母の城 ~若き日の信長とその母・土田御前をめぐる物語

くまいくまきち

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その2

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城内あがり口から主殿へあがる。主従は同朋衆に先導されて狭い回廊を歩いた。いつ戸板を踏み破って城方の者どもが襲いかかってくるかも知れない。
信長の心の中に風が吹き抜ける。

血潮が騒ぎたつ。

――母者よ。殺すなら殺すがよい。母より生まれ、母に殺されるなら儂も本望だわ。

そう思うとまるで鉄心でも呑んだように、腹が座った。

幾重にも曲がる回廊を経て、主従は会所へと案内された。
会所は中庭に面した板張りの部屋でかなりの広さがある。

両辺の半蔀はじとみが軒から釣られて採光がなされている。
そのために風通しがよい。数寄屋風に造られた池が見えた。
蔀戸しとみどの蔭で勘十郎の近習どもが息を潜めているような気配はなかった。
信長が前に座り、三人の男たちはそのすぐ後ろに控えた。むろん事が起こればみな斬り死にの覚悟である。三人には緊張と興奮が見てとれるが、信長の表情は変わらない。

ちょうどそのころ、血相を変えて奥御殿へ走る男がいた。
ほかならぬ柴田権六勝家である。東の空堀をさらに深くする普請の指図をしていたが、信長来城の声にあわてて本丸の土塁を駆け登ったのである。数人の供を連れただけの信長の姿を見た権六は仰天して、言葉を失った。

――あの時とおんなじじゃ。

そう思ったとたん、泥だらけのまま権六はもう駆け出していた。

あの時、とは稲生の合戦の直前のこと。
信長は那古野城を弟の阿波守秀俊を連れただけで訪れたのである。かねてより逆心を噂された城将の林秀貞とその弟美作守はまたとない好機とばかり信長を仕物にかけようとしたが、結局は信長の気迫に呑まれたのであろう。三代続いた主君を討つはおそれ多し、と信長をそのまま帰してしまったのである。

これは止めねばならぬ、と権六は思った。

「思慮の軽い津々木めのこと、勘十郎さまに信長さまをお討ちなさるよう進言するに決まっとるわ」

権六が奥御殿の勘十郎の居間にころげるようにして入った時、案の定津々木蔵人が白いきつね顔に笑みを湛え、勘十郎と土田御前に何やら言上しているところであった。

権六が居間に入ると勘十郎は白けた様子で冷たい視線を向けた。稲生で半分にも満たぬ兵しか持たぬ信長を討てなかったのは総大将の権六が腑抜けであったからだと、勘十郎は思っている。
みずからが母の言いつけを固く守って出陣しなかったことの責任は、この男の中できれいに抜け落ちているのだ。

「何用じゃ、権六」

兄に似てかん高い声であるが、覇気が感じられない。
権六は這いつくばったまま、顔を上げずに応える。

「信長さまがおいでなされたと聞きましたゆえ」

それがどうしたというのだ、とでも言いかけるところを土田御前が制した。

「権六とて宿老のひとり、勘十郎どのの大事を謀るにおって悪いことはなかろう」

権六は主人の母子に向かってもう一度深く頭を下げ、部屋の一隅に端座した。
土田御前は権六を見やる。その顔つきに厳しさはなかったが、哀れみにも似た感情が浮き出ている。土田御前は権六が武骨である中に時として、優しい気遣いをする男であることを知っていて、憎からず思っていたのである。

霜台そうだいさま」

津々木蔵人は話を続ける。

勘十郎は仰々しく頷いた。
霜台とは弾正忠の唐名である。
稲生の戦さの後、勘十郎は信長に対し憚りある弾正忠の私称をやめ、名も信成と改めている。官名も武蔵守を称しているが、そこへわざわざ気取って「霜台さま」などと呼びかけるところに、津々木の阿諛がある。

「信長さまをお討ちなされませ。さすれば簡単に尾張半国が手に入るのでございます。その上で岩倉と連衡して一国を治めていけばよろしゅうございましょう。なに、いざとなれば霜台さまには美濃の――」

