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第1話 世界は終わりますけど『結婚式』やりませんか?
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俺と美咲はパンを齧りながら、呆然とニュースを見ていた。
「政府は今日、改めて声明を出しました。
NASAの発表によりますと、
地球への隕石衝突確率は99.9パーセント。
最初の予測発表から3ヶ月が経過しましたが、
衝突日時は依然として再来年4月3日午後2時30分、
関東地方への直撃が見込まれています。」
男性アナウンサーの声は妙に落ち着いていた。
その冷静さが、かえって虚しく響く。
「物流の滞りによる食糧不足は深刻さを増しており、
一部地域では暴動や略奪の兆候も確認されています。
政府は引き続き、冷静な行動を呼びかけています。」
俺たちは無言でパンを齧る。
美咲はパンの端を千切って口に運ぶ。
テーブルの上には飲みかけのペットボトルと皿がいくつも並び、
それすら片付ける気力もなかった。
◇
三ヶ月前までは、違った。
平日の夜はいつもスーパーに寄って、
ビニール袋に安いビールと半額の惣菜を詰めた。
狭いアパートでも二人でいれば十分で、
どちらからともなく「結婚しようよ」と冗談めかして言い合っていた。
……それは本気だった。
今はもう、ただ生きているだけだ。
言葉もなく、目も合わない。
夜になれば惰性で抱き合う。
温もりだけが残り、そこに意味はない。
未来のないこの世界で、“愛している”なんて言葉はすでに失効していた。
パンを食べ終え、俺は煙草の箱を手にベランダに出た。
引き戸の向こう、外の空気は思ったより冷たかった。
ベランダの柵に肘をつき、街を見下ろす。
◇
ベランダから見下ろすと、
コンビニのガラスは割れたまま放置され、
中の棚もすっかり空になっている。
歩道のゴミ箱は溢れかえり、
誰かがその上にさらにゴミ袋を積み重ねていく。
通りの向こうで信号を無視して道路を横切る人がいるが、
クラクションを鳴らす車もいない。
道端に倒れている人がいるのに、
誰も立ち止まらない。
誰も気にしない。
「普通だったもの」が、
少しずつ、何もかも壊れていくのが分かった。
火をつけ、煙草を吸う。
明かりが点いた部屋は、向かいのマンションでもまばらだった。
夜の街が、ゆっくりと何もかもを飲み込んでいくように見えた。
◇
その時、
――コン、コン。
扉を叩く音が響いた。
妙に正確で、無駄のない二度の打音。
この時間に、この場所で。
不自然なほど整った音だった。
俺も彼女も動かない。
ノックだけが部屋に残る。
◇
仕方なく俺が立ち上がり、ゆっくりと扉を開ける。
ドアの向こうにいたのは、異様な二人だった。
一人は、普通の黒いスーツを着ていた。
だが、そのスーツは埃一つなく、皺もヨレも見当たらない。
ネクタイもぴたりと真っ直ぐ、靴も鏡のように光っている。
背筋がまっすぐで、動きに無駄がない。
表情は柔らかいのに、どこか張りつめたものを感じた。
その背後に、若い女性が立っていた。
こちらもシンプルなスーツ姿。
髪も服も、街の埃や湿気をまるで寄せつけていない。
姿勢も表情もやや硬いが、誠実さがにじんでいた。
二人だけが、この滅びゆく街で不自然なくらい清潔だった。
埃も、汚れも、乱れもない。
この世界の空気に染まっていない。
男が一歩前に出る。
静かに微笑みながら口を開いた。
◇
「世界は終わりますけど、『結婚式』やりませんか?」
それだけだった。
張り詰めた静けさの中で、その言葉だけが浮いていた。
場違いなはずなのに、声は妙に落ち着いていて、冗談でも狂気でもなかった。
ただ、まっすぐだった。
◇
『結婚式』?
