【改稿版】十六夜はカクテルの香り

氷室龍

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本編

Olimpic~待ち焦がれた再会~

 Olimpic~待ち焦がれた再会~

麻布十番商店街。そこの一角にある小さなビルの一階に【望月設計事務所】はある。そこを切り盛りするのは望月真央は二年前に亡き祖父からこのビルを受け継ぎ、大手建設会社を退職すると共に独立して事務所を開いた。周りに支えられながらどうにか事務所を切り盛り出来るようになっていた。

「それではこれでリフォームを進めさせていただきます」
「はい。よろしくお願いします」

事務所の応接セットで広げていた図面を片付けながら真央はホッと息をつく。目の前の顧客は大学の先輩である雨水顕政の伝手で紹介された人だったからだ。

「完成するのが楽しみです」
「ご期待に添えるようにしないといけませんね」
「もしかしてプレッシャーをかけてしまいましたか?」
「それも仕事のうちです」

顧客はホッとしたようだった。顧客は田崎たさき朔弥さくやといい、雨水の妹・孝子から紹介された大学の准教授だ。鎌倉草創期の研究している田崎はその資料探しで孝子と知り合ったようだ。

「雨水さんには今度きちんとお礼をしなくては」
「なら、彼女には中国の竜王に関する資料が良いと思いますよ」
「え?」
「彼女のお兄さん、私の大学の先輩なんですが。そういう話をよく亡くなったお父様に強請っていたと聞いてます」
「なるほど……」

田崎が考え込むそぶりを見て真央は少しだけうらやましく思う。自分にはもうそうやって贈り物をどうするか考える相手はいないから……。

「おや?」
「え?」

不意に田崎が立ち上がり、事務所入り口近くのカウンターに置いてあったフォトフレームを手に取った。

「これは……」

真央は凍り付く。それは高校の卒業式に潤や雫と撮った記念写真だ。しまっていたはずのそれが何故ここに置いてあるのか真央は混乱する。

「高校の卒業式に撮った友人との記念写真です。しまってたはずなのに……」
「もしかして、隣の彼は恋人ですか?」

田崎の何気ない言葉が真央の胸を刺す。心の奥底に閉まっていた思いをえぐり出されたような気がした。

「望月さん、思い続けることは決して罪ではありません」
「田崎さん?」
「実は僕には気になる女性がいるんです」

田崎は手にしたフォトフレームを元の場所に戻しながら、真央に語り始める。

「その彼女のことを知ったのは偶然でした。いろいろな伝手をたどって近づきたいのですが、未だ彼女にたどり着いていません」
「……」
「ですから、今は彼女と出会えるための準備中なんです。いつか彼女に思いが伝わることを願って……」
「田崎さん」
「望月さん。繰り返しになりますが、思い続けることは罪ではないですよ。無理して忘れるくらいならその方が健全だと僕は思ってます」

田崎はそう言い残して真央の事務所をあとにした。気づけば日は西に傾き、事務所内を赤く染めは秘めていた。真央はカウンターの写真にもう一度目をやる。そこにはにこやかに笑い自分の肩を抱き寄せる潤の姿があった。

「潤……」



夜の帳が降り、辺りに晩秋の風が包み込み始めた頃、事務所の戸締まりを終えた真央は地下へと降りる。そこは多種多様な洋酒やワインの並ぶ小さなバーになっている。カウンターの奥にある更衣室へ向かう。そのしなやかな長い黒髪を後ろで纏め、白のシャツに黒のVネックベスト、そしてストライプのネクタイを締め、黒のスラックスに黒のエプロンを着けると開店の準備を始める。
昼間とは全く違う姿になった真央は『Pleineプレーヌ Luneリュンヌ』と書かれた看板を地下へと続く階段の前に出していた。今日は金曜日で辺りは週末の華やかな雰囲気が漂っている。クリスマスまであと一ヶ月と迫ったせいだろうかいつもより華やかに見える。真央には【後悔】の二文字が重くのし掛かり、心を暗く覆っていった。
それを振り払うように息を吐き、地下へと降りていく。その先にあるオーク材の扉を開け店内に入る。そこは祖父が開いていたバー。祖父の死で一度は閉めたこの店を再び開くことになったのは雨水の【週に一度だけ開くバーにしてはどうか】という助言があったからだ。そして、金曜日にだけ開くこの【Pleine Lune】は口コミでファンを増やしている。勿論、祖父の代から付き合いのある人たちも少なからず支援をしてくれていた。
不意に入り口のカウベルが鳴る。

