traitor

静寂千憎

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1話

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 それを口にした瞬間、彼の表情が強張った。次第に顔が青ざめていく。
「嘘だろ……? あの裏切り者トレイターか……?」
「そっちだと分かるのか」
 身体が、声が震え、動揺している様子のジオンに対し、アルエは不服そうだ。
「しかし、いつ聞いても不名誉な呼び名だな。私は誰も裏切っていないのだが」
 魔法は自分の魔力を消費することで使うことができる。自分の身を守るため、日常生活を便利かつ円滑に過ごすためなど、用途はさまざまだ。
 彼らが使える魔法には種類が二つある。
 一つは『通常魔法』――学校教育で教わる一般的な魔法だ。火や水、雷、風など、属性は数え切れない。さらに初級、中級、上級、最上級の四段階に分かれていて、級が上がれば上がるほど魔法の威力は高まる。同時に消費する魔力も多くなる。
 もう一つは『個別魔法』――ひとりひとりが生まれながらにして持っている魔法だ。努力次第で己の糧にできる通常魔法と違い、他者の個別魔法を身につける術はない。個々が一つだけ有する、特別な魔法なのだ。
 そして、裏切り者トレイター――この世界において、知らない者はいないと言っても過言ではない。その割に姿を見たことがない者の方が多いがゆえに詳細は知られていないが、もっとも有名にして恐れられているのが裏切り者トレイターの使用する個別魔法だ。
 個別魔法――『使役』
 名を呼んだ者を強制的に召喚し、従わせる。魔物であろうが人間であろうが、制限がない――最強にして、最凶であり、最悪の存在。
 本来であれば人間は魔物と契約を結び、使い魔として使役する。使い魔の魔力や能力を借りながら、生活や戦闘の一助としていく。
 裏切り者の個別魔法は、その前提条件の上に成り立っている世界の理を根底から覆しているのだ。
 だから、人々は恐れる。使いようによってはすべてを意のままにできる魔法を。
「まさか……『使役』されたっていうのか? 俺が……?」
「ご名答」
 アルエは涼しい顔でうなずいた。
 最強にして、最凶であり、最悪の存在だと謳われている者が目の前にいる。もしかして悪夢でも見ているのではないかと、そうであれば早く覚めろとさえ願っても仕方のない状況だろうが、紛れもなく現実だ。その実感が湧いたのか、血の気が引いていくジオンの顔は、誰の目から見ても絶望に満ちている。
 にもかかわらず。
「というわけで、これからよろしく頼む」 
 アルエは、さも当たり前かのように手を差し出す。ジオンは「ふざけんな!」と払い除けた。
「いきなりそんなこと言われて『はい、そうですか』ってなるわけねぇだろ! 俺にだってやらなきゃならねぇことがあるんだよ!」
 絶望を通り越しての怒りか、はたまた悪あがきか。今にも噛みつきそうに吠えていた彼は
「それって仕事のこと? それとも――復讐のこと?」
 割って入ったイリアの言葉に、ピクリと反応した。
「かわいそうにね。家族を殺されたなんて」
「……てめぇ。なんでそれを」
 ジオンはイリアを睨みつけた。それは本来、初対面の相手は知る由もない内容だ。本人が誰にも話してなければ尚更のこと。イリアは淡々と続ける。
「個別魔法よ。私の目には、ありとあらゆる『情報』が見えるの」
 個別魔法――『情報読取じょうほうどくしゅ
 読んで字のごとく、目に映した相手の『情報』を読み取る魔法だ。名前、出身地、家族構成などの基本的な情報や、個別魔法、魔力の強さ、使い魔などのステータスに留まらず、過去や思考も『情報』に含まれる。
 その個別魔法を以てなら、どこかですれ違ったときに名前を把握することも、出逢って数分で過去を言い当てることも可能だ。
「ま、私はアルエに頼まれてあんたを見ただけだけどね」
「お前もこいつに『使役』されてんのか」
 余裕ある態度が憎たらしかったのだろう。ジオンは皮肉のこもった口調で言い放つ。
 人として屈辱的なことをされているくせに、抵抗することもなく仕えている。
 そこにお前のプライドはあるのか?
 一言に込められた言葉の意味が、意図が――思考を読めるイリアには嫌というほどに伝わってしまう。彼女はあからさまに顔をしかめ、ジオンを睨みつけた。
「お前、じゃない。イリア・スミリットよ」
 両者の間で火花が散っていてもおかしくない雰囲気に、アルエは見かねて「喧嘩はよしたまえ」と仲裁に入る。
「イリア。相手の過去をむやみに言い当てるものではないよ。それと、ジオン。私に『使役』されたからと言って、四六時中行動が制限されるわけじゃあない」
 そっぽを向いて鼻を鳴らすイリアに対し、ジオンは「あ?」と先程までイリアに向けていた眼光をアルエに移す。それに臆する様子もなく、説明は続く。
