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セスを見たレイチェルの顔は、心底驚いた表情を浮かべていた。
まるで考えてもいなかった人物が現れたといった具合に。
だが一瞬彼女はマックスを見ると、全てを悟ったような表情に変わった。
レイチェルは少しだけマックスを責めるような目つきで見たが、やがて彼女は肩の力を抜いた。
レイチェルは、セスに向き直る。
「・・・ハイ、セス」
彼女のもの悲しそうな、そして薄い笑みを浮かべる複雑な顔つきを見て、セスはようやく気がついたのだった。
あの時の、彼女の表情。別れ際、今と同じ様な表情を浮かべて、「さよなら」と言った・・・。
彼女は、密かに彼との別れを決心していたのだ。そしてそれはきっと、この一連の事件に関わっての決心だったのだと。
── ああ、何てことだ。
事件の捜査に夢中になっているうちに、自分はかけがえのないものを失おうとしていたのだ。
── 随分ひとりで悩んでいたのだろう。それなのに俺は・・・。
自分が世界一バカな人間に思えて、セスはたまらなくなる。
そんなセスを労るように、マックスが言った。
「セス。さ、そこに座って。話す時間はゆっくりあるから」
マックスは、レイチェルの気持ちも、そしてレイチェルがそう決心することになった経緯もすべて承知で、今日ここにセスを呼んだのだ。危険を冒して。
セスは、レイチェルの隣に構えられた椅子に座ると、レイチェルの手をぎゅっと握った。自分の気持ちが、この手から直接伝わればいいのにと、強く願った。
レイチェルがセスを見る。
いろんな言葉がセスの頭によぎったが、結局は「愛している」という簡単な言葉しか出てこなかった。「どんなことがあっても、愛している」としか。
レイチェルの大きな瞳から、涙が一粒流れ落ちた。そして彼女はそっと微笑み、セスの手を握り返したのだった。
そんな様子を見て、マックスは大きく深呼吸をする。
セスのシンプルな言葉が、なぜか自分の心にも響いた。
『どんなことがあっても、愛している・・・』
自分はいつその気持ちを彼に伝えることができるのだろう。
今彼は、どこでどうしているのか・・・。
革ジャン男は、ステッグマイヤーが黒こげになって命を落とした場所を入念に見て回ると、やがて気がついたように顔を上げ、腕時計で時間を確認しているようだった。
辺りはもうとっくに陽は落ちており、夜の表情を見せ始めていた。
男はもう一度、ミラーズ社の入口が見える位置まで移動する。
会社は退社時間を大分過ぎており、男は再び苛立ったように悪態をついた。
おそらく・・・これはウォレスの想像でしかないが、男はウォレスが会社から出てくるのを確認し存じたことに腹を立てているのだ。
だが、彼も時間がないらしい。
男は向きを変えると、今度はしっかりとした足取りで、とある場所に向かった。
地下鉄で二駅ほど離れた場所。
驚くことにそこは、三番目の事件の被害者が勤めていた場所、C・トリビューン社だった。
男は、配送車が出入りする地下車庫へと降りていく。
ウォレスは、向かいのビルの間からその様子を窺うと、ボロボロの上着を脱いで顎の付け髭を取り、男の後を追った。
ウォレスは、地下車庫に降りていく道すがら、コンクリートの壁際に無造作に置かれてあった青い作業シャツと軍手を身につけると、何食わぬ顔をして地下まで降りていった。
新聞社の地下は、朝刊の配送の準備でごく少数の人間が配送所の片づけをしているようだった。
どこからか、神経質な怒鳴り声が聞こえてくる。
ウォレスは、人目に付かない段ボールの山の陰から、怒鳴り声のする方向に近づいた。
配送部の事務所。
ガラス越し、あの若い男が一方的に怒鳴られていた。どうやら、怒鳴っている相手は、配送部の部長らしい。
「こんなに失望しているのがわかっているのか? 一体どうしたっていうんだ。あんなに真面目だったお前が。お前の紹介してくれた男も、あっと言う間にやめちまった。そんなことじゃ困るんだよ」
部長が、履歴書らしき書類を翳して振り回すと、無造作に窓際のデスクに投げ置いた。部長の苛立ちが手に取るようにわかる。
