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第1話  忍者、異世界に立つ

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「うぅ……」

 意識を取り戻した斬九郎は目を開けるが、その眩しさに再び目を閉じた。
 一体、どれほどの時間気を失っていたのだろう。
 未だに夜の闇と炎の赤が混ざり合った地獄絵図の中にいるのかと焦ったが、周囲からそのような狂気を孕む気配は感じ取れない。

「そうだ……俺はあの不思議な光に包まれて……それからどうなった……」

 ようやく回り始めた頭を酷使して状況理解に励む。
 まず、身辺について。
 どうやら今まで寝かされていたようだ。腹の上には毛布があり、体の至るところに包帯が巻かれていた。何者かの手によって傷の手当てが施されているようだ。
一体誰が、と疑問を抱いたが、それ以上に気になったのは、

「これは……」

 自分が寝かされている寝具。普通のベッドなのだが、初見の斬九郎にとっては「木製の箱のような物体に布団が敷いてある」という奇妙な物に映った。

「む?」

 体を捻ろうとするが、どうも縄でこの寝かされている台の上に拘束されているようだ。普通なら身動きが取れないところだが、

「これくらいなら」

 スススッと慣れた手つきで縄から脱出。

「忍を相手にこの程度の拘束とは……なめられたものでござるな」

 或は、忍の扱いに慣れていない者の仕業が。いずれにせよ、体は自由になったので斬九郎は早速、

「一体ここはどこなんだ?」

 自分の周囲が気になりはじめて見回してみる。
 少なくとも、噂に聞く極楽浄土とやらではなさそうだ。
 どこかの部屋であることには違いないようだが、その部屋の造りは斬九郎の知るものとはまったく異なるものであった。

だんだんと不安な気持ちが募ってくる。

 しかし、その気持ちに押しつぶされるわけにはいかない。忍にとって大切なのは現状把握能力だ。師匠である倉賀滝丸から口酸っぱく教えられたじゃないか。
 師匠の言葉を思い出し、深呼吸して落ち着いてから、再び辺りを見回して状況の理解に努めていると、コツコツとこちらへ近づいてくる足音がした。

 誰か来る。

 咄嗟に、斬九郎は身構えた。
 武器はない。当然だ。捉えた相手の武器をそのままにしておく愚か者などそうはいないだろう。それでも、せめてもの抵抗としてギュッと力強く拳を握る。鍛えた腕力で相手の首の骨を折るくらいは可能だ。それができるだけの体術も教わっている。

やがて足音は部屋にある木製の四角い物体――恐らく、襖と同じく部屋の仕切りの役割を果たすそれの前で止まり、ゆっくりと開いていく。

「あ、目が覚めた? 三日も起きなかったから心配していたのよ? 気分はどう?」

 現れたのは少女だった。
 大きくクリッとした翡翠の双眸がこちらをしげしげと見つめている。
 その丁寧で柔らかな物腰の少女を前に、先ほどまで殺気むき出しだった斬九郎はすっかり毒気を抜かれてしまい、全身が弛緩するような気分になった。
 相手が少女だったということもあるのだろうが、何より斬九郎を驚かせたのは少女の見た目だった。
 
 矢凪の国でも、腰まで伸びた長い黒髪の女性は大勢いた。
 しかし、あのような銀色の髪は見たことがない。それだけでなく、翡翠色に輝く双眸も、斬九郎はこれまで見たことがなかった。
 目鼻立ちが整ったその顔はどこか日本人離れしている。
 さらに斬九郎が注目したのはその服装。
 ひらひらとした華美な装飾が施された服は見ていて落ち着かない。肩が出ていたり、胸の谷間が見えるなど、肌の露出も多いから目のやり場にもちょっと困る。
 黒髪であることを除けば、かつて、商船に乗って大陸側に渡った兄弟子が語っていた西国から来たという南蛮人たちの外見的特徴と一致する部分もいくつかあるが、それでもどこか違う気がする。そもそも彼女が話していたのは日本語だ。

「……君が拙者を?」
「ええ。まあ、実際に助けたのは異変を察知してダステニアとの国境付近へ調査に向かった騎士団だけど」

 少女の言葉は所々よくわからない単語が織り交ぜられていた。

「そ、そうか? それより、ここはどこなんだ? 三河か? それとも駿河?」

 とりあえず、現在地が知りたくて、矢凪国から比較的近い距離にある国の名前を並べてみたが、

「ミカワ? スルガ?」

 少女は首をカクンと傾げる。まるで、初めて耳にしましたと言わんばかりの反応であった。

「み、三河でも駿河でもないなら、ここは?」
「この国の名はラステルよ。神層界ヴェールにある四大国家のひとつで、商業都市国家のラステル」
「…………」

 聞いたこともない国名だった。それに、なんだか発音しづらい名前だ。

「……ひょっとして、からかっているのか?」
「まさか」

 少女は即座に否定する。

「で、でも、そんな名前の国なんて聞いたことがないぞ?」
「それはそうでしょう。ここはあなたの住んでいた世界じゃないもの。名前も知らない異世界人さん」
「い、いせかいじん?」

