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act.45
「ルイ! 帰ったよ!!」
ショーンは、シンシアが持っている紙袋も抱え込んで、シンシアにドアの鍵を開けてもらった。
コンドミニアムの奥の方から、細い黒縁メガネをかけたルイが顔を覗かせる。
「ああ、お帰り」
「今日は何だかいつものショッピングセンターがやけに込んでて、買い物するのに倍の時間がかかったわ」
肩からかけている鞄をダイニングキッチンのイスに置き、シンシアが大きく息を吐く。
その後ろで、大きな紙袋を三つも抱えたショーンが、前が見えずおたおたとしながらダイニングキッチンに入ってきた。
「ああ、ごめん、ごめん。持たせたままにしちゃった」
シンシアが両肩を竦め、ルイが紙袋を受け取る。そして三人で、朗らかな笑い声を上げた。
その後シンシアが自然な動きでルイの頬にキスをするのを見て、ショーンは派手に顔を顰める。
「まったくもう。今一番アツアツだからって、見せつけることないじゃん」
ショーンはそうぼやきながら、紙袋から出した食パンをルイに放る。
ルイも笑いながらそれをキャッチし、戸棚に入れた。
棚の高いところに入れるものはルイやショーンが、低いところにしまうものはシンシアがと、三人が三人、ぶつかることなく買ってきたものをしまい込んでいく。見事なチームプレイだ。
ショーンとシンシアがロスに滞在するようになって、数週間。
シンシアとルイは、いつの間にか付き合うようになっていた。
まさしくキューピット役になったショーンは、だてに天使の羽根を身体にくっつけている訳でなく、名実ともに『天使』になったという訳だ。
レコーディングが終わってニューヨークに帰ることも考えたショーンだったが、ルイとシンシアがいい雰囲気なことに気が付き、引き続き滞在を続けることに決めたのだ。
ルイはロスの山際に近い場所に家があって、そこは比較的ゆったりとしたコンドミニアムだった。
主寝室の他にゲストルームもあり、リビングにダイニングキッチン、ルイが仕事場にしている書斎やその他に遊んでいる部屋もあったので、そこに二人で転がり込むことに決めたのである。
いつもは全米中を飛び回っているルイも、今抱えているのは自宅でできる仕事ばかりだったので、本当にタイミングが良かった。
シンシアとルイが付き合い始めるのは、ごく自然の流れだった。
「お昼、パンケーキでいい?」
シンシアの質問に、男二人が「いいよ~」と答える奇妙な関係。だが、互いに心地よく過ごしていた。
ショーンも、はっきり言って実家にしょぼくれて帰るより、本当に信頼できる友達と共に過ごせた方が気が紛れた。
ルイもシンシアも、ショーンの苦しみを分かってくれているし、慰めが必要な時は、そうしてくれる。そうでないと落ち込みがきつくって、まともな生活なんか送れそうになかったからだ。
どこから聞きつけたのか、相も変わらずパパラッチは周辺を嗅ぎ回っているようだが、ショーンはそこから出てくるゴシップ記事を一切無視していて、街中に自分の名前が刷られた印刷物が並んでいても、見もしなかった。どうせ、音楽界から総スカンを食らったミュージシャンのなれの果てを、おもしろおかしく書き連ねているのだろう。
エニグマもとうとう発売となり、昨日リサからかかってきた電話では、空前の売れ行きだそうだ。月刊誌だというのに増刷が予定されているという。
一般の書籍とは違って、旬の情報を載せていく雑誌が、そんなものを無視して増刷されるなんてこと、聞いたことがない。
雑誌に同梱されていたショーンのCDもメディア各紙が挙って取り上げ、これでなぜ音楽業界が動き出さないのかが不思議と言わんばかりに、批判めいた記事も出たという。
だが雑誌のおまけとして出ている限りでは実質立場も弱く、いまだ沈黙を続けている音楽業界で、ショーンの評価は得られなかった。
ロスでのショーンは、俗世間と縁を切った仙人のように様々な情報から距離を置いて暮らしていたので、唯一の情報源は定期的にかかってくるリサからの電話やメールだった。
