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9 壁の花になりたい王子
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翌日、イグニス一行は昼過ぎに公爵の城を出発した。公爵領と王都は接しているので移動時間はそれほど長くない。馬車嫌いのイグニスはクロウに乗り、ルルシェもシャテーニュに乗っている。
前後左右、男だらけ。全員が黒い礼服とマントを羽織っているから壮観な眺めだ。街道を進んでいると領民がほお~っと感心するようなため息をもらしている。
特に、行列の中心にいる二人が美しい。凛々しい黒髪の青年と、涼やかな紫銀の少年。見た目だけは完璧な美しさだ――ただし、二人の会話は程度が低いものだった。
イグニスは城を出てからずっと「はあ」だの「面倒だな」だのぶつくさ言っている。斜め後ろでその呟きをずっと聞いているルルシェまで憂鬱な気分になり、我がまま言うんじゃありません!と叱りつけたくなってきた。
「ほら、王城が見えて来ましたよ。最近あまり行ってなかったから懐かしいですね」
「懐かしいか? 今夜は早めに帰りたいな……誰とも踊りたくない」
(誰とも踊りたくない、だとぅ? そんな態度だから、いつまでもたっても婚約者が決まらないんでしょうが!)
ルルシェは手綱をぐっと握り、決意を新たにする。せめて二人……いや三人ぐらいは踊ってもらおう。絶対に壁の花になんかさせないから。
巨大な門をくぐり、馬屋にクロウ達を預ける。大抵の人は馬車で来ているので城の入り口は混雑していたが、イグニスが現れた途端、人垣が左右に分かれた。「マラハイド公爵さまよ」とささやく声が聞こえ、ルルシェはにこっと微笑む。
(そうですよ、王子さまですよ皆さん。ぜひ彼と踊ってくださいね。あわよくば結婚してあげてください)
昨日、ドレスを着たルルシェを見てもイグニスは蕁麻疹を出したりしなかった。しかも髪に触ったり胸を揉んだり好き勝手して――思い出すとムカムカしてきたが、まあとにかく、イグニスの女嫌いは思ったよりも重症ではない。
(殿下はいつでも結婚できる。あとは相手を見つけるだけ)
脱いだマントは騎士に預けて大広間に入り、イグニスの兄王へ挨拶する。
「久しぶりだね、イグニス。いつも苦労をかけてすまない……。ルルシェ卿、これからも弟を支えてやってくれ」
「兄上こそ無理するなよ」
「陛下、イグニス様なら大丈夫です」
国王アイオンは生まれつき体が弱く、政務で無理をすると体調を崩しがちであった。今も少し顔色が悪いし、大きな椅子にもたれるようにして座っている。
イグニスがとても丈夫な体をしているから不思議に思う。同じ母親から生まれたのに、どうして体が弱かったり、生まれてすぐに死んでしまったりするのだろう……。ルルシェは自分の兄を思い出し、胸が締め付けられるような心地がした。
ルルシェの兄アリエルを知る人はほとんどいない。彼は隠すように葬られてしまったから、墓参りするのも家族だけだ。もし生きていれば、今夜も兄と二人で夜会に来ていたのかな……。
「どうした、急に黙り込んで」
「何でもありません。大丈夫です」
そろそろ音楽が始まる。ルルシェはいつも通りイグニスの斜め後ろに立った。最後の曲はパートナーと踊るという決まりがあるが、その他は誰と踊ってもいい。ただし同じ人と三回踊るのはタブーである。
「公爵様、どうかわたくしと踊ってください」
一人のレディーがイグニスのもとへやって来た。ダンスに誘うのは男性からというのが慣例だけど、王子は普通ではないので女性から行かないと踊ってもらえない。ほとんどの令嬢がそれを知っている。情けないことだけど。
「わあっ良かったですね、殿下!」
笑顔で送り出そうとしているのに、本人は苦い表情をしている。ルルシェは彼に近づき、小声で「レディーに恥をかかせないでくださいよ」と脅した。イグニスは渋々うなづき、少女の手を取る。
(やれやれ、王子さまのお守りも大変だ)
――と思っていたら、ルルシェのもとにも女性がどどっとやって来た。
「ルルシェ様、あたくしと踊ってくださいませ」
「いえ、わたしと!」
「焦らなくても大丈夫ですよ。僕はみなさん全員と躍らせていただきます」
にっこり笑うと令嬢たちはぽや~っと溶けるような顔をした。この顔に産んでもらってよかった。ルルシェは平均的な女性よりも頭半分ほど背が高いし、男装していればじゅうぶん男に見える。
ヒールのある靴を履いたらほとんどの男性と顔が並ぶはずだ。届かないのはイグニス並に背の高い人間だけだろう。
令嬢の手をとりダンスホールへ移動する。ワルツだろうがなんだろうが、全ての曲を踊れるように特訓してきた。王子のために呼ばれたダンス講師は熱心に学ぶルルシェを可愛がってくれたものだ。イグニスは面白くなさそうにしていたっけ。
一人、二人、三人――踊りながら残りの人数を確認。今夜は八人かな。こんなに踊ってもらえて光栄だけれど、ルルシェは誰とも結婚できない。スタレートン伯爵家あての婚約の申し込みは、父と母が全て断っているはずだ。
あと五、六年もすれば、ルルシェに結婚の意志がないのだと令嬢たちも気づくだろう。ルルシェには血を受け継ぐ子を産むという使命がある。秘密を共有できる男性を探しておかなければ――口のかたい、信頼できる男を。
(誰にもダンスに誘われなくなったら、壁の花になってゆっくり食事でも楽しもう。その頃には今より楽になっているかな……)
遠くを見つめるルルシェの横顔はあまりにも儚く、今にも崩れそうな危うい美しさを秘めていた。しかし周囲で踊っている者たちは宴に浮かれ、彼女の哀愁に気づかない。
やがて曲が変わり、ルルシェは令嬢の手を取ってホールから退場する。ただ一人イグニスだけが、複雑な表情でルルシェを見つめていた。
前後左右、男だらけ。全員が黒い礼服とマントを羽織っているから壮観な眺めだ。街道を進んでいると領民がほお~っと感心するようなため息をもらしている。
特に、行列の中心にいる二人が美しい。凛々しい黒髪の青年と、涼やかな紫銀の少年。見た目だけは完璧な美しさだ――ただし、二人の会話は程度が低いものだった。
イグニスは城を出てからずっと「はあ」だの「面倒だな」だのぶつくさ言っている。斜め後ろでその呟きをずっと聞いているルルシェまで憂鬱な気分になり、我がまま言うんじゃありません!と叱りつけたくなってきた。
「ほら、王城が見えて来ましたよ。最近あまり行ってなかったから懐かしいですね」
「懐かしいか? 今夜は早めに帰りたいな……誰とも踊りたくない」
(誰とも踊りたくない、だとぅ? そんな態度だから、いつまでもたっても婚約者が決まらないんでしょうが!)
