24 / 33
3話
9
しおりを挟む卒業後、彼女は自身が育った孤児院に就職した。
長年過ごしていた場所というだけあり、環境への順応は早かった。ただ仕事内容を覚えればいいだけの話。住み込みでの就職だったため、住む場所にも困らなかった。
アルエとは一切の連絡を取らなかった――そもそも連絡先さえ知らなかった。もしあったとしても、雑談をするために会いに行くという間柄でもない。
それに、呼び出されることもなかった。
このまま一生呼び出されず、再会することもない。
心のどこかでそう思うようになり、いつしか『使役』されていることも忘れてしまっていた。
思い出さざるを得ない状況に陥ったのは、突然だのことだった。
そのとき、イリアは孤児院にいた。仕事中だった。
ふいに、足元に魔法陣が浮かび上がった。それが何か、脳が記憶を手繰り寄せる間もなく場所が移動した。
そこはどこかの屋敷のようで――目の前に、アルエがいた。
倒れ伏した身体の下には、血だまりが広がっている。
「アルエ!?」
叫び、駆け寄る。抱き起こせば、もう虫の息だった。
何があったか、問いただしても答える元気などあるはずがない。ならば個別魔法で読み取りたい気持ちもあった。だが、まずは治療が先だ。
「待ってて。今、回復魔法かけるから……!」
手をかざした瞬間、かすれた声が聞こえた。アルエの口が微かに動いている。
そんなもの、無視して魔法をかけるべき――頭では理解っていた。
なのに。
イリアはアルエの口元に耳を近づけていた。
途切れ途切れに紡がれる言葉を拾い損ねまいと。
か細い声を聞きとるのに、自分の呼吸さえ邪魔だった。
「イリ、ア……」
かろうじて聞き取れたのは助けを乞う言葉でも、辞世の句でもなく。
「イ、リア……、スミ、リッ、ト……」
絶えず、うわごとのように、その名を呼んでいた。
「君の、名を……、」
アルエの手は何かを探るように、微かに動いている。血だまりの数メートル先に、分厚い本が落ちていた。
血にまみれた手をそっと握る。虚ろな瞳がイリアを捉えた。
おもむろに閉じた瞼から、雫がこぼれる――最初で最後に見る涙だった。
微かに濡れた瞼が再び開いたのは、床の血だまりが凝固し始めた頃だった。
イリアの膝を枕に寝かされていたアルエは、訳が分からないと言いたげに辺りを見回す。
「イリア……? 私は……?」
そう言って起き上がろうとしたのをイリアが制した。
「ただ気を失ってただけよ。その間に回復魔法を使ったわ」
「そ、そうか……。手間をかけさせた」
「言っとくけど、私はあんたに『使役』されたままなんだからね」
一緒に死ぬのはごめんだわ、とイリアが鼻を鳴らすと、アルエは苦笑いを浮かべた。
「で? 何があったのよ」
「……む?」
「あんな瀕死状態になるまで追い詰められるほどの、何があったのかって訊いてるの」
個別魔法で読み取る時間ならいくらでもあった――むしろアルエが目を覚ますまでに使っていた。しかし、それでも分からなかったのだ。
読み取れなかったわけではない。
情報から状況が推測できなかったのだ。
イリアが読み取った『過去』からは――アルエが急に襲われたようにしか見えなかったから。
アルエはため息を返す。そして、きっぱりと言ってのけた。
「それは私が訊きたい」
予想していたが、いざ答えを聞くと再びため息が出た。
「だが、知らぬうちに追われる身になったのは確かだ」
ふたりは固まり始めた血だまりを見つめる。
アルエがイリアを呼び出していなければ、彼女が回復魔法を使っていなければ、確実に命を落としていただろう。
襲った相手は殺意を持っていた、ということに他ならない。
これまでの生活は送れないだろう。
表立った行動をすれば、また命を狙われる。
「……どうするの?」
尋ねると、アルエは物憂げに唸った。
「参ったな。職も失い、住む場所も追われた」
「アルエ。この屋敷に逃げ込んだのは……?」
「理由なら特にないよ。こっちは命からがら逃げてきたんだ、考える余裕もない」
だが、とアルエは周りを見回す。
家具などは揃っているが、手入れもされていないようで、舞っている埃が窓から差し込む夕日に反射している。
「よし、今日からここに住むことにしよう」
「はぁ?」
うなずくアルエに、また突拍子もないことを、とイリアは呆れる。
「誰のものかも分からないのに勝手に住んじゃって大丈夫なわけ? 所有者に見つかりでもしたら……」
「見る限り、長い間放置されてきたようだ。早々に所有者が現れるとも考えにくい。それに、誰も足を踏み入れないこの森は身を隠すのにもってこいなのだよ。そこに別荘にしろ廃屋にしろ都合よく住める屋敷があるときた」
イリアはいきなり連れてこられたこの森についても、この屋敷についても何も知らない。アルエの言葉が本当に信憑性のあるものなのか、はたまた強がりなのか。