エニグマの編集部でも、これほどまでに騒ぎが大きくなったことを懸念して、彼らがショーンを対外的なものから守ってくれる防波堤の役割を果たしてくれていた。
もちろんエニグマは出版社なので、ショーンのマネージメントをする訳ではなかったが、今は『無職』状態にある方がいいと思っているショーンにとって、エニグマのこの対応はありがたかった。ただショーンが、今仕事をする気がないということを外に向かって伝えてくれる“窓口”があればよく、それを今は、エニグマの編集部がやってくれている。
方々の火の粉を振り払うのは億劫な仕事だろうに、エレナはそれを喜んで引き受けてくれた。
それは、ショーンに対する恩返しの意味もあったのかもしれない。
ショーンは今回の一件でそれほどエニグマに利益をもたらし、恩恵を与えた。
並み居るファッション雑誌の売上を軽く越え、エニグマはトップの座に躍り出た。
そしてもちろん、業界内の地位も向上した。
今回初めて展開した広告戦略も実りが多く、今後のエニグマの方向性を決定づけたと言われた。
エニグマのこの評価は全米だけに止まらず、エニグマが翻訳されて発行されている各国でも話題を呼び、エニグマの人気は驚くほど上がり、購買数も目に見えて激増した。
一方、ショーンに支払われたギャランティも十分なものがあり、派手な生活をしなければ、しばらくは困らなくてもよさそうだ。
── もう自分を曲げてするような仕事はしない。
ビル・タウンゼントのことがマスコミにバレてから今に至るまで、今回の一件で、ショーンは痛感した。
偽りから生み出されたものは、偽りしか生まないと。
だから、自分が胸を張って本当にしたい仕事ができる状況になるまでは動かないと決めたのだ。エニグマに寄せられた取材攻勢や著名なブランドのイメージキャラクターの話も全部蹴って、ロスに引きこもることにしたのである。
ロスの温暖で陽気な気候、山も海もある風景、活気のある人々。
どれもショーンの傷ついた心を癒してくれたが、けれど片時も羽柴のことを想わない日はなかった。
自分の答えは、あのCDに全て込めた。
きっとコウも、聴いてくれるはずだ。
そうすれば、きっと理解してもらえる。
自分がどう考え、何を伝えたいのか。
── これが俺のできる『寄り添う』形。
少しでも、コウの心の傷が癒えますように・・・。
それによって羽柴がどんな返事をしてくれるのか、ショーンには全く予想ができなかったが、それでも真剣に考えてくれるはずだと思った。
そしてその答えに、今度こそ素直にショーンは従おうと考えた。
互いに全てさらけ出しあって出た答えだ。
例えそれが悲しい結果になろうとも、それは『いい答え』なんだと信じたい。
ショーンはそう思った。
三人で仲良く昼食を取った後、シンシアは風景写真を撮影しに出かけ、ショーンはルイと共に仕事場に篭もった。
様々なスタジオから送られてきた音楽デジタルファイルを受け取り、パソコンでのミキシング作業を行うルイの仕事場は特別に防音処理がされ、大きなスピーカーと数々の専門機器、パソコンなどに四方をぐるりと囲まれていた。
その片隅に置かれてあるソファーにショーンは座り、ギターをヘッドフォンにつないで聴きながら、作曲作業に没頭した。
今は無理でも、いつか自分のアルバムが出せたらいいと願うショーンは、ロスに来てすでに幾つかの曲を完成させていた。
今までそんなことをしてこなかったのが嘘のように、どんどん曲が書けた。
言いたいことや伝えたいことは前々からノートに書いていたし、羽柴を愛する気持ちがショーンの創作意欲に火をつけていた。
後から後から沸き上がってくる言葉、音符。
それを五線紙やノートに書き付けるのが間に合わないぐらいのスピードで、溢れ出てくる。
途中、プロであるルイの意見を受けながら、ショーンは新しい曲をどんどん書き溜めていった。
ローテーブルに向かって、ゴリゴリと鉛筆を動かしているショーンの肩を、ルイがトントンと叩いた。
ショーンが顔を上げると、ルイがなぜか険しい表情でそこに立っていた。
「何?」