「今度無断欠勤したら、いくら真面目だったお前だとしても、クビにせにゃならん。それでいいのか? お前には体の悪いお袋だっているんだろう?」
若い男は、ずっと頭を垂れてそれを聞いていたが、その横顔を窺う限り、まるで耳に入ってない様子だった。
暗い目つきで、床を見つめている。
その半分死んだような顔つきは、まるで先ほど事件現場で見たようなギラギラとした表情とは別物だった。
「もういい。早く制服に着替えろ、マローン」
── マローン。あの若い男の名前はマローンというのか。
マローンは小さく頭を下げると、事務所を出ていった。部長は大げさな溜息をつくと、「まったく・・・。辛気くさいヤツだ」と呟く。
完全にマローンを小馬鹿にしたような声。
マローンこそが世間を震撼させている爆弾魔であると知ったら、あの部長はどんな顔をするだろう。
ひょっとすれば彼は、今怒鳴りつけたことによりマローンの新たな標的になり得るかもしれなのだ。そうなれば、いくら涙を流して命乞いをしても無駄だろう。── 後悔先に立たず。そんな陳腐な諺に胸を痛めることになるのだ。
だが配送部の部長は、自分が己の命を危険に晒しているかもしれないことなど、知る由もない・・・。
ウォレスは、自分の両手を見下ろした。
自分が手に掛けた人々も、そうだったのだろうか。
自分の命が消えるその瞬間まで、自分の身に起きていることが信じられずに、そして最後は涙と洟水塗れの命乞いをして死んでいった。
マローンと自分の差など、これっぽっちもない。同じ人殺しなのだ・・・。
「おい! ロペス! 何してる!!」
配送部の部長の怒鳴り声がまたする。
ウォレスは、はっとして顔を上げた。
部長が、事務所を出て行く。
ウォレスは何気なく無人になった事務所の中に目をやった。
ふと、机の上に散乱した履歴書が目にとまる。
おや、と思った。
そして次の瞬間には、ウォレスの顔が目に見えて強ばった。
マローンが紹介し、つい最近辞めていったという男の履歴書。
その上には、社員証制作のためにこの事務所で撮影された顔写真の控えが添付されていた。
その写真に写った男のギョロリとした目が、ウォレスをじっと見つめ返していた。
その男の顔は・・・・。
間違いなく、あのジェイク・ニールソンの年老いた顔に他ならなかった。
薄暗い闇の中で、その古びた鍵が窓の外から差し込む光を反射させ、セスの瞳を照らした。
「おそらく、その鍵が合うドアの向こうに、この事件の真相が隠されているに違いないわ」
鍵を翳すセスに向かって、レイチェルが言った。
「ケヴィンは、この一連の事件の犯人である人物にまで行き当たったんだ。そして彼の秘密を握り、そのことを犯人に悟られた」
「だから消された・・・。そういうことか」
マックスの言う言葉を、セスが引き継いだ。
セスが、問題の写真3枚を手に取る。
「そしてその犯人は、ミスター・ジム・ウォレスに対して強い興味を示している、と言うんだな」
セスはマックスを見つめる。
「君の・・・大切な人に」
マックスは少しだけ笑みを浮かべた。
先ほどレイチェルが浮かべた笑みよりも、深い悲しみに包まれていた。
セスだってマックスのことは良く知っている。
レイチェルとつきあい始めた頃から、まるで自分の弟のような存在だった彼だ。
いつも屈託のない笑みを浮かべていた彼。そんな彼がこんな表情を浮かべるだなんて。
セスは、いつかミラーズ社で出会ったジム・ウォレスの姿を思い浮かべた。
誠実そうで厳粛なイメージのある人だった。
ベルナルド・ミラーズの陰のように慎み深く佇み、その面差しにはどこか悲哀の表情が感じられた。
そのウォレスとマックスの間に一体どんなことがあったかはわからなかったが、マックスの今の表情を見る限り、ウォレスが彼の元を去ったことでどれだけマックスが心を痛めているのかは容易に想像ができた。
まさかあのマックスが、同性のしかも10歳以上年が離れた人に対して、自分がレイチェルに抱くような感情を持つとは想像もできなかったが・・・。
しかし、そのジム・ウォレスはといえば。
「ミスター・ジム・ウォレスは、彼がこの病院を出た日から姿を眩ませている。ミラーズ社の社長の話では、長期休暇を取らせたようなことを言っていたが、彼の家ももぬけの殻で、彼の家族でさえも家にいないそうだ。ミラーズ社の警備を担当しているチームから報告を受けている」
