traitor

風音万愛

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2話

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   *   *   *


 食器を洗いながら、ジオンはアルエとアイリスが原稿に向き合っている姿を眺めていた。
「ねぇ。なんでアルエが食べたあとを私たちが片づけなきゃいけないわけ?」
 イリアが口を尖らせる。広いシンクを活用し、ジオンが洗った食器をカルマがすすぎ、イリアが拭いて片付ける、という作業を行っているところだ。
「仕方ねぇだろ。クロームは仕事してんだから」
「それにしても、知ってます? トレイ・TR・ローリエって」
 カルマが皿をすすぎながら訊く。キッチンからアルエたちが座っているソファまではそこまで距離が遠いわけではない。もしかしたら本人に声が届いている可能性がある。ジオンは無意識に声を潜めて答えた。
「いや……知らねぇ。俺、本とか読まねぇんだよ」
「ですよねー! 僕も知らないです!」
 無邪気に元気よく同調するカルマを、肘で小突いて制止する。もし聞こえてしまっていれば、さすがにいい気はしないだろう。ジオンはアルエをチラリと見て反応を伺ったが、集中しているのか気づいている様子はなかった。
「まだマイナーな方なんじゃない? 有名な賞を取ったわけじゃないみたいだし」
 同じく、イリアも声量を変えることなく言う。
 それにしても、とジオンはアルエの後ろ姿をまじまじと見つめた。
 作家とは、粋な職業選択をしたものだ。
 ペンネームを使えば実名を隠せる。顔を出すわけでもないから身を隠しながら活動ができる。問題は、編集者との関わりだが――本を開きながらアイリスを呼び出そうとしていた辺り、彼女のことも『使役』しているのだろう。
 しかし、アイリスの態度は『使役』を強いられた被害者のものではなかった。
「トレイ先生。このクライマックスのシーンなんですが……このままハッピーエンドに進めていくよりも、もうひとアクション加えた方がいいと思うんです。もうひとつ泣きの展開を入れたらどうでしょう?」
 はっきりとした物言いは仕事人のそれだ。アルエは言い返す。
「何を言う、泣きの展開なら散々入れたじゃないか。これ以上はストーリーとして、くどくならないかい?」
「しかし、このままではいまいち盛り上がりに欠けると言いますか、ほのぼのしすぎていると言いますか」
「これまでが殺伐としていたんだ。結末くらいほのぼのしている方がちょうどいい」
「ですが、読者がこの話に期待しているのは『ハッピーだけど胸にわだかまりが残る終わり方』なんですよ」
「私の好みではないな」
「読むのは読者さんです」
「書くのは私だ」
 話し合いがだんだんと言い合いになっていく。ふたりの間に火花が散るのが見えた。
 ジオンは早々に食器をすべて洗いカルマに渡す。シンクを離れ、食器棚からティーカップとソーサーを探して取り出した。即座にイリアが目くじらを立てる。
「ちょっと! 洗い物増やすつもり!?」
「茶ァ出すだけだっての」
 奥からティーポッドを取り出し、食器棚の扉を閉める。
「紅茶はどこだ?」
「そんなもの、あると思う?」
「だよな……。買っといてよかったぜ」
「用意周到ね……」
 イリアが呆れたようにため息をつく。食材すら置いていなかった屋敷に必要そうなものを揃えてきたのだ、少しは感謝してほしいくらいだとジオンは少しばかり沸いた怒りを抑えながら、持参した荷物から紅茶の箱を取り出した。慣れた手つきでふたり分淹れてティーカップをソーサーに乗せる。
「お前ら、落ち着け。ちょっと休憩だ」
 穏やかな口調でなだめながら運ぶ。口論に発展しかけていたアルエとアイリスは口を止め、散らばっていた原稿を集めて端に寄せた。ジオンがテーブルの上に紅茶を置くと、ふたりは大切な原稿に零さぬよう慎重にカップを持って口を付ける。ジオンは空いている席に座った。
「ずいぶん白熱してたじゃねぇか。クロームがここまで意固地になるなんて、意外だな」
「当然だろう。飲まず食わずで書き上げた大作なんだ、こだわっている部分は多い」
 飄々と答えるさまは普段と変わらず、先程のアルエが同一人物とは思えなかった。
 語気や口調を荒げていたわけではない。圧や覇気を感じたわけでもない。だが、それでも感情的になっていたことは分かる。
 アイリスもアイリスで一歩も引かず、毅然とした態度で意見していた。案外、ふたりとも頑固なのかもしれない。
「トレイ先生、またですか? 締め切り前でも最低限の食事は摂ってくださいと、いつも言ってるじゃないですか!」
 アイリスが頬を膨らませる。ちょうどそのタイミングで、食器を洗い終えたらしいイリアとカルマがリビングに来た。
「イリアさんからも先生に何か言ってあげてくださいよぉ~」
 瞳を潤ませて懇願すると、ジオンの向かい側に座ったイリアは肩をすくめた。
「言って聞くタイプに見える?」
「うぅ……確かに」
 アイリスは分かりやすくがくりと肩を落とす。
 ふたりが「いつも」と言っている辺り、アルエが締め切り前に絶食するのは毎度のことなのだろう。それを聞いてしまえば、ジオンの性が黙っていられるはずもない。
 食事は一日三食。規則正しく、バランスよく。
 それはジオンがこれまで生きてきた中で散々両親に叩き込まれ、身に染みつけてきたことだ。それゆえに気になってしまうのである。
 屋敷に住むつもりはない。しかし、自宅から通うには骨が折れる。
「なぁ、アイネ。あんた、料理とかできるか?」
 意を決して尋ねてみた。アイリスは一度首を傾げてから、何かを察したように
「できますけど、それをしにここに通うつもりはありません!」
 ぴしゃりと答えた。予想通りとはいえ、ジオンは「そうか……」と意気消沈してしまう。
「薄情ね、アイリス。あんただったらここに通うなんて苦じゃないでしょ?」
「そういう問題じゃないです! 私は担当編集者であって、メイドではありません。担当している作家さんはトレイ先生だけじゃないですし、先生だけ特別扱いもできません!」
 アイリスはぷいっと顔を背ける。ジオンはすかさず尋ねた。
「とはいえ、あんたもクロームに『使役』されてんだろ? 仕事中に呼び出されることもあるんじゃないのか?」
 アイリスが現れる前、アルエは本を開いて名前を呼ぼうとしていた。それは彼女の名前があの本に刻まれている証拠だ。
「先生には前もって私が来る日を伝えて『使役』で呼び出すことのないように釘を刺しています。『私自ら出向きますから』と」
「そうなんですか? アルエさんに呼び出してもらった方が簡単なのに」
 ジオンの隣に座っていたカルマはきょとんとしながら言う。対して、アイリスは「ちっちっち」と舌を鳴らしながら人差し指を振った。
「それが、私がトレイ先生の担当になった理由です」
「どういうことですか?」
「それを説明するには、私と先生との出会いから話す必要がありますが……いいですか?」
「わぁ! 聞きたいです!」
 カルマは分かりやすくはしゃぐ。今度はイリアが首を傾げた。
「……必要、ある?」
「どちらでもいいさ。どうせ休憩中だ。アイリス。お互いに頭を冷やそうではないか」
 アルエは紅茶を啜ると、深く息をついた。アイリスは元気に返事をすると、微笑みを浮かべながら懐かしそうに話し始めた。
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