【改稿版】十六夜はカクテルの香り

氷室龍

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本編

Americano~届かぬ思い~

Americano~届かぬ思い~

看板を持って入るとソファーでは再び潤が眠りこけていた。

「相変わらずお酒に弱いのね」

真央はつい悪戯心が沸き起こり、その頬を指でつつく。潤はむにゃむにゃと言葉にならない寝言を漏らしている。

「潤、私はもっと明日香ちゃんと仲良くしておくべきだったわ。それだけじゃない。雨水先輩や雫にもっと話していれば……。そうしたら、あんなふうに離れていくことを選ばなかったはずだもの」

真央は大学時代を思い出す。あの頃感じた胸の痛みとともに……。

学園生活に慣れてくると真央は潤の身に着けるものが気になり始めた。すべてが上質なものだった。腕に嵌める時計はロレックス。着ているシャツは手触りの良いシルク。いつしか真央は潤との相容れぬ隔たりを感じ始める。
今思えば、潤は特に意識はしていなかったんだとわかる。だが、当時の真央にはそこまで思い至らなかった。何より、それを相談する相手もいなかった。そう思っていたのだ。親友の雫は潤と同じ側の人間で、知り合って間もない雨水のこともどこまで信じて良いのか図りかねていたのだ。

「あのとき、私が遠慮なんてしなければ良かったのか?」

不意にそんな言葉が口をついて出る。気づけば頬を一筋の涙だが伝っていた。



潤との違いに気付いた真央は少しずつ潤と距離を取り始める。元々、学部が違っていたので同じ講義を受けることは少なかった。それでも真央は悟られないように慎重に単位を選んだ。
そんな真央の行動に一人だけ疑問を持ったものがいた。大学に入ってから紹介された潤の先輩・雨水顕政だ。雨水は気遣いの人であり世話好きな性格だった。加えて彼がバイトをしている先が祖父の知り合いの店『MIROIRミロワール』だという縁もあって親しくしていた。

「真央ちゃん、最近おかしくない?」
「何ですか、藪から棒に……」
「俺には君が潤から距離を置いているように思えるんだ」

真央はその言葉に体を硬くする。だが、微笑んでその言葉を否定したのだった。

「真央ちゃん、何かあったら相談するだよ」
「雨水先輩……」
「潤や雫に言いにくかったら俺にいってくれて良いから」

真央は雨水の瞳に心配の色を見て取る。そんな彼を欺くのは心が痛んだが、それでも自分を守るためと言い聞かせて聞き流したのだった。
やがて時は一年、二年と過ぎていく。この頃になると雨水も自身の就職活動に忙しくなり声をかけることも少なくなっていた。
三回生の夏休みのある日。資格取得に向けて真央は図書館で調べ物をしていた。潤はなかなか会えないこともあってそれに付き合っていた。

「なぁ、折角の夏休みなんだから二人でどこか出かけないか?」
「え?」
「いや、最近全然一緒に入れないだろ?これからはお互いに忙しくなるだろうし……」
「そう、だね」
「そうだ!」
「何?」
「前、水族館に行きたいっていってただろ。あそこに行ってみないか?」

真央はどう答えるべきか迷ったが、潤の提案を受け入れた。それはこれを【最後の思い出】にしようと決めたからだった。

夏休みも後半に入った八月のある日。真央は潤と駅で待ち合わせる。行き交う人々の中には恋人同士なのだろうか、しっかりと手を握って歩く男女が目に入る。彼らは皆幸せそうだった。自分たちはどうなのだろうか?そんな疑問が胸を締め付ける。真央は無意識に胸のペンダントを握りしめていた。

「悪い。待たせた?」
「ううん。私も今来たばかりよ」
「じゃあ、行こうか」

その日は真央のペースに合わせてくれる。潤のエスコートは完璧だった。もしかしたらこの日のために色々計画していたのかもしれない。それは嬉しくもあり苦しくもあった。

「真央、イルカショーは15:00からみたいだ」
「もうすぐね」
「折角なら良い席で見よう」

潤に手を引かれながら真央はそれに素直に従った。その旨に秘めた苦悩をおくびにも出さずに……。
イルカショーは真央の幼い頃の幸せな記憶を呼び覚ます。あのとき父に肩車されて見たそれはとても感動的だった。イルカのジャンプで跳ね上がった水しぶきが日の光に照らされてキラキラと輝く。その様子に真央は父の笑顔を、母の笑顔を思い出す。家族が一番幸せだったあのときを。気づけば真央の頬には冷たいものが伝っていた。

「真央?」
「あ……」
「泣いているか?」
「ごめんなさい」
「どうしたんだ。具合でも悪くなった?それとも…、俺、何か悪いことしたか?」

真央は激しく左右に首を振る。だが、潤の瞳には困惑の色が浮かんでいる。真央は『違うの』そう一言言うのが精一杯だった。手で口を押さえ嗚咽をこらえた。

「キャラメルマキアート、真央好きだろう?」
「潤、ごめん」
「そこは『ありがとう』って言って欲しいかな?」

イルカショーを見終わると同時に二人はフードコートにやってきた。奥のベンチに腰掛けて真央の好きなキャラメルマキアートを買ってきた潤はそのまま隣に座った。

「で、話してくれるか?」
「思い出しちゃったの……」
「思い出した?」
「お父さんが生きてた頃のこと」

潤はその言葉に何も言えなくなったようだった。かける言葉が見つからないのだろう。手にしたコーヒーのカップを見つめている。

「小学校に上がる前」
「え?」
「家族で水族館に行ったの。そのときお父さんに肩車して貰ってイルカショーを見たの。それを思い出しちゃった」
「真央……」
「家族三人で行った旅行で一番の思い出なの。あのときも日の光が水しぶきに反射してキラキラして綺麗だった」
「そっか」
「だから思い出しちゃったんだと思う」

真央はもう一度『ごめんね』と口にし、少し悲しげに笑う。だが、潤は首を横に振った。その日の帰り、ずっと潤が手を握っていてくれたのだった。



真央は潤の頬に手をやりながら囁きかける。

「潤、ごめんね。あのときの温もりをもっと信じることが出来るくらい私が強ければ……」
「そうしたら俺の元を去ったりしなかった?」
「潤、起きてたの?」
「好きな人が泣いているのに気づかずにいられるか」
「え?」

潤は手を伸ばし、親指で真央の涙を拭う。そして、ゆっくりと起き上がる。だが、酔いは覚めてはないようで左手でこめかみを押さえている。

「大丈夫なの?」
「ああ。って、言えたら良いんだけど……」
「潤?」
「飲み過ぎた」
「立てる?」
「なんとか……」

真央に支えられながら立ち上がる潤。その足取りはやはり覚束ない。そのまま真央は肩を貸して奥へと案内する。

「真央?」
「奥にエレベーターあるから上に行きましょう」
「いいのか?」
「このままここで寝たら風邪を引いちゃうから」
「すまない」

エレベーターで二階に上がった。そこは元々祖父の住居で、今は真央が改装して一人住んでいる。それでもリビングの奥にある祖父の部屋はそのままにしてある。真央はそこへ潤を運ぶ。

「少し狭いかもしれないけど、ここ使って」
「ありがとう」

潤はネクタイを解き、サイドテーブルの上に放るとそのままベッドに倒れ込む。すぐに寝息が聞こえてきた。

「やっぱり変わらないわね」

そんな様子を見ながら真央は部屋をあとにしたのだった。


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