我は竜である。名前はもう無い―古代竜と宝石騎士のほのぼのスローライフ―

十五夜草

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3日後

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 我は竜である。最近はすっかり騎士が作る食事に嵌まっているが、強大な力を持つ古代竜だ。
 騎士が作る食事はどれもうまい。特に猪の肉を野草と共に煮込んだスープは絶品だ。
 つい食が進んで一鍋平らげた結果「俺の分も残しておいてくれないか」と常にない口調でやんわりと怒られたのは昨夜のことだ。

「もっと大量に作れぬのか?
 素材が足りぬと言うのであれば、我が狩ってこよう。
 猪が五、六十頭もあれば足りると思うのだが」
「申し訳ないが、そんなにたくさんの肉が入る鍋は持ってきていないんだ。
 貴殿が人間の料理をこれほど気に入るとは、思っていなくて……」

 騎士の言うとおり、その手元にある細長い鍋は猪一頭すら入らぬほど小さかった。
 それですら騎士にとっては十分すぎるほどのスープが作れる代物だと聞いた時には、それほど少食でよく身体が保つものだと心配になったほどだ。
 もっとも、騎士の身体は人間の例に漏れず小さい故、我ならば一口で平らげてしまえるほどのスープでも充分なのだろうが。

「騎士の身体がもう少し大きければ、鍋ももっと大きかったのであろうか」
「俺が小さいのではなく、貴殿が大きいだけだと思うが……」

 精霊によって伝えられた我の独り言に、騎士がそう言って顔を上げた。
 金の髪にあしらった大粒の真珠と色の濃い翡翠を組み合わせた髪飾りが、その動きに合わせてきらりと輝く。
 たまにはシックな輝きの宝石をと思って選んだのだが、これもこれでよいものだ。濃い金色の髪が、普段よりも引き立って見える。

「……古代竜よ。聞いているのか?」
「もちろん、聞いているとも。我の身体が大きいというのであろう。
 そなたに言われずとも、分かっておる」
「それならいいが……」

 我は長き時を生きてきた偉大なる古代竜。
 この身体が他の生物よりもずっと巨大である事など生まれた時から承知だというのに、騎士は今更何を言うのだろう。

「それよりも、今日の食事はなんだ? 我はスープがよいぞ。
 ……もちろん、我はほんの一口しか飲まないとも」
「貴殿の一口は、一鍋に等しいと思うのだが……」

 そう言いつつも、騎士は手際よく肉や野草、キノコを切りわけて空の鍋に入れていった。
 串焼きの時にはそれらを串に刺して火にくべる為、鍋は使わない。鍋を使うという事は、今日の食事はスープに違いない。

 食事の支度をしている騎士の姿を見るのは、コレクションやそれを身につけさせた騎士を眺める時よりも楽しかった。
 不思議なことだ。こうして働いている時の騎士は、我が身につけさせた装飾品も白銀の鎧や兜も全て外して質素な出で立ちをしているというのに。

 騎士は我のコレクションなのだからそのままでも美しいのは当然だが、飾り立てればもっと美しくなるはずだ。
 つまりそれは、飾り立てなければその分美しさが減って、眺める楽しみも少なくなるということ。
 だというのに、我は今の騎士の方が気に入っている。

「身につけさせる装飾品の組み合わせがよくないのだろうか……ううむ。
 しかし飾り立てた姿も決して美しさが損なわれているわけではないと思うのだが……」

 考えこむ我に背を向けたまま、騎士がたき火の上に鍋を置いた。
 鍋は我が狩ってきた兎の肉―――あんなに小さな獣など食べるところがあるのだろうかと思ったが、騎士曰く兎はうまいそうだ。今から楽しみでならない―――と風と大地の精霊が摘んできた野草とキノコ、それから水の精霊が注いだ新鮮な水で満たされている。
 鍋を温める炎は火の精霊がつけたものだ。
 騎士が我のコレクションに加わって三日が経つが、この様子を見る限り騎士はすっかり我の周囲に漂う精霊達と親しくなったらしい。

 鍋が温められるにしたがって水が沸騰し、やがて肉や野草が煮え始めた。
 肉を焼いた時とは異なる香りが洞窟内を満たしていく。半刻ほど煮込んだところで、騎士が白い結晶をほんの少し鍋の中に入れた。

 最初は水晶の粉を入れているのかと思ったが、騎士が言うにはそれは「塩」と呼ばれる代物らしい。
 水晶同様に洞窟から採取出来る結晶を細かく削った「調味料」なのだという。
 塩を入れるのと入れないのとでは料理の味が全く変わってくると聞いた時は半信半疑だったが、実際に味を確かめてそれが事実だと分かった。

 他にも、胡椒という黒い粉末を塩といっしょに入れることもある。
 その時は初めて串焼きを食べた時のようなぴりりとした刺激が加わって、これもまたうまい。
 どうやら人間は、食事に関しては古代竜より深い知識を持ち合わせているらしい。
 まさか、この年になって新たな知識を得ることになろうとは思わなかった。

