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2話
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「……この長話、必要だった?」
話し終えてすぐにイリアが指摘した。持っているティーカップは底が見えかけている。
そもそもこの話が始まったのはアイリスがアルエの担当になった理由を説明するためだ。長々と語られたが、本来であれば「個別魔法が『瞬間移動だったから』」の一言で済む話であり、必要か否かで言えば完全に必要はない。
「えー? 僕は面白かったですよ!」
小さく拍手をしながら、カルマは心底楽しそうに笑った。
「ていうか、もしかしてペンネームは『裏切り者』をもじってます?」
「ああ、よく気づいたな。いつ気づかれるかなーとか思っていたんだが、案外誰にも指摘されなくてな」
嬉々として説明するアルエに対し「呑気だな」とジオンは呆れ顔を浮かべた。確かに、まさか本人が作家業をしているなどとは露ほどにも思わないだろう。だが、だからといってなぜ自分から危ない橋を渡りに行く必要があるのか。つくづく何を考えているのか分からない。
「アイネもアイネで『使役』されて何でここまで冷静でいられるのか、俺には謎だ……」
「あんたは取り乱してたものね」
「うっせぇ。蒸し返すな」
イリアとジオンの間で火花が散るのを、アイリスは微笑ましそうに見つめる。
「イリアさんとジオンさんは仲がいいのですね」
ふたりの「は?」が重なった。
「こんな奴と仲良し? ふざけないで」
「こっちのセリフだっての」
ジオンは眉をピクリと動かす。
それはさておき。彼はまだアルエの食習慣事情について解決法を考えていた。
アイリスの個別魔法が移動に便利なことは分かったが、先程この屋敷に通う気はないと断られたばかりだ。彼女に料理を作りに来てほしいとお願いするのは困難。その上、アルエとイリアの反応を見るに、カルマの料理の評判は悪いと思われる。
どうしたものか……。
そこでふと、疑問に思う。
「なぁスミリット。お前、料理できねぇの?」
「え」
一瞬、イリアの顔が引きつった気がした。
「……必要ないわ」
すぐにいつもの表情と口調になったために気のせいかと思ったが
「いや……必要あるかないかじゃなくて、できるかできないか訊いてんだけど」
「……できるできないじゃなくて、必要ないからやらないのよ」
明らかに目を逸らすイリアに、ジオンは畳みかける。
「おう、そうか。で?」
「は?」
「できんの?」
「いや、だから」
「で、き、ん、の、か?」
「……」
イリアは唇をかみしめて黙り込んでしまった。
いつもなら「うるさいわね!」とか言って噛みついてくるか、皮肉で返されるところだ。
からかいすぎたか? と気を衒う。
しかし、彼女は急に立ち上がると
「分かったわよ、やってやろうじゃないの! 作ればいいんでしょ作れば!」
涙目になりながらキッチンへ入っていった。ジオンはそれを目で追いかけつつ、少し罪悪感が募る。
「なぁ、クローム。あいつ、料理したことあんのか……?」
「さあ? 台所に立っているのは見たことがないね」
回答を聞いて口元が引きつった。嫌な予感と不安しかない。
「あ! 僕、手伝ってきますね!」
「やめろ! お前が加わると余計にややこしくなる!」
勢いよく立ち上がってキッチンへ向かおうとするカルマの肩をつかんで無理やり座らせる。ただでさえ、どうなるかが分からないのだ。事故に事故を重ねたくない。カルマは納得いかないと表情で語ったが、大人しく座りなおした。
アルエはティーカップの中身を飲み干すと、丁寧にソーサーに置きジオンの方に寄せる。
「ジオン、紅茶のおかわりを頼む。アイリスは?」
向かい側のカップを覗き込みながら尋ねる。アイリスは少しだけ残っていた中身を慌てて飲み干すと「私もお願いします」とソーサーごとジオンに渡した。
やれやれ、とため息をついたものの、内心は安堵していた。ティーポッドはキッチンに置きっぱなしだ。淹れ直すのも多少時間を要する。さりげなくイリアの様子を見られると思ったのだ。
もしかすると、ジオンの心情を察して頼んだのだろうか。
アルエを一瞥する。やはり表情からじゃ計り知れない――思考を読み取れるイリアでなければ。
目が合う。ほら早く、と視線が急かしている。
「分ぁったよ」
ジオンはふたり分のソーサーを手に持ち、キッチンへ向かった。
「僕も行きます!」
嬉々として着いて行こうとするカルマを「お前は大人しく座ってろ!」と全力で止めたのは言うまでもない。
* * *
ぎこちない手つきで包丁を握る。野菜の皮を剥こうとして自分の指を切ってしまい、初級の回復魔法で傷を癒す――イリアはそれを繰り返していた。
意地を張ってしまったものの、生まれてこの方、料理など一度もしたことがない。この屋敷でも求められなかった。アルエもイリアも食にこだわりがなく、最低限の栄養補給ができればそれで充分だと思っていたのだ。
料理に限らず、裁縫や掃除などの家事が総じて苦手だ。
一見、清掃が行き届いている屋敷だが、単に物を動かす機会が少ないから散らからないだけである。
生きていくためには、身を守れる程度に戦闘ができればいい。
そのために必要なスキルさえ身につければいい。
食事など腹が満たせればそれでいい。
環境は整わなくても、安全に睡眠がとれる場所さえ確保すればいい。
家事など、必要ない。
そう思って生きてきた――なのに。
――お前、料理できねぇの?