真偽は個別魔法で読み取れば明らかになる。
だが――それをするのはあまりに無粋であろう。
どっちにしろ、イリアが取る行動は決まっているのだから。
「だったら、私も一緒に住むわ」
「……なんだって?」
怪訝そうに、アルエが眉をひそめた。
「聞こえなかった? この屋敷に、一緒に住むって言ってるの」
「聞こえているさ。意味が分からないと言ったのだ」
「そのままの意味よ? こんな広そうな屋敷だもの。私の部屋くらいあるでしょ」
「そういうことを言っているのではない!」
アルエは珍しく声を張り上げ、その拍子に勢いよく起き上がる。
「私と行動を共にすることが、どういうことか分かっているのか!?」
「今更、何よ。あんたとは運命共同体――そう説明したんでしょうが」
「君を呼び出したのは、この本から名を消して『解放』するためだ!」
「あー、いいわよ別に。そのままで」
「……は?」
取り乱している様子を見るのは初めてだ。それに気づくとなんだか滑稽で、イリアは思わず笑った。
「だって、あんたの命を狙う奴がここに来たらどうすんのよ。通常魔法も使えないくせに、どうやって応戦するつもり?」
普段は飄々と相手を言い負かしているアルエが、口を噤んでいる。
その姿が在りし日の自分と重なり、あのときの仕返しだと言わんばかりに彼女は続ける。
「刻んどきなさいよ、私の名前。ずっと『使役』しといて、今更必要ないっていうの? 毒を食らわば皿までって言うでしょうが」
運命なら、一緒に背負ってあげる。
自分の口からこのような言葉が出てくるとは。イリアは自嘲気味に笑う。
だが、きっと。
この心は、ずっと前から固まっていたのだ。
アルエに出会った――『使役』されてくれと頼まれた、あのときから。
個別魔法を――彼女自身の強さを認めてくれた、あのときから。
貼られたレッテルに左右されずに接してくれた、あのときから。
アルエになら、着いて行ける――たとえ、地獄の果てだろうと。
しばらく沈黙が続いた。
それを破ったのはアルエの哄笑だった。
それが収まると、確認するように尋ねる。
「イリア。その発言がどういう意味か、自分で理解っているんだね?」
「ええ、もちろん」
「もう、後には戻れないが?」
「あんたに『使役』された時点で」
「……とんだ数奇者だよ、君は」
「『劣等生』ってからかわれ続けた私をスカウトしたあんたが言う?」
アルエは含み笑いを浮かべ、手を差し伸べる。
無言でも聞こえてきた。
これからもよろしく頼む、と。
イリアはその手を優しく、しっかりと握った。
「それで、早速なんだが」
手を離すと、アルエはいつものすまし顔に戻り、立ち上がった。
「君の個別魔法を見込んで、調べてきてほしい者がいる。私が住んでいた街にある、武器屋の店主なんだが――」
0
あなたにおすすめの小説
無能妃候補は辞退したい
水綴(ミツヅリ)
ファンタジー
貴族の嗜み・教養がとにかく身に付かず、社交会にも出してもらえない無能侯爵令嬢メイヴィス・ラングラーは、死んだ姉の代わりに15歳で王太子妃候補として王宮へ迎え入れられる。
しかし王太子サイラスには周囲から正妃最有力候補と囁かれる公爵令嬢クリスタがおり、王太子妃候補とは名ばかりの茶番レース。
帰る場所のないメイヴィスは、サイラスとクリスタが正式に婚約を発表する3年後までひっそりと王宮で過ごすことに。
誰もが不出来な自分を見下す中、誰とも関わりたくないメイヴィスはサイラスとも他の王太子妃候補たちとも距離を取るが……。
果たしてメイヴィスは王宮を出られるのか?
誰にも愛されないひとりぼっちの無気力令嬢が愛を得るまでの話。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。
織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。
父であるアーヴェント大公に疎まれている――
噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。
大ッ嫌いな英雄様達に告ぐ
鮭とば
ファンタジー
剣があって、魔法があって、けれども機械はない世界。妖魔族、俗に言う魔族と人間族の、原因は最早誰にもわからない、終わらない小競り合いに、いつからあらわれたのかは皆わからないが、一旦の終止符をねじ込んだ聖女様と、それを守る5人の英雄様。
それが約50年前。
聖女様はそれから2回代替わりをし、数年前に3回目の代替わりをしたばかりで、英雄様は数え切れないぐらい替わってる。
英雄の座は常に5つで、基本的にどこから英雄を選ぶかは決まってる。
俺は、なんとしても、聖女様のすぐ隣に居たい。
でも…英雄は5人もいらないな。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる