【改稿版】十六夜はカクテルの香り

氷室龍

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本編

Hermes~旅人~

Hermes~旅人~

潤は差し込む朝日と小鳥の囀りで目を覚ます。ズキズキと痛む頭を右手で押さえながら起き上がる。そこは見たこともない部屋だった。

(ここは?)

潤は部屋を見渡す。洋の東西を問わず並べられた酒に関する書籍に文学書や図鑑など所狭しと並べられている本棚。簡素な作りの机。そこに置かれたフォトフレーム。それを手に取った潤はここが真央の家なのだと気づく。

(そうだ、先輩に連れてこられて……)

そして、自分が飲み過ぎて酔っ払い、最後は真央に助けられてこの部屋に通されたことをい出した。

「ここは真央のおじいさんの部屋か……」

そう呟いたのは顕政が『祖父の店を閉めるのが忍びなく週一回開けている』といっていたのを思い出した。何より手に取った写真には一人の老人とそれを挟むように真央と真央に良く似た女性が寄り添っていたからだ。
唐突にドアがノックされる。潤はフォトフレームを元に戻しながらそちらに視線を向ける。

「潤、起きてる?」
「ああ、今起きたところだ」

潤の返事に真央はドアを開ける。昨夜とは打って変わって柔らかい印象を受ける。それは潤が知っている真央の姿と変わらぬものだった。

「大丈夫?」
「まだちょっと頭が痛い」
「でしょうね」

真央は肩をすくめ苦笑する。自分がお酒に強くないと知っているはずの男が出されたものをどんどん飲み干したのだから……。

「そういうときはお味噌汁が良いのよ」
「え?」
「朝ご飯、出来てるから一緒にどう?」

真央がそう申し出たのに返事をするより先に腹の虫が大きくなる。一瞬目を瞠った真央がすぐにクスクスと笑い出す。それを恥ずかしさと悔しさが入り交じった様子で眉を寄せる潤だった。

ダイニングテーブルに並べられた朝食は炊きたてのご飯にわかめの味噌汁、鮭の塩焼きに卵焼きと【日本の朝食】そのものだった。二人で向かい合って席に着くとそれを食べる。

「美味いな……」
「ありがとう」

二人は特に会話をすることなく食事を済ませる。潤は作って貰ったお礼にと行って後片付けを引き受ける。それを終えると真央がコーヒーを用意してくれていた。

「潤はブラックだっけ?」
「ミルクを少しだけ入れてくれるか」

真央はマグカップを潤に渡す。受け取るとき互いの指が触れる。潤はその手を絡め取りたい衝動を必死で押さえる。それは真央も同じようだった。二人はコーヒーに口を付ける。唐突に潤が口を開いた。

「真央はあのときにはもう俺から離れることを決めていたのか?」
「え?」
「資格合格のお祝いをしたとき……」

真央はその言葉にマグカップに視線を落とす。一呼吸置いて顔を上げると潤の問いに答えるように話し始めた。



卒業を目前に控えた大学生活最後の冬。
真央は自分の思いに蓋をしてやり過ごしいた。潤とのデートも断り、クリスマスも卒論を言い訳にして一緒に過ごさなかった。潤は真央の邪魔にならないようにと気遣っていたこともあり特に何も言うことなくそれを受け入れた。やがて真央は一級建築士の資格を取り、内定も勝ち取った。

「では、真央の一級建築士合格を祝して~~~」
「「「乾杯!!」」」

大学最後の冬休みが終わった一月。雫が企画して真央の資格試験合格のお祝いを開いてくれた。その日、真央は久しぶりに潤とも顔を合わせたのだった。

「真央、遂に夢が叶うところまで来たな。」
「うん、ありがとう」
「で、そんな二人の今後のご予定は?」
「し、雫!!」
「いいじゃないの。久しぶりに会えたんでしょ?叔父さんたちには黙っといてあげるからさ」
「お前、黙れよ」

久しぶりに三人で楽しく飲んだ。雫は二次会に誘ったのだが『研修が目前に迫っているから』と断って真央は家路についた。潤が『家まで送るよ』と言ってくれたのも『逆方向だから』と断る。だから、二人は駅の改札で別れることになった。

「真央、卒業式の後のプロム」
「え?」
「勿論出るだろ?」
「うん……」
「じゃあ、それ終わったらさ。その、なんだ。話があるからさ」
「話?」
「えっと、恵比寿ガーデンプレイスのシャトー広場に17:00な」
「潤……」
「俺、待ってるから。必ず来てくれよな!!」

潤はそう言い残して走り去った。だけど、真央はその約束を果たすことはなかった。何故なら、真央が内定をもらった会社は京都の建築会社で卒業式当日には新居に入っておく必要があったから。真央は卒業式の後、プロムには出席しなかった。そして、雫にも潤にも何も告げず京都に旅立ったのだ。



「ごめんね。あの頃の私は自分に自信が持てなかった。だから……」
「真央一人のせいじゃない」
「潤?」
「俺がもっと周りに気を配っていれば状況は違ってた。要するに俺たちは子供だったんだよ」
「そうなのかな」

