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8.心優しき大男
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私が婚姻を承諾した翌日のことだった。
いつもの団欒の最中に、急に畏まったロワさんが私の両手をとった。雲の切れ間から月の光が溢れ出す。
「レン、話がある」
「はい、なんでしょうか? 」
「お前が気にしていた異世界の所持品についてだが……」
「ああ、そんなこともありましたね。それで見つかったのでしょうか? 」
異世界に連れてこられてすぐにロワさんに存在を確認したが、そんな物は無いと断言されたのを思い出す。ロワさんが隠しておきたいなら私は別に構わない。財布の中には免許証やカードが、バッグの中にはスマホが入っていた。そして初月給で買った母とお揃いの自転車。元の世界ではとても重要な物ばかりだが、この世界で使用することはないだろう。いや、やろうと思えばこの世界でオーバーテクノロジーを使用して優位に立てるかもしれない。
だが、私はそれをしない。
「お前には謝らなければならない。私はお前の所持していた物を隠したのだ。手元になければ、里心もつきにくいと考えてな……。しかし、私は間違っていた。お前のような人間に嘘を吐くなど愚かしいことをしてしまった」
うな垂れるように屈み込んだロワさんは、少し悲しそうに見えた。
「許してくれとは言わない。私は婚姻を迫るため、お前を謀ったのだ。そんな私をレン、お前は選んでくれた。その気持ちに報いたいのだ。所持品は森から持ち帰り管理している。望むなら全てを返そう」
そんなことだろうと思ってました。とは言わないでおこう。ロワさんはとても真摯な態度をとってくれたのだ。一時は元の世界に戻してくれようとしていたくらいだ。所持品を隠したのも、思い余っての行動だろう。私はそんなロワさんが可愛く見える。たとえ、剃り上げた頭頂部に月が反射していても……。
「正直にお話しくださってありがとうございます。私も所持品の行方は気になっていました。ですが――」
ここで言葉を切って、ロワさんの手を握り返す。しかとアイスブルーの瞳を見返せば驚きで小さく揺れた。
「先も言いましたように、私はこの世界で生きていくと決めました。元の世界に未練がないわけではありませんが、良いのです。所持品は全て処分してください。できれば、他人に悪用されないよう厳重にお願いします。所持品の中にはこの世界に無い方がよいものもありますので」
私が強く握りしめた大きな手は少し逡巡した後、私を引き寄せた。豊かな眉に隠れがちな優しい瞳に感謝を浮かべ、私の手に触れるように口づけした。思いのほか熱い唇に、胸が締め付けられる。
「感謝する。愛しき娘よ」
ロワさんの口から飛び出た言葉は、私の脈を乱れさせた。
愛しきだなんて……本当に勘違いしてしまいそうになる
この世界で生きていく上で、ロワさんに愛されたいと願うのは望みすぎだろうか。私も愛する努力をすると言ったが、既に私の胸はロワさんではちきれそうだ。
私と同じ気持ちまでは求めないが、好意を抱いてくれているのは本当に嬉しい。婚姻を結び長い年月をかければ、夫婦らしく愛を育んでいけるかもしれない。
少し将来の展望に希望が見えて嬉しくなった。
濃い緑の息吹のなか、朝露に濡れる前庭は輝くばかりに美しい。あまり手を入れていない灌木は自由に枝を伸ばし生命を謳歌している。
翌朝朝食前に前庭を散策していると、森に続く小道の方から髭もじゃの鬼人オーガもとい、ロワさんが歩いてきた。今朝は丸首袖なしの貫頭衣という出で立ちだ。長剣を携えていることから、鍛錬でもしてきたのかもしれない。実際、その逞しい両肩からは湯気が立ち上っていた。道で当然出会ったら、腰を抜かしてしまうだろう姿だが、私には心優しき熊に見える。
「ロワさん。おはようございます。とても気持ちの良い朝ですね」