ヘッドフォンを外しながらショーンが訊ねると、ルイは「リサからメールが届いてた。見てくれ」と答えた。
その口振りからすると、あまりいい知らせではないらしい。
ルイと共にパソコンの画面に向き直ると、リサから『こんなゴシップ記事がついに出たわ』とメールがあり、雑誌をスキャニングしたファイルが添付されてあった。画像は荒く、本文までは読みとれなかったが、メールの後半で、リサがわざわざその記事をタイピングしてくれていた。
どうやら記事は、ショーンに新しい彼女ができたこと、ロスの友人宅で彼女と同棲生活を送っていること、今彼女と暮らす新居を探していて、結婚も近いということなどがまことしやかに書かれてあった。
「なんだい?! コレ!!」
ショーンは顔がカッカと熱くなるのを感じながら、思わず叫び声を上げた。
「この写真は、確かに君とシンシアだな」
JPGファイルを、目を細めて見ながら、ルイが呟く。
「── あのショッピングセンターだ・・・。それで人がやたら多かったんだろう・・・。もうあそこにはしばらく行かない方がいいな・・・」
ショーンはすっかりショックを受け、ポカンと口を開けたまま、イスにバタンと腰掛けた。
ショーンの茜色の瞳が、激しく宙を泳ぐ。
「これ・・・、これっていつ出たんだろう・・・」
「ええと、待って・・・。一週間ぐらい前だって書いてある。リサも海外出張に出ていて、気が付かなかったそうだ」
リサもこれまでのありがちなゴシップ記事は一蹴していたのだろうが、今回はシンシアも絡んでいるとのことで、懸念して送ってきたのだろう。
彼女だって、シンシアとショーンが出会ったのがバルーン脱退の後のことで、その頃には既にショーンが別の人を好きだったことも知っている。相手が誰だか分からなかったにしろ。
「 ── 全く、嘘だらけも甚だしい記事だな・・・」
ルイが不快感を露わにして言った。
彼とて、自分の彼女が他の男と付き合っていると決めつけられては、気分が悪いだろう。
ふいにそのルイのシャツの袖口を、ショーンの手が掴んだ。
立ったままのルイがショーンに目をやると、ショーンは不安げな表情をありありと浮かべて、ルイを見上げていた。
「 ── どうしよう・・・。これ、コウが見てたら、どうしよう・・・」
エニグマが発売されても、羽柴から連絡が来ないのがこの記事のせいだったら。
しかも一週間前だとしたら、この記事が出た時にショーンから何らかのアクションがなければ、それは肯定されたと取られてもおかしくないのでは?
ルイを掴むショーンの手は、ガタガタと震えた。
元より羽柴は、ショーンと羽柴の間にある17歳の年齢差や、男同士ということを非常に気にかけていた。
一見すると、理想のカップル・・・記事にもそう書いてある・・・に見えるショーンとシンシアの写真を見て、羽柴ならすんなり身を引くのではないだろうか。
だだでさえ、ケンカ別れしている状態だというのに・・・。
怖くて自分から連絡を取らなかったのは、やはり間違いだった。
── こんな記事が出るなんて、全く予想もしていなかったから・・・。
これだけ騒がれているのだ。
羽柴が見ない可能性の方が低い。
激しく動揺するショーンの両肩を掴んで、ルイは言った。
「今すぐ、彼に電話してみろよ。こんな嘘の記事より、君の言葉が真実だってこと、彼なら分かってくれるだろう? 仲直りできるいいきっかけになるかもしれない」
力強く肩を揺さぶられ、ショーンは深呼吸した。
「そうだね。今からでも間に合うよね」
ショーンはそう言って、部屋を飛び出した。
そしてリビングのコードレスフォンを掴むと、まずは羽柴の携帯に電話をかけた。
けれど電波が通じないと素っ気ない音声にそう言われる。
次にショーンは、羽柴の自宅に電話した。
「ああ、留守電だ・・・。どうしよう・・・」
ショーンは留守電のメッセージが流れる受話器を耳から放し、電話を切る。
後から追いかけてきたルイが、「どうした?」と訊いた。
「留守電だった・・・」
「当たり前だよ、ショーン。今は平日の昼間だぞ。普通なら、仕事してる」
