遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の夏休み

橋本 直

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第十章 『特殊な部隊』のお姫様のお国事情

第25話 嵯峨隊長と三つの名前

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「なんだよ……アタシの家は……確かに複雑だな……特に叔父貴がらみが」

 口調はがらっぱちだが、かなめのフォークさばきは手慣れたものだった。

「そう言えば……隊長は苗字が『嵯峨』ですけど……西園寺さんの叔父さんなんですよね?西園寺さんの弟……それがなんで苗字が違うんですか?」

 フォークに慣れずにそのまま皿を手に持ってサラダを食べ始めた誠にアメリアやカウラが明らかに呆れた表情を浮かべる。

「まず言っとくと、叔父貴は爺さんの義理の息子なんだ……なんでも、おふくろの家の親戚とかで……十三歳の時にうちに来たらしい。そん時の名前が『西園寺さいおんじ新三郎しんざぶろう』って言うの。アタシの親父が次男で次に西園寺家に来たわけだから三男だから『新三郎』」

 そこまで言うとかなめはまた慣れた様子でワインを口に含んだ。

「でも、隊長が僕の家に出入りするようになった時には『嵯峨惟基』って名乗ってたって母さんが言ってましたよ?母からは『西園寺新三郎』なんて名前、聞いたこと無いですよ、一度も。変じゃないですか?それって」

 誠はサラダを口に頬張りながら下品にそう言った。明らかに三人の女性上司が呆れているのは分かったが、他に食べ方を知らなかったので仕方がなかった。

「うちは、『殿上貴族』のトップなんだよ!貴族の家が断絶になると、うちにその家の家格かかくがうちの預かりになるわけ!だからうちには絶家になってうち預かりになった家の家格がごまんとある。なんならその中の貴族の家格をオメエにもやろうか?アタシの権限でも男爵くらいならどうにかなるぞ?欲しいか?貴族の位。貰うともれなく年金が出る。良いだろ」

 物わかりの悪い誠を非難する調子でかなめが叫んでくる。

「お家断絶……なんか江戸時代みたいですね。家来の人が西園寺さんの家に討ち入りに来たりしないんですか?絶家になったのがサムライの家だったりすると。さっき武家貴族とか言いましたから当然御大名なんですよね?家来が一杯いるんですよね?あれですか……投手が死ぬとそれを追って切腹とかするんですか?」

 誠の数少ない歴史知識に『忠臣蔵』は存在していた。だからサムライは何かというと討ち入りをするものだと言う理解があった。

「まあ、甲武国は『大正ロマンあふれる国』だから。大石内蔵助は江戸時代の人。さすがにそこまで甲武も古くないわよ。それに主君が死ぬと後を追う『殉死じゅんし』は甲武の法律でも禁止されてるはずよね。まあたまにやる人もいるみたいだけど」

 アメリアがわけのわからないフォローを入れてくるが誠は完全に無視した。

「でだ。『嵯峨』の家は甲武の公爵家で特別な家の『四大公家』なんだけど、ずっと絶家になってたわけだ。爺さんが戦争好きな他の貴族連中への当てつけで叔父貴を当主に据えて再興させたわけだ。だから、そん時に苗字が『嵯峨』になったわけだよ。叔父貴が嵯峨家を継いだのは18の時。それ以降はずっと嵯峨惟基と名乗ってる。分かったか?」

 かなめは相変わらず上から目線で社会常識のない誠に向けてそう言った。

「えーと……つまり隊長……西園寺さんの叔父さんは、最初は『西園寺新三郎』だったけど、西園寺さん家が預かってた別の貴族の『嵯峨家』を再興するために、『嵯峨惟基』に名前を変えて、しかも新聞では『悪内府』って呼ばれてる……で、幼名が“新三郎”で……」
 
