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3話
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「助かったよ、イリア」
裏庭の軋むベンチに座ったアルエは、片手に持った缶ジュースを差し出した。イリアは同じく手に持った缶ジュースを差し出し、お互いにカツンと合わせる。プルタブを開けると炭酸のはじける音がした。一口こくりと飲むと、喉がちりりと熱くなる。
「あいつがあんな戦闘法なら、私は要らなかったんじゃないの?」
先に缶から口を離したイリアが尋ねると、アルエは「む?」と頭上に疑問符を浮かべた。
「あんたが言い負かせば勝てたじゃない」
「だが、とどめが刺せない」
「『使役』すれば勝ちになったんじゃない?」
「それは私の美学に反する」
「美学なんてあるの?」
イリアが呆れ顔を浮かべると、アルエは缶を座盤に置き、分厚い本を取り出して開いた。真っ白な見開きのページに、ひとりの名前だけが刻まれている。
イリア・スミリット。
ただ、彼女の名だけが。
「不必要な名前は刻まない。それが私の美学だ」
「……とか言って。あんまりたくさん『使役』しても把握できないからじゃないの?」
照れ隠しにそっぽを向いた。それは、逆に言えばそこに刻まれているのは必要な名前ということだ。
必要とされている。
そう感じれば感じるほど、自然と口元が緩んでしまう。それを悟られたくなかった。
願望通り、アルエには気づかれていないらしく
「馬鹿な。私の座学の成績を知らないわけではあるまい。記憶力には自信がある」
むっとした口調に聞こえたが、すぐにいつもの調子に戻った。
「ああ、そうだ。君の名前を解放しなければな」
本を持ち直す。
そういえば、そうだった。
この関係は、模擬戦の間だけという約束だった。
本来なら、待ちに待った瞬間のはずだ。
だが――
「『イリア・スミリット。君の名前を――」
「待って」
気がつけば、口が勝手に制していた。アルエは不思議そうに首を傾げる。
止めたイリアが一番驚いていた。しどろもどろになりながら、それでも言葉を紡ぐ。
「まだ、解放しなくていいわよ」
「ほう? 何故だ?」
「定期考査、この先だってあるでしょ? そのたび、いちいち誰かに声をかけるつもり?」
ふむ、とアルエは顎の下に手を当てる。
「言われてみれば、そうか」
「そうよ。私以外、まともに取り合ってくれないと思うわ」
「そのときは改めて君に協力を求めよう」
「だったら、そのままにしときなさいよ面倒くさい。それで好きなときに私を呼べばいいじゃない」
こんなこと、誰にも言ったことがない。一匹狼を望んでいたはずなのに。
多分、顔は火照っている。
それに気づいているのかいないのか、アルエが本を閉じた。
「分かった。今後もよろしく頼む」
そう言って、持っていた缶を差し出す。
「改めて乾杯しようじゃないか――これからの私たちに」
促すように、再度缶を差し出した。イリアはおずおずと同じ動作をする。
カツン、と軽快な音が響いた。
その後、実技の定期考査のたびにイリアは呼び出された。
そのうち模擬戦以外でもふたりは関わり合うようになった。
友人関係になったわけではない。あくまで、学校で会った際に雑談を交わしつるむだけ。定期考査の際に協力し合うだけ。プライベートには必要以上に干渉しない。
噂は相変わらず学校中にはびこっていたが、お互いに気にしなかった。
そうして、卒業の時期が来た。
「今まで世話になったな」
別れの言葉は淡泊だった。
卒業式が終わって、皆がそれぞれの帰路につこうとしていた頃。教室でも競技場でもなく、思い出の裏庭でもなく、イリアが他の学生の流れに乗り校舎を去ろうとしていたときに突然、その言葉で呼び止められたのだ。
だが、ただそれだけだった。
これまで過ごした日々を思い返すわけでもなく。
思い出を語り合うわけでもなく。
お互いのこれからを教え合うわけでもなく。
「こちらこそ」
そう返事をして、校門の前でふたりは背を向けた。
別れは呆気なく――そっけなかった。
ふと、イリアは思い出す。
そういえばあの本に名前が刻まれたままだ、と。
振り返る。アルエの姿は、もう雑踏にまぎれて見えなくなってしまった。
まぁ、いいか。勝手に解放してくれるでしょう。
わざわざ追いかけるまでもない。
イリアは踵を返した。
卒業後、彼女は自身が育った孤児院に就職した。
長年過ごしていた場所というだけあり、環境への順応は早かった。ただ仕事内容を覚えればいいだけの話。住み込みでの就職だったため、住む場所にも困らなかった。
アルエとは一切の連絡を取らなかった――そもそも連絡先さえ知らなかった。もしあったとしても、雑談をするために会いに行くという間柄でもない。
それに、呼び出されることもなかった。
このまま一生呼び出されず、再会することもない。
心のどこかでそう思うようになり、いつしか『使役』されていることも忘れてしまっていた。
思い出さざるを得ない状況に陥ったのは、突然だのことだった。
そのとき、イリアは孤児院にいた。仕事中だった。
ふいに、足元に魔法陣が浮かび上がった。それが何か、脳が記憶を手繰り寄せる間もなく場所が移動した。
そこはどこかの屋敷のようで――目の前に、アルエがいた。
倒れ伏した身体の下には、血だまりが広がっている。
「アルエ!?」
叫び、駆け寄る。抱き起こせば、もう虫の息だった。
何があったか、問いただしても答える元気などあるはずがない。ならば個別魔法で読み取りたい気持ちもあった。だが、まずは治療が先だ。
「待ってて。今、回復魔法かけるから……!」
手をかざした瞬間、かすれた声が聞こえた。アルエの口が微かに動いている。
そんなもの、無視して魔法をかけるべき――頭では理解っていた。
なのに。
イリアはアルエの口元に耳を近づけていた。
途切れ途切れに紡がれる言葉を拾い損ねまいと。
か細い声を聞きとるのに、自分の呼吸さえ邪魔だった。
「イリ、ア……」
かろうじて聞き取れたのは助けを乞う言葉でも、辞世の句でもなく。
「イ、リア……、スミ、リッ、ト……」
絶えず、うわごとのように、その名を呼んでいた。
「君の、名を……、」
アルエの手は何かを探るように、微かに動いている。血だまりの数メートル先に、分厚い本が落ちていた。
血にまみれた手をそっと握る。虚ろな瞳がイリアを捉えた。
おもむろに閉じた瞼から、雫がこぼれる――最初で最後に見る涙だった。
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