「こんばんは」
「孝子ちゃん、どうしたの?」
「明日香から伝言を頼まれたので……」

孝子から告げられたその名前に真央は嫌な汗が背中を伝った。鼓動が早まるのを感じつつも真央は孝子の次の言葉を待った。

「明日香のお兄さん、今日帰国したそうです」



今日は珍しく静かな夜だった。訪れる客もなく真央はカウンターに並べたグラスたちを磨いていた。そして、開店直後に孝子からもたらされた事実を如何に受け止めるか思いを巡らせていた。

(潤が帰ってくる……)

真央は【Pleine Lune】を再開してから、潤との切れない縁があることを思い知らされた。それは雨水の妹・孝子が潤の妹・一之瀬明日香と大学時代のサークル仲間だと言うこと。そして、今でも親しく付き合っていると言うことだった。
何故、潤がこの時期に帰国するのか理由がわからず混乱する。だが、カウンターに無造作に置かれた一枚の葉書を手に取ったことで疑問が晴れる。その葉書は親友の雫の婚約を知らせるものだ。恐らく、潤はこのために帰国したのだろう。
真央の中で相反する思いが湧き上がる。もう一度会いたいという思いと二度と会うべきではないという思い。真央の心はこの二つの思いの中で振り子のように揺れ動く。幾度のなく繰り返された葛藤が再び真央に襲いかかっていた。
いくら考えてもどれが自分にとって正しい答えなのか自信が持てない。口を突いて出るのはため息ばかりだ。
すると、来店を知らせるカウベルが鳴り響く。真央は思考の波から意識を引き戻す。そこに立っていたのは雨水だった。

「いらっしゃいませ」
「こんばんは」
「雨水先輩……」
「今日は珍しい客を連れてきたんだ」

そう言って雨水は連れの客に入店を促す。現れたのは今まさに考えていた別れたはずの恋人・一之瀬潤だった。

「一之瀬君……」
「望月……」

お互い動揺を隠しきれない。真央にとっても潤にとっても初めての恋人であり、初めて体を重ねた相手でもある。
二人の恋の顛末を知る雨水は肩を竦め苦笑いを零す。

「いつもの席に座っていいかな?」
「あ、はい……」

雨水は勝手知ったるかの如く、カウンターのスツールに腰かける。潤も後に続き、隣に腰を下ろした。

「雨水先輩は何にします?」
「まずは泡かな」
「わかりました。 一之瀬君は?」
「俺、酒に詳しくないから……」
「そうなの?」
「そう言えば、潤は酒に弱かったな」
「うちは下戸の家系なんです」
「あれ? 雫はザルだったはずだが」
「あれは母方の水池が酒豪ぞろいなんですよ」
「なるほど。 酒に関してだけは向こう水池の血を強く引いたという訳か」
「そうだと思います」
「なら、真央ちゃん。コイツに似合いのカクテルを一つ作ってやってくれないか?」
「わかりました」

真央はバーバックからブランデーとオレンジキュラソーを取り出す。それをシェイカーに同量を注ぎ、冷蔵庫から取り出したオレンジを絞って加える。そして、慣れた手つきでシェイクするとグラスに注いだ。

「へぇ、『オリンピック』か…」
「オリンピック?」
「このカクテルの名前よ」
「ふ~~~ん」

潤はこの時知らなかった。カクテルにはそれぞれ隠された言葉があるということを……。
それを知るのはもう少し後のことである。
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