traitor

静寂千憎

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3話

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 涙が完全に乾ききった。
 こいつも、周りの奴らと同じだ。
 目的のためなら手段を選ばない。人を利用するために安っぽいお世辞だろうがなんだろうが使う――それが人間だ。
「……そんなことだろうと思った。さっきのおべっかも、断る材料を奪うためって訳?」
 精一杯、平然を装った。
 傷ついてなどいない。いたとしても、おくびに出してはいけない。
 付け入る隙を与えてはいけない――
「心外だな。君なら、私の真意を分かってくれると思ったのだが。使っていなかったのか? 個別魔法」
 イリアの心臓が一度強く跳ねる。ずっとそれを躊躇っていたのを見透かされたようで。
 再び言葉を詰まらせている様子をじっと見ると、アルエは突然両手を広げてみせる。
「信じられないのなら、私の思考を読み取るといい」
「……言ったわね」
 言われた通り『情報読取』を使った。
 アルエの思考を読み取り――目を丸めた。
 本心は、先程アルエが言葉で伝えたものと同じだったのだ。
 お世辞でも、おべっかでもなく。
 純粋にイリアの能力を評価した上での頼み事。
「理解してもらえたかい?」
 微笑みはどこか優しげで、イリアは「ふん」とそっぽを向いた。
 アルエに他意がないことは分かった。
 しかし。
「……『使役』されるとどうなるわけ?」
「どうなる、というのは?」
「あんたに仕えなきゃいけないんでしょ? 四六時中一緒にいなきゃいけないわけ?」
 個別魔法『使役』の能力自体は認知されているものの、詳細まで知る者はいなかった。『使役』されるのを恐れて誰も関わろうとしなかったからだろう。
 能力も知らず、納得もしないうちから二つ返事などできない。
 否。イリアに至っては個別魔法で読み取れば済む話だ。
 だが、何故か……その口で直接、説明を聞きたいと思った。
 アルエは「いいや、その必要はない」とかぶりを振ると、脇に抱えていた分厚い本を開いてイリアに見せる。見開きのページには何も書かれていなかった。
「まず、私に『使役』された者はこの本に名前が刻まれる。以降、必要なときにこちらで呼び出すと、自動的に私の前に召喚されるという仕組みだ」
 説明をうなずきながら聴き入る反面、イリアは半ば呆れていた。
「あんたさぁ……。こっちから訊いたとはいえ、やすやすと教えるのもどうなのよ」
「む? 私に仕えるんだ。味方にはこちらの手の内を知っておいてもらわなければ困る」
「味方?」
 イリアは冷笑する――あまりにも生ぬるい発言に。
「安易に誰かを信じないことね。魔法で無理やり『使役』するっていうなら、裏切られるリスクも考えなきゃいけない。その本を取り上げられたら? 燃やされたら? そもそも――あんた自身が殺される可能性だって」
「その心配はないさ」
 彼女の言葉を、アルエはさえぎった。
「この本に名前が刻まれた状態で燃やす、もしくは書かれている名を塗りつぶすなど、無理やり名を消せば――その者は死ぬ。もちろん、私が死したとて同じこと」
 イリアの背に悪寒が走る。
「『使役』された者は、私と運命を共にする。だから誰にも裏切られないし、皆は私を必死に守ることだろう――己の命を守るために」

 だからせいぜい、私を守ってくれよ?

