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40話・囮作戦 1
しおりを挟むルーナは二日に一度王宮に出仕することとなった。シュベルト王子グレイラッドの婚約者、ラスタの話し相手を務めるためである。
出仕する日は早朝から日暮れまで王宮で過ごすため、ティカはゼトワール侯爵家の離れに残ることにした。ルーナは共に来て欲しいと頼んできたが、ティカからすれば流石に王宮は敷居が高過ぎる。元は使用人、一介の侍女なのだ。ただでさえも、シュベルトに来てから貴族出身の騎士たちに囲まれ、お屋敷まで提供されて何不自由なく生活させてもらっている。これ以上きらびやかな場所に慣れてはいけない、というか場違い過ぎて行きたくない、とティカは本気で拒んだ。
ルーナがゼトワール侯爵家の馬車で王宮に出掛けた後は丸々ひとりの時間となる。のんびり掃除や洗濯をして、夕刻に疲れて帰ってくるであろうルーナのために甘い菓子を焼く。そんな風に過ごそうと考えていた。
しかし、悠長なことは言っていられない。
「ティカ。用意は出来ているね」
「ええ、ラウリィ様」
ティカは侍女のお仕着せを身にまとい、離れの玄関前に待つ馬のそばへと歩み寄った。馬の手綱を握る青年は騎士服姿のラウリィである。スカートの裾を掴み、軽々と彼の後ろに飛び乗る。横座りしたティカが自分の腰に腕を回したのを確認してから、ラウリィは馬の腹を蹴って走らせた。
事の発端は数日前。『黒髪褐色肌の女』を探す者たちが近隣の街で似た容姿の女性に手当たり次第声を掛けていると騎士団に訴えが来た。早い段階で見張りを付けていたため実害は出ていないが、最悪の場合は暴力を振るわれたり連れ去られる可能性もある。他国の貴族の私兵ということもあり、今までは現場を見つけても厳重注意だけで済ませるしかなかった。
だが、そろそろ見逃せなくなってきた。追っ手が徐々に近付き、王都近くの都市にまでやってきたからである。
追っ手が迫っていると聞き、ティカは騎士を何人か借りたいとラウリィに頼んだ。自分を囮にして追っ手を誘き出し、現行犯で捕まえてもらおうと考えた。しかし、ラウリィは「自分も行く」と言って無理やり同行した……という経緯である。
シュベルトの王都を囲む四つの都市の一つで作戦が決行された。
黒髪褐色肌の住民を対象に『今日は出歩かないように』と事前に通達しておいた。その都市の大通りをティカが歩けば嫌でも目立つ。この都市の中、表を出歩く黒髪褐色肌の女はただひとり。買い物籠を手に時折り露店に立ち寄りながら、ティカは自分の存在を主張した。
しばらくの後、不意にティカの腕が何者かに掴まれた。強い力で引っ張られ、あれよという間に狭い裏道へと連れ込まれてしまう。悲鳴を上げる隙さえなく、ティカの背中は路地裏の壁に叩きつけられた。
「ようやく見つけたぜ、ティカ」
「あ、アンタ、たちは」
背中を強かに打ったティカは、目の前に立つ三人の男を見て瞠目した。ティカがルーナ専属侍女となる前からクレモント侯爵家に雇われている私兵で、相当腕が立つと知っていたからである。彼らを追っ手として差し向けたということは、本気でティカを捕まえる気なのだろう。
やや分が悪いか、とチラリと視線を路地の切れ目に向ける。よそ見をされて苛立ったか、男のうちの一人がティカの横っ面を平手で打った。まぶたの裏に星が散り、追って鈍い痛みと鉄の味が口内に滲む。
「旦那様はひどくご立腹だ。オマエを売っ払ったところで燃えちまった離れの賠償にはとても足りねえ。どうするつもりだ、あァ?」
言いながら、今度は別の男がティカの腹に膝蹴りを喰らわせた。
「どうしてやろうかなァ。連れ帰ってもいいが、それじゃあすぐに処刑されちまうもんなァ」
足元がフラつき、地面にへたり込むティカの襟首を掴んで無理やり立たせながら、男が顔を近付けてくる。
「初めて見た時は小便臭いガキだったが、使用人の服とはいえ女の格好してりゃまあまあ見られるじゃねーか」
「だな。すぐ殺すにゃもったいねえ」
暴力の次は性欲か、と呆れる気持ちを顔に出さぬよう苦労しながら、ティカは彼らに問い掛ける。
「旦那様は、なぜアタシを探させているんです。お嬢様は探していないのですか」
問われた男たちは、顔を見合わせてから大きな声を上げて笑い出した。飛んでくる唾にティカは顔をしかめる。
「馬鹿だな、ルーナ様を拐かして金でも要求するつもりだったのか?」
小馬鹿にした態度で笑う男たち。彼らはティカがルーナを連れて逃げた理由を身代金目的の誘拐だと考えているようだった。
「旦那様にはもう『本当の娘』がいるから愛人の子なんざいらねえんだよ!」
「今さら戻ってこられても、もういっぺん宰相サマに差し出すくらいしか使い道ねえしな」
「ルーナ様をどこに隠した? 一緒に可愛がってやるから連れてこい」
下卑た笑い声を聞きながら、ティカは奥歯をギリリと噛み締める。切れた口の端から血が流れ、砂埃にまみれたエプロンに落ちて小さなシミを作った。
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