勘十郎が目顔で勝家の存在を示した。津々木は傍らの権六をちらと見やる。虫ほどにも気に掛けぬとばかり、すぐに勘十郎に目線を戻して続ける。権六の腹中に怒りの炎がちりちりとくすぶる。

「――後ろ盾がおわしますゆえ、岩倉などひとひねりに潰してもよろしゅうござましょう。さすれば駿河衆も容易に尾張の土は踏めますまい」

勘十郎は美濃の斎藤義龍とも、誼みを通じていたのである。

「お指し図を……」

と、津々木は白い歯を見せて言ったあと、額を床に擦りつけるようにかしこまって見せた。

勘十郎は黙っている。考えているのだ。勘十郎は諸事に決断が遅い。何も決断せず、結局近臣や母の意見に従うことが多い。

決断が速く、余人に意見を問うことがほとんどない信長とは対照的であった。

とそのとき、

「おそれながら……」

権六が膝行しつつ母子の前へ進み出た。気づいた津々木は

「権六は下がりおれ。張り子の鬼には用はないわ」
となじる。

鬼柴田と異名をとったことを踏まえての揶揄である。権六は津々木をきっと睨みつける。
 
津々木はそれ以上なにも言えなくなる。権六は深く一礼した後に顔を上げた。
権六は六尺豊かな肥大漢で髭面、そして顔が巨大で特に眼が大きい。そのぎょろ目で睨まれると大抵の者は胆を潰してしまう。

「この末盛の城は亡き桃厳院さま(信秀)が居城とされ、亡くなられた城でございます。この城にてご嫡男信長さまを仕物にかけるは、桃厳院さまの御霊に対し不忠ではごさいませぬか」

権六はそこでやや間をおき、勘十郎と土田御前の顔を交互に見やる。

「信長さまをお討ちなさるなら、戦さ場にて堂々討ち果たされればよろしゅうございます。勘十郎さまじきじきご出馬とあれば勇気百倍、この権六、こたびは必ず信長さまの素っ首、討ち取ってご覧にいれまする」

と言って、権六は土田御前を見る。

所詮勘十郎はこの母の言いなりなのだ。いま信長さまを討ったとて、この器量ではその首は一年とつながってはいまい、と権六はいま更ながらに思った。寵を失ったことで、権六は主人の器量を公平な目で見ることができるようになったのだ。

一方、信長主従はもう半時(一時間)ほども待たされていた。

従う三人は勘十郎の逆心を知っていたから、仕物に掛けるか否かを迷っているのであろうことは容易に想像がついた。だが、もう待つことにいささか飽いて「もういずれでもよいから早ようせい」という心持ちになっていた。

この時代の男どもは「命ばなれがよい」のである。いったん腹を決めたらばもう迷わない。
信長は腕組みをし、じっと瞑目していた。もうあれこれ算段はやめて、無心であった。

「……もしこの切所を無事に抜けれましたら、久助はお屋形さまにおねだりをしとうございまする」

滝川久助が言う。久助の口調はどことなくふんわりとした印象があり、常に怒鳴っているような又左衛門とは対照的であった。久助には徳のようなものがあって、この男が口を切るとその場の張りつめた緊張がほぐれる。

信長がゆっくりと目を開ける。

「何じゃ久助」

「……まだ申しませんわ。無事抜けてから申します」

信長は笑って「勝手にせい」と言った。

夜陰に乗じては猿のごとき忍び働き、戦さ場にては鬼神のごとき鑓働きの滝川久助も、十近くも年下の主人には妙な茶目っ気を見せることがある。また久助にはねだり癖があり、甲州武田征伐で先陣となり武功を挙げた折り、信長秘蔵の「珠光小茄子の茶入れ」を所望し、

「茶の湯など汝にはまだ早いわ」

と、一笑に付されるのであるが、それはずっと後年のこと。ちなみに滝川一益、このときもう六十に手が届こうという大爺じい。しかも五十万石の大々名である。
それでも「まだ早いわ」などと言われ、ひどく気落ちしたという。