 アルエは浮かべた含み笑いを崩さなかった。
 その様子に、イリアは慄いてしまった。
 一心同体。運命共同体。
 その情報を得てしまえば、なおさら二つ返事はできない。
 初対面の相手に、すべてを委ねる覚悟など――
「ああ。一応言っておくが、ずっと『使役』するつもりはない」
「は?」
 厳かな雰囲気が一転し、イリアは思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
「用事が終わったら、すぐに解放するさ」
「……ちょっと、詳しく説明してくれない?」
 彼女は思わず少しだけ身を乗り出した。あまりにも予想外の付け足しだ。
 アルエは淡々と話し始めた。
「定期考査があるだろう? それの実技テスト……模擬戦に協力してほしいのだよ」
「……どういうこと?」
「そのままの意味だが?」
「いやいや……、それだけの理由ならわざわざ誰かを『使役』する必要なくない?」
「む?」
 訳が分からなそうな反応をするアルエに、イリアは戸惑いながら
「別に、模擬戦って個別魔法を絶対使わなきゃいけないわけじゃないのよ? 通常魔法を使えば対戦はできるし。どうしても『使役』したいなら使い魔契約すればいいじゃない?」
 模擬戦において通常魔法と個別魔法の両方が評価の対象ではあるが、必ずしもどちらも使わなければならないという決まりはない。通常魔法だけで戦う者もいれば、使い魔に戦闘を任せる者もいる。逆に個別魔法のみで戦う者もいる。
 それに、イリアには何故アルエが個別魔法を使うことに拘るのか疑問だった。
 イリアを『使役』せずとも、魔物を使い魔にする手伝いくらいなら協力するつもりだ。むしろ、そっちの方が手っ取り早い。彼女が『情報読取』で魔物の名前を読み取り、アルエが『使役』すれば無駄な戦闘をする必要もないのだから。
 しかし、アルエは肩をすくめる。
「それができていたら、最初からやっているさ」
「……へ?」
「私は他の者より魔力が少なくてね」
「え、嘘でしょ? 最強って言われてるあんたが?」
「最強?」
 アルエは復唱し、吹き出した。
「私は、そのように言われているのか」
「だって、成績いいでしょ? いつも首席なの、知ってるんだから」
「それは座学で点数を稼いでいるからだよ」
 定期考査の成績は、座学の点数と実技の点数を合わせたものが貼り出される。その上、魔法学校の評価は総じて加点方式。裏を返せば、どちらかの評価が極端に悪くてもどちらかの評価が突飛出て良ければリカバリーできるということだ。
 それを利用して、アルエは苦手な実技を知識で補っているのだろう。
「知識には自信があるが、実技はからっきしでね。魔力は少ないくせに個別魔法に要する魔力の消費量が多いから、通常魔法を使う余裕もない」
 なんと燃費の悪い個別魔法だろう。
 イリアは素直にそう思う。
 加えて、その説明を受けて察してしまう。
「話の流れ的に、魔物を『使役』できないのも、もしかして……」
「ああ。私はまだ『第一開花』でね。『使役』の対象が限られているのだよ。ゆえに……私には人間しか『使役』できない!」
 きっぱりと言ってのけるアルエは、腹立たしい程のドヤ顔を浮かべていた。
「いばるな」
 呆れながら言いつつ、イリアは思わず吹き出す。
 最強で、最凶で、最悪だと謳われた人間は、こんなにも最弱だったのだ。
 それでも個別魔法の能力ゆえに低能のレッテルを貼られなかった――尾ひれをつけて独り歩きした噂がのしかかるのは、幸か不幸か。
 否。
 アルエなら気にしないだろう。イリアへの評価を思い返せば一目瞭然だ。
 大きく息をつく。心にのしかかっていた枷が外れた気がした。
 周りの評価など、無意味だった。それを目の当たりにして、吹っ切れた。
「で? いつなのよ。あんたの模擬戦」
 問うと、アルエはきょとんと目を丸める。イリアは恥じらいながら付け足した。
「模擬戦の間だけでいいなら『使役』されてあげるって言ってんのよ!」
 喜びの反応を期待していたが、案外返事は「そうか」と淡泊だった。
「模擬戦は来週だ」
「対戦相手は?」
 模擬戦の前には必ずお互いに封書が届く。そこで相手の名前と顔を知らせるのだ。
「コーダ・アルスタシア。知っているかな?」
「……ああ」
 イリアはその名を聞いてげんなりとした。
 深い関わりがあるわけではないが、顔と名前は一致する。アルエに次ぐ優等生として評されている反面、裏では個別魔法が戦闘向きでない者や魔力が弱い者をここぞとばかりに見下している。大して話したこともないにもかかわらず、イリアもその被害に遭ってきたのだ。
 顔を合わせると想像するだけでため息をつきそうになるが、背に腹は代えられない。
「では、スミリットくん」
 アルエは立ち上がる。真っ直ぐな瞳がこちらを見据える。
「イリアでいいわよ。……アルエ」
 初めて名前を呼び、照れくさくなって目を逸らした。アルエが嘆息した声が聞こえた。
「分かった。では、イリア。よろしく頼むよ」
 アルエは持っていた本を持ち直すと、高らかにその名を呼んだ。
「『イリア・スミリット』」
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