「そうか。そうだよね。ああ、でも困った・・・。彼の仕事場の電話番号、知らない・・・」
「えぇ?! 落ち着け、ショーン。何か思い出せることはないのか」
「ううん・・・。実は彼の会社の名前も聞いたことなかった」
「はぁ?」
ルイが大きく口を開ける。ショーンは早くもベソをかき始めている。
「前に名刺は貰ったことあったけど、ドタバタしてる間になくしちゃって・・・。その頃はコウの会社のことなんてまるで興味なかったし、俺が会社に電話なんかかけたら大変なことになるかもしれないから、特別意識してなかったんだ。毎日、コウの傍にいることだけでもう夢中で・・・。証券会社に勤めているとしか聞いてない。確か、ニューヨークに本社があるところ」
「ショーン、ニューヨークには星の数ほど証券会社があるぞ」
「でもコウは、C市の支社に勤めてるんだ」
「そんな会社もごまんとある。C市にはあのミラーズ社があるし、数年前にサイモン&トルーマン証券カンパニーが支社を展開したことで、真似する証券会社が増えたんだ。当てずっぽで電話かけまくるには・・・」
ショーンは、意気消沈して受話器を見下ろした。
言い知れぬ不安が、ショーンを襲った。
プルルルル、プルルルル
羽柴が玄関先の物置からスーツケースを取り出して、リビングまで取って返していると、電話が鳴っていた。
すぐに留守電の応答メッセージが流れる。
羽柴が電話を取る前に、電話はメッセージを残すことなく切れてしまった。
理沙だろうか。
羽柴が報酬を一向に取りに来ないことを心配して、ここ数日理沙から留守電にメッセージが入っていた。しかも出張先の日本からかかっていたこともあり、羽柴を驚かせた。
羽柴は、今日から一週間ほど有給を取っていた。
正月に取るつもりの休みを返上した分をと試しに申請を出していたら、昨日になってOKの返事を貰った。丁度羽柴が担当していた報告書の提出が終わり、仕事的に一段落ついたこともある。
羽柴は、今度こそ日本行きの航空チケットを手に入れていた。
予定としては、三日間日本に滞在する予定だ。
迷惑をかけた真一の母親に会って直接お礼を言いたかったし、精神的にも区切りがついた状態で墓参りにも行きたかったからだ。
今回が自分の再出発になると、羽柴は感じていた。
どういう形にせよ、真一を穏やかな気持ちで振り返りながら、また本当に好きになれる相手を捜す旅。
生憎、ショーンとはすれ違ってしまって縁がなかったが、またきっといい人を見つけることができるだろう。
漠然とした感覚だったが、そういう風に考えないと正直辛かった。
今更ながらに、ショーンの存在は大きかったから。
あのビー玉のような茜色の大きな瞳、癖のある跳ねっ返りの赤い髪、真っ直ぐ伸びた眉、完璧な形の鼻、アヒルのようなキュートな唇。弾むような笑い声、濁りのない純粋な涙、羽柴に真っ向から向き合った真剣な表情。滑らかな背中、伸び伸びとした手足、意外に逞しい胸板。そして・・・腰の天使の羽根。
目を閉じれば、次々と浮かんでくる。
芸能界という嘘が蔓延しがちな世界にいながら、ショーンの魂は穢れることなくただひたむきだった。
まだ思い出にするには感覚が生々しいが、それでもいつか、いい思い出になる。そう真一みたいに。
── 日本についたら、ついでに帝釈天に行ってショーンの幸せもお願いしてこようかな。
羽柴はそんなことを思いながら荷造りを始めた。
出発はまだ三日も先のことだったが、前回の過ちを繰り返したくなくて、早めに用意することに決めた。
それはまるで、自分自身の気持ちの整理をするような作業のように思えた。
ショーンは、シンシアが持っている紙袋も抱え込んで、シンシアにドアの鍵を開けてもらった。
コンドミニアムの奥の方から、細い黒縁メガネをかけたルイが顔を覗かせる。
「ああ、お帰り」
「今日は何だかいつものショッピングセンターがやけに込んでて、買い物するのに倍の時間がかかったわ」
肩からかけている鞄をダイニングキッチンのイスに置き、シンシアが大きく息を吐く。
その後ろで、大きな紙袋を三つも抱えたショーンが、前が見えずおたおたとしながらダイニングキッチンに入ってきた。