朝一でロワさんに会えたことが嬉しくて、スカートを絡げて走り寄ろうとすると、ロワさんは相変わらずの無表情のまま、手で私を制して大股でこちらに近づいて来た。
「足が冷えるぞ」
側まで来ると、絡げていたスカートを丁寧に直される。
足が冷えるって……子供じゃないんだから。それとも、いい歳の女がはしたないことをするなっていう意味なのかな?なんだか釈然としない。
「あ、ありがとうございます。ロワさんは森から来られましたが、鍛錬していたのですか?」
そう問いかければ、彼は大きな体を屈めて胸ポケットから何かを取り出した。
「これを」
ずいっと目の前に差し出されたのは一輪の小さな花だった。大きな指にようやく摘まれたような小さな小さな花だった。
白い花弁に顔をちかづけると、嗅いだことのある甘い香りが鼻をくすぐった。少しローズマリーに似ているこれは――。
「夏漆だ」
そういえば前にも見せてもらったことがあったのを思い出す。確か魔除けに使用するとか……。そんな花をなぜ摘んできてくれたのだろうか。早く受け取れとばかりに手を突き出すので、一輪の夏漆の花を受け取った。
「この花をわたしに? 」
「お前に似ている」
嬉しさが胸に広がる反面、心の中で唸ってしまう。
夏漆の多分小さくて可愛いところが似ている(自分で言っていて虚しいが)と言いたいのかもしれない。もしくは、魔除け的な意味合いも含んでいるのかもしれない。
それにしても、ロワさん口下手過ぎる
しかも、摘んできてくれた夏漆は茎の根元が潰れてしまっている。花なんて摘んだことないんだろう。
でも……、でも。私にとってはどんなイケメン男性に貰う高級な花束よりも嬉しかった。不器用なロワさんが私を愛する努力を始めてくれたんだと思うと、目の奥が熱くなる。
私もそれに応えないといけないだろう。
しかし、その行為は仕方なくではない。私がそうしたいと望んで行うのだ。
人を愛するということは、与えられることではなく与えることだと私が気づいたのは、もう少し後のことだった。
青々と繁る木立の静寂が、私達を包む。小鳥のさえずりだけがいつまでも降り注いでいた。
いつもの団欒の最中に、急に畏まったロワさんが私の両手をとった。雲の切れ間から月の光が溢れ出す。
「レン、話がある」
「はい、なんでしょうか? 」
「お前が気にしていた異世界の所持品についてだが……」
「ああ、そんなこともありましたね。それで見つかったのでしょうか? 」
異世界に連れてこられてすぐにロワさんに存在を確認したが、そんな物は無いと断言されたのを思い出す。ロワさんが隠しておきたいなら私は別に構わない。財布の中には免許証やカードが、バッグの中にはスマホが入っていた。そして初月給で買った母とお揃いの自転車。元の世界ではとても重要な物ばかりだが、この世界で使用することはないだろう。いや、やろうと思えばこの世界でオーバーテクノロジーを使用して優位に立てるかもしれない。
だが、私はそれをしない。
「お前には謝らなければならない。私はお前の所持していた物を隠したのだ。手元になければ、里心もつきにくいと考えてな……。しかし、私は間違っていた。お前のような人間に嘘を吐くなど愚かしいことをしてしまった」
うな垂れるように屈み込んだロワさんは、少し悲しそうに見えた。
「許してくれとは言わない。私は婚姻を迫るため、お前を謀ったのだ。そんな私をレン、お前は選んでくれた。その気持ちに報いたいのだ。所持品は森から持ち帰り管理している。望むなら全てを返そう」
そんなことだろうと思ってました。とは言わないでおこう。ロワさんはとても真摯な態度をとってくれたのだ。一時は元の世界に戻してくれようとしていたくらいだ。所持品を隠したのも、思い余っての行動だろう。私はそんなロワさんが可愛く見える。たとえ、剃り上げた頭頂部に月が反射していても……。
「正直にお話しくださってありがとうございます。私も所持品の行方は気になっていました。ですが――」
ここで言葉を切って、ロワさんの手を握り返す。しかとアイスブルーの瞳を見返せば驚きで小さく揺れた。
