3 / 6
第3話 写真一枚に、何が残る?
しおりを挟む
午前か午後かも分からないほど、灰色の空だった。
部屋の中は息が詰まるような静けさで、俺はテレビの音量も上げず、ただ壁のシミをぼんやり見ていた。
――コン、コン。
昨日と同じ、規則正しいノックの音が響いた。
一瞬、誰かが来る理由が思い浮かばなくて、何度目かの現実逃避みたいに耳を塞ぎたくなった。
それでも、体は勝手に立ち上がる。
ドアのスコープ越しに覗くまでもなく、もう“あいつら”だと分かった。
「……また来たのかよ」
ドアを開けると、やっぱり白川と黒瀬が並んでいた。
白川は昨日とまったく同じ、あの穏やかな微笑みを浮かべている。黒瀬は相変わらず表情が硬い。
「改めて、お二人にお話を」
それだけを言って、深くも浅くもない絶妙な角度で頭を下げる。
俺は何も言わず、そのまましばらく無言で向き合った。
中に入る様子も見せず、白川は“待つ側”の余裕で立ち続ける。
俺の方が落ち着かなくなって、思わず声を荒げた。
「……もういいです、帰ってください。」
意外だったのか、白川はほんの一瞬だけ微細に表情を曇らせた。
その一瞬の“ほころび”を見て、なぜか胸の奥がちくりと痛んだ。
◇
その場に妙な沈黙が落ちた。
白川は相変わらず穏やかに微笑んでいて、微動だにしない。
白川の隣の黒瀬がちらりと彼を見上げたあと、意を決したように一歩前に出た。
少し早口になりながら、硬さの残る声を絞り出す。
「すみません、
本当に無理にというつもりじゃなくて……」
年齢は自分と同じくらいに見えるのに、
黒のスーツと窮屈そうなパンプスが彼女を必要以上に硬くしている。
若さと不器用さが滲む仕草だった。
黒瀬は手にした小さなメモ帳の角を指先でいじりながら、精一杯、誠実に続けた。
「少しだけ……お話の機会をいただけないでしょうか。
本当に、どんな形でも構いませんので……。」
その真面目な声音が、逆に鬱陶しく感じられた。
俺は低く言葉を遮った。
「いや、だからいいって。
説明も結構だし、帰ってくれ。」
黒瀬が一瞬たじろいだように立ち止まり、
口を噤んだ。
肩がわずかに落ちて見えた。
「そこをなんとか……」
黒瀬が最後に絞り出すように言ったが、
もう聞く気になれなかった。
「いいから、帰ってくれって。」
俺がそう言い切ったときだった。
「……ちょっと待って。」
背後から、美咲の声がした。
予想外だった。
美咲がこちらに歩み寄り、俺を軽く脇に避けて立つ。
「理由だけ……聞かせてください。」
白川が微かに目を見開き、すぐに穏やかな笑みを取り戻した。
深く頷くと、ゆっくりと口を開く。
「ありがとうございます。」
少し間を置いて、白川は俺と美咲をまっすぐに見た。
「これは……宗教等の信仰の話ではありません。……自己満足でも…ないつもりです。」
声は落ち着いていて、妙に澄んでいた。
「これは、僕個人の……どうしようもなく泥臭い信念なんです。」
その言葉に、黒瀬も横でわずかに背筋を伸ばした。
さっきまで硬くて不器用に見えた彼女が、
今だけは真っ直ぐにこちらを見ていた。
◇
「……僕の話で恐縮なんですが。」
白川はふいに目線を落とし、少しだけ声の調子を落とした。
これまでの無欠の笑顔が、ほんの一瞬だけ揺れる。
「僕は――物心がつく前に両親を事故で亡くしました。」
その言葉が落ちるまで、妙な静けさが部屋を満たす。
「二人のこと、正直ほとんど覚えていないんです。
どんな声だったのか、どんな笑い方をしたのかも分からない。
……ただ、ひとつだけ。どうしても手放せなかったものがありました。」
白川は、胸ポケットにそっと手を入れる。
わずかに手元が震えているように見えた。
この男に初めて隙ができたような気がした。
「それが――両親の“結婚式の写真”です。」
写真を取り出すその所作は、
さっきまでの無駄のない動きと違って、どこかぎこちなかった。
「……人生には、どうしようもなく理不尽なことが起きる。
納得できない別れも、突然すぎて受け止められないことも。」
写真を両手で包み込みながら、
白川は少し俯いた。
「……でも、この写真の中の二人だけは、