ルルシェは手綱をぐっと握り、決意を新たにする。せめて二人……いや三人ぐらいは踊ってもらおう。絶対に壁の花になんかさせないから。
巨大な門をくぐり、馬屋にクロウ達を預ける。大抵の人は馬車で来ているので城の入り口は混雑していたが、イグニスが現れた途端、人垣が左右に分かれた。「マラハイド公爵さまよ」とささやく声が聞こえ、ルルシェはにこっと微笑む。
(そうですよ、王子さまですよ皆さん。ぜひ彼と踊ってくださいね。あわよくば結婚してあげてください)
昨日、ドレスを着たルルシェを見てもイグニスは蕁麻疹を出したりしなかった。しかも髪に触ったり胸を揉んだり好き勝手して――思い出すとムカムカしてきたが、まあとにかく、イグニスの女嫌いは思ったよりも重症ではない。
(殿下はいつでも結婚できる。あとは相手を見つけるだけ)
脱いだマントは騎士に預けて大広間に入り、イグニスの兄王へ挨拶する。
「久しぶりだね、イグニス。いつも苦労をかけてすまない……。ルルシェ卿、これからも弟を支えてやってくれ」
「兄上こそ無理するなよ」
「陛下、イグニス様なら大丈夫です」
国王アイオンは生まれつき体が弱く、政務で無理をすると体調を崩しがちであった。今も少し顔色が悪いし、大きな椅子にもたれるようにして座っている。
イグニスがとても丈夫な体をしているから不思議に思う。同じ母親から生まれたのに、どうして体が弱かったり、生まれてすぐに死んでしまったりするのだろう……。ルルシェは自分の兄を思い出し、胸が締め付けられるような心地がした。
ルルシェの兄アリエルを知る人はほとんどいない。彼は隠すように葬られてしまったから、墓参りするのも家族だけだ。もし生きていれば、今夜も兄と二人で夜会に来ていたのかな……。
「どうした、急に黙り込んで」
「何でもありません。大丈夫です」
そろそろ音楽が始まる。ルルシェはいつも通りイグニスの斜め後ろに立った。最後の曲はパートナーと踊るという決まりがあるが、その他は誰と踊ってもいい。ただし同じ人と三回踊るのはタブーである。
「公爵様、どうかわたくしと踊ってください」
一人のレディーがイグニスのもとへやって来た。ダンスに誘うのは男性からというのが慣例だけど、王子は普通ではないので女性から行かないと踊ってもらえない。ほとんどの令嬢がそれを知っている。情けないことだけど。
「わあっ良かったですね、殿下!」
笑顔で送り出そうとしているのに、本人は苦い表情をしている。ルルシェは彼に近づき、小声で「レディーに恥をかかせないでくださいよ」と脅した。イグニスは渋々うなづき、少女の手を取る。
(やれやれ、王子さまのお守りも大変だ)
――と思っていたら、ルルシェのもとにも女性がどどっとやって来た。
「ルルシェ様、あたくしと踊ってくださいませ」
「いえ、わたしと!」
「焦らなくても大丈夫ですよ。僕はみなさん全員と躍らせていただきます」
にっこり笑うと令嬢たちはぽや~っと溶けるような顔をした。この顔に産んでもらってよかった。ルルシェは平均的な女性よりも頭半分ほど背が高いし、男装していればじゅうぶん男に見える。
ヒールのある靴を履いたらほとんどの男性と顔が並ぶはずだ。届かないのはイグニス並に背の高い人間だけだろう。
令嬢の手をとりダンスホールへ移動する。ワルツだろうがなんだろうが、全ての曲を踊れるように特訓してきた。王子のために呼ばれたダンス講師は熱心に学ぶルルシェを可愛がってくれたものだ。イグニスは面白くなさそうにしていたっけ。
一人、二人、三人――踊りながら残りの人数を確認。今夜は八人かな。こんなに踊ってもらえて光栄だけれど、ルルシェは誰とも結婚できない。スタレートン伯爵家あての婚約の申し込みは、父と母が全て断っているはずだ。
あと五、六年もすれば、ルルシェに結婚の意志がないのだと令嬢たちも気づくだろう。ルルシェには血を受け継ぐ子を産むという使命がある。秘密を共有できる男性を探しておかなければ――口のかたい、信頼できる男を。
(誰にもダンスに誘われなくなったら、壁の花になってゆっくり食事でも楽しもう。その頃には今より楽になっているかな……)
遠くを見つめるルルシェの横顔はあまりにも儚く、今にも崩れそうな危うい美しさを秘めていた。しかし周囲で踊っている者たちは宴に浮かれ、彼女の哀愁に気づかない。
やがて曲が変わり、ルルシェは令嬢の手を取ってホールから退場する。ただ一人イグニスだけが、複雑な表情でルルシェを見つめていた。
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