「必要になればこちらで呼び出す。そうすれば、君がどこにいようと自動的に私の前に召喚される。それまで君は自由だ。家で寝ていようが、武器屋で働いていようが、因縁の相手を探そうが、我々の知ったことではない」
 自由という言葉を選んではいるが、実際のところは口先だけだ。結局のところ、どこで何をしていようと呼び出されれば強制的に中断せざるを得なくなる。すべてはアルエの気分次第。
 ジオンは「たちわりぃ」と舌打ちをした。
「てか、そこまで調べたのかよ」
「調べたというより、見抜いてもらったんだよ。そこにいるイリアにね」
 アルエはイリアを一瞥する。彼女は「ジオンの能力に目を付けたのはアルエだけどね」と仏頂面だ。ジオンは吐き捨てるように
「どこで俺の存在を知ったかは知らねぇが、こうも詮索されるのは気分がわりぃな。そもそも、なんで俺なんだ」
「なんで、というのは?」
「どうせ他にも『使役』している奴がいるんだろ! 手駒は腐るほど持っているくせに、なんで今さら俺が『使役』されなきゃならねぇんだ!」
 裏切り者トレイターは個別魔法を使ってたくさんの人や魔物を従えているらしい。
 いやはや、国王直属の部下を使役しているらしい。
 それゆえに、常に命の危機にさらされ、正体を隠して生きているらしい。
 真偽も真相も不明なまま、噂はただただ飛び交っている。
 おそらく色を付けながら。おそらく尾ひれをつけながら、大袈裟に膨らみながら。
 しかし、それらはどれも真実であったとしても誰も驚かないであろうものばかりなのだ――裏切り者やつなら、やりかねないだろうと。
 仮に噂が事実なら、今さら何故と疑問を抱くのも仕方がない。
 アルエは呆れたように大きく息を吐く。
「ガラクタを腐るほど集めるはずがないだろう」
「あ?」
「こう見えて私は命を狙われている身なのだよ。だから、身を守るために個別魔法を使っている」
 命を狙われているのは事実だったか。しかし「身を守るため」という理由が釈然としない。手駒が多ければ多いほど、謀反に遭う可能性も高くなるはずだ――というジオンの思考を読み取ったイリアが説明を加える。
「アルエはボディーガードとして人間を『使役』しているの。アルエを殺せば『使役』されてる人も道連れ。だから裏切られる心配もない――誰だって、自分はかわいいでしょ?」
「だが、むやみやたらに『使役』するつもりもない。どうせ守られるなら、こちらも選りすぐりをしたいのだよ」
「つまり、あんたはアルエに選ばれたってこと」
 名前を知ることで『使役』ができるアルエ。
 しかし、相手の名前を把握するのはともかく、個別魔法などのステータスを聞きだすのは容易ではない。会話を交わせばボロが出る。万が一、相手に素性を察されてしまえばプロフィールを教えるどころか、その場で殺されてしまう恐れだってある。
 そこで――見ただけで名前を知ることのできるイリア。
 彼女にかかれば、会話を交わすことなく必要な情報が手に入る。どんな人間でも選び放題というわけだ。
 ジオンは「とんだ貧乏くじを引いちまったな」と悪態をついた。「貧乏くじですって?」とイリアが皮肉交じりに復唱する。
「むしろ当たりくじを引いたんじゃないの?」
「あ?」
「アルエのそばには私がいる。言ったでしょ、私は相手の『情報』を見れるの。あんたの過去を読み取れば、復讐相手の情報に繋がる手がかりを見つけられるかもしれない。ま、協力するかどうかはあんたの態度次第だけど」
「はん。誰がてめぇの力なんか借りるかよ」
 ジオンは鼻で笑って吐き捨てた。
「これは俺の問題なんだよ。協力なんか頼むつもりもねぇし、お前なんかに媚びへつらうつもりもねぇ。勝手に口出ししてくんな」
「へぇ。不毛ね」
 イリアの嘲るような口調に、ジオンのこめかみに青筋が走った。「あ?」と聞き返した声音に怒りがこもる。もう一回言ってみろ、と圧をかけるように。それに動じることなく、口調を変えることなく彼女は続けた。
「意地でも自分の力で復讐するって? それで何年見つけられずにいるわけ? 変なプライドが邪魔しちゃってかわいそう」
「何年かかったって見つけ出してやんよ」
「見つかる前に寿命で死ぬのがオチね」
「んだとゴルァ!」
 ドスの利いた低い声にも、巻き舌にも、イリアは微動だにしなかった。一歩も引かず、まばたきをすることもなく。変わらない挑発的な態度に、ジオンの表情がさらに歪んだ。アルエが「こらこら」と仲裁に入っていなければイリアにつかみかかっていただろう。
「喧嘩はよせとさっきも言ったろう」
「そうですよー。仲良くしましょうよー」
「うるさいわね……って!」
 唐突な展開だった。
 イリアの隣に、見知らぬ少年が立っていたのだ。
 あまりにも自然に。あまりにも違和感なく。
 一瞬だけでも、その存在を受け入れてしまう程に――気配すらも、感じなかった。
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