【改稿版】十六夜はカクテルの香り

氷室龍

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本編

Brandy Flip~貴方を想う切なさ~

Brandy Flip~貴方を想う切なさ~

潤は再び話し始めた。それは自分の愚かさをさらけ出すものだが真央には知っていて欲しいと思った。そうすることで自身も真央のことを受け止めることが出来ると思ったから……。

「結局、俺は夏まで引き籠もってた」

真央は信じられなかった。潤はいつも自信にあふれていて、どんな困難にも打ち勝てる強い人間だと思っていた。だから、自分が去ったくらいでそんな風になるとは思わなかった。真央から血の気が引いていくのを感じて潤は真央の左手の薬指に口付けを落とすと苦笑いを浮かべる。

「そんなとき、海外にいる従兄が訪ねきたんだ」



それは本格的な夏を迎えた七月のこと。突然、従兄の・雅紀が潤の前に現れた。どうやら『自分たちでは俺を立ち直らせることはできない』と両親が泣きついたようだった。

「潤、入るぞ」

雅紀は潤の返事を待つことなく部屋に入る。イタリア製の高級スーツを身に纏った雅紀をスマートだがどこか威厳のある人だと思った潤。
父の上の兄・和也かずなりの長男、それが雅紀だった。潤にとって従兄である雅紀はある意味目標となる人だった。
よく見ると左手の薬指に指輪がはめられていた。長年付き合っていた恋人とめでたくゴールインしたことを思い出した。相手の女性は三浦商事の社長であり、潤の伯母・楓の夫である三浦儀一の秘書だと聞いたの思い出しながら、ぼんやりと見上げた。

「全く、何て様だ」
「……」
「潤、そんなことでどうする。仮にもお前は一之瀬家を……」
「俺がいなくても、雫がいる」
「お前、馬鹿だろ?」
「は?」
「雫一人でどうにかなるほど、一之瀬の看板は小さくない」
「……」
「そんなことよりだ!」
「?」
「雫から話を聞いたんだが」
「何を、っていうのは愚問か」
「ホントに心当たりないわけ?」

雅紀の問いかけに潤はかぶりを振った。あるわけがない。真央はいつも自分に笑顔を向けてくれていた。それなのに突然何も言わずに去って行った。潤はギュッと拳を握りしめる。すると、雅紀は盛大なため息をつく。

「雅紀さん?」
「雫の話だと、高3の冬、クリスマスの後ぐらいから真央さんだっけ。彼女の態度に違和感を覚えるようになったって言ってたぞ」
「え?」
「クリスマスに何があったんだ?」
「何って、ペンダントをプレゼントしただけだ」
「プレゼント?」
「真央の誕生石をはめ込んだペンダント」
「オイ。お前、その資金どっから出した?」
「えっと、ため込んでたお年玉をはたいて……」

それを聞いて雅紀はがっくり肩を落とした。その様子に潤は何が何だか訳がわからない。

「お前、そういうのはさ、自分で稼いだ金でプレゼントしろよ」
「それは俺も考えたけど、予算が……」
「馬鹿野郎。そんなとこで背伸びするじゃねぇ!!」
「いや、でも……」
「はぁ、彼女の不安煽りやがって……」

その言葉に潤は落ち込み項垂れる。おもむろに雅紀は立ち上がると、クローゼットの方に歩き出す。

「ちょっとクローゼットの中を見せて貰うぞ」
「いいけど……」

雅紀はクローゼットを開け一つ一つ確認し始めた。

「お前、大学へはこんなのばっか着て行ってたのか?」
「うん」
「はぁぁぁぁぁ」
「なんだよ」
「お前なぁ。こんなんじゃ逃げられて当然だ」
「は?」
「あのな。真央さんだっけ?その娘、母子家庭なんだろ?」

雅紀の問いかけに潤はこくりと頷く。

「雫の話だと高校から奨学金で通ってたって聞いたが」
「ああ、そうだよ」
「そういう家庭環境で育った人間の隣にこんなもん着た人間が立ってたら、彼女どう思うか。お前、そういうの考えたことあるか?」

その言葉に潤は頭を金槌で殴られたような衝撃を受け、そこで初めて真央が去ってしまった理由に思い至った。潤は無意識に真央を傷つけ続けたのだ。ショックのあまり潤は両手で顔を覆った。真央の心は指の間から零れ落ちる砂のように離れていってしまったのだと……。

「今更気づいたところで彼女は戻ってこない」
「ぐっ」
「だったらこっから巻き返すしかないだろう!」

雅紀は潤のが背中を強烈に叩いた。一瞬、息が止まりそうになる。突然のことに潤はむせる。

「潤、お前、彼女のことが忘れられるのか?」
「それは無理だ」
「だったら、彼女のそういう卑下する気持ちごと全部引き受けるしかないだろ?」
「雅紀さん……」
「でも、今のお前じゃそれは無理だ」