 塩と胡椒を入れて少し煮込んだ後、騎士が自身の器に取り分けたスープを一匙飲んで「よし」と頷いた。完成したようだ。
 鍋に入ったスープが我の前に置かれ、騎士がその少し手前の岩に腰掛ける。

「食べてくれ」
「うむ、貰おう」

 出来たてのスープは温かく、中の食材はどれも柔らかに煮込まれていた。
 中でも兎の肉は絶品だ。塩気と独特の風味がちょうどいい。
 鍋の中身をぺろりと平らげると、まだ器の中のスープをすくっていた騎士が「相変わらず早いな」と苦笑いを浮かべた。

「猪もよかったが、兎もよいものだな」
「それはよかった。俺は猪よりも兎が好きなんだ」
「そうか。では、明日はもっと狩ってこよう。
 あれほど小さい兎なのだから、千羽は必要だろうか」
「……貴殿の分も含めて、三羽くらいでいい。
 毎日そんなに狩ったら兎が絶滅するし、何度も言うが鍋に入りきらない」

 そう言われて、先ほど中身を平らげたばかりの鍋を見下ろした。
 ううむ。この鍋がなくてはスープは作れぬが、鍋のおかげで僅かしかスープが飲めぬとは……。
 なんとも歯がゆいものだ。

 どうにかして鍋を大きく出来ぬかと先祖代々の知識を漁っていると、ようやくスープを食べ終えた騎士が器を置いた。
 水の精霊が清めた鍋と器を荷物にしまい、たき火の後始末を手早く終えていく。
 それが終われば、後は騎士を飾って眺める時間だ。今日は何を身につけさせようか。

 長年収集してきた数々のコレクションを眺めながら、騎士に似合いそうな装飾品を探した。
 大粒のエメラルドをあしらったブローチにグリーンガーネットのティアラ、銀の台座にペリドットをはめ込んだ指輪と緑のトルマリンのチョーカー……。
 いや、大粒のグリーンダイヤモンドをあしらったものの方がよいか。

「悪いが、宝石を身につけるのはもう少し後にしてほしい」
「まだ食事を作るのか?」

 騎士が宝石や装飾品を身につけないのは、食事を作る時と眠る時だけだ。
 それはこの三日間で我も学んでいる。
 しかし、騎士は我の問いかけに「いや」と小さく首を横に振った。

「作るのは食事ではなく、風呂だ」
「ふろ? ふろとはなんだ」
「身体を洗って清める場所だ。沐浴場、水浴び場と言ったほうが分かりやすいだろうか」
「精霊に清めさせればよいであろう」

 古代竜たる我も、他種族が水を浴びて身体の汚れを洗い落とすことは知っている。
 しかし、水の精霊がいればそのようなものは不要なはずだ。
 我はこれまでずっと精霊に身体を清めさせてきたし、それで不便を感じたことはない。
 一度だけ水浴びというものをしてみたが、鱗の奥に入った血や泥を落とすのに難儀した故、それからは常に精霊の力を使っている。

 騎士も同じようにして身体を清潔にさせているので、不便はないはずだった。
 我の鱗でさえ、この純白の美しさを保つ為には血や泥を清める必要があるのだ。まして、人間などいうまでもない。
 騎士の美しさを保つ為にその辺りのことには気を遣ってきたから、問題はないと思ったのだが。

「確かに、精霊の力を借りれば身体は清潔に保てる。
 ただ……長年の習慣のせいか、どうしても風呂に入りたい」
「ふろとは、それほどよいものなのか?」

 人間が食事に関して深い知識を持っていることはもう知っている。
 その風呂とやらも、我が知らないだけでよいものなのかもしれない。
 そう考えて尋ねると、騎士は「ああ」と力強く頷いた。

 風呂とは温かな湯を浴びたり、時にはそこに浸かったりするものらしい。
 そうすることで身体の汚れが落ちるだけでなく強張った身体の筋肉もほぐれ、心身共に癒されるのだと言っていた。

 ……ううむ。気になる。

「我も入るぞ」
「……貴殿が入れる風呂を作るだけのスペースは、ここにはない。風呂を作るには、地面に穴を掘る必要があるんだ。
 俺だけなら、向こうに地面だけのスペースがあったからそこを使おうと思っていたんだが」

 そう言って騎士が指さしたのは、これまで気に留めてもいなかった洞窟の片隅だった。
 あの一画は他と比べて水晶があまり存在せず見劣りがしたため、コレクション置き場として使用していなかったのだ。
 確かに、あそこに穴を掘ったとしても我は足一本すら入れられぬであろう。
 騎士だけなら確かに十分な広さかもしれぬが、我にとってはさほど広くない洞窟の更に片隅に過ぎぬのだから。

「では、洞窟を広げよう」
「洞窟を? それは……大丈夫なのか」
「これまではこの広さで満足していた故に拡張していなかっただけで、猶予は充分にある。
 大地の精霊に広げさせれば、問題あるまい」