セスがそう言うと、マックスは「そう・・・」と呟いて、窓の外に目をやった。
「ジムの娘も姿が消えたの? シンシアとか言ったかしら・・・」
レイチェルがセスに訪ねる。
セスは頷いた。
「これは確かな報告だ。娘の方も学校に姿を見せていない。彼らがどこに行ったのか、我々も消息を掴んでいない。誰も追いつけなかったんだ。・・・恥ずかしい話だが」
自ら警察の能力の低さを認めざるを得ない形になって、セスは気まずそうにそう返した。
「・・・彼はある意味プロだからね・・・」
窓の外に目をやったまま、マックスは呟いた。
そしてゆっくりとセスに目をやる。
「彼は・・・・、ジム・ウォレスは元IRAのテロリストだ」
セスは驚愕の表情を浮かべ、レイチェルを見た。
レイチェルもゆっくりと頷く。
「だからなの。だから私達は・・・いえ、私はあなたにこのことを隠そうとした。そして別れを決心したの。だって、これって第一級の証拠隠蔽でしょ」
「レイチェル・・・」
セスがまるで泣き出しそうな顔をして、再びレイチェルの手を握った。
「ジムはね、そのことを正直にマックスに話したの。そしてマックスの元を去った。自分の身が危険に晒されるのを承知でね。彼はそうすることで、マックスの身を守ろうとした。彼の最愛の人の命を。── 私だって、彼がどんな人生を歩んできたかはわからない。けれど彼は自分の過去に十分に苦しみ、そして小さな赤ん坊を抱えて、この国に逃げて来た。そして彼は、マックスに出逢い、彼のことを心の底から愛したの。丁度私が、あなたを愛したのと同じようにね・・・」
レイチェルがセスの頬にそっと触れる。
レイチェルがセスに「愛している」と言ったのは、これが初めてだった。
「セス。彼は今、まだ子どもだった彼をテロという道に引きずり込んだ人物にその存在を狙われていると言っていた。そのことが、今回の事件の根本にあるのだと」
マックスが、静かに切り出す。
セスは、マックスを見た。
「俺は、彼を救うことが、この事件の解決に繋がるのだと信じている。ケヴィンが死んだのも、俺が狙われたのも、ジムを自分のものにしようとするその男の欲望がそうさせたに違いないんだ。── だからセス、力を貸して欲しい。警察官である君には、許されないようなことかもしれないけれど、俺は真実が知りたいんだ。この手でそれを解き明かしたい。今の捜査態勢では、それが無理だってことは、君が一番よく知っている。だからこそ、俺はセスを選んだ。こんなこと、セスに言うのは酷かも知れないけれど、こうするしかなかった。これから先、セスがどんな選択をしても、俺は何も言わない。レイチェルがなんと言ったって、俺はセスの判断に従う。だから、セスひとりでちゃんと考えて決断してもらいたいんだ。セスがきちんと考えて出した答えなら、それはきっと正しいから・・・」
「 ── マックス・・・」
セスが眉間に皺を寄せながら呟くと、マックスはゆっくりと微笑んだ。
「答えは今すぐ出さなくてもいい。明日まで待つよ。それぐらいなら、ハドソン刑事の苛立ちも我慢できるだろうから。決心が付いたら、電話をくれ。待ってる。さ、今日は二人で帰りなよ。レイチェルに証拠隠蔽を頼んだのは俺なんだ。レイチェルはそのことで気が咎めて、ハドソン刑事に証言できなかった。でも今日、セスに対して正直に話したんだ。これでレイチェルを守ることは十分にできるだろう? こんなことで愛し合ってる二人が別れるだなんて馬鹿げてる。ナンセンスだよ。どうにもこうにも言い訳できなかったら、心が病んだ従弟のせいにしちまったらいい。現に俺は、全米一有名な心の病を持った悲劇的な青年だからね」
「マックス!」
レイチェルが立ち上がる。
レイチェルは、マックスを責めるような目つきで彼を見たが、彼の穏やかな微笑みにすっかり毒牙を抜かれた格好になった。
「セス、俺の従姉殿をしっかり掴んでいてよ。本当にどこに飛び跳ねていくかわかったものじゃないんだからさ」
そう言うマックスに、レイチェルが「バカ」と呟きながら涙を零す。
セスはそんな二人を見つめながら、レイチェルを抱き締めた。
