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第2話 愛なんて、もう意味ねえだろ
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名刺を渡したあとも、白川は微笑みを崩さなかった。
玄関先に立つ姿勢はまっすぐで、まるでこれが“いつもの仕事”だと言わんばかりだった。
その場にだけ澄んだ空気が満ちているような違和感。
そして隣の若い女性も続いて名刺を丁寧に渡してきた。"黒瀬"というらしい。
部屋の埃臭さと、外の腐ったゴミの匂いすら届かない隔絶感。
この状況を、どこまで理解しているのか――
そんな疑念が喉まで上がってきたとき、白川が口を開いた。
「私ども、株式会社レーヴは、結婚式を執り行う者です。……こんな世の中でも。」
妙に落ち着いた声だった。
声だけ聞けば優しさすら滲んでいたが、
その言葉は、この部屋の空気にどうしても馴染まなかった。
沈黙の中で、美咲が低く言った。
かすれてはいたが、しっかりとした語気だった。
美咲はテーブルの端で指先を強く握っていた。その白い指が、小さく震えて見えた。
「……何考えてんですか、こんな世界で。」
まっとうな反応だった。
普通ならこの一言で、さすがに戸惑いを見せるはずだ。
だが白川は変わらなかった。
あの完璧すぎる無駄のない動きで、ごく自然に一歩だけ前に出る。
深くもなく浅くもない、計算され尽くした角度の会釈。
それが――逆に気味が悪かった。
何かがズレてる。
この男は、この世界の絶望を本当に理解してるのか。
そう思った瞬間、声が出た。
「なんだよ、お前ら。」
自分の声が喉の奥で少し割れた。
けれど、吐き出したことでようやくこの部屋が現実に戻った気がした。
◇
白川はそのまま言葉を続けた。
声色も表情も変えず、まるで“昨日も、明日も、何十回でもこれを言っている”ような当たり前の語り口だった。
「結婚式は、未来を約束するものではありません。
たとえこの世界が終わっても――
“ここに確かに愛があった”という形式だけは残せます。」
声に力はない。けれど、妙に澄んでいて、心地よい響きを持っていた。
だからこそ、その言葉の内容が不気味なほど浮いて見えた。
部屋の中に一瞬、奇妙な静けさが流れた。
外では風にゴミ袋が転がる音がしたが、その音すら遠く感じる。
何を言っているのか、分からなかった。
“愛”だの“形式”だの――それがどれほど虚ろなものか、今の俺たちは知っていたはずなのに。
横目で見ると、美咲が苦笑いを浮かべていた。
声にはならないが、皮肉っぽく口元だけが歪んでいた。
その苦笑に、俺は内心で同調する。
そうだ。
こいつらの言葉なんて、現実離れしてる。
正気のフリして、どこかが壊れてる。
白川は微笑みを崩さずに、さらに言った。
「こんな世の中なので、お代などいただくつもりはございません。
ご希望であれば、すぐにでもお手伝いできます。
近隣の式場でしたら、まだ美しく整えられています。」
隣の黒瀬が、小さく頭を下げた。
その仕草は硬く、どこか不器用で、
けれど彼女の眼差しだけは揺らぎなく真剣だった。
その真剣さが――逆に痛かった。
俺は煙草の苦味を強く感じながら、
ようやく喉の奥から声を絞り出した。
「――頭おかしいだろ、お前ら。」
たった一言。
だが、それはこの部屋で初めて吐き出された“拒絶”だった。
それと同時に、この薄暗い部屋にようやく現実の温度が戻ってきた気がした。
◇
俺は無意識に名刺をテーブルに放り投げた。
あまりに場違いで、あまりに滑稽で。
横目で見ると、美咲が肩をすくめる。
その仕草はまるで、壊れた笑いを隠すかのようだった。
「結婚式って……こんな世界で?」
俺は正面の二人を見据えた。
