2 / 46
第一章 発端 一、
しおりを挟む―二年前―
雨が優しく、窓を撫でるように降っていた。
誰もが寝静まる暗闇の中、少年の目だけは冴えていた。
何度も目を瞑り、寝ようと心掛けるが眠れず、しまいには喉の渇きを覚える。
少年は居たたまれず、ベッドから起き上がり、誰もいない廊下に出てみた。
その少年は、これといって特徴のない子だった。病弱なため、痩せ細った男の子だ。ただ、彼はこの病院に入院していたがために、見なくていいものを、目にしてしまう。
この先苦しむことも知らずに。偶然が重なると、それがいつしか必然に変わるように。
昼間の病院は人が行き交い、騒々しいが、このように皆が寝静まる闇の中では、蛇口からこぼれ落ちる水滴の音でさえ、クリアに聞こえ、まるで自分だけがこの静寂な空間に、取り残されたような錯覚を受ける。
そんな中、少年は自動販売機に向かい、上着のポケットから小銭を取り出し、コーラのボタンを押した。ガコーンという大きな音に、ピクリと背筋に緊張が走った。後ろを振り返った。
誰もいないし、何もない。
プルタブを開けて一気に半分ほど飲んだ。妖精でも現れないかと期待を寄せてみたが、何も起こらなかった。
それはそうと、看護師の巡回には気をつけなくてはならない。こんなところを見つかったら、何を言われるか、わかったものじゃない。
さっきからパタパタと、誰かの歩く音が聞こえたし、気をつけよう。コーラを飲み干すと、外の雨の音が気になる。病室にいる時と違い、今では雨足が強くなっていた。
階段の踊り場にある窓に視線を移すと、叩きつける雨が見て取れた。
ヒューッッ、ガタガタガタ、扉を揺する風の音。
病室から出てからが、まるで異質の世界に迷い込んだかのようで、心細い。夜というものがこれ程までに暗く、音もなければ、静かで、恐々しい孤独の世界であることを知る。
そんな時だ。
一人の男の姿が視界に入った。
こんな時間帯に人がいることが不思議だ。
外部の者だろうか。上下とも黒い服を着た、見かけない男だ。
その真っ暗な人影が近づいてきた。このまま見続けてはいけない予感がした。だから咄嗟に自販機の前にある長椅子の後ろに隠れた。
風の音が大きくなっていた。何かが起こる。そんな気がした。時折、ビニール袋の中にその風を押し込んだような、圧縮した音。
その男は周りを見渡すでもなく、前だけを見て歩いていた。大きな男だ。
突然、後ろからパタパタと急ぎ足の足音がしたと思ったら、いつも見かける看護師がその男を呼び止め、二事、三事話しをした。聞き耳を立てるが、まったく聞こえない。しばらくすると、看護師が、その男に白衣を着せたので、新しい医師かと思ったが、それにしても様子がおかしい。
少年は通り過ぎいくその男の背中を目で追った。男は前々からある病室に向かうことに決めていたようで、後ろを振り返ることなく、ずんずんと歩いていく。
それは一定の動きで迷いのない、機械的で、ゴールだけを目指すブリキのロボットのようだ。
男は、個室の三〇二号室の前で一旦、足を止め、深呼吸をした。
そして、ドアを静かに開け、中に入った。
やはり医師なのか。男の後に続いて、看護師も入っていく。だが、見てはならないものを見たような、そんな気がした。
それでも少年は好奇心が勝り、気づかれないよう、その彼らの背中を追ったが、ドアはそこで閉じられた。風の音がピタリと止み、そして、静寂の世界が広がった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
10
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる