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『秩序の守護者』を自任する老人

第43話 正体不明の『敵』

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 カーンは静かにブランデーグラスを眺めていた。

「ところで、君は敵に対する敬意と言うものを持っているのかね?あの報告書の内容はいい。ただ、もしそういうものが君に少しでもあったのなら、あの『身勝手な推測と予測』に裏付けられた報告書を私の目に触れさせる様なことはしなかったと思うね。」

 皮肉めいた老人の言葉に近藤は口を真一文字に結んだ。

「報告書とはすべてありのままの事実を報告するから『報告書』と呼ばれるのだよ。推論と決めつけだけで書いていいのなら、それはタブレット紙の見出し記事と同じ価値しかない」 

 そのカーンの否定にまみれた言葉を聞くと、思わず近藤は額の汗を拭っていた。手にした情報の価値を過小評価されたという事実が彼の語気を激しいものとした。

「ですがカーン閣下!現状として我々が表立って我等と同志達が動ける範囲といえば……限られています!その中でできる限りのことを調べ上げたつもりです!」

 近藤は机に両手を突いて叫んだ。だが、カーンは表情を一つ変えることもなく、ただ感情的になった近藤をはぐらかすように再びブランデーグラスを手にした。 

「言い訳は生産的とは言えないな。情報統制に関していえば向こうには、東都共和国の『切り札』の『公安機動部隊』と言う存在がある。まあ、君のような『優秀な』の軍人は見過ごしてしまうものかもしれないがね」

 近藤は表情を変えることが出来なかった。あっさりと自分を『優秀な』と斬って捨てる老人の残酷さにおびえていた。

「あれは、嵯峨と言う男が東和共和国の『公安』を味方につけているというのは、あくまで噂《うわさ》ですよ。あの男が時に『時代を読み切った』ような手を打つのは偶然です!それは嵯峨と言う男が作り出した『虚像うそ』だと私は判断しました!」

「そうか?なら、そうしておこう。それが『虚像うそ』なら、この報告書には矛盾が無いと読める。まあ、読むまでもなく、『結論』ありきで書いてあるから、この報告書に『矛盾』が無いのは当然だな」

 そう言ってカーンは静かにグラスをテーブルに置いた。

 反論の機会をうかがっていた近藤に向けて、カーンは一度笑みを浮かべた。そして、静かに言葉を続ける。

「我々と命がけのカードゲームをしているのは『嵯峨惟基』と呼ばれる存在だ。あの男のカードは私には『だいたい』分かっている。ならばこちらも手持ちの札を数えなおして、次に切るカードを選択する。カードゲームの基本だよ……そして情報収集もまた然りだ」

 そう言うカーンの顔には厳しい表情が浮かんだ。

「君のような『まともな軍人』は知らないだろうし、興味もない話かもしれないが、あの男はかつて『治安機関』にいたと言う『噂』がある。まあ、あの大戦時の記録が『まるっきり残っていない』男のことだから、『治安機関』や『諜報機関』の過去があったとしても不思議はないのだがね……」

 近藤は『殿上貴族』の当主であるがゆえに戦争を避けていたと思い込んでいた嵯峨の消えていた経歴についてカーンがすでに知っていることを確認して静かに黙り込んだ。

「相手が東都共和国の公安当局の電子戦のプロと手を結んでいるのなら、多少の出費はあっても、直接『足』で情報を稼ぐようなことも考えたらどうかね。君の資金はそれには十分耐えうると思うんだが」

 そういうとカーンは再びグラスを手に取りブランデーに口をつけた。近藤はカーンのはぐらかすような調子にいつもと同じ苛立ちを感じていた。
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