「愛なんか、もう意味ねえだろ。
未来が終わった世界で……何が式だよ。
…もう帰ってくれよ……」
言葉が吐き捨てるようにこぼれた。
なのに声には、もう怒りすら宿っていなかった。
空虚さだけが、滲んでいた。
白川は、それでも微笑んでいた。
俺の嘲笑も、拒絶も、まるで織り込み済みだとでも言わんばかりに。
「畏まりました。また明日伺います。」
声色も崩れず、ただ完璧に礼をする。
白川は、その所作すら磨かれた動きで名刺を拾い上げ、
何ひとつ乱さず踵を返した。
背後の黒瀬だけが、ドアの前で一瞬だけ振り返った。
その眼差しには……言葉にできない微かな“不安”が宿っていた。
ドアが静かに閉まったあと、部屋の中にはしばらく重い沈黙が落ちた。
背後のテレビだけが、無機質な声で崩壊しつつある世界を淡々と語り続ける。
物流の滞り、治安悪化、暴動の兆候……
つい数分前までの異様な訪問者たちが、
あの無駄のない所作でこの部屋に立っていたことが嘘のようだ。
「本当になんだったんだよ……」
呟きが無意識に口から漏れた。
ソファに身を預けた美咲が、肩を小さく揺らして微笑む。
けれど、その笑みはどう見ても強がりにしか見えなかった。
「ねえ……大輔。」
不意に名前を呼ばれて、俺は横目で美咲を見た。
彼女は窓の外をじっと見つめたまま、声を落とす。
「でも、私たちだって……まともじゃないよね、もう。」
その言葉は、意外なほど冷静だった。
けれど、胸に刺さるものがあった。
俺の視線も自然と外に移った。
割れたコンビニのガラス、散乱したゴミ袋、
信号を無視して道路を横切る人影。
誰も止まらない。
誰も見ていない。
「今の私たち……生きてるって言えるのかな。」
小さな声だったが、
いつもの美咲の声より、ずっと重かった。
答えられなかった。
俺たちはこの三ヶ月、ただ息をしているだけだった。
それが“生きている”と言えるのかどうかすら、もう分からない。
部屋に残ったのは沈黙だけだった。
さっきの白川の言葉が、妙に澄んで耳に残っていた。
玄関先に立つ姿勢はまっすぐで、まるでこれが“いつもの仕事”だと言わんばかりだった。
その場にだけ澄んだ空気が満ちているような違和感。
そして隣の若い女性も続いて名刺を丁寧に渡してきた。"黒瀬"というらしい。
部屋の埃臭さと、外の腐ったゴミの匂いすら届かない隔絶感。
この状況を、どこまで理解しているのか――
そんな疑念が喉まで上がってきたとき、白川が口を開いた。
「私ども、株式会社レーヴは、結婚式を執り行う者です。……こんな世の中でも。」
妙に落ち着いた声だった。
声だけ聞けば優しさすら滲んでいたが、
その言葉は、この部屋の空気にどうしても馴染まなかった。
沈黙の中で、美咲が低く言った。
かすれてはいたが、しっかりとした語気だった。
美咲はテーブルの端で指先を強く握っていた。その白い指が、小さく震えて見えた。
「……何考えてんですか、こんな世界で。」
まっとうな反応だった。
普通ならこの一言で、さすがに戸惑いを見せるはずだ。
だが白川は変わらなかった。
あの完璧すぎる無駄のない動きで、ごく自然に一歩だけ前に出る。
深くもなく浅くもない、計算され尽くした角度の会釈。
それが――逆に気味が悪かった。
何かがズレてる。
この男は、この世界の絶望を本当に理解してるのか。
そう思った瞬間、声が出た。
「なんだよ、お前ら。」
自分の声が喉の奥で少し割れた。
けれど、吐き出したことでようやくこの部屋が現実に戻った気がした。
◇
白川はそのまま言葉を続けた。
声色も表情も変えず、まるで“昨日も、明日も、何十回でもこれを言っている”ような当たり前の語り口だった。
「結婚式は、未来を約束するものではありません。
たとえこの世界が終わっても――
“ここに確かに愛があった”という形式だけは残せます。」