“絶対に幸せだった”って、僕には分かるんです。」
その時、白川の声が、かすかに震えた。
今まで一度も崩れなかった“完璧”が、ほんの少しだけ割れる音がした気がした。
白川は、その写真を俺たちの前に、少しだけ震える手でそっと差し出した。
「……僕は、結婚式という形式に、それだけの力があると――信じてるんです。
どんな未来や過去が不本意に奪われても、この“瞬間があった”という証だけは消せない。
だから……僕はこの仕事を、何があってもや
められないんです。」
色あせて、角が丸まった一枚の古い“写真”。
でも、その中で『微笑む二人の顔』は、なぜか今も鮮やかで。
“今”だけは、確かにここにあるように感じた。
「――結婚式は、未来のためだけのものじゃない。
今この瞬間を、“永遠“にするための儀式だと、僕は思っています。」
俺も美咲も、何も言えずにその写真を見つめていた。
胸の奥で、何かが静かに揺れるのを感じていた。
◇
しばらく沈黙が続いた。
写真を見つめているうちに、白川がどこか恥ずかしそうに視線を落とし、
小さくうつむいた。
「……失礼しました。今日は、これで失礼します」
そう言うと、白川は少しぎこちない手つきで写真を胸ポケットにしまう。
微妙に照れたような仕草は、今までの研ぎ澄まされた所作と違って、やけに人間くさかった。
黒瀬が一礼し、二人は静かにドアの向こうへ消えていく。
扉が閉まると、残されたのはさっきの写真と、妙な余韻だけだった。
ふと横を見ると、美咲がうつむいたまま、手の甲でそっと頬をぬぐっていた。
涙の跡が一筋、静かに残っている。
俺はそれを見ても、何も言えなかった。
胸の奥で、“さっきの写真“の二人の笑顔だけが、じんわりと揺れていた。
俺たちだって、まだ幸せになれるのだろうか。
部屋の中は息が詰まるような静けさで、俺はテレビの音量も上げず、ただ壁のシミをぼんやり見ていた。
――コン、コン。
昨日と同じ、規則正しいノックの音が響いた。
一瞬、誰かが来る理由が思い浮かばなくて、何度目かの現実逃避みたいに耳を塞ぎたくなった。
それでも、体は勝手に立ち上がる。
ドアのスコープ越しに覗くまでもなく、もう“あいつら”だと分かった。
「……また来たのかよ」
ドアを開けると、やっぱり白川と黒瀬が並んでいた。
白川は昨日とまったく同じ、あの穏やかな微笑みを浮かべている。黒瀬は相変わらず表情が硬い。
「改めて、お二人にお話を」
それだけを言って、深くも浅くもない絶妙な角度で頭を下げる。
俺は何も言わず、そのまましばらく無言で向き合った。
中に入る様子も見せず、白川は“待つ側”の余裕で立ち続ける。
俺の方が落ち着かなくなって、思わず声を荒げた。
「……もういいです、帰ってください。」
意外だったのか、白川はほんの一瞬だけ微細に表情を曇らせた。
その一瞬の“ほころび”を見て、なぜか胸の奥がちくりと痛んだ。
◇
その場に妙な沈黙が落ちた。
白川は相変わらず穏やかに微笑んでいて、微動だにしない。
白川の隣の黒瀬がちらりと彼を見上げたあと、意を決したように一歩前に出た。
少し早口になりながら、硬さの残る声を絞り出す。
「すみません、
本当に無理にというつもりじゃなくて……」
年齢は自分と同じくらいに見えるのに、
黒のスーツと窮屈そうなパンプスが彼女を必要以上に硬くしている。
若さと不器用さが滲む仕草だった。
黒瀬は手にした小さなメモ帳の角を指先でいじりながら、精一杯、誠実に続けた。
「少しだけ……お話の機会をいただけないでしょうか。
本当に、どんな形でも構いませんので……。」
その真面目な声音が、逆に鬱陶しく感じられた。
俺は低く言葉を遮った。
「いや、だからいいって。
説明も結構だし、帰ってくれ。」
黒瀬が一瞬たじろいだように立ち止まり、
口を噤んだ。
肩がわずかに落ちて見えた。
「そこをなんとか……」
黒瀬が最後に絞り出すように言ったが、
もう聞く気になれなかった。
「いいから、帰ってくれって。」
俺がそう言い切ったときだった。
「……ちょっと待って。」
背後から、美咲の声がした。
予想外だった。
美咲がこちらに歩み寄り、俺を軽く脇に避けて立つ。
