【改稿版】十六夜はカクテルの香り

氷室龍

文字の大きさ
2 / 22
本編

Olimpic~待ち焦がれた再会~

しおりを挟む
 Olimpic~待ち焦がれた再会~

麻布十番商店街。そこの一角にある小さなビルの一階に【望月設計事務所】はある。そこを切り盛りするのは望月真央は二年前に亡き祖父からこのビルを受け継ぎ、大手建設会社を退職すると共に独立して事務所を開いた。周りに支えられながらどうにか事務所を切り盛り出来るようになっていた。

「それではこれでリフォームを進めさせていただきます」
「はい。よろしくお願いします」

事務所の応接セットで広げていた図面を片付けながら真央はホッと息をつく。目の前の顧客は大学の先輩である雨水顕政の伝手で紹介された人だったからだ。

「完成するのが楽しみです」
「ご期待に添えるようにしないといけませんね」
「もしかしてプレッシャーをかけてしまいましたか?」
「それも仕事のうちです」

顧客はホッとしたようだった。顧客は田崎たさき朔弥さくやといい、雨水の妹・孝子から紹介された大学の准教授だ。鎌倉草創期の研究している田崎はその資料探しで孝子と知り合ったようだ。

「雨水さんには今度きちんとお礼をしなくては」
「なら、彼女には中国の竜王に関する資料が良いと思いますよ」
「え?」
「彼女のお兄さん、私の大学の先輩なんですが。そういう話をよく亡くなったお父様に強請っていたと聞いてます」
「なるほど……」

田崎が考え込むそぶりを見て真央は少しだけうらやましく思う。自分にはもうそうやって贈り物をどうするか考える相手はいないから……。

「おや?」
「え?」

不意に田崎が立ち上がり、事務所入り口近くのカウンターに置いてあったフォトフレームを手に取った。

「これは……」

真央は凍り付く。それは高校の卒業式に潤や雫と撮った記念写真だ。しまっていたはずのそれが何故ここに置いてあるのか真央は混乱する。

「高校の卒業式に撮った友人との記念写真です。しまってたはずなのに……」
「もしかして、隣の彼は恋人ですか?」

田崎の何気ない言葉が真央の胸を刺す。心の奥底に閉まっていた思いをえぐり出されたような気がした。

「望月さん、思い続けることは決して罪ではありません」
「田崎さん?」
「実は僕には気になる女性がいるんです」

田崎は手にしたフォトフレームを元の場所に戻しながら、真央に語り始める。

「その彼女のことを知ったのは偶然でした。いろいろな伝手をたどって近づきたいのですが、未だ彼女にたどり着いていません」
「……」
「ですから、今は彼女と出会えるための準備中なんです。いつか彼女に思いが伝わることを願って……」
「田崎さん」
「望月さん。繰り返しになりますが、思い続けることは罪ではないですよ。無理して忘れるくらいならその方が健全だと僕は思ってます」

田崎はそう言い残して真央の事務所をあとにした。気づけば日は西に傾き、事務所内を赤く染めは秘めていた。真央はカウンターの写真にもう一度目をやる。そこにはにこやかに笑い自分の肩を抱き寄せる潤の姿があった。

「潤……」



夜の帳が降り、辺りに晩秋の風が包み込み始めた頃、事務所の戸締まりを終えた真央は地下へと降りる。そこは多種多様な洋酒やワインの並ぶ小さなバーになっている。カウンターの奥にある更衣室へ向かう。そのしなやかな長い黒髪を後ろで纏め、白のシャツに黒のVネックベスト、そしてストライプのネクタイを締め、黒のスラックスに黒のエプロンを着けると開店の準備を始める。
昼間とは全く違う姿になった真央は『Pleineプレーヌ Luneリュンヌ』と書かれた看板を地下へと続く階段の前に出していた。今日は金曜日で辺りは週末の華やかな雰囲気が漂っている。クリスマスまであと一ヶ月と迫ったせいだろうかいつもより華やかに見える。真央には【後悔】の二文字が重くのし掛かり、心を暗く覆っていった。
それを振り払うように息を吐き、地下へと降りていく。その先にあるオーク材の扉を開け店内に入る。そこは祖父が開いていたバー。祖父の死で一度は閉めたこの店を再び開くことになったのは雨水の【週に一度だけ開くバーにしてはどうか】という助言があったからだ。そして、金曜日にだけ開くこの【Pleine Lune】は口コミでファンを増やしている。勿論、祖父の代から付き合いのある人たちも少なからず支援をしてくれていた。
不意に入り口のカウベルが鳴る。

「こんばんは」
「孝子ちゃん、どうしたの?」
「明日香から伝言を頼まれたので……」

孝子から告げられたその名前に真央は嫌な汗が背中を伝った。鼓動が早まるのを感じつつも真央は孝子の次の言葉を待った。

「明日香のお兄さん、今日帰国したそうです」



今日は珍しく静かな夜だった。訪れる客もなく真央はカウンターに並べたグラスたちを磨いていた。そして、開店直後に孝子からもたらされた事実を如何に受け止めるか思いを巡らせていた。

(潤が帰ってくる……)