声に力はない。けれど、妙に澄んでいて、心地よい響きを持っていた。
だからこそ、その言葉の内容が不気味なほど浮いて見えた。
部屋の中に一瞬、奇妙な静けさが流れた。
外では風にゴミ袋が転がる音がしたが、その音すら遠く感じる。
何を言っているのか、分からなかった。
“愛”だの“形式”だの――それがどれほど虚ろなものか、今の俺たちは知っていたはずなのに。
横目で見ると、美咲が苦笑いを浮かべていた。
声にはならないが、皮肉っぽく口元だけが歪んでいた。
その苦笑に、俺は内心で同調する。
そうだ。
こいつらの言葉なんて、現実離れしてる。
正気のフリして、どこかが壊れてる。
白川は微笑みを崩さずに、さらに言った。
「こんな世の中なので、お代などいただくつもりはございません。
ご希望であれば、すぐにでもお手伝いできます。
近隣の式場でしたら、まだ美しく整えられています。」
隣の黒瀬が、小さく頭を下げた。
その仕草は硬く、どこか不器用で、
けれど彼女の眼差しだけは揺らぎなく真剣だった。
その真剣さが――逆に痛かった。
俺は煙草の苦味を強く感じながら、
ようやく喉の奥から声を絞り出した。
「――頭おかしいだろ、お前ら。」
たった一言。
だが、それはこの部屋で初めて吐き出された“拒絶”だった。
それと同時に、この薄暗い部屋にようやく現実の温度が戻ってきた気がした。
◇
俺は無意識に名刺をテーブルに放り投げた。
あまりに場違いで、あまりに滑稽で。
横目で見ると、美咲が肩をすくめる。
その仕草はまるで、壊れた笑いを隠すかのようだった。
「結婚式って……こんな世界で?」
俺は正面の二人を見据えた。
「愛なんか、もう意味ねえだろ。
未来が終わった世界で……何が式だよ。
…もう帰ってくれよ……」
言葉が吐き捨てるようにこぼれた。
なのに声には、もう怒りすら宿っていなかった。
空虚さだけが、滲んでいた。
白川は、それでも微笑んでいた。
俺の嘲笑も、拒絶も、まるで織り込み済みだとでも言わんばかりに。
「畏まりました。また明日伺います。」
声色も崩れず、ただ完璧に礼をする。
白川は、その所作すら磨かれた動きで名刺を拾い上げ、
何ひとつ乱さず踵を返した。
背後の黒瀬だけが、ドアの前で一瞬だけ振り返った。
その眼差しには……言葉にできない微かな“不安”が宿っていた。
ドアが静かに閉まったあと、部屋の中にはしばらく重い沈黙が落ちた。
背後のテレビだけが、無機質な声で崩壊しつつある世界を淡々と語り続ける。
物流の滞り、治安悪化、暴動の兆候……
つい数分前までの異様な訪問者たちが、
あの無駄のない所作でこの部屋に立っていたことが嘘のようだ。
「本当になんだったんだよ……」
呟きが無意識に口から漏れた。
ソファに身を預けた美咲が、肩を小さく揺らして微笑む。
けれど、その笑みはどう見ても強がりにしか見えなかった。
「ねえ……大輔。」
不意に名前を呼ばれて、俺は横目で美咲を見た。
彼女は窓の外をじっと見つめたまま、声を落とす。
「でも、私たちだって……まともじゃないよね、もう。」
その言葉は、意外なほど冷静だった。
けれど、胸に刺さるものがあった。
俺の視線も自然と外に移った。
割れたコンビニのガラス、散乱したゴミ袋、
信号を無視して道路を横切る人影。
誰も止まらない。
誰も見ていない。
「今の私たち……生きてるって言えるのかな。」
小さな声だったが、
いつもの美咲の声より、ずっと重かった。
答えられなかった。
俺たちはこの三ヶ月、ただ息をしているだけだった。
それが“生きている”と言えるのかどうかすら、もう分からない。
部屋に残ったのは沈黙だけだった。
さっきの白川の言葉が、妙に澄んで耳に残っていた。
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