自分の中の“良心”と“人生”を両天秤にかけながら。
まるで考えてもいなかった人物が現れたといった具合に。
だが一瞬彼女はマックスを見ると、全てを悟ったような表情に変わった。
レイチェルは少しだけマックスを責めるような目つきで見たが、やがて彼女は肩の力を抜いた。
レイチェルは、セスに向き直る。
「・・・ハイ、セス」
彼女のもの悲しそうな、そして薄い笑みを浮かべる複雑な顔つきを見て、セスはようやく気がついたのだった。
あの時の、彼女の表情。別れ際、今と同じ様な表情を浮かべて、「さよなら」と言った・・・。
彼女は、密かに彼との別れを決心していたのだ。そしてそれはきっと、この一連の事件に関わっての決心だったのだと。
── ああ、何てことだ。
事件の捜査に夢中になっているうちに、自分はかけがえのないものを失おうとしていたのだ。
── 随分ひとりで悩んでいたのだろう。それなのに俺は・・・。
自分が世界一バカな人間に思えて、セスはたまらなくなる。
そんなセスを労るように、マックスが言った。
「セス。さ、そこに座って。話す時間はゆっくりあるから」
マックスは、レイチェルの気持ちも、そしてレイチェルがそう決心することになった経緯もすべて承知で、今日ここにセスを呼んだのだ。危険を冒して。
セスは、レイチェルの隣に構えられた椅子に座ると、レイチェルの手をぎゅっと握った。自分の気持ちが、この手から直接伝わればいいのにと、強く願った。
レイチェルがセスを見る。
いろんな言葉がセスの頭によぎったが、結局は「愛している」という簡単な言葉しか出てこなかった。「どんなことがあっても、愛している」としか。
レイチェルの大きな瞳から、涙が一粒流れ落ちた。そして彼女はそっと微笑み、セスの手を握り返したのだった。
そんな様子を見て、マックスは大きく深呼吸をする。
セスのシンプルな言葉が、なぜか自分の心にも響いた。
『どんなことがあっても、愛している・・・』
自分はいつその気持ちを彼に伝えることができるのだろう。
今彼は、どこでどうしているのか・・・。
革ジャン男は、ステッグマイヤーが黒こげになって命を落とした場所を入念に見て回ると、やがて気がついたように顔を上げ、腕時計で時間を確認しているようだった。
辺りはもうとっくに陽は落ちており、夜の表情を見せ始めていた。
男はもう一度、ミラーズ社の入口が見える位置まで移動する。
会社は退社時間を大分過ぎており、男は再び苛立ったように悪態をついた。
おそらく・・・これはウォレスの想像でしかないが、男はウォレスが会社から出てくるのを確認し存じたことに腹を立てているのだ。
だが、彼も時間がないらしい。
男は向きを変えると、今度はしっかりとした足取りで、とある場所に向かった。
地下鉄で二駅ほど離れた場所。
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男は、配送車が出入りする地下車庫へと降りていく。
ウォレスは、向かいのビルの間からその様子を窺うと、ボロボロの上着を脱いで顎の付け髭を取り、男の後を追った。
ウォレスは、地下車庫に降りていく道すがら、コンクリートの壁際に無造作に置かれてあった青い作業シャツと軍手を身につけると、何食わぬ顔をして地下まで降りていった。
新聞社の地下は、朝刊の配送の準備でごく少数の人間が配送所の片づけをしているようだった。
どこからか、神経質な怒鳴り声が聞こえてくる。
ウォレスは、人目に付かない段ボールの山の陰から、怒鳴り声のする方向に近づいた。
配送部の事務所。
ガラス越し、あの若い男が一方的に怒鳴られていた。どうやら、怒鳴っている相手は、配送部の部長らしい。
「こんなに失望しているのがわかっているのか? 一体どうしたっていうんだ。あんなに真面目だったお前が。お前の紹介してくれた男も、あっと言う間にやめちまった。そんなことじゃ困るんだよ」
部長が、履歴書らしき書類を翳して振り回すと、無造作に窓際のデスクに投げ置いた。部長の苛立ちが手に取るようにわかる。
「今度無断欠勤したら、いくら真面目だったお前だとしても、クビにせにゃならん。それでいいのか? お前には体の悪いお袋だっているんだろう?」
