かったんで、ちょっと心配してたんだけど。俺も年齢で判断するだなんて・・・年かなぁ」
 羽柴が溜息をついた。
「コウは、全然年なんかじゃないよ」
 ショーンが早口で捲し立てる。
 ── だって、俺がグラグラ惑っちゃうくらいにセクシーなのに。
 実のところ。
 ショーンは、最初キッチンで試し撮りした写真は羽柴に渡さなかった。
 その写真は今、ジーンズの腰ポケットに入っている。
 シンシアが言うように、確かにポルノみたいにはなっていなかったが、それでも自分が『それ』を想像している時の写真なんか、絶対に見せられたものではない。
 いずれは雑誌に掲載されるだろうから見られてしまうことは確かだが、自分から進んで見せるなんてことはとてもできない。恥ずかしくて。
 あの時はきちんと洋服を着ていたのに、まるでシンシアに丸裸にされたような心境だった。
 それに、ある意味服を着ていた方がエロティックなこともある。
 赤みの浮かんだ顔を晒しているその写真を見て、リサやアンは「最高にセクシーでとても魅力的に写ってる。その上、なんてノーブルなんだろう。流石ね」と歓声を上げていた。ショーンには、あまりそういう風には見えなかったけれど。
「君がこんな表情をするだなんて思わなかったな」
 ふいに羽柴にそう言われ、ショーンは飛び上がるぐらいにドキリとした。
「え?! ななな何?!!」
 セックスの時の表情を言われたのかと思って、声が思わずひっくり返ってしまった。
「ほら、これ」
 羽柴が、彼の手元の写真をショーンに向けた。
 あのアジアンチックな写真だ。
「凄く大人びてるね、これ。目がとても印象的に撮れてる。この衣装を持ってきたとは本当に意表をつかれたよ。これは中国の皇帝が着ていたようなデザインだ。でもとてもよく似合ってる」
「あっ、ああ、それ。ちょっと化粧をしてから撮ったんだよ。だからじゃないかな」
 フォークの先を行儀悪く銜えてカチカチ歯先で鳴らしながら、ショーンは答えた。
 羽柴が片眉をクイッと引き上げてショーンを見、そのおでこを指で押す。
「何言ってるんだよ。よく見ろ。ここには、君の本質が写ってる。これが、君の中にある強さなんだよ。それに気付かなきゃ。誰もが欲しいと思っていながら、手に入れることができないでいる人だって、たくさんいるんだぞ」
「・・・コウ?」
 必要以上に熱く語る羽柴に、ショーンは怪訝な視線を送った。
 羽柴もその視線に気が付き、すぐに苦笑を浮かべ、「すまん」と謝った。
 ショーンは首を横に振る。
 コウは別に謝るようなことは言ってない。
 けれど羽柴は、何ともバツが悪そうな表情をして、誤魔化すようにワインをガブ飲みした。
 ── やっぱりコウ、様子がおかしい。前のコウと、ちょっと違う。
 それはきっと自分の告白が、羽柴に余計なプレッシャーを与えているせいだと彼は思った。
 いくら重荷に感じて欲しくないと言っても、自分みたいにいつも他人から注目を浴びてるような人間から告白されたんじゃ、そりゃ気にしないでいる方が無理ってものだ。
「食器の後かたづけ、俺がする。その間にコウ、風呂に入ってきなよ。俺、撮影が終わった後に入ったから」
 ショーンは、食べ終わった食器をシンクに運びながら、何気ない口調で言った。
 羽柴もすぐにいつもの通りの彼に戻って、「そうかい? 悪いね。じゃ、任せた」と食器を運んでダイニングキッチンから出て行った。
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