 誠はフォークを持ったまま、もう何がなんだか分からないといった顔で固まった。苗字のことは理解できても名前がなぜ変わるかは誠には理解できなかった。

「あのなあ……甲武の上流士族以上は『幼名』って制度があんの!叔父貴は十三歳でうちに来た上に嫡流じゃねえから幼名で『新三郎』って名乗ったわけ!『九郎判官くろうほうがん義経よしつね』とか知らねえか?その義経の『九郎』にあたる部分が『新三郎』だ!そんぐらいは常識……ああ、その常識が神前にはねえんだったよな。分かった。アタシが馬鹿だった。オメエには甲武国の仕組みは一生理解できねえ!一生懸命原子記号でも覚えてろ!そっちは得意なんだろ?この国の私大理系の最難関の大学出てるんだから!」

 かなめは匙を投げたと言うようにそう言い放つと誠にいつも隊で見せる誠を馬鹿にするときの視線を向けてきた。

「そんなこと知りません。僕に何を期待してるんですか?確かに元素記号なら全部暗記していますよ……でも歴史は……まるっきり興味が無いからかもしれませんけど、どうやっても覚えられないんです。人には苦手なことと得意な事が有るんです!西園寺さんにもあるでしょ?そう言うこと」

 かなめの常識は歴史知識皆無の誠にとっては完全にカルトクイズクラスのモノだった。誠は半分やけになってそう叫んだ。

「だから……叔父貴はその規則で言うとだ『悪三郎内府あくさぶろうないふ惟基これもと』って呼ぶの!新聞とかではそっちで出てくるの!甲武の平民達も『鬼より怖い悪内府』と呼べば大体あの間抜け面を思い出す。叔父貴の戦時中の悪行は新聞でまるで英雄譚の様に報じられてたからな。おかげで戦犯として逃げられなくなったわけだが」

 誠はまた出てきた新しい名前にもうすでにその頭はパンクしていた。

「あの顔で『悪内府』って……通り名のクセが強すぎませんか?しかも『鬼より怖い』って、どんな実績積んだんです?」

 嵯峨のあの皮肉たっぷりの永遠の若造の顔を思い出しながら誠はそう言った。
 
「神前。叔父貴はな、遼帝国でゲリラ狩りをしていた時に一日に捕虜を千人斬ったって新聞で報道されたことがあるんだよ。当時は新聞も敵国憎しでアレな記事ばっかり流してたからな」

 かなめは相変わらず上品なフォークとナイフ裁きを乱さずにそう言って誠に笑いかけた。

「一日に千人……あの隊長の愛刀『粟田口国綱』一本でよくそんなことが出来ましたね。僕は剣道場の息子だから知ってますけど人を十人も斬ると日本刀は切れ味が落ちて……」

「神前よ。そんなの新聞が大げさに戦果の報告をして国威発揚を計ったデマに決まってんだろ?まあ、後にそれを証拠としてアメリカ陸軍は叔父貴を戦争犯罪人に仕立て上げた訳だがな」

 かなめは冷たくそう言い放つと戦場で見せる彼女独特の殺人機械のような笑みを浮かべた。

「嘘で戦争犯罪人に?酷い話じゃないですか!」

 誠は20年前の第二次遼州大戦がいかに滅茶苦茶な戦いであったかということをかなめの言葉で思い知った。

「まあ戦争なんてそんなもんでしょ。私の国、ゲルパルトでも似たようなことをしてたわよ。それと誠ちゃんには朗報だけど甲武でも活字で書いてある士族や平民用の新聞なら『嵯峨惟基』って書いてあるわよ。でもかなめちゃんの『読める』新聞にはそう書いてあるらしいの。ああ、かなめちゃんの読める新聞は誠ちゃんには絶対に読めないから大丈夫よ。私もあんな文字読めないし」

 今度はアメリアが奇妙なことを言い出したので誠はフォークを止めてアメリアの方に顔を向けた。

「僕の読める新聞……甲武も日本語通じるんじゃないですか?あそこって地球の日本国が滅亡した時に支配しに来たアメリカを嫌った人が移民してきた国って聞いてるんですけど……」