「理由だけ……聞かせてください。」
白川が微かに目を見開き、すぐに穏やかな笑みを取り戻した。
深く頷くと、ゆっくりと口を開く。
「ありがとうございます。」
少し間を置いて、白川は俺と美咲をまっすぐに見た。
「これは……宗教等の信仰の話ではありません。……自己満足でも…ないつもりです。」
声は落ち着いていて、妙に澄んでいた。
「これは、僕個人の……どうしようもなく泥臭い信念なんです。」
その言葉に、黒瀬も横でわずかに背筋を伸ばした。
さっきまで硬くて不器用に見えた彼女が、
今だけは真っ直ぐにこちらを見ていた。
◇
「……僕の話で恐縮なんですが。」
白川はふいに目線を落とし、少しだけ声の調子を落とした。
これまでの無欠の笑顔が、ほんの一瞬だけ揺れる。
「僕は――物心がつく前に両親を事故で亡くしました。」
その言葉が落ちるまで、妙な静けさが部屋を満たす。
「二人のこと、正直ほとんど覚えていないんです。
どんな声だったのか、どんな笑い方をしたのかも分からない。
……ただ、ひとつだけ。どうしても手放せなかったものがありました。」
白川は、胸ポケットにそっと手を入れる。
わずかに手元が震えているように見えた。
この男に初めて隙ができたような気がした。
「それが――両親の“結婚式の写真”です。」
写真を取り出すその所作は、
さっきまでの無駄のない動きと違って、どこかぎこちなかった。
「……人生には、どうしようもなく理不尽なことが起きる。
納得できない別れも、突然すぎて受け止められないことも。」
写真を両手で包み込みながら、
白川は少し俯いた。
「……でも、この写真の中の二人だけは、
“絶対に幸せだった”って、僕には分かるんです。」
その時、白川の声が、かすかに震えた。
今まで一度も崩れなかった“完璧”が、ほんの少しだけ割れる音がした気がした。
白川は、その写真を俺たちの前に、少しだけ震える手でそっと差し出した。
「……僕は、結婚式という形式に、それだけの力があると――信じてるんです。
どんな未来や過去が不本意に奪われても、この“瞬間があった”という証だけは消せない。
だから……僕はこの仕事を、何があってもや
められないんです。」
色あせて、角が丸まった一枚の古い“写真”。
でも、その中で『微笑む二人の顔』は、なぜか今も鮮やかで。
“今”だけは、確かにここにあるように感じた。
「――結婚式は、未来のためだけのものじゃない。
今この瞬間を、“永遠“にするための儀式だと、僕は思っています。」
俺も美咲も、何も言えずにその写真を見つめていた。
胸の奥で、何かが静かに揺れるのを感じていた。
◇
しばらく沈黙が続いた。
写真を見つめているうちに、白川がどこか恥ずかしそうに視線を落とし、
小さくうつむいた。
「……失礼しました。今日は、これで失礼します」
そう言うと、白川は少しぎこちない手つきで写真を胸ポケットにしまう。
微妙に照れたような仕草は、今までの研ぎ澄まされた所作と違って、やけに人間くさかった。
黒瀬が一礼し、二人は静かにドアの向こうへ消えていく。
扉が閉まると、残されたのはさっきの写真と、妙な余韻だけだった。
ふと横を見ると、美咲がうつむいたまま、手の甲でそっと頬をぬぐっていた。
涙の跡が一筋、静かに残っている。
俺はそれを見ても、何も言えなかった。
胸の奥で、“さっきの写真“の二人の笑顔だけが、じんわりと揺れていた。
俺たちだって、まだ幸せになれるのだろうか。
1
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
5年経っても軽率に故郷に戻っては駄目!
158
恋愛
伯爵令嬢であるオリビアは、この世界が前世でやった乙女ゲームの世界であることに気づく。このまま学園に入学してしまうと、死亡エンドの可能性があるため学園に入学する前に家出することにした。婚約者もさらっとスルーして、早や5年。結局誰ルートを主人公は選んだのかしらと軽率にも故郷に舞い戻ってしまい・・・
2話完結を目指してます!
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる