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2話
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裏切り者――アルエ・クロームに『使役』されてひと月が経った。
『四六時中行動が制限されるわけではない』
『必要になれば呼び出す』
その言葉に嘘はなかったようだ。自宅に帰ってからというもの、ジオンは『使役』される前と何ひとつ変わらない生活を送っていた。
起床する。武器屋で働く。家事や炊事をする。
その途中であの屋敷に移動させられたことなど皆無。
本来であれば喜ばしいことだ。自分の時間を拘束されない。このまま存在さえ忘れ、永遠に呼び出されずに済むではないかと期待さえしてしまう。
しかし。
ふと、使われた形跡のないキッチンとテーブルに転がる栄養補助食品が脳裏を過った。
帰る際に『創造』した食材を置き、きちんと自炊をするよう釘を刺したが、果たして実行してくれているだろうか?
仮に自炊してくれているとして、食材がなくなったあとは? またあの食事とも言えないお菓子で済ませてしまっているのでは?
そこまで考えて、首を振った。なぜ自分が心配する必要があるのか。どんな食生活を送っていようが、ジオンには関係ない。
関係ない――はずなのに。
かねてから、ジオンには面倒見がよく世話焼きなきらいがあった。両親が共働きで、年の離れた妹の世話を任されていたことが一番の理由かもしれない。また、妹が生まれる前も『自分で何でもできるように』と、幼い頃から家事や炊事は叩き込まれてきた。
だからきっと、大量の食材が入った袋を抱えてアルエたちの住んでいる屋敷の前にいるのも生い立ちや性格ゆえのものなのだろう。呼び出されてもねぇのに我ながらお人好しなもんだよな、とジオンは自身に皮肉を垂れる。
呼び鈴を押そうとして、そういえば壊れているのだったと思い出した。
だとしたら、どうやって入ればいいというのだろう。試しに玄関の扉を押すと、不用心にもあっけなく開いた。不法侵入になってしまうが仕方がない。「入るぞ」とだけ声をかけて上がり込んだ。
記憶をたどり、洋間を目指す。ひと月前に訪れたきりの屋敷は一度だけで覚えきるには広すぎた。途中、何度も別室のドアを開いては閉じてを繰り返し、やっとの思いでたどり着く。
ドアを開けた瞬間――持っていた荷物が手から滑り落ちた。
アルエが床に臥し、倒れているのが目に入ったのだ。
「クローム!」
思わず駆け寄り、抱き起こす。息はあるものの意識を失っているようだった。揺さぶり声をかけるが、微かな唸り声をあげるばかりだ。
ジオンは必死で頭を回す。
医者を呼ぶわけにはいかない。身を隠すためにこんな辺鄙な場所で暮らしているのだ。治療を施されることなく捕らえられてしまう――否、下手したらその場で殺さる恐れだってある。治療に必要な物を創るか? いや、そもそもなぜ倒れているのか原因を探らなければ施しようがない。
考えろ、考えろ。どうすればいい?
考えろ、考えろ、考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ。
そうだ。
病の原因が判明って、なおかつそれを治療する薬を出せる道具を創れば――
「あれ? ジオンさん?」
不意に声がした。見ると、二階へ続く階段からカルマが降りてきているところだった。
「いらしてたんですね!」
「カルマ! クロームが……!」
縋るように呼びかける。当然、カルマも自分と同じ、否、それ以上の反応を示すと思っていた。しかし、彼は慌てる様子も表情を変えることなく悠然と階段を降りながら
「あぁ、三日前からそうですよ」
「……は?」
言葉を失った。が、言いたいことが次々と浮かんでくる。ジオンは勢いに任せてそれを吐き出した。
「いやいやいやいや! 三日間ずっと放置してたのかよ!? 倒れてんのに!?」
「でも放っておいていいってイリアさんが」
「本当に放っておく奴があるか馬鹿! つーかスミリットもなに言ってやがんだ!」
「何よ、騒がしいわね」
噂をすれば影。
イリアが鬱陶しそうに階段から顔を出す。ジオンと目が合うと、げんなりとした。
「ジオン、来てたの?」
その視界にアルエの姿は映っているはずだ。にもかかわらず、イリアの反応は変わらない。まるで、アルエがそこにいないかのように。
「おい……。クロームが倒れてんぞ」
探るように告げる。
すると
「? ええ」
なんでもないことのように階段を降りてくる。あまりの呑気さに、ジオンは怒りさえ覚えた。
アルエがここで死んでしまえば『使役』されている者も道連れになる。
最後に会ったときにイリアがそう説明していた。