床板を踏む音が響いた。
主従は一斉に音のする方を見やる。開いた半蔀の向こう、奥御殿と続く渡り廊下を歩いて来る者たちがあった。音だけで姿はまだ見えない。

与兵衛たち三人は咄嗟に傍らの佩刀はいとう佩刀を掴みかける。
が、程なく同朋衆と近習に先導された勘十郎と土田御前の母子であることが知れた。
三人は佩刀から手を離し、居住まいを正した。ひとり信長だけが胡座を組んだまま変わらず、ゆっくりと母と弟を見上げた。
会所には津々木蔵人と勘十郎、土田御前とそして柴田権六が入りそれぞれ着座した。近習どもは会所のあがり口や中庭に油断なく控えている。
津々木は赤子を抱きかかえていた。赤子は男児と見え、当歳のようであった。

「嫡男、坊丸にございまする」

と、まず勘十郎が口を開いた。信長は赤子を見る。すると赤子は信長と目を合わせて、きゃきゃと笑った。信長は満足げに頷くといかなる根拠があったのか、

「よき武将になるであろうよ」
 と言った。

「さても三郎(信長)どのには、ほんにいつにても驚かされることばかりにて。突然のお越し、今日はいかなる趣向じゃ」

土田御前の切れ長の目が信長を見つめた。
御前はこのころ四十代の半ば。女ざかりは過ぎたものの、細く通った鼻梁と白い肌は美貌の名残をとどめている。

彼女のふたりの息子のうち、母の容貌を多く受け継いだのは嫡男の信長であった。信長は色白く、細面で切れ長の目を持っている。大きな鼻梁だけが父譲りである。一方勘十郎は色浅黒く、丈夫な顎と福々しい丸顔を持ち、それらは父信秀を彷彿とさせた。

しかし性質はまったく逆であった。信長は粗暴で荒々しく、幼時から性は非常に狷介で身内であっても容易に心を開くことがなかった。御前にとって、それはまるで夫信秀そのものに思えた。

土田御前は尾張海東郡土田郷の土豪土田下総守政久の娘である。美人のほまれ高く、請われて信秀の正室となった。嫁いでしばらくは夫婦仲睦まじかったが、勘十郎を産んだころから次第に疎遠となった。

彼女は夫のまるで野人のような振る舞いが嫌いであった。信秀はこのころの貴人にあるまじく大汗をかき、あたり憚らず褌ひとつの裸になった。優しい言葉ひとつかけるわけでもなく、妻を見やる眼差しも心なしか冷たく感じられた。

土田御前が信長を疎んじたのは、信長という入れ物の中に、夫信秀そのものの姿を見い出したからであった。

勘十郎は幼時から聞き分け行儀がよく、上品であった。土田御前は勘十郎をおのれの分身のように感じ、深く愛したのである。
しかしそのことが結果として勘十郎の、人としての成長を妨げてしまったことに土田御前は気づかない。

信長はいきなり本題を切り出した。岩倉の織田信賢と一戦交えるには末盛の加勢がどうしても必要であった。

「追って陣触れいたすが、岩倉の信賢とは手切れとなったで、左様お心得願いたい」

信長は勘十郎の目を見る。勘十郎は兄の力のこもった視線に合うと堪らずに目を伏せた。権六の密告を疑うわけではなかったが、信長は勘十郎逆心の確かな心証を得た思いがした。勘十郎は何事か起こっても、表情を変えずにはいられない。

信長は幼時から、どうすれば心の動きを相手に察知されないか?ということに常に腐心してきた。

「……しかし信長さま」

津々木蔵人は頭も下げずに口を開く。そうしていると津々木は臣ではなく、この母子兄弟の仲にあってほとんど対等のように見える。坊丸を抱いてきたのはそのためであったか、と小知恵が回る津々木を小憎らしく思った。

だが、今はそれどころではない。

「信賢さまは先代(父・信安)さまを放逐され、いまや日の出の勢いと聞いております。一朝、陣触れあらば馳せ参ずるは五千はくだるまいと……」

津々木蔵人の口元が嘲り笑いを含んで、醜く歪んで見える。
勝てるのか?と訊いているのだ。
信長は手元の佩刀で津々木を脳天から幹竹割りにしたい衝動が沸き起こる、がそれをようやくのことで堪えた。そしてまったく表情を変えずに昂然と津々木を見やった。

