運命の人

悠花

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互いの距離

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 グラスを3つ持つ、という難しい状況をクリアしてその場に戻ると、鬼塚と元樹が何かを話していた。浮かない顔で立っている咲久に、グラスを渡す。

「どうぞ」
「え……」
「ジュースです。椿さん、あんま酒好きそうじゃねえし」

 実際のところはわからないけれど、減っていないシャンパンを見れば、それほど飲みたいわけではないのだろうと思ったから。ありがとうございますと、小さな声を出した咲久がグラスを受け取る。
 変わった男だ。鬼塚と一緒にいても、一つも楽しそうじゃない。純にすると、それが不思議で仕方なかった。
 鬼塚と話すのは面白い。愛想よくとは言わなくても、こういうときに気を使うことも出来る男だ。なのに、どうして咲久はいつも浮かない顔を見せるのか。
 よくわからないと思いながら、鬼塚にグラスを渡していると、後ろから女の声が聞こえた。

「え、もしかして、元樹と純じゃない?」

 名前を呼ばれて振り返ると、ゴールドのカクテルドレスを身に纏う女が、驚いたような顔で立っていた。

「あー、やっぱり。なに、どうしてここにいるの?」

 年相応の美貌を持つ女に聞かれて、そう言えば高校時代から、顔とスタイルだけはよかったのを思い出す。ただ残念なことに、性格は褒められない。

「おまえこそ。つーか、変わってねえな」

 純と同じ意見だったらしい元樹がそう言うと、うそぉと笑う女が元樹の腕に馴れ馴れしく自分の腕を絡めた。そのことにひとつも驚かないのは、この女がそういう女だと知っているからだ。

「そっちもね。ホント何年ぶり? ふたりとも、元気だった?」
「まあな」

 どう見ても元気だろ、という言葉は胸にしまっておく。この女に、そういう嫌味は通じない。

「あんたたち、相変わらず仲良いんだね」

 元樹の腕を離さない女が、ふと鬼塚に視線を向けた。

「え、いい男。なに、知り合いなの? ちょっと純、紹介してよ」

 目をキラキラさせて純の方を見てくるので、うんざりしながらも手短に紹介した。

「鬼塚さんと、椿さんだ。で、こっちのうるさい女は、俺たちの高校時代の同級生」

 鬼塚は曖昧に、咲久は丁寧に頭を下げた。

「うるさいとか余計だから。私の名前は? もしかして忘れたんじゃないでしょうね」

 睨まれるので、仕方なく覚えている名前を告げる。

「牧原カナだろ」
「覚えてんじゃん。カナです。あ、因みに同級生ですけど、元カノでもあるんです」

 何言ってんだよ。その情報マジでいらねえ。本人は面白いことを言ったつもりなのか、ドヤ顔を見せ元樹の肩に頭を寄せる。
 全然、面白くねえし。
 こういうとき、どれだけ嫌だとしても、元樹は絶対に振りはらったりしない。これが純なら、胸が腕に当たった時点で押しのけている。

「ねえ、今どうしてんの? 結婚は?」

 元樹に聞くカナが、あ、とみんなの方を見た。

「ちょっと、彼、お借りしても?」

 断る理由もないのだろう、誰も返事をしなかったので、カナが強引に元樹を連れて行く。仕事何してんのと聞かれながら腕を引かれる元樹が離れて行くと、咲久が小さな声を出した。

「あの、僕ちょっとトイレに」
「場所、わかるのか」
「うん。わからなかったら聞くから」

 結果、その場に取り残されたのは鬼塚と純だけになった。というより、トイレの場所くらいわかるだろ。子供じゃねえんだし。
 やはり、鬼塚とは一対一で話す方が楽しい。咲久や元樹がいると、いつもとは違う空気になり話しにくい。