真央は【Pleine Lune】を再開してから、潤との切れない縁があることを思い知らされた。それは雨水の妹・孝子が潤の妹・一之瀬明日香と大学時代のサークル仲間だと言うこと。そして、今でも親しく付き合っていると言うことだった。
何故、潤がこの時期に帰国するのか理由がわからず混乱する。だが、カウンターに無造作に置かれた一枚の葉書を手に取ったことで疑問が晴れる。その葉書は親友の雫の婚約を知らせるものだ。恐らく、潤はこのために帰国したのだろう。
真央の中で相反する思いが湧き上がる。もう一度会いたいという思いと二度と会うべきではないという思い。真央の心はこの二つの思いの中で振り子のように揺れ動く。幾度のなく繰り返された葛藤が再び真央に襲いかかっていた。
いくら考えてもどれが自分にとって正しい答えなのか自信が持てない。口を突いて出るのはため息ばかりだ。
すると、来店を知らせるカウベルが鳴り響く。真央は思考の波から意識を引き戻す。そこに立っていたのは雨水だった。

「いらっしゃいませ」
「こんばんは」
「雨水先輩……」
「今日は珍しい客を連れてきたんだ」

そう言って雨水は連れの客に入店を促す。現れたのは今まさに考えていた別れたはずの恋人・一之瀬潤だった。

「一之瀬君……」
「望月……」

お互い動揺を隠しきれない。真央にとっても潤にとっても初めての恋人であり、初めて体を重ねた相手でもある。
二人の恋の顛末を知る雨水は肩を竦め苦笑いを零す。

「いつもの席に座っていいかな?」
「あ、はい……」

雨水は勝手知ったるかの如く、カウンターのスツールに腰かける。潤も後に続き、隣に腰を下ろした。

「雨水先輩は何にします?」
「まずは泡かな」
「わかりました。 一之瀬君は?」
「俺、酒に詳しくないから……」
「そうなの?」
「そう言えば、潤は酒に弱かったな」
「うちは下戸の家系なんです」
「あれ? 雫はザルだったはずだが」
「あれは母方の水池が酒豪ぞろいなんですよ」
「なるほど。 酒に関してだけは向こう水池の血を強く引いたという訳か」
「そうだと思います」
「なら、真央ちゃん。コイツに似合いのカクテルを一つ作ってやってくれないか?」
「わかりました」

真央はバーバックからブランデーとオレンジキュラソーを取り出す。それをシェイカーに同量を注ぎ、冷蔵庫から取り出したオレンジを絞って加える。そして、慣れた手つきでシェイクするとグラスに注いだ。

「へぇ、『オリンピック』か…」
「オリンピック?」
「このカクテルの名前よ」
「ふ~~~ん」

潤はこの時知らなかった。カクテルにはそれぞれ隠された言葉があるということを……。
それを知るのはもう少し後のことである。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

Can't Stop Fall in Love

桧垣森輪
恋愛
社会人1年生の美月には憧れの先輩がいる。兄の親友であり、会社の上司で御曹司の輝翔先輩。自分とは住む世界の違う人だから。これは恋愛感情なんかじゃない。そう思いながらも、心はずっと彼を追いかけていた─── 優しくて紳士的でずっと憧れていた人が、実は意地悪で嫉妬深くて独占欲も強い腹黒王子だったというお話をコメディタッチでお送りしています。【2016年2/18本編完結】 ※アルファポリス エタニティブックスにて書籍化されました。

元カノと復縁する方法

なとみ
恋愛
「別れよっか」 同棲して1年ちょっとの榛名旭(はるな あさひ)に、ある日別れを告げられた無自覚男の瀬戸口颯(せとぐち そう)。 会社の同僚でもある二人の付き合いは、突然終わりを迎える。 自分の気持ちを振り返りながら、復縁に向けて頑張るお話。 表紙はまるぶち銀河様からの頂き物です。素敵です!

肩越しの青空

蒲公英
恋愛
「結婚しない? 絶対気が合うし、楽しいと思うよ」つきあってもいない男に、そんなこと言われましても。 身長差38センチ、体重はほぼ倍。食えない熊との攻防戦、あたしの明日はどっちだ。

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

思い出のチョコレートエッグ

ライヒェル
恋愛
失恋傷心旅行に出た花音は、思い出の地、オランダでの出会いをきっかけに、ワーキングホリデー制度を利用し、ドイツの首都、ベルリンに1年限定で住むことを決意する。 慣れない海外生活に戸惑い、異国ならではの苦労もするが、やがて、日々の生活がリズムに乗り始めたころ、とてつもなく魅力的な男性と出会う。 秘密の多い彼との恋愛、彼を取り巻く複雑な人間関係、初めて経験するセレブの世界。 主人公、花音の人生パズルが、紆余曲折を経て、ついに最後のピースがぴったりはまり完成するまでを追う、胸キュン&溺愛系ラブストーリーです。 * ドイツ在住の作者がお届けする、ヨーロッパを舞台にした、喜怒哀楽満載のラブストーリー。 * 外国での生活や、外国人との恋愛の様子をリアルに感じて、主人公の日々を間近に見ているような気分になれる内容となっています。 * 実在する場所と人物を一部モデルにした、リアリティ感の溢れる長編小説です。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。

楠ノ木雫
恋愛
 蒸発した母の借金を擦り付けられた主人公瑠奈は、お見合い代行のアルバイトを受けた。だが、そのお見合い相手、矢野湊に借金の事を見破られ3ヶ月間恋人役を務めるアルバイトを提案された。瑠奈はその報酬に飛びついたが……

ハイスペックでヤバい同期

衣更月
恋愛
イケメン御曹司が子会社に入社してきた。

処理中です...