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2話
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トレイ・TR・ローリエ。
その名前は、出版社・ネイヴィの中で大きな話題を呼んだ。
当時募集していた新人賞に応募してきた作品『殺戮城の血祭戦姫』は、世界観や設定が練りこまれているだけでなく、ストーリー構成や文章力においても文句のつけようがなかった。作者であるトレイ・TR・ローリエはネイヴィの中に――否、下手すれば出版業界に新たな風を吹かせるとさえ噂された。
当然、その新人賞では満場一致で大賞を取った――ただ、誰もが予想していなかった事態が起きた。
通常、新人賞の原稿を送る際には、原稿や表紙とは別に応募者の住所や連絡先などの個人情報を記載する必要がある。だが、送られた原稿にはそれがなかったのだ。
苦肉の策として、出版社は文芸雑誌に新人賞の結果とともに、作者に対し連絡を求める記事を記載した。
数日後、現れたのはトレイ・TR・ローリエ――ではなく、代理として派遣されたイリアだった。作者の伝言として、彼女はこう告げた。
出版にあたって、条件がある。
ひとつ、授賞式には参加ができない。
ひとつ、こちらから他の場所へ出向くことはできない。
ひとつ、担当編集者になる者がひとりで指定された場所へ来ること。
その条件を呑んだ結果――担当編集者にアイリス・アイネが選ばれたのだ。
イリアと対面した彼女は、作者への伝言を頼んだ。
「指定の場所の写真を……上空からのを郵送していただけますか? それが、そちらの条件を受け入れるための条件です」
後日、アイリス宛てに封筒が届いた。上司や同僚に見せないという更なる条件の上、郵送されたものだ。中には指示通り、上空から撮った写真が入っていた。
アポ当日。アイリスは外に出るなり、目を閉じる。直後、屋敷の前にたどり着いていた。
呼び鈴を鳴らしても誰も出なかった――否、正確には、呼び鈴が鳴らなかった。勝手にあがりこむわけにもいかず玄関の前で右往左往していると、突然開いたドアからイリアが顔を覗かせた。
目が合うなり、名前と訪問目的を告げる間もなく洋間へと案内された。イリアは、用事は済んだと言わんばかりに二階へ吸い込まれていく。テーブルを囲んでいるソファには既にアルエが座っていた。
「やぁ、初めまして。トレイ・TR・ローリエ……もとい、アルエ・クロームだ」
おもむろに立ち上がると、アルエは親しげに片手を差し出す。アイリスはその手を握って営業スマイルを浮かべた。
「初めまして、トレイ先生。このたび担当編集者になります。出版社・ネイヴィのアイリス・アイネと申します」
「こんな辺鄙な場所に遥々ご苦労だった。正直、あの条件を綺麗に呑んでくれると思っていなかったよ」
アイリスは促されるままに向かいのソファに座ると、その言葉に苦笑で返す。
「編集者全員、トレイ先生の作品を評価しているのですよ。それに、こんな辺鄙な場所だからこそ、担当に私が選ばれたのです」
「それは君の個別魔法を買われてのことかな?」
飄々と、淡々と、アルエは続ける。
「確か、個別魔法は『瞬間移動』だったか。特に第二開花している君なら、触れた物だけではなく自分自身を任意の場所へ瞬時に移動させることができる。ただ、正確に移動させるには条件があるようだね? 屋敷の写真を撮らせたのも、そのためかな?」
合っている。
確かに、正確に『瞬間移動』するためには条件がある。
移動する、させる場所を鮮明にイメージできることだ。
しかも着地点に何かしらの物体があるなしに関わらず『瞬間移動』はできてしまう――想像を誤ってしまえば、建物の壁の中に入って大けがを負ってしまう危険性もあるのだ。
だからこそ、着地点は目的地周辺の開けた場所を確実にイメージしなければならない。
でも、なぜ。アイリスは目を丸めたまま、相槌も返事もできずにいた。実際に会ったのも会話を交わすのも初めてだ。もちろん個別魔法の話をしたことはない。
反応から何かを察したのか、アルエは含み笑いをすると
「いやなに、代理の者の個別魔法でね。事前に気味の情報を得ていたのさ」
と、何でもないように語る。
なぜ、そんなことを? 何の目的で?
