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『秩序の守護者』を自任する老人

第44話 『不敗の男』

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 近藤は自分が今の甲武軍の主流からは外れた立場にあることは十分承知していた。

 甲武国政権の中枢にある西園寺義基首相は、軍縮を視野に入れた宥和的政策での同盟機構内部での発言権拡大を目指すことを選択していた。甲武の一方的な軍縮を敗北主義と考える近藤と同志達は、西園寺内閣による軍の特権剥奪に危機感を抱いていた。

 彼らは軍内部でも孤立していく中で、自分達こそが国家の尊厳すらも安易に投げ捨てかねない西園寺義基の『現実主義政策』に異を唱えるべく集まった救国の士だと自負していた。

 西園寺内閣の矢継ぎ早の同盟宥和政策が国を大きく変えつつある今が、それを打倒する最後のチャンスであると考えていた。

 ゲルパルト第四帝国をの『民族秩序の再興』を掲げる『ゲルパルト民族団結党』の残党。国を追われてもその理想を推し進める『闘士』ルドルフ・カーン。彼が近藤に依頼したのは、『売国奴』である西園寺義基の義弟、嵯峨惟基の率いる『特殊な部隊』の調査だった。

 そんな嵯峨が目をかけているという若者、『神前誠』が何者だろうが近藤には関心の無い話だった。そこに注目するカーンの意図も図りかねていた。

 ようやくそんなあふれ出してくる怒りを主とする感情の整理をつけると、言葉を選びながら近藤は話を続けた。

「やはり、この報告書に不手際があったとは到底思えません!金で魂を売る『ハッカー共』が情報改ざんを行っていないことは裏が取れています。ですので……」

「ちがう!ちがう!」

 そんな近藤の言葉にカーンは初めて明らかな不快感の色を帯びた叫びを漏らした。交響曲が終わり、再びブランデーグラスに口をつけた後、近藤を見る青い瞳には侮蔑の色がにじんでいるのがわかり、近藤は思わず口を閉ざした。

「君は本当に海軍大学校を卒業したのかね?君は東和共和国の『アナログ式量子コンピュータ』のユーザー達から目を背けた。だからこのような『見るに堪えない報告書』を私に提出した。他者を理解しようと言う行為に意味を感じていないと言うことは、自分の無能を証言しているようなものだよ。君の言葉は私にはそう聞こえて仕方がないんだ」

 再びグラスをテーブルに置くとカーンは椅子に座りなおし、氷のような青い瞳で近藤をにらみつけて静かに語り始めた。

「確かに今度、あの『特殊な部隊』に入った神前誠少尉候補生。彼の出自に不自然なことは書類上無い。あえて言えば『乗り物酔い』がひどいことぐらいだ。だが、そもそもこんなに不自然なことが無い人物をなぜ嵯峨君が選んだのか?そう考えてみたことは無いのかね?嵯峨惟基。甲武国陸軍大学校で卒業証書を破り捨てて、「『全権督戦隊長』以外の任官を拒否する!」と大演説をぶった男だ。我々の命がけの『カードゲーム』の『本当』の相手はあの男だよ。地球連邦政府でも遼州同盟でも無いんだ。少なくとも、私にはそうだと考えている」

 そう言うとカーンはグラスを手に持った。

「君は認めたくないだろうが、私の知っていることを話そう。あの男には『運』がある。そして、偽名で同じ顔をした男が、崩壊寸前の遼大陸戦線で指揮した貧弱な装備の大隊が遼北人民軍の100倍の戦力相手に『負けなかった』と私は聞いている。私はそんな『不敗の男』興味があるね。君は興味が無いようだが、私は『興味』がある」 

 近藤は目の前で敵を誉めつつその言葉に酔いかけている老人にそう言われて言葉に詰まった。見るべきものを見落としていた。そのような老人の言葉を聞けば、老人が何を言わんとしているか、そして報告書に一番欠けているものは何かを察することができた。

『この老人は私と甲武国の『官派』の同志達を『利用』している。恐らく、あの嵯峨惟基と呼ばれる存在も……ならば、我々も動いて……出方を見よう」

 近藤はそう思いながら静かに『貴賓室の闘志』に頭を下げた後、敬礼した。
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