問われた際に素直に「できない」と答えていたら、こんなことをせずに済んでいただろう。しかし、同時に揶揄われもしたに違いない。できないことを馬鹿にされるのは、想像するだけでも屈辱だった。
一度「やる」と言ってしまった以上、途中で投げ出したり助け舟を求めたりするのは癪に障る。
なんでもいい。味なんかどうでもいい。
意地でも自分の力でやり遂げなければ――。
「おい」
包丁を握り直し、再び皮を剥こうとした途端に声をかけられ肩が震える。その拍子にまた指を切ってしまった。声のした方を睨みつける。両手に食器を持ったジオンが「あーあー、なにやってんだよ」と呆れ顔をしていた。
「急に声かけないでくれる? あんたのせいで手ぇ切ったじゃない」
初級の回復魔法で傷口をふさぎながら悪態をつく。こんなのは八つ当たりだと分かっている。それでも虚勢を張らずにはいられなかった。
「ていうか、何しに来たわけ」
「クロームとアイネがおかわり欲しいってよ」
ジオンは言いながら手際よく紅茶を淹れる準備を進める。
湯を沸かす。ティーポッドに湯を入れ、茶葉を蒸す。
骨ばった男の手なのに、その工程はなめらかで、手つきが綺麗だとさえ思った。見とれていると、視線に気づいたらしいジオンと目が合う。「なんだよ?」と訊かれ、慌てて目を逸らした。
「てか、俺に構わず手ぇ動かしていいぞ」
「……あんたがあっち行ったらやるわ」
精一杯の抵抗だった。こいつの前で下手な皮むきを披露しようものなら……反応は想像しなくても分かる。
「そうかよ」
ジオンは蒸し終わった紅茶をふたつのティーカップに注ぐ。それを両手に持ってリビングへと消えていった。
目の前の包丁に向き直る。包丁を握る手と野菜を持つ手が震える。刃を当てた瞬間、手から野菜が滑り落ち、床に転がる。指に痛みが走った。勢い余って先程よりも深く切ってしまったようだ。
柄にもなく泣きそうになりながら回復魔法を使う。野菜の皮むきすらまともにできない。だが、今さら「やっぱりできませんでした」と泣きつくわけには――
「おい」
再び声がした――いつもと違って優しい声だった。
一瞥すると、やはりジオンがいた。手には拾い上げたであろう野菜を持っている。それを水で洗ってからまな板の上に置いた。
「なにやってんだよ」
そう言いつつ穏やかな表情をしているジオンを、イリアは精一杯睨みつけた。そうでもしないと涙が零れそうだった。
一向に進む気配のない工程。もう、ごまかしきれないだろう。
「……お察しの通りよ。馬鹿にでもなんでもすればいいじゃない」
強がった声は震えてしまった。
屈辱だ。いつぶりくらいだろう。
だが、一度でも大見えを張ってしまった罰が当たったというなら甘んじて受け入れるしかない。唇を噛みしめた。
だが
「貸せよ、包丁」
「……は?」
飛んできたのは予想外の言葉だった。
蔑むでも、揶揄うでもなく。
「情けでもかけてるつもり?」
「違ぇよ。できねぇなら教えてやるっつってんだ」
「……馬鹿に、しないの?」
「は? そんなの、マウント取ることでもねぇだろ」
緊張の糸がぷつりと切れた。そう感じた瞬間、涙腺が緩む。
「ちょ、おい!? なに泣いてんだお前!?」
ぎょっとした顔で指摘され、イリアは慌てて涙を拭った。
「泣いてないわよ! いいから……教えてよ」
「おう。で? 何を作ろうとしてたんだよ」
「分かんない」
「はぁ!? 分かんないで野菜切ろうとしてたのかよ!?」
いつもならこの時点で噛みつくところだが、不思議とそんな気は起きなかった。自分でも驚くほどにしおらしく「うん……」と消え入る声でつぶやく。ジオンは「んー」と考えるそぶりを見せて言った。
「とりあえず……野菜炒めでも作るか」
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