疑問を覚えつつ、表情からでは真意を読み取ることは難しそうだとアイリスは悟る。
それとも、やはり。
「確かに、合っています。先程、先生は『個別魔法を買われた』とおっしゃいましたが、買いかぶりすぎですよ。トレイ先生のように遠方に住んでいる作家さんも多いので、押し付けられているだけですよ」
アイリスは自嘲気味に愛想笑いを浮かべてみせた。
街で販売されている服の背中には『翼装置』が備わっているのが通常だ。これを開けば作り物の翼が出現し、そこに風属性の魔法をまとわせることで空を飛べるという仕組みになっている。ゆえに、人々はもともと移動手段には困っていないのだ。
それでも、遠方までの飛行はどうしても骨が折れる。
ゆえに、遠方に住んでいる作家はもっぱらアイリスの担当なのである。彼女なら飛行せずとも急な呼び出しの対応が可能だからだ。
「それに、翼装置があるのに無駄な魔法だとかって昔からからかわれてきましたし。派手な魔法でもないですし」
昔から、個別魔法にコンプレックスを抱いてきた。
同級生、同僚、上司、担当する作家にまで。雑談の種として揶揄され、見下されてきたのだ。きっと、この人だってそうに違いない――
「そう卑下するものではないよ。なんとも便利な魔法じゃないか」
降ってきた言葉は予想外で、アイリスは思わずうつむきかけていた顔を上げた。
「現に、大いに仕事の役に立っているではないか。使いようによっては戦闘にも活かせるだろう。汎用性が高くてうらやましいと、私は思ったがね」
決してお世辞を言っているような口調ではなかった。慰めも、同情も、微塵も感じない。
初めて、褒められた。
照れくさいような、くすぐったいような。これまでの人生であまり経験がないからか、アイリスは反応に困ってしまった。ごまかすように、持参した原稿を取り出しす。
「さ、さて。雑談はこれくらいにして、そろそろ仕事の話をさせていただきますね。先生の作品は弊社でもとても評判でした。文章もお上手で……ですが、少しばかり誤字脱字がありましたので、その訂正だけお願いしたいのですが」
「なぁ、君」
唐突にアルエが話を制す。
「名前は確か……アイリス・アイネと言ったか?」
「え? あ、はい」
「確かに本名だね?」
「? ええ、もちろんです」
戸惑いながら返事をすると、アルエは「そうか」とつぶやき、どこから取り出したのか本を開いた。
「『アイリス・アイネ』」
刹那、アイリスの足元に魔法陣が張られ光り輝いた。状況がつかめないうちに光は段々と治まっていき、魔法陣も消えていく。
何が起きたのか、全く分からなかった。念のため、目の届く範囲で体を確認してみる。しかし、どこにも変化はないようだった。
「君の個別魔法について調べさせてもらったお返しに、私の秘密について話そう。これから長い付き合いになるんだ、どのみち知ってもらう必要がある」
アルエはほくそ笑む。
「アイリス。私はね……巷ではこう呼ばれているらしいんだ」
裏切り者。
その名前が出てきた瞬間、アイリスの背筋は自然と伸びた。
知らない者はいない。ある時期から瞬く間に広まった噂だ。
個別魔法『使役』
相手を否応なく服従させる、最強にして、最凶であり、最悪の存在。
「先程、君の名をこの本に刻ませてもらった。私が呼べば強制的に目の前に召喚される」
「……もし移動手段についてお気遣いされているのであれば、間に合っています」
「知ってるさ。お気遣いとやらができる程、私は慈悲深くないよ」
ひねり出した皮肉さえひらりと躱し、アルエは口角を上げる。
「これは足枷だ。私と関わる以上、この不名誉な二つ名は切っても切り離せない。隠していたとしても、君は私に付きまとう噂を――裏切り者の正体を、いずれ知ることになるだろう。だからあえて先に伝えた。これは裏切られないための予防線だ」
おもむろに、開いたページをアイリスに見せた。一行分しか埋まっていないページには確かにアイリスの名前が刻まれている。
「私がこの名前を上から塗りつぶせばその者は死ぬ。この本を燃やしたり、ページを破ったり……もちろん、私を殺しても同じことだ。君の生殺与奪は、私が握っている――そのことを忘れるなよ」
もしもアイリスがアルエの正体を同僚や上司に話したとして。
自分が『使役』されていることを告げ、助けを求めたとして。
それを知られてしまえば、容赦なく名前を塗りつぶされる。
裏切れば、死という名の制裁を。
言葉の、口調の端々から確かに感じる。
ただの脅しではないという圧力を。
――しかし。
「要するに、これは口止めということですね?」
アイリスは毅然とした態度で尋ねた。「ああ」と短い返事が返ってくるのに数秒の間が開いたのは予想外の返事に戸惑ったからではないかと、彼女は後から思った。
深呼吸をし、うなずく。
「分かりました。先生が裏切り者であることは絶対に口外しません。担当も私以外の者が受け持つことがないよう、上に頼んでおきます」
アルエは拍子抜けしているようだった。「なんですか?」と首を傾げると
「いや、もっと驚いたり絶望的になったりするのかとばかり」
「そりゃあ少しは。ですが、私がやるべきことは変わりませんから」
この先、どうなるのかが不安じゃないわけではない。
だが、アルエ・クロームが何者だとしても。
たとえ『使役』されようと。
アイリス・アイネは出版社で働くひとりの編集者なのだ。
「あなたがトレイ・TR・ローリエである限り、一切妥協しませんからね! 作品をより良くするための指摘ならいくらでもします!」
宣言するように、はっきりと告げた。
仕事魔として。
担当編集者として。
「なので! これからよろしくお願いしますね――トレイ先生」
アイリスは微笑んでみせる。アルエはしばらくきょとんとしていたが、やがて糸がほつれたかのように微笑み返した。
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