「ああ、ごめん、ごめん。持たせたままにしちゃった」
シンシアが両肩を竦め、ルイが紙袋を受け取る。そして三人で、朗らかな笑い声を上げた。
その後シンシアが自然な動きでルイの頬にキスをするのを見て、ショーンは派手に顔を顰める。
「まったくもう。今一番アツアツだからって、見せつけることないじゃん」
ショーンはそうぼやきながら、紙袋から出した食パンをルイに放る。
ルイも笑いながらそれをキャッチし、戸棚に入れた。
棚の高いところに入れるものはルイやショーンが、低いところにしまうものはシンシアがと、三人が三人、ぶつかることなく買ってきたものをしまい込んでいく。見事なチームプレイだ。
ショーンとシンシアがロスに滞在するようになって、数週間。
シンシアとルイは、いつの間にか付き合うようになっていた。
まさしくキューピット役になったショーンは、だてに天使の羽根を身体にくっつけている訳でなく、名実ともに『天使』になったという訳だ。
レコーディングが終わってニューヨークに帰ることも考えたショーンだったが、ルイとシンシアがいい雰囲気なことに気が付き、引き続き滞在を続けることに決めたのだ。
ルイはロスの山際に近い場所に家があって、そこは比較的ゆったりとしたコンドミニアムだった。
主寝室の他にゲストルームもあり、リビングにダイニングキッチン、ルイが仕事場にしている書斎やその他に遊んでいる部屋もあったので、そこに二人で転がり込むことに決めたのである。
いつもは全米中を飛び回っているルイも、今抱えているのは自宅でできる仕事ばかりだったので、本当にタイミングが良かった。
シンシアとルイが付き合い始めるのは、ごく自然の流れだった。
「お昼、パンケーキでいい?」
シンシアの質問に、男二人が「いいよ~」と答える奇妙な関係。だが、互いに心地よく過ごしていた。
ショーンも、はっきり言って実家にしょぼくれて帰るより、本当に信頼できる友達と共に過ごせた方が気が紛れた。
ルイもシンシアも、ショーンの苦しみを分かってくれているし、慰めが必要な時は、そうしてくれる。そうでないと落ち込みがきつくって、まともな生活なんか送れそうになかったからだ。
どこから聞きつけたのか、相も変わらずパパラッチは周辺を嗅ぎ回っているようだが、ショーンはそこから出てくるゴシップ記事を一切無視していて、街中に自分の名前が刷られた印刷物が並んでいても、見もしなかった。どうせ、音楽界から総スカンを食らったミュージシャンのなれの果てを、おもしろおかしく書き連ねているのだろう。
エニグマもとうとう発売となり、昨日リサからかかってきた電話では、空前の売れ行きだそうだ。月刊誌だというのに増刷が予定されているという。
一般の書籍とは違って、旬の情報を載せていく雑誌が、そんなものを無視して増刷されるなんてこと、聞いたことがない。
雑誌に同梱されていたショーンのCDもメディア各紙が挙って取り上げ、これでなぜ音楽業界が動き出さないのかが不思議と言わんばかりに、批判めいた記事も出たという。
だが雑誌のおまけとして出ている限りでは実質立場も弱く、いまだ沈黙を続けている音楽業界で、ショーンの評価は得られなかった。
ロスでのショーンは、俗世間と縁を切った仙人のように様々な情報から距離を置いて暮らしていたので、唯一の情報源は定期的にかかってくるリサからの電話やメールだった。
エニグマの編集部でも、これほどまでに騒ぎが大きくなったことを懸念して、彼らがショーンを対外的なものから守ってくれる防波堤の役割を果たしてくれていた。
もちろんエニグマは出版社なので、ショーンのマネージメントをする訳ではなかったが、今は『無職』状態にある方がいいと思っているショーンにとって、エニグマのこの対応はありがたかった。ただショーンが、今仕事をする気がないということを外に向かって伝えてくれる“窓口”があればよく、それを今は、エニグマの編集部がやってくれている。
方々の火の粉を振り払うのは億劫な仕事だろうに、エレナはそれを喜んで引き受けてくれた。
それは、ショーンに対する恩返しの意味もあったのかもしれない。
