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第十六章 『特殊な部隊』と権威
第36話 束帯とタバコと銃弾
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甲武国の権力の象徴といえば、金鵜殿と言われていた。
鏡都の中央にそびえるその巨大な宮殿は、四百年にわたり政治の中心として君臨し、数千ヘクタールにおよぶ広大な庭園を抱えている。
建材はすべて、緑豊かな遼帝国から取り寄せた高級木材を使っている。度重なる増築には一世紀以上の歳月を費やしたという。
その威容を背に、漆塗りの門を高級車が次々とくぐっていく。なかには牛車で乗り付ける貴族までおり、まるで平安絵巻を思わせる光景が広がっていた。
報道陣のフラッシュが焚かれる中、群れから離れて通用門脇の喫煙所に立っていた男が一人いた。
嵯峨惟基。
黒の衣冠束帯に木靴。手には安タバコと、灰皿代わりに使われているマックスコーヒーの空き缶が奇妙なアンバランスさを見るものに与えた。
次々と現れるこの儀式の主役たちの姿を見ながら、嵯峨はただ喫煙所で煙草をくゆらせていた。そこに、甲武陸軍の将官の制服を着た壮年の男が近づいてきた。
その男、醍醐文隆陸軍大臣は深々と頭を下げたが、嵯峨は露骨に嫌な顔をした。
「醍醐さん、もう今日の『殿上会』であなたは私の被官じゃなくなるんですから。そういう態度はやめてください。頭を下げるなら、かえでにどうぞ。私はもう知りません」
そう言いながら、嵯峨はタバコを指先で転がす。
「それに、あの話はもう終わったでしょう。いくら陸相のご意向でも、私は同盟機構の官吏。一加盟国の利益のために便宜を図るような真似はできませんよ」
通常なら笑って受け流すはずの醍醐だったが、今日の彼の表情は重い。
「法としてはその通りでしょう。ただ、主家は主家、被官は被官……分をわきまえるのもまた、美徳と私は思います。内府殿がどう考えようと、私は陸相としてあらゆる手段でこの国の利益を守る覚悟です」
口元に浮かぶ皮肉な笑み。
醍醐は『民派』の貴族でありながら、伝統主義的な忠誠観念の持ち主だった。
「なるほど。忠さんや高倉が嫌な顔してたのも分かりますね」
嵯峨は静かに言う。
「つまり、バルキスタンでの国家憲兵隊と米軍の合同作戦、あれはあなた……陸相の指示だったというわけか」
タバコの灰がマックスコーヒーの空き缶に落ちる。
「『近藤資金』を使ってバルキスタンの麻薬とレアメタルの利権を掌握する……。司法局が反対する理由が私には分からないのですが」
醍醐が手を差し出す。嵯峨は仕方なく、タバコを一本渡した。
「俺は別に、カント将軍に頼まれたわけでも、あそこに利権を持つ西モスレムのお使いじゃありませんよ。ただ……同盟議会の目を盗んでそんなことをやられたとなれば、司法局としては黙っていられない。そういう話です」
タバコの煙が静かに空へ昇る。
視線の先には、古めかしい高級車から降り立とうとする西園寺首相の次女・日野かえでの姿があった。
「来ましたよ、醍醐さん。あなたの新しい主君です。せいぜい可愛がってやってください。叔父として、そしてこれからは『義父』として言えるのはそれくらいですね」
嵯峨の口調は淡々としていた。
嵯峨が立ち去ろうとすると、醍醐はその肩を掴んだ。
「本当に、あの子たちにこの腐りきった甲武を渡すおつもりですか? あなたにも良心はあるでしょう!カント将軍を放置して、体制だけが入れ替わる……そんなことでは、何一つ変わらない!それでも良いとあなたは言うのですか!」
しかし嵯峨は、無言でタバコをもみ消し、また新しい一本に火をつけた。
「……正直言って、カント将軍がどうなろうと知ったことではないんです。ただ、譲れないことが2つある。だから俺は今回の作戦に反対している。それだけのことです」
その瞬間、嵯峨の目が鋭く光を帯びる。
「アメリカ軍の介入。そして、現在進行中のバルキスタン総選挙……それがカギ、ということですか?」
醍醐が問うが、嵯峨は応じない。
以前の嵯峨ではなかった。
その冷徹な視線に、醍醐はかつて『人斬り新三』と呼ばれた男の姿を重ねた。
「では、情報の交換をしましょう。そちらの掌握している現地情勢、引き換えにこちらからも一部、司法局の動きをお伝えします……あなたにも悪い話じゃ無いと思うのですが……」
嵯峨が煙を吐きながら、口元だけで笑う。
醍醐は無言のままうなずいた。
「まず、うちの公安機動隊が甲武陸軍の現役士官三名の身柄をすでに確保しています。陸相、先走りすぎですよ……あれだけ大っぴらに動かれると司法局としても甲武が何か考えているなんてことは嫌でも分かる」
その報告は、既に高倉大佐から届いていた内容と一致していた。
「ちなみに、バルキスタンのイスラム系武装組織に拉致された米軍将校の救出……あれは、うちの同僚の手柄ってことにしておきますかね……それはそちらがやるべき仕事でしょ?なんでそちらを優先しないのか……理解に苦しむところだ」
タバコの煙が再び天を目指す。
醍醐も、重い息と共に煙を吸い込んだ。
「……だが、我々も引けません。これは甲武だけの問題じゃない。アメリカはすでに本腰を入れてきている。地球圏の我が国に対する敵国条項の解除……国益のため、譲れない一線がある」
醍醐の額に汗がにじんでいた。だがそれでも、意志は揺るがなかった。
……互いに譲れぬ信念。だが、交わることのない立場。
わずか三十センチの距離に立つ二人のあいだに横たわるのは、宇宙よりも遠い隔たりだった。
鏡都の中央にそびえるその巨大な宮殿は、四百年にわたり政治の中心として君臨し、数千ヘクタールにおよぶ広大な庭園を抱えている。
建材はすべて、緑豊かな遼帝国から取り寄せた高級木材を使っている。度重なる増築には一世紀以上の歳月を費やしたという。
その威容を背に、漆塗りの門を高級車が次々とくぐっていく。なかには牛車で乗り付ける貴族までおり、まるで平安絵巻を思わせる光景が広がっていた。
報道陣のフラッシュが焚かれる中、群れから離れて通用門脇の喫煙所に立っていた男が一人いた。
嵯峨惟基。
黒の衣冠束帯に木靴。手には安タバコと、灰皿代わりに使われているマックスコーヒーの空き缶が奇妙なアンバランスさを見るものに与えた。
次々と現れるこの儀式の主役たちの姿を見ながら、嵯峨はただ喫煙所で煙草をくゆらせていた。そこに、甲武陸軍の将官の制服を着た壮年の男が近づいてきた。
その男、醍醐文隆陸軍大臣は深々と頭を下げたが、嵯峨は露骨に嫌な顔をした。
「醍醐さん、もう今日の『殿上会』であなたは私の被官じゃなくなるんですから。そういう態度はやめてください。頭を下げるなら、かえでにどうぞ。私はもう知りません」
そう言いながら、嵯峨はタバコを指先で転がす。
「それに、あの話はもう終わったでしょう。いくら陸相のご意向でも、私は同盟機構の官吏。一加盟国の利益のために便宜を図るような真似はできませんよ」
通常なら笑って受け流すはずの醍醐だったが、今日の彼の表情は重い。
「法としてはその通りでしょう。ただ、主家は主家、被官は被官……分をわきまえるのもまた、美徳と私は思います。内府殿がどう考えようと、私は陸相としてあらゆる手段でこの国の利益を守る覚悟です」
口元に浮かぶ皮肉な笑み。
醍醐は『民派』の貴族でありながら、伝統主義的な忠誠観念の持ち主だった。
「なるほど。忠さんや高倉が嫌な顔してたのも分かりますね」
嵯峨は静かに言う。
「つまり、バルキスタンでの国家憲兵隊と米軍の合同作戦、あれはあなた……陸相の指示だったというわけか」
タバコの灰がマックスコーヒーの空き缶に落ちる。
「『近藤資金』を使ってバルキスタンの麻薬とレアメタルの利権を掌握する……。司法局が反対する理由が私には分からないのですが」
醍醐が手を差し出す。嵯峨は仕方なく、タバコを一本渡した。
「俺は別に、カント将軍に頼まれたわけでも、あそこに利権を持つ西モスレムのお使いじゃありませんよ。ただ……同盟議会の目を盗んでそんなことをやられたとなれば、司法局としては黙っていられない。そういう話です」
タバコの煙が静かに空へ昇る。
視線の先には、古めかしい高級車から降り立とうとする西園寺首相の次女・日野かえでの姿があった。
「来ましたよ、醍醐さん。あなたの新しい主君です。せいぜい可愛がってやってください。叔父として、そしてこれからは『義父』として言えるのはそれくらいですね」
嵯峨の口調は淡々としていた。
嵯峨が立ち去ろうとすると、醍醐はその肩を掴んだ。
「本当に、あの子たちにこの腐りきった甲武を渡すおつもりですか? あなたにも良心はあるでしょう!カント将軍を放置して、体制だけが入れ替わる……そんなことでは、何一つ変わらない!それでも良いとあなたは言うのですか!」
しかし嵯峨は、無言でタバコをもみ消し、また新しい一本に火をつけた。
「……正直言って、カント将軍がどうなろうと知ったことではないんです。ただ、譲れないことが2つある。だから俺は今回の作戦に反対している。それだけのことです」
その瞬間、嵯峨の目が鋭く光を帯びる。
「アメリカ軍の介入。そして、現在進行中のバルキスタン総選挙……それがカギ、ということですか?」
醍醐が問うが、嵯峨は応じない。
以前の嵯峨ではなかった。
その冷徹な視線に、醍醐はかつて『人斬り新三』と呼ばれた男の姿を重ねた。
「では、情報の交換をしましょう。そちらの掌握している現地情勢、引き換えにこちらからも一部、司法局の動きをお伝えします……あなたにも悪い話じゃ無いと思うのですが……」
嵯峨が煙を吐きながら、口元だけで笑う。
醍醐は無言のままうなずいた。
「まず、うちの公安機動隊が甲武陸軍の現役士官三名の身柄をすでに確保しています。陸相、先走りすぎですよ……あれだけ大っぴらに動かれると司法局としても甲武が何か考えているなんてことは嫌でも分かる」
その報告は、既に高倉大佐から届いていた内容と一致していた。
「ちなみに、バルキスタンのイスラム系武装組織に拉致された米軍将校の救出……あれは、うちの同僚の手柄ってことにしておきますかね……それはそちらがやるべき仕事でしょ?なんでそちらを優先しないのか……理解に苦しむところだ」
タバコの煙が再び天を目指す。
醍醐も、重い息と共に煙を吸い込んだ。
「……だが、我々も引けません。これは甲武だけの問題じゃない。アメリカはすでに本腰を入れてきている。地球圏の我が国に対する敵国条項の解除……国益のため、譲れない一線がある」
醍醐の額に汗がにじんでいた。だがそれでも、意志は揺るがなかった。
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