「先も言いましたように、私はこの世界で生きていくと決めました。元の世界に未練がないわけではありませんが、良いのです。所持品は全て処分してください。できれば、他人に悪用されないよう厳重にお願いします。所持品の中にはこの世界に無い方がよいものもありますので」
私が強く握りしめた大きな手は少し逡巡した後、私を引き寄せた。豊かな眉に隠れがちな優しい瞳に感謝を浮かべ、私の手に触れるように口づけした。思いのほか熱い唇に、胸が締め付けられる。
「感謝する。愛しき娘よ」
ロワさんの口から飛び出た言葉は、私の脈を乱れさせた。
愛しきだなんて……本当に勘違いしてしまいそうになる
この世界で生きていく上で、ロワさんに愛されたいと願うのは望みすぎだろうか。私も愛する努力をすると言ったが、既に私の胸はロワさんではちきれそうだ。
私と同じ気持ちまでは求めないが、好意を抱いてくれているのは本当に嬉しい。婚姻を結び長い年月をかければ、夫婦らしく愛を育んでいけるかもしれない。
少し将来の展望に希望が見えて嬉しくなった。
濃い緑の息吹のなか、朝露に濡れる前庭は輝くばかりに美しい。あまり手を入れていない灌木は自由に枝を伸ばし生命を謳歌している。
翌朝朝食前に前庭を散策していると、森に続く小道の方から髭もじゃの鬼人オーガもとい、ロワさんが歩いてきた。今朝は丸首袖なしの貫頭衣という出で立ちだ。長剣を携えていることから、鍛錬でもしてきたのかもしれない。実際、その逞しい両肩からは湯気が立ち上っていた。道で当然出会ったら、腰を抜かしてしまうだろう姿だが、私には心優しき熊に見える。
「ロワさん。おはようございます。とても気持ちの良い朝ですね」
朝一でロワさんに会えたことが嬉しくて、スカートを絡げて走り寄ろうとすると、ロワさんは相変わらずの無表情のまま、手で私を制して大股でこちらに近づいて来た。
「足が冷えるぞ」
側まで来ると、絡げていたスカートを丁寧に直される。
足が冷えるって……子供じゃないんだから。それとも、いい歳の女がはしたないことをするなっていう意味なのかな?なんだか釈然としない。
「あ、ありがとうございます。ロワさんは森から来られましたが、鍛錬していたのですか?」
そう問いかければ、彼は大きな体を屈めて胸ポケットから何かを取り出した。
「これを」
ずいっと目の前に差し出されたのは一輪の小さな花だった。大きな指にようやく摘まれたような小さな小さな花だった。
白い花弁に顔をちかづけると、嗅いだことのある甘い香りが鼻をくすぐった。少しローズマリーに似ているこれは――。
「夏漆だ」
そういえば前にも見せてもらったことがあったのを思い出す。確か魔除けに使用するとか……。そんな花をなぜ摘んできてくれたのだろうか。早く受け取れとばかりに手を突き出すので、一輪の夏漆の花を受け取った。
「この花をわたしに? 」
「お前に似ている」
嬉しさが胸に広がる反面、心の中で唸ってしまう。
夏漆の多分小さくて可愛いところが似ている(自分で言っていて虚しいが)と言いたいのかもしれない。もしくは、魔除け的な意味合いも含んでいるのかもしれない。
それにしても、ロワさん口下手過ぎる
しかも、摘んできてくれた夏漆は茎の根元が潰れてしまっている。花なんて摘んだことないんだろう。
でも……、でも。私にとってはどんなイケメン男性に貰う高級な花束よりも嬉しかった。不器用なロワさんが私を愛する努力を始めてくれたんだと思うと、目の奥が熱くなる。
私もそれに応えないといけないだろう。
しかし、その行為は仕方なくではない。私がそうしたいと望んで行うのだ。
人を愛するということは、与えられることではなく与えることだと私が気づいたのは、もう少し後のことだった。
青々と繁る木立の静寂が、私達を包む。小鳥のさえずりだけがいつまでも降り注いでいた。
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