ショーンは今回の一件でそれほどエニグマに利益をもたらし、恩恵を与えた。
並み居るファッション雑誌の売上を軽く越え、エニグマはトップの座に躍り出た。
そしてもちろん、業界内の地位も向上した。
今回初めて展開した広告戦略も実りが多く、今後のエニグマの方向性を決定づけたと言われた。
エニグマのこの評価は全米だけに止まらず、エニグマが翻訳されて発行されている各国でも話題を呼び、エニグマの人気は驚くほど上がり、購買数も目に見えて激増した。
一方、ショーンに支払われたギャランティも十分なものがあり、派手な生活をしなければ、しばらくは困らなくてもよさそうだ。
── もう自分を曲げてするような仕事はしない。
ビル・タウンゼントのことがマスコミにバレてから今に至るまで、今回の一件で、ショーンは痛感した。
偽りから生み出されたものは、偽りしか生まないと。
だから、自分が胸を張って本当にしたい仕事ができる状況になるまでは動かないと決めたのだ。エニグマに寄せられた取材攻勢や著名なブランドのイメージキャラクターの話も全部蹴って、ロスに引きこもることにしたのである。
ロスの温暖で陽気な気候、山も海もある風景、活気のある人々。
どれもショーンの傷ついた心を癒してくれたが、けれど片時も羽柴のことを想わない日はなかった。
自分の答えは、あのCDに全て込めた。
きっとコウも、聴いてくれるはずだ。
そうすれば、きっと理解してもらえる。
自分がどう考え、何を伝えたいのか。
── これが俺のできる『寄り添う』形。
少しでも、コウの心の傷が癒えますように・・・。
それによって羽柴がどんな返事をしてくれるのか、ショーンには全く予想ができなかったが、それでも真剣に考えてくれるはずだと思った。
そしてその答えに、今度こそ素直にショーンは従おうと考えた。
互いに全てさらけ出しあって出た答えだ。
例えそれが悲しい結果になろうとも、それは『いい答え』なんだと信じたい。
ショーンはそう思った。
三人で仲良く昼食を取った後、シンシアは風景写真を撮影しに出かけ、ショーンはルイと共に仕事場に篭もった。
様々なスタジオから送られてきた音楽デジタルファイルを受け取り、パソコンでのミキシング作業を行うルイの仕事場は特別に防音処理がされ、大きなスピーカーと数々の専門機器、パソコンなどに四方をぐるりと囲まれていた。
その片隅に置かれてあるソファーにショーンは座り、ギターをヘッドフォンにつないで聴きながら、作曲作業に没頭した。
今は無理でも、いつか自分のアルバムが出せたらいいと願うショーンは、ロスに来てすでに幾つかの曲を完成させていた。
今までそんなことをしてこなかったのが嘘のように、どんどん曲が書けた。
言いたいことや伝えたいことは前々からノートに書いていたし、羽柴を愛する気持ちがショーンの創作意欲に火をつけていた。
後から後から沸き上がってくる言葉、音符。
それを五線紙やノートに書き付けるのが間に合わないぐらいのスピードで、溢れ出てくる。
途中、プロであるルイの意見を受けながら、ショーンは新しい曲をどんどん書き溜めていった。
ローテーブルに向かって、ゴリゴリと鉛筆を動かしているショーンの肩を、ルイがトントンと叩いた。
ショーンが顔を上げると、ルイがなぜか険しい表情でそこに立っていた。
「何?」
ヘッドフォンを外しながらショーンが訊ねると、ルイは「リサからメールが届いてた。見てくれ」と答えた。
その口振りからすると、あまりいい知らせではないらしい。
ルイと共にパソコンの画面に向き直ると、リサから『こんなゴシップ記事がついに出たわ』とメールがあり、雑誌をスキャニングしたファイルが添付されてあった。画像は荒く、本文までは読みとれなかったが、メールの後半で、リサがわざわざその記事をタイピングしてくれていた。
どうやら記事は、ショーンに新しい彼女ができたこと、ロスの友人宅で彼女と同棲生活を送っていること、今彼女と暮らす新居を探していて、結婚も近いということなどがまことしやかに書かれてあった。
「なんだい?! コレ!!」