若い男は、ずっと頭を垂れてそれを聞いていたが、その横顔を窺う限り、まるで耳に入ってない様子だった。
暗い目つきで、床を見つめている。
その半分死んだような顔つきは、まるで先ほど事件現場で見たようなギラギラとした表情とは別物だった。
「もういい。早く制服に着替えろ、マローン」
── マローン。あの若い男の名前はマローンというのか。
マローンは小さく頭を下げると、事務所を出ていった。部長は大げさな溜息をつくと、「まったく・・・。辛気くさいヤツだ」と呟く。
完全にマローンを小馬鹿にしたような声。
マローンこそが世間を震撼させている爆弾魔であると知ったら、あの部長はどんな顔をするだろう。
ひょっとすれば彼は、今怒鳴りつけたことによりマローンの新たな標的になり得るかもしれなのだ。そうなれば、いくら涙を流して命乞いをしても無駄だろう。── 後悔先に立たず。そんな陳腐な諺に胸を痛めることになるのだ。
だが配送部の部長は、自分が己の命を危険に晒しているかもしれないことなど、知る由もない・・・。
ウォレスは、自分の両手を見下ろした。
自分が手に掛けた人々も、そうだったのだろうか。
自分の命が消えるその瞬間まで、自分の身に起きていることが信じられずに、そして最後は涙と洟水塗れの命乞いをして死んでいった。
マローンと自分の差など、これっぽっちもない。同じ人殺しなのだ・・・。
「おい! ロペス! 何してる!!」
配送部の部長の怒鳴り声がまたする。
ウォレスは、はっとして顔を上げた。
部長が、事務所を出て行く。
ウォレスは何気なく無人になった事務所の中に目をやった。
ふと、机の上に散乱した履歴書が目にとまる。
おや、と思った。
そして次の瞬間には、ウォレスの顔が目に見えて強ばった。
マローンが紹介し、つい最近辞めていったという男の履歴書。
その上には、社員証制作のためにこの事務所で撮影された顔写真の控えが添付されていた。
その写真に写った男のギョロリとした目が、ウォレスをじっと見つめ返していた。
その男の顔は・・・・。
間違いなく、あのジェイク・ニールソンの年老いた顔に他ならなかった。
薄暗い闇の中で、その古びた鍵が窓の外から差し込む光を反射させ、セスの瞳を照らした。
「おそらく、その鍵が合うドアの向こうに、この事件の真相が隠されているに違いないわ」
鍵を翳すセスに向かって、レイチェルが言った。
「ケヴィンは、この一連の事件の犯人である人物にまで行き当たったんだ。そして彼の秘密を握り、そのことを犯人に悟られた」
「だから消された・・・。そういうことか」
マックスの言う言葉を、セスが引き継いだ。
セスが、問題の写真3枚を手に取る。
「そしてその犯人は、ミスター・ジム・ウォレスに対して強い興味を示している、と言うんだな」
セスはマックスを見つめる。
「君の・・・大切な人に」
マックスは少しだけ笑みを浮かべた。
先ほどレイチェルが浮かべた笑みよりも、深い悲しみに包まれていた。
セスだってマックスのことは良く知っている。
レイチェルとつきあい始めた頃から、まるで自分の弟のような存在だった彼だ。
いつも屈託のない笑みを浮かべていた彼。そんな彼がこんな表情を浮かべるだなんて。
セスは、いつかミラーズ社で出会ったジム・ウォレスの姿を思い浮かべた。
誠実そうで厳粛なイメージのある人だった。
ベルナルド・ミラーズの陰のように慎み深く佇み、その面差しにはどこか悲哀の表情が感じられた。
そのウォレスとマックスの間に一体どんなことがあったかはわからなかったが、マックスの今の表情を見る限り、ウォレスが彼の元を去ったことでどれだけマックスが心を痛めているのかは容易に想像ができた。
まさかあのマックスが、同性のしかも10歳以上年が離れた人に対して、自分がレイチェルに抱くような感情を持つとは想像もできなかったが・・・。
しかし、そのジム・ウォレスはといえば。
「ミスター・ジム・ウォレスは、彼がこの病院を出た日から姿を眩ませている。ミラーズ社の社長の話では、長期休暇を取らせたようなことを言っていたが、彼の家ももぬけの殻で、彼の家族でさえも家にいないそうだ。ミラーズ社の警備を担当しているチームから報告を受けている」