真央は再び視線を落とす。潤は持っていたマグカップをテーブルに戻すと、その手を取って包み込む。

「真央、少しだけ俺の話聞いてくれる?」
「え?」
「俺、卒業式のあと一晩中あそこで待ってたんだ」

その告白に真央はいつか聞いた雫の話を思い出した。

『潤、プロムの後、夜が明けるまでずっと待ってたんだよ』

真央は無意識に胸のペンダントを握りしめたい衝動に駆られる。目を閉じて深呼吸する。真央は覚悟を決めて潤の話に耳を傾けるのだった。



大学の卒業式の後、プロムの会場で潤は必死になって真央を探したが、どうしても見つけることができなかった。

「雫、真央を見なかったか?」
「ううん、見てないよ」
「そうか……」
「なに? もしかして会えてないの?」
「ああ、今朝からずっと連絡してるんだが繋がらないんだ」
「まぁ、学部も違うしねぇ」
「そうれはそうだが」

結局、潤は真央を見つけることができなかった。とはいえ、先日交わした約束がある。そう思い、潤は約束の場所・恵比寿ガーデンプレイスへ向かう。シャトー広場の片隅で潤は時計を何度も確認する。太陽が西に傾き、約束の17:00には薄暗くなり始めた。
だが、真央は現れない。潤には信じられなかった。あれ程時間に厳しかった真央が約束をすっぽかすなどあるわけがない。だから、潤は待ち続けた。
暗闇に包まれる頃、空からはポツリポツリと雨粒が落ちてくる。いつしかその雨は本降りになり、人々は急ぎ足でその場を離れていった。やがて、誰もいなくなったその場所で潤はずぶ濡れになりながらも待ち続けた。

『真央が約束を違えることなどない』

その思いだけが潤の心の支えとなり夜が明けるまでその場を離れようとしない原動力になっていた。空が白み始め、小鳥たちが囀りが聞こえる頃、女性と思われる足音が聞こえ潤は顔を上げた。だが、その足音の主は待ち望んだ真央ではなく、自分を心配して探しに来た雫だった。

「潤! あんた何やってるのよ!!」
「雫」
「叔父さんたち、大騒ぎだよ」
「そうか」
「食事の約束はすっぽかすわ、連絡は寄越さないわで……」
「なぁ」
「潤?」
「俺、振られたのかなぁ」

それだけ言い潤はその場に倒れ込んだ。次に潤が目を覚ましたのは見知らぬ無機質な部屋だった。起き上がろうとして左腕にチクリとした痛みが走る。よくみると、点滴のチューブが繋げられている。

(そうか。俺、あのまま倒れたのか)

「お兄ちゃん?」
「明日香か?」
「ちょ、看護師さん呼んでくるから!まだ、起きちゃだめだからね!!」

明日香はすごい勢いで廊下を駆けて行った。

(廊下は走ったらダメだろうが)

潤は苦笑しながら、再び横になった。その後、看護師や主治医が現れて診察を受ける。

「うん、大丈夫ですね」
「すぐに退院できますか?」
「そうですね。肺炎は起こしてないようですが、念のため2~3日様子を見ましょう。それで、退院の判断をさせてください」
「そうですか。 ありがとうございます」

母は深々と主治医に頭を下げた。潤はそのままベッドに身を横たえる。それを、困惑顔で覗く母。

「潤、何があったのかは聞かないわ」
「お袋……」
「しばらくゆっくりしなさい。先方には智さんが断りを入れてくださったから」
「親父にも迷惑かけたんだな」
「いいのよ。あなたは私たちの息子なんだから」
「俺、なんかかっこ悪いな」

そんなふうに弱音を漏らす息子の手を潤の母は優しく包む。その優しい手の温もりに潤の目には涙が溢れそうになる。それを必死で堪えその場を取り繕う。

それから1週間後、桜が舞い散る中潤は退院した。だが、家に帰ってからの潤は部屋に閉じこもるようになった。それは真央があの日約束の場所に来るつもりがなかったことを知ってしまったからだ。この夏、留学のため渡米する雫が準備の合間を縫って調べてくれた。
真央は就職先をわざわざ京都に選んだこと。敢えてそのことを自分たちに伝えていなかったこと。そして、卒業式の日に新居に入らなくてはならなかったこと。だから、潤との約束を果たすつもりがなかったこと。
それはすなわち、もう二度と俺と関わり合うつもりがないことを現していた。

「どうする?」
「どう、って?」
「真央に会いに行くのかってこと」
「会ってどうする?」
「あんたはこのままで良いの?」
「行ったところで追い返されるのがオチだ」
「でも、真央が何の理由もなしにこんな真似するなんて思えないわ。きっと何か理由があるはずよ」
「そんな理由を知ったところで真央が俺の元から去った事実に変わりはなし」
「潤!」
「放っておいてくれ。これ以上は俺が惨めになるだけだ!!」

潤は雫の提案を拒絶した。それほどまでに真央に去ったことのショックは大きかった。それから潤はしばらく荒れた。だれもが困惑し、腫れ物を扱うかのように遠巻きにしていったのだった。



「そうだったの」
「今思えば、自暴自棄になってたんだろうな。初めて味わった挫折にさ」
「潤はそこからどうやって立ち直ったの?」

真央の問いかけに潤は肩をすくめ、苦笑いを浮かべるとその後を語り始めるのだった。

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