ショーンは顔がカッカと熱くなるのを感じながら、思わず叫び声を上げた。
「この写真は、確かに君とシンシアだな」
JPGファイルを、目を細めて見ながら、ルイが呟く。
「── あのショッピングセンターだ・・・。それで人がやたら多かったんだろう・・・。もうあそこにはしばらく行かない方がいいな・・・」
ショーンはすっかりショックを受け、ポカンと口を開けたまま、イスにバタンと腰掛けた。
ショーンの茜色の瞳が、激しく宙を泳ぐ。
「これ・・・、これっていつ出たんだろう・・・」
「ええと、待って・・・。一週間ぐらい前だって書いてある。リサも海外出張に出ていて、気が付かなかったそうだ」
リサもこれまでのありがちなゴシップ記事は一蹴していたのだろうが、今回はシンシアも絡んでいるとのことで、懸念して送ってきたのだろう。
彼女だって、シンシアとショーンが出会ったのがバルーン脱退の後のことで、その頃には既にショーンが別の人を好きだったことも知っている。相手が誰だか分からなかったにしろ。
「 ── 全く、嘘だらけも甚だしい記事だな・・・」
ルイが不快感を露わにして言った。
彼とて、自分の彼女が他の男と付き合っていると決めつけられては、気分が悪いだろう。
ふいにそのルイのシャツの袖口を、ショーンの手が掴んだ。
立ったままのルイがショーンに目をやると、ショーンは不安げな表情をありありと浮かべて、ルイを見上げていた。
「 ── どうしよう・・・。これ、コウが見てたら、どうしよう・・・」
エニグマが発売されても、羽柴から連絡が来ないのがこの記事のせいだったら。
しかも一週間前だとしたら、この記事が出た時にショーンから何らかのアクションがなければ、それは肯定されたと取られてもおかしくないのでは?
ルイを掴むショーンの手は、ガタガタと震えた。
元より羽柴は、ショーンと羽柴の間にある17歳の年齢差や、男同士ということを非常に気にかけていた。
一見すると、理想のカップル・・・記事にもそう書いてある・・・に見えるショーンとシンシアの写真を見て、羽柴ならすんなり身を引くのではないだろうか。
だだでさえ、ケンカ別れしている状態だというのに・・・。
怖くて自分から連絡を取らなかったのは、やはり間違いだった。
── こんな記事が出るなんて、全く予想もしていなかったから・・・。
これだけ騒がれているのだ。
羽柴が見ない可能性の方が低い。
激しく動揺するショーンの両肩を掴んで、ルイは言った。
「今すぐ、彼に電話してみろよ。こんな嘘の記事より、君の言葉が真実だってこと、彼なら分かってくれるだろう? 仲直りできるいいきっかけになるかもしれない」
力強く肩を揺さぶられ、ショーンは深呼吸した。
「そうだね。今からでも間に合うよね」
ショーンはそう言って、部屋を飛び出した。
そしてリビングのコードレスフォンを掴むと、まずは羽柴の携帯に電話をかけた。
けれど電波が通じないと素っ気ない音声にそう言われる。
次にショーンは、羽柴の自宅に電話した。
「ああ、留守電だ・・・。どうしよう・・・」
ショーンは留守電のメッセージが流れる受話器を耳から放し、電話を切る。
後から追いかけてきたルイが、「どうした?」と訊いた。
「留守電だった・・・」
「当たり前だよ、ショーン。今は平日の昼間だぞ。普通なら、仕事してる」
「そうか。そうだよね。ああ、でも困った・・・。彼の仕事場の電話番号、知らない・・・」
「えぇ?! 落ち着け、ショーン。何か思い出せることはないのか」
「ううん・・・。実は彼の会社の名前も聞いたことなかった」
「はぁ?」
ルイが大きく口を開ける。ショーンは早くもベソをかき始めている。
「前に名刺は貰ったことあったけど、ドタバタしてる間になくしちゃって・・・。その頃はコウの会社のことなんてまるで興味なかったし、俺が会社に電話なんかかけたら大変なことになるかもしれないから、特別意識してなかったんだ。毎日、コウの傍にいることだけでもう夢中で・・・。証券会社に勤めているとしか聞いてない。確か、ニューヨークに本社があるところ」
