流星

1. around 30

No.1-4

30代の幕開けは呆気なかった。

ひとりカウントダウンをしようと考えていたのに、日付が変わる少し前に急な腹痛に襲われた。トイレの中でしばらく過ごし、出てきた頃には3月13日が始まって15分程時間が経っていた。

トイレから出た後も腹部の痛みはなかなか治らず、布団の中で少し休むことにした。30代目標第1号が叶える為、観測可能予報が出ていた2時半から4時にかけてスマートフォンの目覚ましを複数セットした。普段は部屋を真っ暗にして寝るのだが、夜中でも目を覚ましやすいようにと、部屋の灯りの明るさを通常の半分くらい暗くし電球を点けたままで目を閉じた。

興奮のせいかなかなか眠りにつくことができず、2、30分に1回程のペースで時刻を確認した。結局2時半少し前に布団から抜け出し、ベランダに出る準備をした。厚手の靴下を履き、服はパジャマのまま着替えずに冬用のコーデを着た。日中はトレンチコートで充分だが、3月中旬まだ夜中は真冬日中と変わらないくらい寒い。それから電気ポットでお湯を沸かし、コーヒーを淹れる。先月ハワイで結婚式を挙げた会社の同僚がくれた粉コーヒーだ。お湯を注ぐと、コーヒーの美味しそうな香りが嗅覚を刺激した。

片手にコーヒーを注いだカップを持ってベランダに出る。目の前には自分が住んでいるマンションと同じ高さのマンションが建っているが、建物の隙間から夜空が見える。昔住んでいたアパートは、周辺環境と自分が暮らしていた部屋の位置の関係で空があまり見えなかった。だから引っ越す際の条件として空が見えることを必須条件で部屋を探し、今の家を見つけた。

就職を機に都内に越してくるまでは、空が見えない生活なんがあるなんて考えたこともなかった。空が見えない生活でなんて言ったら大袈裟だけれども、地方に住んでいる頃は地下にいる時を除いて、窓さえあればどこからでも空は見えるものだと思っていた。だけど東京は違った。わたしが知らないだけで実は自分が住んでいた地域でもあり得たことだったのかもしれないが、わたしの中ではいまだこの衝撃は薄れない。

3時を過ぎた頃、しばらく空を見上げていたので首が痛いなと思っていたちょうどその時、一筋の光がわたしの視界映った。すうっと。これまで流れ星を見たことがないわたしには、一瞬なんだか判断がつかなかった。見間違えだろうか。そんなことを考えていたら2つ目の光がまた夜空の端から端に流れていった。

きれいだな。

率直にそう思った。広い空になにか描くような光の筋。そしてそれは一瞬にして消える。多くは飛び交っていないものの1つ1つがとても愛しく、いつまでも追える気がした。

流れ星。そうだ、なにか願いごとをしよう。確か星が流れている間に3回願いごとをすれば良いんだっけ。遠い記憶を掻き出しながら、願いごとの条件を考える。あんな短い間になにを3回繰り返せるだろうか。

お給料がもっと上がりますように。お給料がもっと上がりますように。お給料がもっと上がりますように。

仕事が上手くいって昇進できますように。昇進できますように。昇進できますように。

ダメな生活をやめて素敵なおとなの女性になれますように。おとなになれますように。素敵な人になれますように。

いくつか願いごとを試みたが、ことごとく失敗した。だんだん疲れと眠気で集中力がなくなってきた。次の願いごとでやめよう。そう思った瞬間、何度も見た光景が入ってきた。

ようやく成功した。完全に思い付きだったが、念願だった流星群を見て、願いごとがちゃんとできたということで満足だった。

冷え切った体は布団に入ってもしばらく寒さを感じたが、いつの間にか深い眠りについた。

ようやく達成した願いごと。それは咄嗟に頭に浮かんだ短い言葉。第2ボタン、第2ボタン、第2ボタン。こんな全く意味をなさない願いごとが自分の人生に大きな影響を及ぼすなんて、この時のわたしは微塵も想像もしなかった。