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前章
Side T 4
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浮かれていたのが、よくなかったのだろうか。
帰り道、家まで最寄りの路線の駅まで少し歩こうということで、
祭りの本丸から外れた道に出ると一気にひとけがなくなった。
そのときだ。
ぱっといつきがつないでいた手を放して口元を押さえた。
ぬくもりが去った片手がひんやりとした気がした。
夜とはいえ真夏の気候だ。そんなはずはないのに。
「…ごめん、透さん。ちょっと俺トイレ行ってくる」
「あ、うん。待ってる」
「すぐ戻るから」
そう言って走り出すいつきの後ろ姿を見送りながら、おれはぽつんと立ち尽くしていた。
具合が悪くなったのかと心配になる。おれに合わせてそこまで食べ過ぎている気はしなかったが。
街灯はあるものの、大きな講堂があるほかはなにもない。
普段なら暗闇にこわばる身体も、今の今まで夢みたいな空気にさらされていたおかげか
そこまで引きずられることなくいられた。
スマホを取り出して手持ち無沙汰に電車の時刻を調べたりニュースサイトを開いたりする。
浮かれていたのかな。だから気づかなかったのだろうか。
「お前Ωだろ。フェロモンのいーい匂いぷんぷんさせて立ちんぼかよ」
え、と思ったときにはもう、目の前に大柄の男が立ってこちらを見下ろしていた。
咄嗟にぱっと首の後ろを片手で覆う。
抑制剤は飲んでいる。けれどこんな、見も知らぬαに目をつけられるほど匂いが漏れていたというのか。
緊張で強張った喉から声は出ない。
横目にいつきの姿を探そうとするが、男に腕を掴まれて阻まれた。
小さいかすれ声を絞り出すのに精いっぱいで、そのまま講堂の影に引きずり込まれる。
壁に体を押さえつけられて、ぴくりとも動けない。
ねっとりと熱を帯びた視線が上から下まで検分するかのように滑る。
それからそいつは、おれのうなじを、チョーカーの上から太い指で撫でながら顔を寄せた。
「…保護チョーカーなんかして生意気だなぁ」
「ひっ…! あ、や、やだ…ッ!」
「でもお前が誘ってんだろ? こんな匂いふりまいてさ、クソビッチが…」
「ちがっ…!!」
言いながら、男の指がつうとうなじを滑って胸にたどり着く。
夏の薄着が憎くなるほどそのうごめくように撫でまわす触感を感じてしまう。
怖い怖い怖い。嫌だ。助けて。いつき。助けて。
男のがさついた手がシャツの裾から入り込もうとしたそのとき。
すごい音を立てながら、勢いよく男が吹っ飛んだ。
「なにしてんだてめえ!!」
聞いたことのないどすの聞いた声だった。
いつきがぶっ飛ばした男は手足を痙攣させてうめいているがそれ以上は動かない。
…動けないのだ。いつきが発したαの威嚇が男を地面に縫い留めていた。
そのオーラにおれも例外なく硬直する。
いつきは固まったおれの手をためらいなく取って走り出した。
大通りに出ると、車がたくさん走っている。
いつきは手際よくタクシーを止めるとそこにおれを押し込んで、
燃えるような目で、汗びっしょりの顔で、「ひとりで帰れるよね?」と言った。
有無を言わさず身を離そうとする彼の腕をおれは咄嗟に掴んだ。
喉がカラカラだ。
声帯の使いかたを忘れてしまったかのように声が出ない。何度か失敗した。
それでもなんとか、彼に言う。
「い、いっしょにいて…」
タクシーの座席のやわらかさが、講堂の壁に押し付けられた硬さを却って思い出させる。
声も手も震えている。
視界も震えているのに気づいて、そこでやっと自分が泣いているのだとわかった。
いつきはぐっと喉を引きつらせたが、
それでもおれの手をぎゅっと握り返しながらタクシーに乗り込んだ。