「ショーン、ニューヨークには星の数ほど証券会社があるぞ」
「でもコウは、C市の支社に勤めてるんだ」
「そんな会社もごまんとある。C市にはあのミラーズ社があるし、数年前にサイモン&トルーマン証券カンパニーが支社を展開したことで、真似する証券会社が増えたんだ。当てずっぽで電話かけまくるには・・・」
ショーンは、意気消沈して受話器を見下ろした。
言い知れぬ不安が、ショーンを襲った。
プルルルル、プルルルル
羽柴が玄関先の物置からスーツケースを取り出して、リビングまで取って返していると、電話が鳴っていた。
すぐに留守電の応答メッセージが流れる。
羽柴が電話を取る前に、電話はメッセージを残すことなく切れてしまった。
理沙だろうか。
羽柴が報酬を一向に取りに来ないことを心配して、ここ数日理沙から留守電にメッセージが入っていた。しかも出張先の日本からかかっていたこともあり、羽柴を驚かせた。
羽柴は、今日から一週間ほど有給を取っていた。
正月に取るつもりの休みを返上した分をと試しに申請を出していたら、昨日になってOKの返事を貰った。丁度羽柴が担当していた報告書の提出が終わり、仕事的に一段落ついたこともある。
羽柴は、今度こそ日本行きの航空チケットを手に入れていた。
予定としては、三日間日本に滞在する予定だ。
迷惑をかけた真一の母親に会って直接お礼を言いたかったし、精神的にも区切りがついた状態で墓参りにも行きたかったからだ。
今回が自分の再出発になると、羽柴は感じていた。
どういう形にせよ、真一を穏やかな気持ちで振り返りながら、また本当に好きになれる相手を捜す旅。
生憎、ショーンとはすれ違ってしまって縁がなかったが、またきっといい人を見つけることができるだろう。
漠然とした感覚だったが、そういう風に考えないと正直辛かった。
今更ながらに、ショーンの存在は大きかったから。
あのビー玉のような茜色の大きな瞳、癖のある跳ねっ返りの赤い髪、真っ直ぐ伸びた眉、完璧な形の鼻、アヒルのようなキュートな唇。弾むような笑い声、濁りのない純粋な涙、羽柴に真っ向から向き合った真剣な表情。滑らかな背中、伸び伸びとした手足、意外に逞しい胸板。そして・・・腰の天使の羽根。
目を閉じれば、次々と浮かんでくる。
芸能界という嘘が蔓延しがちな世界にいながら、ショーンの魂は穢れることなくただひたむきだった。
まだ思い出にするには感覚が生々しいが、それでもいつか、いい思い出になる。そう真一みたいに。
── 日本についたら、ついでに帝釈天に行ってショーンの幸せもお願いしてこようかな。
羽柴はそんなことを思いながら荷造りを始めた。
出発はまだ三日も先のことだったが、前回の過ちを繰り返したくなくて、早めに用意することに決めた。
それはまるで、自分自身の気持ちの整理をするような作業のように思えた。
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「俺以外に触らせるな」
そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。
弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。
本当にこのままでもいいのか。
ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。
その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。
どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。
リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24)
※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
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