 またアメリアが妙なことを言うが無視しようとしたが、誠はその言い回しが気になってアメリアの方に目を向けてそう言った。

「だって……かなめちゃんは活字が読めないもの」

 アメリアが言い出したのは誠の想像の斜め上を行く発言だった。

「え?活字が読めない?それじゃあ学校でどうやって教科書読んでたんですか?」

 誠はあまりに意外な言葉に呆然とした。そしてそのまま視線をかなめに向ける。

「活字なんてのは明治時代に学のねえ連中が考え出した下賤な文字なの!そんなの殿上貴族は読んじゃいけねえの!ちゃんと『道風流とうふうりゅう』とか『定家流ていかりゅう』で書け!今の技術なら活字じゃなくて筆で描いたこれらの美しい文字を画面にも紙にも表示することができんだ!少しは考えろ!筆で書いてこそ日本語だ!活字?そんな邪道な文字は見るに値しねえ!活字は“量産するためだけの猿文字”なんだよ!アタシに言わせりゃ、道風流の一筆は千の活字に勝る!……お前ら、フォントに魂があると思ってんのか?あんなもんAIに意志を伝える為だけの道具じゃねえか。そんなもんに心が乗るか?そんなもんで表現した文章に何の価値がある?アタシから言わせればそんなのは邪道だね」

 かなめはそう叫ぶとたれ目で誠をにらみつけた。

「筆文字の……ああ、蕎麦屋の看板に書いてあるあれですか。確かに僕には読めませんね。でも……活字が読めないと困りません?」

 おどおどと誠はかなめにそう尋ねる。

「そんなもん、アタシ専属の国文学者の書家が書き起こすから問題ねえ!それにアタシは頭が電脳化してるからすべて音声データで理解できんの!活字を読む必要なんてねえの!まあ、野球のスコアーを見る時必要だからその文字は覚えてる。でも好きでもねえ文字まで覚えるほどアタシは暇じゃねえんだ!」

 もはやここまで行くと暴論である。東和共和国の活字文化の中で育ってきた誠にとってはもはやかなめは理解不能な生き物だった。

「でも……困りません?町で看板を見たときとか。僕も蕎麦屋をどうしてあんな字で書くのか分からなくて困ってるし」

 かなめは今東和にいる。それなら活字と嫌でも接することになる。誠はそう思ってそう言ってみた。

「そんなもん、アタシの脳はネットに直結してんだよ。自動的に音声変換されて頭に響くわな……要は読むのが面倒なんだなんで筆文字を覚えてるのに二重で活字を覚えなきゃなんねえんだ?無駄だろ?そんなの」

 自分の価値観を人に押し付ける。それがかなめの悪い癖だと誠は思っていた。

「本当に勝手ね。まあかなめちゃんらしい理屈と言えばそれまでだけど。じゃあ、誠ちゃんに渡した書類って全部『筆文字』だったの?」

 今度はアメリアが誠に向けてそう言ってきた。

「そうだ。西園寺が書類を神前あてに回す時は必ず私が写真を撮って甲武の西園寺の実家に送り、それを活字に直したものを神前に回していた。同じく西園寺宛の書類も私がデータで読みこんだものを同じ処理をして画像として端末に取り込んだものを西園寺に転送していた」

 カウラは何事も無かったかのようにワインを飲みながらそう言った。
 
「あたりめえだろ!その為に高い金を払ってうちの実家に多くの国文学者を抱えてるんだ!誰が汚ねえゴシック体の紙読むか!」

 かなめと言うサイボーグの奇妙な電脳の構造に呆れながら誠は呆然としていた。サラダを口に運ぶ誠達に向けてボーイが今日のメインディッシュを持ってきた。

「それでは、クロダイのソテーになります」

 ボーイが運んで来た皿を眺めながら誠はなんでこんなに少なく盛るのか理解に苦しみながらその魚の切り身を眺めていた。

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