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本編
第21話:見送る背中
しおりを挟む龍之介が親友の謙太の結婚相手である寧花に数回しか会ったことがない理由。
それは二人の交際期間が短い上に、いわゆる授かり婚だったからだ。
おなかが目立つ前に、家族とごく僅かな友人だけを招いてささやかな結婚式をすることにした。龍之介が寧花に初めて会ったのは、その結婚式の日取りが決まってから。
その時は避妊に失敗したことをからかいながらも、きちんと責任を取って結婚する道を選んだ謙太を尊敬し、心から祝福した。
きっと幸せな家庭を築いていくのだろうと信じていた。
それなのに、現実は残酷だ。
龍之介は玄関先で座り込んだまま動かない謙太を見下ろしていた。もう一時間以上もこの状態だ。なんと声を掛けていいのか分からず、龍之介もただ立ち尽くすしかなかった。
寧花のあの様子では元通りの生活に戻ることはまず無理だ。謙太も今は混乱しているが、冷静に考えれば結婚生活を続ける選択はしないだろう。そもそも結婚を決めたのは子どもを授かったのが切っ掛けだからだ。
その大前提が崩れてしまった。
「リュウ」
「……うん」
「さっきの夢かな」
「……いや、現実だ」
「あー、そっかあ……」
しばらくして謙太が小さな声で話し掛けてきた。まだ信じられないといった様子だ。龍之介から言われなければ信じていなかったかもしれない。
「オレが悪い父親だったからかな……」
「ケンタ……」
震える声は、最後には掠れて聞こえないくらいだった。それでも、龍之介には痛いくらい謙太の気持ちが伝わってきた。
もし寧花が陽色を連れて家出をしていたら、謙太は陽色とこんなに過ごすことはなかった。僅かな時間とはいえ、謙太は真剣に陽色に向き合った。その時間が逆に謙太を追い詰めている。
父親としての自覚を持ち始めた矢先の出来事。
仕事ばかりで育児をしてこなかったからだと何度も謙太を責めた。心を入れ替えればきっと寧花は帰ってくると言い聞かせ、半ば無理やり陽色に関わらせてきた。そのことに、龍之介は少なからず責任を感じていた。
「おまえのせいじゃない」
何を言おうと現実は変わらない。
この日、謙太は妻と子どもを失った。
どんなに打ちひしがれていても時間は過ぎる。
月曜の朝。謙太は仕事に行かなくてはならない。
昨夜は眠れなかったようで、目の下に隈が出来ていた。そんな状態でもスーツに着替え、会社に行く支度をする。
「無理すんなよ」
「うん」
ヨロヨロと玄関に向かう謙太に声を掛ける。
「定期忘れてるぞ」
「うん」
カウンターの上に置きっぱなしになっていたパスケースを手渡す。
謙太の顔色は悪い。高熱を出した時さえ食欲があったのに、あれから何も食べていない。こんな状態で仕事が出来るのかは疑問だが、有休を三日も取った後だ。これ以上は休めない。
「行ってくる」
玄関のドアを開けて背を向ける謙太を見ていたら、龍之介は何だか落ち着かない気持ちになった。彼をひとりにしてはいけない気がした。
「早く帰ってこいよ、待ってるから!」
陽色はもういない。龍之介がここに残る理由はなくなったはずなのに、無意識にそう口走っていた。
それを聞いて、謙太は振り返らずに片手を軽くあげて応えた。
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