 さすがに、我が直接力を振るったのでは洞窟自体が壊れてしまいかねん。
 そう説明すると、騎士は「それならよかった」と胸をなで下ろした。
 ……我はそれほど信用がないのだろうか。

 大地の精霊に洞窟を拡張することを伝えると、精霊達はどこか嬉しげな声を上げて先ほど騎士が言っていた洞窟の片隅へと飛んでいった。
 程なくして、精霊達が集まった壁が音を立てて崩れ、その先に今いる洞窟よりやや小さな空間が生まれる。
 我は殆ど身動きが取れぬであろう広さだが、まあよしとしよう。

「すごいな、精霊の力は……」
「この洞窟は魔素が多い故、精霊達の力も強まるのだ。
 それに、大地の精霊達は張り切っていた様子だったからな。恐らく、力を振るう機会が出来て嬉しいのだろう。
 して、次はどうするのだ」
「ああ、次は……」

 騎士の言葉に従って大地の精霊が地面に穴を掘り、水の精霊が水を溜め、炎の精霊がその水を温めると、広い湖のようなものが出来上がった。
 風の精霊が空気の循環を調整しているため、コレクションが置いてあるこちら側からはそれ以上のことはよく分からぬ。
 湖にしてはずいぶんと浅いが、これでいいのだろうか。

「泳ぐわけでないから、これで十分だ」

 そう言って、騎士が出来たばかりの「風呂」なるものがある空間へと歩いていった。
 我もその後に続いて風呂がある空間へ足を踏み入れると、暖かく湿った空気が全身を包み込んだ。
 雨が降った時に洞窟を満たす空気と似ているが、暖かいせいか不快さはない。
 むしろ、心地よささえ感じるから不思議なものだ。

 これまで感じたことのない空気を堪能していると、騎士が服を脱ぎ始めた。
 雪のように白い肌が今までみたことのない部分まで露わになる。
 これはなんとよいものだろう。

「……ああ、やっぱり気になるか?」

 我の方を振り向いた騎士が、苦笑いを浮かべて身体をさすった。
 うむ、と大きく頷いて「思っていたとおり、そなたは全身が白いのだな」と伝えれば、騎士の青い目が困惑した様子で我を見上げる。
 それを聞きたいわけではなかったのだろうか。

「いや……そうではなくて、傷だ」
「傷?」

 言われてみれば、騎士の身体はあちこちに傷が散らばっていた。
 大小様々だが、どれも既に治っているものばかりのようにみえる。
 ……まさか、人間は治った傷によっても命を落とすことがあるのだろうか。

 そう尋ねると、騎士は「それはない」と首を横に振った。
 いくら小さくか弱い人間とはいえ、さすがにそこまで弱くはなかったようだ。

「俺は、貴殿のコレクションなのだろう。
 そこに傷があると、気になるものかと思ってな」
「傷によって、美しさが損なわれるとは限らぬ。
 むしろ、色や大きさの方が我にとっては重要だ」

 エメラルドのように傷があって当然の宝石もあれば、バロック真珠のように歪な形がかえって美しいものもある。
 それに、長い年月を経てきた装飾品についた傷というのも趣深いではないか。どのようにこの傷がついたのかと想像を巡らせる余地がある。
 もちろん、我のものになったからには傷がつかぬよう大切に保管するが。

「そうか。それなら、よかった。
 傷があるならいらない、王笏を返せ……などと言われたら、どうしようかと考えてしまった」
「まさか。そなたが我のものであり続ける限り、既に渡したものを寄越せとは言わぬ。
 もちろん、王笏の持ち主がいなくなるようなことがあれば話は別だが」
「……その日が遠いことを祈るよ」

 そういって、騎士が湖……もとい風呂に浸かった。
 目を閉じて風呂の縁に身体を預けている姿は、なんとも言えず心地よさそうだ。
 では、我も早速入るとしよう。

 おそるおそる風呂の中に手を浸けると、ほどよい温度が伝わってきた。
 肌を焼くほどではなく、しかし冷たくはない。ずっと浸かっていたいくらいの心地よさだ。
 両手足を入れたあと、騎士を踏みつぶさぬようゆっくりと腰を下ろす。

「おお……これは、よい」

 全身を湯に浸すのは、なんとも言えず心地よかった。
 これまでは気がつかなかったが、いつの間にか身体が冷えていたのだろう。
 湯の温もりが全身をじんわりと駆け巡り、力が抜けていく。
 身体を綺麗にする効果はともかくとして、娯楽として風呂はいい。

「風呂は、よいものだな」

 目を閉じてそう呟くと「そうだろう」と騎士の微かな声が聞こえた。
 出来ることなら、いつまでもこうして浸かっていたい。

 その後、風呂上がりに飲んだ冷たい水が普段の数倍うまかったことは、次代に伝えるべき大切な記憶として残しておこう。
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