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九、
しおりを挟むその日の朝は晴れていた。
十一月に似つかぬ、暖かい陽気で、思わず欠伸が出そうな天気だった。
佐竹は七時四十分に会社に到着し、白い壁の南館、その二階にある席に腰を降ろした。
入口から左手の奥が自分の席となっている。サイフォンで淹れたコーヒーを手に取り、飲もうと、マグカップに手を付けたと同時に電話が鳴った。
事務員の女が受話器を取り、佐竹の顔を見た。
「日本精機の前田様です。保留二番でお願いします」
「はい?」
受話器を取ると、窓から差す光が薄れ、暗くなったような気がした。
「佐竹か?」
「ああ」
聞き覚えのある声。日本精機の時の同僚だ。
「前田か?」
「ああ」
「久しぶりだな、どうした?」
「お前、どうした、じゃないぞ」
マグカップを大きく揺らし、コーヒーを零してしまった。
前田とはプライベートの付き合いがなく、あくまで同僚としての付き合いだ。それなのになぜ、ここに電話をかけてくるのか不思議だった。
「いいから中西工業のホームページを見ろよ」
前田の声がいやに高かった。
「今日な、中西工業の製造方法について調べたいことがあって見たんだが、あれは本当か?」
「どういうことだ?」
外を見ると、先程までの空が嘘のように、厚い雲に覆われていた。
「やはりまだ見てなかったか。いいからすぐに開けてみるんだ。今あるお前の状況が、更に悪くなることが載っている」
と前田は言い残し、早々電話を切ってしまった。
早速佐竹は、そのホームページを開く。
ただ事ではない。あいつがわざわざ電話をかけてきたのだ。
一体何が載っている―。
焦りが背中を押す。
パソコンがなかなか立ち上がらない。
時間が経つのを長く感じ、もどかしい。
落ち着くために周りを一度見渡した。
そして、再び画面に目を戻すと、目が点になった。
その後、思いの外瞬きを何度も繰り返した。掌が湿り気を帯びた。
なんと、その画面には光子と自分の写真が仲睦まじそうに、でかでかと映し出されているではないか。
わなわなと小刻みに震える己の身体。
背中から溢れ出す冷や汗。
顔が熱く、赤くなっていく。
そんな時だ。背後に人気を感じたので、慌てて振り返ると、事務の若い女が青色のファイルを片手に立っていた。よりによって今・・・・・・。
彼女は探るような目で、こちらの様子を窺っている。怒りが込み上げてきた。
顔が、自分の抑制しようとする意思とは裏腹に引き攣っていく。
目が釣りあがり、口元が引き締まり、その後、歪んだ。
佐竹は、後ろにいる女を睨み、舌打ちした。未だ彼女は突っ立っていた。そして、よりによってそのパソコンの画面を見つめているではないか。女という生き物は、なぜこれほどまでに好奇心が強いのだろうか。
「何をしている?」
「あ、あの昨日用意しておけ、と言われた資料をお持ちしましたが・・・・・・」
ホームページを隠すようにし、女の前に立った。
「そこに置いて、早く行け!」
女は慌ててファイルを机に置き、逃げるように去っていった。
もう一度そのホームページを見た。その画面には、土曜の夜、名古屋市内のラブホテルから自分が光子と揃って、出てくるところが映し出されていた。こんなものは記憶にない。だがこれではどうにも言い訳などできない。
あいつだ。絶対にあいつだ。
俺と社長がさも二人してホテルから出てきたかのように撮った写真を、ホームページ上に載せたのだ。勿論、合成だ。こんな所にはいっていない。だが、奴は何らかの形で写真を合成させ、会社のホームページを勝手に書き換えたのだ。
あいつは、中西家に恨みを持っている。それは事実だ。
二年前に、増井病院で中西守を殺したのは奴だ。そして、今度はじわじわと俺を将棋の駒のように動かし、光子に攻撃を仕掛けていく。ひょっとすると、奴は会社に恨みを抱いているのだろうか。
なぜ奴は、中西家、若しくは会社を恨むのだ? 調べてやる、絶対に。そう、警察を使ってでも、な。佐竹はホームページを閉じ、急ぎ足でその場を離れた。
長い時間が過ぎ去り、やっとのことで昼休みになった。
周りを気にしながら、食堂で定食を運び、席に座るが、まったく食欲がない。本当は、別の場所で食べようとしたが、いつもと違う行動をとると、余計に注目を浴びるのではないかと思ったし、それよりも状況を確認しておきたかった。
浅はかな望みではあるが、まだ誰もホームページを見ていないことを願い・・・・・・。
佐竹は大概一般従業員より早く食堂にくるので、席は空いているが、五分が過ぎると現場の者たちがどっと押し寄せ、気が気でなくなり、落ち着いて食べられる状況ではなかった。
箸は進まない。視線だけが動く、というより、泳いでいた。
いつものように冷鍛課の部長小橋が目の前に座る。
その横に課長の大前。二人は何事もなかったかのように佐竹に会釈し、今日あったことを二、三話しながら食事に入る。
変わらぬ日常がそこにはあった。やはりホームページなんかは、そうそう見るものでもない。気分が弛緩していく。
そんな風に思っていた時。若い男たちの声が耳に入ってきた。
「おい、今度のボーナスはカットされるらしいぜ」
油の染み付いた作業服の腕を捲りながら、長身の男が言った。
「なにぃ?」
少しずんぐりとした眼鏡の男が訊いた。
「本当なのか?」
「ああ。なんでも会社が多くの負債を抱え込んじまってな。無駄な設備投資とかで」
長身の男は社員証を機械に通してからトレーを手にする。そうすることによって、自動的に給料から天引きされるシステムとなっている。
「冗談じゃないぜ」
眼鏡の男は顔を真っ赤にして怒った。
「俺、ボーナス貰ったら、新車を買うつもりだぞ」
「よせよ」
「よせって? どういう意味だよ。そのために俺は一生懸命働いてきたんだ。人間、何か目的がなければ、こんなふうに働かないだろ。そうじゃないか?」
「ま、そんなカッカしなさんな」
長身の男は、眼鏡の男を宥めた。
「しょうがないだろ。会社が赤字なんだから」
そんな時、その長身の男と目が合った。そして、鋭く睨まれた。
佐竹はさっとその目から逃れる。背中に悪寒を感じた。
「あいつよ、あいつ」
「何だ? どうした」
「俺たちが必死で働いているのに、あいつは、あの男は、社長と不倫してたんだよ。
ん? 不倫じゃないか。社長は未亡人だし、あの男はバツ一だ。とにかく、男と女の関係なんだよ、あいつらは」
「本当なのか?」
「ああ」
長身の男は肯いた。
「パソコンで、会社のホームページを開いていたんだが、俺は目を疑ったよ・・・・・・。
なんせ、あの男が社長の中西光子とお揃いで、ホテルから出てくる写真が掲載されていたんだからー」
結局、佐竹は定食に箸をつけることもなく、浅はかな望みを捨て、席を後にした。
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