自分の命が惜しくはないのか。必死こいてでも助けようとするべきところじゃないのか。
勢い任せに口を開こうとする前に、イリアは言う。
「だっていつものことだし」
「はぁ!? どういう」
刹那。
どこかで腹の虫が鳴いた。それまで騒いでいたジオンは思わず黙った。
自己主張の激しい虫の鳴き声はアルエの腹から聞こえてきた。
同時に、騒ぎに起こされたのか、唸りながらうっすらと目を開ける。
嫌な予感がして、ジオンは思わず尋ねた。
「クローム……最後に飯食ったの、いつだ?」
答える声はひどくか細かった。
「確か……二週間前だったか」
「そこに座れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
ジオンはソファにアルエを投げ込み、落とした荷物を拾い上げると
「キッチン借りるぞ!」
返答を聞く前にキッチンに吸い込まれていった。そして、ふと思う。
……このくだり、前もやったな、と。
意外にも以前置いていった食材が残りわずかになっていた。コンロもシンクも使った形跡がきちんとある。言いつけ通り自炊してくれていたのだろうと、ジオンは安堵する。
数十分後。
残っていた食材と買ってきた食材を使って作った料理をテーブルへ置く。ソファに寝転がるアルエを抱き起こし、スープを口に運んだ。ひとくち、ふたくち。何度かそれを繰り返していると、半開きだった目が次第にはっきりと開いてくる。しばらくすると、箸やスプーンを持てる程度の体力は取り戻したようだ。自分で食べ始め、ものの数分で皿の上の料理を空にした。
ソファの上で片膝を立て、頬杖をついていたジオンはぶっきらぼうに問う。
「なんだって、こんなことになったんだ? 自炊はしてたんだろ?」
「はい!」
カルマが元気よく手を挙げた。
「料理なら僕が!」
刹那、アルエとイリアが硬直する。
「人に振舞ったのは初めてだったんですけど、思ったより高評価でよかったです! でも、アルエさんもイリアさんも途中からご飯食べなくなっちゃって……」
無邪気に話すカルマに対し、段々と青ざめていくふたりの表情――嫌でも何があったかを察してしまう。ジオンはイリアに近寄ると耳元で囁いた。
「おい。なんでお世辞なんか言いやがった?」
「だって……。あんなに目をキラキラさせながら『どうですか?』なんて訊かれたら『不味い』なんて言えないじゃない……」
目を逸らしながら消え入るような声を出す彼女の手は震えている。回想だけでここまで震え上がらせる料理がどんなものかいささか気にはなったが、実際に食べてみようという探求心はさすがにない。心の底からふたりに同情した。
ふと、イリアが我に返る。
「ていうか、耳打ちしないでってば。気持ち悪い」
「んだとコラ」
ひっそりこっそり火花を散らせているイリアとジオンをよそに、
「あぁいや、私は仕事が忙しくてね」
アルエがばつが悪そうに頬を掻いた。
「……あ? 何、お前。仕事してんの?」
「当たり前だ。働かなければ生活できないだろう?」
さも当然かのようにアルエは言う。ジオンにはそれが意外で仕方がなかった。てっきり、従者が稼いできた金で生活しているのだろう思っていたのだ。裏切り者と呼ばれ命を狙われている身なのだから、表立って働けるわけがないだろうと。
だとすれば、何かしらの裏組織に所属しているのか――
「原稿の締め切りがもうすぐだったんだ。だから飲まず食わずで仕上げていた」
ジオンの推測を断ち切るように、アルエはおもむろに本を開いた。
そして高らかに唱える。
「『アイリス――」
言い終える前に、不意にひとりの女性が現れた。赤い髪のショートカット。小柄な体躯。
ジオンとカルマは突然現れた彼女に目を丸めた。対してイリアは一瞥しただけ、アルエはそっと本を閉じる。
「来たか、アイリス」
アイリスと呼ばれた彼女はアルエと目が合うや否や
「原稿取りに来ましたけど、できあがってますか? トレイ先生!」
「……トレイ?」
「……先生、だぁ?」
カルマとジオンが首を傾げる。その声に気づいたアイリスがふたりに笑顔を向ける。
「あ、初めまして! 新しいアシスタントさんですか? 私、トレイ先生の担当編集者のアイリス・アイネと申します!」
状況が理解できないまま、カルマとジオンはとりあえず自己紹介をする。
「あの……トレイせんせーって、アルエさんのことですか?」
戸惑い気味にカルマが尋ねると、アイリスはきょとんとしながら
「トレイ先生、このおふたりにはまだ教えていないんですか?」
「ああ、訊かれなかったからね。いい機会だ。ふたりに伝えておくとしよう」
アルエは得意げに顎を突き上げた。
「トレイ・TR・ローリエ――私のペンネームだ。職業は作家だよ」
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