意味が分からなかった。
誰もが未来を諦め、愛も形骸化し、
ただ生きているだけの部屋に――
この男の言葉だけが、滑稽なほど真っ直ぐに刺さってくる。
彼女も俺も、返事ができなかった。
目の前の二人だけが、この現実と断絶している。
黒いスーツ、整った所作、磨かれた靴。
そして澄んだ眼差し。
何もかもが、埃にまみれたこの部屋と、
擦り切れた俺たちの暮らしとは決定的に違っていた。
異物、という言葉しか思い浮かばなかった。
俺は名乗りも、追い返すこともできず、
ただ呆然と立ち尽くしていた。
◇
男が一歩進み出る。
その動きは無駄がなく、静かに深く礼をした。
そして、白い指先で名刺を差し出す。
一切のためらいもない。
この状況が“日常”だと言わんばかりの、完璧な所作だった。
名刺。
いつから手にしていないだろう。
最後に受け取ったのがいつだったか、思い出せなかった。
奇妙な男の手が勝手に伸びる。
紙の感触は、滑らかすぎて、どこか現実味がなかった。
この世界に、まだ「名刺」という形式が残っていること自体が、
もう冗談のように思えた。
背後では、テレビの音声がまだ流れ続けている。
――物流の滞りが続き……
――一部地域で暴動の兆候……
その音声と、目の前のきれいすぎる紙とのギャップに、
自分の感覚がおかしくなっていく。
◇
名刺には、こう印刷されていた。
『 株式会社レーヴ
ウエディングプランナー
白川礼司 』
たったそれだけ。
滅びゆく世界の中で、
名乗りと肩書きだけが、
妙に鮮明に目に焼きついた
「政府は今日、改めて声明を出しました。
NASAの発表によりますと、
地球への隕石衝突確率は99.9パーセント。
最初の予測発表から3ヶ月が経過しましたが、
衝突日時は依然として再来年4月3日午後2時30分、
関東地方への直撃が見込まれています。」
男性アナウンサーの声は妙に落ち着いていた。
その冷静さが、かえって虚しく響く。
「物流の滞りによる食糧不足は深刻さを増しており、
一部地域では暴動や略奪の兆候も確認されています。
政府は引き続き、冷静な行動を呼びかけています。」
俺たちは無言でパンを齧る。
美咲はパンの端を千切って口に運ぶ。
テーブルの上には飲みかけのペットボトルと皿がいくつも並び、
それすら片付ける気力もなかった。
◇
三ヶ月前までは、違った。
平日の夜はいつもスーパーに寄って、
ビニール袋に安いビールと半額の惣菜を詰めた。
狭いアパートでも二人でいれば十分で、
どちらからともなく「結婚しようよ」と冗談めかして言い合っていた。
……それは本気だった。
今はもう、ただ生きているだけだ。
言葉もなく、目も合わない。
夜になれば惰性で抱き合う。
温もりだけが残り、そこに意味はない。
未来のないこの世界で、“愛している”なんて言葉はすでに失効していた。
パンを食べ終え、俺は煙草の箱を手にベランダに出た。
引き戸の向こう、外の空気は思ったより冷たかった。
ベランダの柵に肘をつき、街を見下ろす。
◇
ベランダから見下ろすと、
コンビニのガラスは割れたまま放置され、
中の棚もすっかり空になっている。
歩道のゴミ箱は溢れかえり、
誰かがその上にさらにゴミ袋を積み重ねていく。
通りの向こうで信号を無視して道路を横切る人がいるが、
クラクションを鳴らす車もいない。
道端に倒れている人がいるのに、
誰も立ち止まらない。
誰も気にしない。
「普通だったもの」が、
少しずつ、何もかも壊れていくのが分かった。
火をつけ、煙草を吸う。
明かりが点いた部屋は、向かいのマンションでもまばらだった。
夜の街が、ゆっくりと何もかもを飲み込んでいくように見えた。
◇
その時、
――コン、コン。
扉を叩く音が響いた。
妙に正確で、無駄のない二度の打音。
この時間に、この場所で。
不自然なほど整った音だった。
俺も彼女も動かない。
ノックだけが部屋に残る。
◇
仕方なく俺が立ち上がり、ゆっくりと扉を開ける。
ドアの向こうにいたのは、異様な二人だった。
一人は、普通の黒いスーツを着ていた。
だが、そのスーツは埃一つなく、皺もヨレも見当たらない。
ネクタイもぴたりと真っ直ぐ、靴も鏡のように光っている。
背筋がまっすぐで、動きに無駄がない。
表情は柔らかいのに、どこか張りつめたものを感じた。
その背後に、若い女性が立っていた。
こちらもシンプルなスーツ姿。
髪も服も、街の埃や湿気をまるで寄せつけていない。
姿勢も表情もやや硬いが、誠実さがにじんでいた。
二人だけが、この滅びゆく街で不自然なくらい清潔だった。
埃も、汚れも、乱れもない。
この世界の空気に染まっていない。
男が一歩前に出る。
静かに微笑みながら口を開いた。
◇
「世界は終わりますけど、『結婚式』やりませんか?」
それだけだった。
張り詰めた静けさの中で、その言葉だけが浮いていた。
場違いなはずなのに、声は妙に落ち着いていて、冗談でも狂気でもなかった。
ただ、まっすぐだった。
◇
『結婚式』?
意味が分からなかった。
誰もが未来を諦め、愛も形骸化し、
ただ生きているだけの部屋に――
この男の言葉だけが、滑稽なほど真っ直ぐに刺さってくる。
彼女も俺も、返事ができなかった。
目の前の二人だけが、この現実と断絶している。
黒いスーツ、整った所作、磨かれた靴。
そして澄んだ眼差し。
何もかもが、埃にまみれたこの部屋と、
擦り切れた俺たちの暮らしとは決定的に違っていた。
異物、という言葉しか思い浮かばなかった。
俺は名乗りも、追い返すこともできず、
ただ呆然と立ち尽くしていた。
◇
男が一歩進み出る。
その動きは無駄がなく、静かに深く礼をした。
そして、白い指先で名刺を差し出す。
一切のためらいもない。
この状況が“日常”だと言わんばかりの、完璧な所作だった。
名刺。
いつから手にしていないだろう。
最後に受け取ったのがいつだったか、思い出せなかった。
奇妙な男の手が勝手に伸びる。
紙の感触は、滑らかすぎて、どこか現実味がなかった。
この世界に、まだ「名刺」という形式が残っていること自体が、
もう冗談のように思えた。
背後では、テレビの音声がまだ流れ続けている。
――物流の滞りが続き……
――一部地域で暴動の兆候……
その音声と、目の前のきれいすぎる紙とのギャップに、
自分の感覚がおかしくなっていく。
◇
名刺には、こう印刷されていた。
『 株式会社レーヴ
ウエディングプランナー
白川礼司 』
たったそれだけ。
滅びゆく世界の中で、
名乗りと肩書きだけが、
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