セスがそう言うと、マックスは「そう・・・」と呟いて、窓の外に目をやった。
「ジムの娘も姿が消えたの? シンシアとか言ったかしら・・・」
レイチェルがセスに訪ねる。
セスは頷いた。
「これは確かな報告だ。娘の方も学校に姿を見せていない。彼らがどこに行ったのか、我々も消息を掴んでいない。誰も追いつけなかったんだ。・・・恥ずかしい話だが」
自ら警察の能力の低さを認めざるを得ない形になって、セスは気まずそうにそう返した。
「・・・彼はある意味プロだからね・・・」
窓の外に目をやったまま、マックスは呟いた。
そしてゆっくりとセスに目をやる。
「彼は・・・・、ジム・ウォレスは元IRAのテロリストだ」
セスは驚愕の表情を浮かべ、レイチェルを見た。
レイチェルもゆっくりと頷く。
「だからなの。だから私達は・・・いえ、私はあなたにこのことを隠そうとした。そして別れを決心したの。だって、これって第一級の証拠隠蔽でしょ」
「レイチェル・・・」
セスがまるで泣き出しそうな顔をして、再びレイチェルの手を握った。
「ジムはね、そのことを正直にマックスに話したの。そしてマックスの元を去った。自分の身が危険に晒されるのを承知でね。彼はそうすることで、マックスの身を守ろうとした。彼の最愛の人の命を。── 私だって、彼がどんな人生を歩んできたかはわからない。けれど彼は自分の過去に十分に苦しみ、そして小さな赤ん坊を抱えて、この国に逃げて来た。そして彼は、マックスに出逢い、彼のことを心の底から愛したの。丁度私が、あなたを愛したのと同じようにね・・・」
レイチェルがセスの頬にそっと触れる。
レイチェルがセスに「愛している」と言ったのは、これが初めてだった。
「セス。彼は今、まだ子どもだった彼をテロという道に引きずり込んだ人物にその存在を狙われていると言っていた。そのことが、今回の事件の根本にあるのだと」
マックスが、静かに切り出す。
セスは、マックスを見た。
「俺は、彼を救うことが、この事件の解決に繋がるのだと信じている。ケヴィンが死んだのも、俺が狙われたのも、ジムを自分のものにしようとするその男の欲望がそうさせたに違いないんだ。── だからセス、力を貸して欲しい。警察官である君には、許されないようなことかもしれないけれど、俺は真実が知りたいんだ。この手でそれを解き明かしたい。今の捜査態勢では、それが無理だってことは、君が一番よく知っている。だからこそ、俺はセスを選んだ。こんなこと、セスに言うのは酷かも知れないけれど、こうするしかなかった。これから先、セスがどんな選択をしても、俺は何も言わない。レイチェルがなんと言ったって、俺はセスの判断に従う。だから、セスひとりでちゃんと考えて決断してもらいたいんだ。セスがきちんと考えて出した答えなら、それはきっと正しいから・・・」
「 ── マックス・・・」
セスが眉間に皺を寄せながら呟くと、マックスはゆっくりと微笑んだ。
「答えは今すぐ出さなくてもいい。明日まで待つよ。それぐらいなら、ハドソン刑事の苛立ちも我慢できるだろうから。決心が付いたら、電話をくれ。待ってる。さ、今日は二人で帰りなよ。レイチェルに証拠隠蔽を頼んだのは俺なんだ。レイチェルはそのことで気が咎めて、ハドソン刑事に証言できなかった。でも今日、セスに対して正直に話したんだ。これでレイチェルを守ることは十分にできるだろう? こんなことで愛し合ってる二人が別れるだなんて馬鹿げてる。ナンセンスだよ。どうにもこうにも言い訳できなかったら、心が病んだ従弟のせいにしちまったらいい。現に俺は、全米一有名な心の病を持った悲劇的な青年だからね」
「マックス!」
レイチェルが立ち上がる。
レイチェルは、マックスを責めるような目つきで彼を見たが、彼の穏やかな微笑みにすっかり毒牙を抜かれた格好になった。
「セス、俺の従姉殿をしっかり掴んでいてよ。本当にどこに飛び跳ねていくかわかったものじゃないんだからさ」
そう言うマックスに、レイチェルが「バカ」と呟きながら涙を零す。
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