「犬山の十郎左(織田信清)どのがお味方いたすことと相成った」

犬山城主織田信清には信長の姉が室となっているが、無論それだけで味方につくほど甘くはない。さらにはこの時点でまだ犬山の調略は済んではいなかった。信清はその旗幟を明らかにはしていない。いわばハッタリであった。

津々木は「ほう」という表情をした。

信清は信長の従兄弟であったが、先代の信康のころから独自の立場を保ち、信秀ですら何度か干戈を交えるなど扱いに苦慮していた。

津々木は上目づかいに何やら考えている様子であった。彼我の兵力を計算しているのだろう。五千といったが、信賢が動かせる兵はせいぜい三千がいいところ。犬山が千と踏めば、兵力は互角かそれ以上……まして信長は寡兵をもってよく戦うことで知られている。岩倉の信賢に勝ち目がないことは津々木にも容易に考えがついた。

信長は少し間をとった。津々木に考える時間を与えたのだ。
岩倉を討滅したのち美濃の斎藤義龍を尾張に引き入れて信長を討てばよいではないか……そう津々木が結論すればよい。信長はそう思っている。

信長は津々木を見据えている。津々木にはその目線を跳ね返すだけの気迫はない。やがて津々木は恐れをなし、信長との戦さをできるだけ先へ延ばそうとするだろう。

津々木を見据えながら、信長はまた別のことも考えている。

――こやつ、勘十郎と衆道の仲というが、いざとなれば命惜しみをし、主人のために死ぬる気はあるまいて。

信長にとって衆道とは、主従の絆をより強めるためにも存在した。たとえば今も従う前田又左衛門はかつて寵童であったが、信長のためならば嬉々として死に向かう男である。

津々木は考えがまとまったらしく、何度か小さく頷いている。信長を見返すことはしない。所在なさげに目線を遊ばせている。信長に見られているのが、耐えられないのだ。

津々木の対抗しようとする気力が萎えたことを察知し、信長は目線を外す。そして次に勘十郎を見た。

――こ奴には餌を投げてやらねばならぬわ。

「信賢めを討ち取った後、岩倉にはそなたが入るがよい。国割りのことは改めて合議せねばならぬ。十郎左どのもおるゆえしかとは申せぬが、四つのうち二つはそなたに任せようと思うておる」

尾張上四郡のうち二郡をやろうというのだ。条件としては良すぎるぐらいである。が、あまり良すぎる餌は警戒される。

――こ奴の胆心をば、掴んでやるわ。

「勘十郎、そなたと儂とで早ようこの尾張をまとめねばならぬ。知っておろう、この国の回りには敵が多い。そなたとふたり、手に手を取って」

 信長は素早く膝を進め、勘十郎の手を握った。

「――この尾張を守り抜くことこそ、亡き親父どのご遺志にかなうことぞ」

最後にぐっと手に力を込めてから、信長は勘十郎の目をのぞき込む。弟の真摯な眼差しが真っすぐ注がれている。大きく頷いて、信長は手を離した。

掴んだ、と思った。

次に土田御前を見る。ここで信長は最後のとどめを刺そうとする。

「弾正忠は勘十郎が名乗りに使うがよい。儂は上総介でよいわ」

父祖相伝の官名を弟に譲ると言ったのだ。 その瞬間母の顔色が、まるで朱をさしたようにぱっと変わったことを、信長は見逃さない。

――これでよい。どうせいずれ心変わりするだろうが、こ奴らは目先の欲に釣られて岩倉攻めまでは味方しよるじゃろう。

と思いつつも、信長は胸の奥にちりちりとかすかな痛みを感じていた。弟かわいさのあまり欲に釣られる母も業が深いが、釣るおのれとて同じことだと思った。

末盛からの帰途、信長の脳裏はまた別の思案で埋まっていた。

犬山の信清をどう説得するか?岩倉攻めの陣立てをどう組み立てるか?
そして……。
信長の思案はついにそこへ行き着く。

――岩倉を打ち破った後、勘十郎の始末をどうつけるか?


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