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しおりを挟む木々の生い茂る森のはるか上空を、彼女は飛んでいる。ハリボテの翼をはばたかせながら、桃色の長い髪をなびかせながら。向かい風に揺られてガサガサと音を立てる紙袋から買い込んだ食料がこぼれないように抱え込んだ。
一面に広がる緑の海の最深部に聳え立つ大木――の後ろに、不自然に開けた場所と、ぽつんと佇むには不自然な屋敷がある。そこへ降り立つと同時に、背中の翼装置が閉じて仕舞われた。
厳かな装飾のついでに年季も入っているであろう扉の鍵は閉まっていない。ノックしたり呼び鈴を鳴らしたりすることもなく中に入る。
玄関を抜け、廊下を通り抜けると広々とした洋間に着いた。置いてある家具はどれもアンティーク調で、部屋の中心には脚の短いテーブルと、それを囲むようにソファが置いてある。そこにメガネをかけた人物が腰をかけて読書をしていた。顎くらいまでの長さの黒髪、切り揃えられた前髪。華奢な体躯も相まって、見た目だけでは男性とも女性とも判別がつきそうにない。一見幼く見えるが、凛とした顔立ちや、まとっている雰囲気は大人のそれだった。
「ただいま戻ったわ、アルエ」
声をかけると、アルエと呼ばれた人物は読んでいた本をそっと閉じて彼女に目を向ける。
「おかえり。イリア」
イリアと呼ばれた女性は持っていた荷物をテーブルの上に乗せた。袋が倒れ、中身が一部テーブルの上に転がる。
「頼まれた物は一通り買ってきたわよ」
「ご苦労だった」
「全く、人使いが荒いっての」
肩を回してため息をつき、疲労感を表現してみたが、アルエは「なにを今さら」と涼しい顔だ。イリアはため息をまたひとつついた。
「それで、例の彼の名前は分かったかい?」
その言葉で、イリアは疲れた表情から一変し、少しだけ眉をひそめた。
頼まれたのは買い物だけではない。むしろ、それはついでだ。
彼女はゆっくりとうなずく。
「ええ。……ジオン。ジオン・スペルダイヤ」
「そうか」
アルエは満足げに微笑むと、読んでいた本を閉じてソファの上に置いた。そして脇に置いてあった、やけに分厚い本を取る。その光景を腕組みしながら見ていたイリアが問う。
「私に調べさせるってことは、そいつも『使役』するわけ?」
「愚問だな。それ以外に何が?」
手に持った本を開く。一行だけ字が書いてある以外は真っ白なページを開き、アルエは呪文のように唱えた。
「『ジオン・スペルダイヤ』」
刹那。
床に魔法陣が刻まれ、強い光を放つ。その中心に影が映った。
光が収まっていくにつれて、はっきりと姿を現していく。背が高く、筋肉質な男。彼は眩しそうに目を細め、腕で顔を覆っていたが、光と魔法陣が消えると、ゆっくりと碧い目を開ける。
「……ん? あ?」
分かりやすく戸惑っている様子の彼に、アルエは「やぁ。初めまして」と笑みを浮かべた。聞こえていないのか無視をしているのか、はたまた挨拶を返す余裕さえないのか、男はゆっくりと、舐め回すように辺りを見回す。そうすることで状況を把握し落ち着きを取り戻そうと言わんばかりに。だが、それは余計に混乱を招いてしまったようだった。
「どこだ、ここ……。なんだってこんなところに」
「まぁまぁ。落ち着きたまえよ、ジオン・スペルダイヤ」
穏やかな口調でアルエは言う。名前を呼んだのは彼をなだめるための気遣いだったかもしれないが、逆効果だったらしい。ジオンと呼ばれた青年は目を瞠る。
「は……? なんで俺の名前、知ってんだ……? 俺をここに連れてきたのはあんたらか? だとしたら、どうやって……!」
「だから、落ち着きたまえ」
「俺を今すぐ元の場所に戻せ! こっちは仕事中なんだよ!」
怒鳴ったジオンの口から勢い余って唾が飛ぶ。少量の唾液が服のシミとなって消えていく様子に顔をしかめながら、アルエはイリアに視線を向けた。
「……私の言葉が聞こえていないのかな?」
「いきなりこんなところに連れてこられたんだから、取り乱したって仕方ないわよ」
「しかしだな。こちらだって一度に訊かれても答えきれないよ」
唾のかかった部分を袖でこすると、アルエは顎の下に手を添えた。
やがて妥協したように
「ジオン。君の質問に一つ一つ答えてあげよう。まず、ここは私の屋敷だ」
「は?」
「正確には、元々あった誰かの屋敷を私が借りているのだがな」
ジオンの頭上に疑問符が浮かぶ。当然の反応だろう。なぜ、どのような理由で、どのようなメカニズムでこの場所に瞬間移動したのか……その疑問が解決しないうちから「ここがどこか」という質問にだけ答えられても理解が追いつくはずがない。
そんな彼の様子に、アルエは微塵も気づいていないようだ。
「アルエ。話が唐突すぎて理解できていないみたいだけど?」
「次に、私が誰かという質問だが……」
見かねたイリアが口を挟んだが、アルエは話をやめるどころか、咳払いをして喉を均し、襟を整えている。「あ、ダメだ聞いてない」と思わず諦めの言葉が零れる。助言すら届かないのなら放っておくしかない。
アルエはメガネのブリッジを中指でくいっと押さえると、高らかに名乗った。
「我が名はアルエ。アルエ・クロームだ」
沈黙が流れる。一同の呼吸と時計の針が動く音だけがしばらく聞こえた。
一方で、アルエは得意げを通り越して、誰が見ても腹立たしい程のドヤ顔を浮かべている。その名を聞けば万人が納得し、驚くだろうとでも言いたげに。
ジオンはしばらく頭をひねっていた。おそらく、言われた名前を脳内で反芻しているのだろう――しかし。
「いや、誰だよ」
真顔でぴしゃりと言われ、アルエはきょとんと目を丸めた。「心外だ」と表情が語っている。
「おや? 私を知らないのか。これでも結構有名らしいんだがな」
「あんたが知られてるのはあくまでも個別魔法と二つ名よ」
「ふむ。悲しい哉」
言葉の割に大して悲しくなさそうなアルエを呆れ顔で見ていたイリアは、その表情から一変し、ジオンに厳かな視線を向ける。
「ねぇ、ジオン。こう言ったらピンとくるかしら――」
裏切り者。
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