 聞き慣れぬ言葉に、今度は斬九郎が首を傾げた。

「そうよ。あなたは次元転移魔法に巻き込まれてこの神層界ヴェールへとやって来た異世界の民――異世界人よ」
「じ、じげんてんいまほう?」

 さらに聞き慣れぬ言葉に、斬九郎の理解は追いつかず、ただただ茫然と少女を見つめていた。その様子に、会話がうまく通じていないことを察知した少女は、「うーん」と腕を組んでしばらく考えたのち、

「異世界っていうのはつまり……さっきも言ったけど、これまであなたが住んでいた世界とはまったく異なる世界なの」

 これまで住んでいた世界とは違う世界。
 そんな、荒唐無稽な話があってたまるか――と思ったのはほんの一瞬。

「……なるほど」

 たしかに、今、自分の尻の下にある寝具(ベッド)ひとつ取って見ても、噂でさえ耳にしたことがないものだ。そして、目の前にいる少女の外見的特徴もまた同じ。

 自分がこれまで生活してきた場所とは何もかもが違い過ぎる。

 世界そのものが異なるといった感じ――まさに、少女が口にした、異世界という表現がしっくりとくる。
 とはいえ、相手の言い分だけをすべてを鵜呑みにはできない。情報を精査し、真実を見抜くのもまた忍としての 力量が試される場面だ。
 つまり、《あくまでも》今の段階ではその話を信じる――ということだ。

「その辺の詳しい事情についてはこれから話していくとして……まだ自己紹介していなかったわね。私はイヴリット・ハートレイク。一応、この東方領ラステルの王よ。あ、私の場合は女だから女王だけど」
「王? それは何かの役職?」
「王を知らないの? 王っていうのは……この国で一番偉い人ってことで通じるかしら?」

国で一番偉い――つまり、斬九郎のいた世界でいうところの武将という役職に相当するということだ。

「……君が?」
「露骨に疑っているわね……」

 無理もない。
 斬九郎のいた世界で、国の頂点と言えば男であることが常識だからだ。

「あなたのいた世界では女性が権力を握っているという国はなかった?」
「噂で耳にした程度で、真偽は……だから、ちょっと信じられないな」
「そう……でも、この国で一番偉いのは女王である私だからね」

 少女は少し拗ねたような口調になっていた。それくらい、信じてもらえなかったことが悔しかったのか。

「で、あなたの名前は?」
「ああ、拙者は支部斬九郎と――」

 言ってから、斬九郎は慌てて口を手で覆った。

「何? 何かあった?」
「い、いや、なんでもない……」

 軽々しく本当の名を名乗ってはいけないのだが、なぜだか自然と口から出てしまったのだ。
 言い訳が許されるとするなら、目の前の少女にまったく敵意を感じないということが挙げられる。まるで、古くからの友人と接しているような感覚になり、思わず本名を名乗ってしまったのだ。

「ハセベ・ザンクロー……どっちの名前で呼んだ方がいいのかしら?」
「あ、えっと、斬九郎で構わない」
「そう。ザンクローね。覚えました」

少女は「変わった名前ね」と付け足したあと、「あ、ここ」と斬九郎の右手の甲を指さした。そこにはまだわずかだが傷が残っていた。

「まだ残っていたのね」
「これくらいなんてことは――」
「すぐに治すわ」

 少女は斬九郎の右手の傷口を隠すように手を添える。と、少女の手が青白く発光をはじめた。
 驚き、咄嗟に手を引っ込めようとした斬九郎だったが、すぐにその行為を中断する。少女の手を通して感じる温かさは、少女自身の優しさや凛とした強さが伝わってくるような気がしたからだ。そして、イヴリットが「はい、おしまい」と手をどけると、傷痕は完全に消え去っていた。

「こ、こんなことが……一体何がどうなって……」
「ちゃんと教えれば子どもでも扱える簡易治癒魔法にそんな大げさな……と、異世界人のあなたからすれば、まともに魔法を見るのはこれが初めてなのよね。今私が見せたのが魔法よ。あなたのいた国にはこういった力はなかった?」
「あ、ああ」
「ちなみに、あなたが私たちの世界の言葉を難なく理解して会話が可能になっているのも言語調整の魔法が働いているからよ」
「言語調整?」
「あなたは普段通りしゃべっているのでしょうけど、私たちには、あなたの言葉が私たちの国の言葉遣いで聞こえるようになっているのよ。その逆に、あなたにはあなたの国の言葉で私たちの声が聞こえているでしょう?」
「たしかに……」

 日本語をしゃべっていたと感じていたが、裏には魔法を駆使したそんなカラクリがあったのか。そして、自分もいつも通り話しているはずだが、向こうには向こうの言葉に置き換えられて伝わっているのか。

「もともとは他国との交渉をスムーズに行えるように編み出された魔法だけど、まさか異世界人にも通用するなんて。物は試しね。この調子なら、会話だけでなく文字の読み書きも普通にこなせるでしょうね」
「ほ、ほぅ……」

 わかったような、わからないような。
とにかく、「魔法は凄い!」ということだけは身に染みて感じた。
魔法が斬九郎に与えた効果はそれだけではない。
今の魔法とやらを目の当たりにして確信に至った。

 イヴリットの言ったように、この世界はかつて自分が住んでいた戦国の日本があった世界とはまったく異なる世界である、と。
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