その言葉に潤はまたしてもがっくりと項垂れる。確かに雅紀の言うとおりだ。今のままでは真央のことを受け止めてやるだけの度量を潤が持ち合わせているとは思えない。

「だから、お前はルクセンブルグに来い!」
「え?」
「うちは親父が立ち上げた会社だからまだ四半世紀ほどだ。今、新規顧客を獲得するためにドイツ語圏やロシア語圏に進出してる。その為の人員を確保するのに躍起になっている」
「雅紀さん?」
「という訳で、半年だけ時間をやる」
「はい?」
「その間にドイツ語だけでいいからマスターしろ」
「えっと……」
「新規顧客を開拓するために営業に飛び回るぞ!」
「えぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「自分で切り開く力をつければ自ずと懐のでかい男になれるんだよ。うちの親父がいい例だな。あの人、いきなり会社を立ち上げたんだからな」
「ははっ、ははは」
「どうやって、資金を集めたんだか未だに謎だ」
「和也伯父さんって何者?」
「さぁ、俺にもわからん」
「断言しなくても……」
「でも、お前にとってはプラスになるはずだ」
「雅紀さん、俺、真央を守れる男になれますか?」
「それはお前の頑張り次第だ。ただ、少し時間が掛かるかもしれないな」
「それでも、俺、やります」
「その意気だ!彼女のことは雫に任せとけばいい」
「アイツ、もうすぐ留学でしょ?」
「伝手があるって言ってたし、俺も考えがあるから心配するな」

その言葉に潤は顕政の顔を思い出した。あの人なら自分たちが付き合っていることも知っている。あとは雫に任せるしかない。それに雅紀も手を打ってくれると言うのだ。今はそれを信じるしかなかった。

(俺は俺のできることをやっていつか真央に相応しい男になろう)

潤はそう決意して半年間ドイツ語を必死で習う。なんとか日常会話に支障ない程度になったその年の暮れ、ルクセンブルグに旅立った。



「そこからは必死になって働いたな。まさに馬車馬の如くってヤツだよ」
「そうだったの……」
「真央は?」
「え?」
「真央は京都へ行ってからどうしてたんだ?」
「私は……」



真央は京都へ行ってからのことを話し始める。彼女が籍を置いた建築会社は大阪に本社があり、そこの京都営業所に勤務していた。
同僚や上司は地元出身者が多く、慣れるまでにかなりの時間を要した。
就職して二年が経ち、京都の生活に慣れた頃に真央を一人の女性が訪ねてきた。

「お久しぶり」
「雫……」

それはアメリカに留学したはずの雫だった。どうやってここに辿り着いたのかと真央は思ったが、雫の実家の力をもってすれば造作もないことだったのかもしれない。

「ねぇ、どうして黙って旅立ったの?」
「それは……」
「潤、プロムの後、夜が明けるまでずっと待ってたんだよ」
「え?」
「酷い土砂降りの中、ずっとシャトー広場に立って」
「そんな……」
「熱出して倒れちゃってね。それからしばらくは抜け殻みたいになってさ」
「……」
「決まっていた就職先も断って、家に引き籠もって物凄い荒れてた。見るに見かねた従兄が自分のとこに来いって言って漸く立ち直って」
「潤――」
「今はルクセンブルグの伯父さんの会社でヨーロッパを飛び回ってるわ」
「ルクセンブルグ……」
「伯父さんがそこで会社を立ち上げているの。潤は修行のためにそこで働くことになったわ」
「そう……」
「ねぇ、そろそろ教えてくれないかな?私にはどうしてあんな別れ方を選んだのか、理解できない。潤が何か酷いことしてたんなら私がとっちめてあげるからホントのことを教えてよ」
「違う、違うの。潤は何も悪くない。悪いのは私……」
「真央?」
「身の程をわきまえず彼を愛してしまった私が悪いの」
「何、それ?」
「大学に入って気づいちゃったんだ。潤と私は住む世界が違うんだって……」
「そんなこと!」
「あるのよ。だって、彼の身に着ける物はどれもこれもハイセンスなものばかりで、私みたいな母子家庭で細々と暮らしてきた女じゃ彼に釣り合わないわ」
「真央……」

真央の悲痛な叫びに雫はそれ以上問い詰めることはなくそっと抱きしめた。その優しさに真央は嗚咽を漏らし、泣きじゃくった。

「わかった。私はもう何も言わない。でも、連絡を取り合うのだけは許して」
「うん」
「留学が終わったら一緒に美味しいお酒でも飲みましょう」

雫はその小さな約束だけして帰っていった。



「アイツ。何も言ってなかった」
「ごめん。私が潤には言わないでってお願いしたの」
「なんで?」
「自分に自信がなかったから、かな?」

どこか悲しげに笑う真央に潤の胸は締め付けられる。その儚げな姿に潤は抱きしめずにはいられなかった。

「俺こそごめん。真央のこといっぱい傷つけて……」
「ううん、そんなことないよ」
「ありがとう。真央にそう言われると今まで頑張ってきた甲斐があったと思える」

潤は真央の額に触れるだけのキスをする。真央はそれに答えるように潤の背に腕を回して抱きしめる。潤もまたそれに答える世に抱きしめ返すのだった。


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