家に着くまでいつきは手は離さなかった。
けれどずっと、顔をそむけたまま窓の外をずっと見ていた。
帰り道、家まで最寄りの路線の駅まで少し歩こうということで、
祭りの本丸から外れた道に出ると一気にひとけがなくなった。
そのときだ。
ぱっといつきがつないでいた手を放して口元を押さえた。
ぬくもりが去った片手がひんやりとした気がした。
夜とはいえ真夏の気候だ。そんなはずはないのに。
「…ごめん、透さん。ちょっと俺トイレ行ってくる」
「あ、うん。待ってる」
「すぐ戻るから」
そう言って走り出すいつきの後ろ姿を見送りながら、おれはぽつんと立ち尽くしていた。
具合が悪くなったのかと心配になる。おれに合わせてそこまで食べ過ぎている気はしなかったが。
街灯はあるものの、大きな講堂があるほかはなにもない。
普段なら暗闇にこわばる身体も、今の今まで夢みたいな空気にさらされていたおかげか
そこまで引きずられることなくいられた。
スマホを取り出して手持ち無沙汰に電車の時刻を調べたりニュースサイトを開いたりする。
浮かれていたのかな。だから気づかなかったのだろうか。
「お前Ωだろ。フェロモンのいーい匂いぷんぷんさせて立ちんぼかよ」
え、と思ったときにはもう、目の前に大柄の男が立ってこちらを見下ろしていた。
咄嗟にぱっと首の後ろを片手で覆う。
抑制剤は飲んでいる。けれどこんな、見も知らぬαに目をつけられるほど匂いが漏れていたというのか。
緊張で強張った喉から声は出ない。
横目にいつきの姿を探そうとするが、男に腕を掴まれて阻まれた。
小さいかすれ声を絞り出すのに精いっぱいで、そのまま講堂の影に引きずり込まれる。
壁に体を押さえつけられて、ぴくりとも動けない。
ねっとりと熱を帯びた視線が上から下まで検分するかのように滑る。
それからそいつは、おれのうなじを、チョーカーの上から太い指で撫でながら顔を寄せた。
「…保護チョーカーなんかして生意気だなぁ」
「ひっ…! あ、や、やだ…ッ!」
「でもお前が誘ってんだろ? こんな匂いふりまいてさ、クソビッチが…」
「ちがっ…!!」
言いながら、男の指がつうとうなじを滑って胸にたどり着く。
夏の薄着が憎くなるほどそのうごめくように撫でまわす触感を感じてしまう。
怖い怖い怖い。嫌だ。助けて。いつき。助けて。
男のがさついた手がシャツの裾から入り込もうとしたそのとき。
すごい音を立てながら、勢いよく男が吹っ飛んだ。
「なにしてんだてめえ!!」
聞いたことのないどすの聞いた声だった。
いつきがぶっ飛ばした男は手足を痙攣させてうめいているがそれ以上は動かない。
…動けないのだ。いつきが発したαの威嚇が男を地面に縫い留めていた。
そのオーラにおれも例外なく硬直する。
いつきは固まったおれの手をためらいなく取って走り出した。
大通りに出ると、車がたくさん走っている。
いつきは手際よくタクシーを止めるとそこにおれを押し込んで、
燃えるような目で、汗びっしょりの顔で、「ひとりで帰れるよね?」と言った。
有無を言わさず身を離そうとする彼の腕をおれは咄嗟に掴んだ。
喉がカラカラだ。
声帯の使いかたを忘れてしまったかのように声が出ない。何度か失敗した。
それでもなんとか、彼に言う。
「い、いっしょにいて…」
タクシーの座席のやわらかさが、講堂の壁に押し付けられた硬さを却って思い出させる。
声も手も震えている。
視界も震えているのに気づいて、そこでやっと自分が泣いているのだとわかった。
いつきはぐっと喉を引きつらせたが、
それでもおれの手をぎゅっと握り返しながらタクシーに乗り込んだ。
家に着くまでいつきは手は離さなかった。
けれどずっと、顔をそむけたまま窓の外をずっと見ていた。
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