「いいのか?」

 ふいに聞かれて、何がいいのかわからないでいると、鬼塚が連れて行かれた元樹の方へ視線を向けた。

「ずいぶん寛大なんだな。元カノなんだろ?」

 確かにカナは元カノだけど、寛大って何だ? 
 元樹に寄りそうカナ。何が面白いのか声を出して笑っているふたりを見て、そうかと思った。

「俺のな」

 純が軽く言うと、鬼塚がハハッと噴き出すように笑った。そんな風に笑う鬼塚は初めて見た。

「おまえ、ホント面白いな」

 面白いことを言った覚えもなく、こんな場所で元カノと再会するなんて、純にするとまったく笑えない。それなのに、鬼塚には何故か面白いらしく、いまだ笑っている。

「んな、笑うことか?」

 純がそう聞くと、歩き出す鬼塚が近くのドアを開けてデッキへと出た。
 気付かないうちに船は動きだしていたらしく、夜の海風が純の頬を撫でる。

「いいのかよ、椿さん放っておいて」
「いなかったら探すだろ」

 それもそうだ。それこそ子供じゃない。
 デッキの柵に凭れる鬼塚が、バーボンの入ったロックグラスを口に付けた。バックに漆黒の海を従える男は、憎らしいほどスマートでかっこいい。先ほどチラッと見たタレントより、遥かにいい男だと純は思った。
 鬼塚の横に立ち、柵に腕を掛けて真っ黒な海を見つめる。

「何か変な感じする。椿さんと一緒にいるあんたは、俺の知らない人間みたいだ」

 きっと、一度しか一緒にいるところを見ていないからだろう。鬼塚という人間を知る過程に、咲久がいなかったからなのかもしれない。

「おまえはそうでもねえな。日向といても違和感ない」
「なんだ、俺だけか」

 船の進むスピードに流される波が、右から左へと流れて行く。

「あの女といても、別に違和感ないな」
「冗談だろ?」
「日向の女にしては、イメージが合わないと思ってたからな。おまえの元カノって聞いて、納得した」

 それで笑ったのか。

「カナの話はもういいぞ。俺の黒歴史ってやつだよ」
「黒歴史にしなくてもいいだろ。綺麗な女じゃないか」

 確かに顔はいい。それで純も選んだところがある。だとしても、黒歴史に変わりはない。

「女と付き合ったのは、確かあいつが最後なんだよ。あいつと付き合ってるときに、俺は男の方が好きだって確信したんじゃねえかな」

 話していると、当時の記憶が嫌でも甦って来る。そうだ、そうだった。思い出した。

「半年付き合って、やったのは一回だけだった。その一回もあんま乗り気になれなくて、別れるとき言われたよ、期待はずれだし、何か気持ち悪いってな」

 若い頃の発言は、時に恐ろしく残酷だったりする。もはや性格うんぬんを通り越して、人格否定だ。

「それはきついな」
「だろ? だいたい、あいつも俺に何求めてたんだって話しだろ? どうせ遊ぶにはちょうどいいとか思ったわけだろ。だからって、男がすることしねえってだけで、気持ち悪いってどんな発想なんだよ」

 隣の鬼塚がまた笑う。今日はよく笑う日だ。

「な、黒歴史だろ?」
「そうかもな」

 相槌を打つ鬼塚の、船内の明かりに照らされる横顔は妙に魅力的だ。

「あんた、そういうのなさそうだよな。黒歴史とは無縁っぽい」

 すべてにおいて勝ち組の男だ。生まれながらのゲイだとしても、かっこ悪い過去があるとは思えない。

「黒歴史か、なくもねえな」

 柵から背中を離し、純と同じ方を向く。

「誰にだってあるんじゃねえのか」
「その話、聞かせてくれよ」
「んなの聞いても、面白くねえだろ」
「いやそれ、ぜってー面白いだろ」

 鬼塚の黒歴史が、面白くないわけない。ぜひ聞かせてもらいたいと思っているのに、話す気はないのかそのうちなと笑っている。
 海を見ながら、鬼塚との会話を楽しんでいると、船内の明かりが突然消えた。スタッフがドアを開け、デッキに出ていた客に中へ入るよう声を掛ける。
 鬼塚と共に戻ると、フロアに用意された、小さなステージだけが明るく照らされていた。
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