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10 いきなり窮地
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ルルシェが八人の令嬢と踊るあいだ、イグニスも何人かと踊っていたらしい。彼にしては頑張っている。給仕をしている者から白ワインのグラスを受け取り、王子に渡してあげた。ご褒美です。
「おまえも少し飲んだらどうだ?」
「いえ。僕はオレンジをかじるだけで充分ですので」
ルルシェが酒を飲めないと思っているイグニスは、にやにやしながらグラスを口に運ぶ。酒を飲めないわけじゃない。酔うのが怖いだけだ――と言いたいところだが、ぐっと我慢。イグニスがべろべろに酔っ払ったら、王宮に置き去りにしてしまおうか。
不穏な妄想をしていると、後ろから声を掛けられた。
「殿下、ルルシェ卿! 本日戻って参りました!」
「えっ……アンディ卿? おかえりなさい!」
カイ帝国に行っていたアンディである。彼はルルシェの微笑みを見て、「あなたの笑顔は癒されるなぁ」と呟いた。アンディの後ろに立つひょろっとした肌の浅黒い男が、「ワァア」と声を上げて近寄ってくる。
「もの凄い美人サン! 初めまして。ワタシ、ニェーバいいます」
『は、初めまして。僕はルルシェと申します』
『おお、あなたはカイの言葉が分かるのですね。僕は石工職人でね、橋を作るために呼ばれたのですよ』
『そうだったんですね。ニェーバさんに作ってもらう橋はマラハイドという領地の中にありまして、後ろにいる黒髪の目付きが悪い人がマラハイド公爵です』
「……おい。今、俺のことを目付きが悪いとか何とか紹介しただろう。俺もカイ語を話せるってことを忘れるなよ」
カイ語が分からないアンディは、ニェーバとイグニスの間でそわそわしている。ニェーバは王子に一礼したあと、ルルシェのほうへ手を伸ばしてきた。
『良ければ、僕と踊ってもらえませんか? あなたのような美しい人と踊りたいなぁ』
「えっ」
「なんだと!」
「? ど、どうしたんですか?」
おろおろしているアンディ。ちょっと気の毒。
『いいですよ。男同士で踊るのも面白そうですね』
「おいっ、ルルシェ!」
ルルシェはイグニスを無視してニェーバの手をとった。今回のルルシェは女性パートだが、イグニスと一緒に何度か練習したからまあ大丈夫だろう。
二人がダンスホールに入ると周囲からざわめきが起こった。令嬢たちが「ルルシェ様の隣はどなた?」とささやき、ちらちらと視線を送ってくる。イタズラしているみたいで楽しい。
『ふふ、面白いですね』
『カイの舞踏は自由なんです。誰と踊ってもいいし、一人で踊ってもいい』
『へえ……自由でいいですね』
ニェーバはイグニスと並ぶぐらい背が高い。踊りながら視線を合わせると、彼はニカッと太陽のように笑った。
『そう、自由です。お祭りの時には男装したり女装したり、みんな好きな仮装をします。ちょうど今のあなたのように』
もう少しで足を止めてしまうところだった。
(男装ってばれた? どうして……)
周囲の人間はルルシェの動揺に気づかず、にこやかに踊っている。ここで自分の秘密を露見させるわけにはいかない。ルルシェは必死に手足を動かした。それでも出た声は震えている。
「な、んで……」
『ごめんなさい、言ってはいけないことでしたか? あなたの男装は秘密なんですね』
ニェーバは悲しそうに微笑み、『誰にも言いません』と小声でつぶやいた。ルルシェは返事の代わりに小さく頷き、もう一度ニェーバを見あげる。
『どうして分かったの?』
『僕が習っているカイの武術は人の気を読みます。人の気というのは、男女で異なっているんですよ。だからすぐに分かりました』
『そうなんですか……』
もしカイ帝国に行っていたら、向こうで女だとバレて大騒ぎになったかもしれない。想像すると背筋が冷たくなり、ルルシェはぶるっと体を震わせた。
『大丈夫ですか? 驚かせてごめんなさい』
『平気です。教えてくれてありがとう』
とても優しい人だ。アンディも素直で優しい人柄をしているから、カイの皇帝は彼を信頼していい職人を送ってくれたのだろう。
ダンスを終えて二人は軽く礼をし、ホールからアンディのもとへ戻った。イグニスはぶすっとしている。アンディとニェーバは他の貴族にも挨拶してくると告げて離れて行った。
ルルシェはぼんやりと踊る貴族たちを見つめる。
(この中にも男装しているひとはいるのかな……。もしいたら、お互いに悩みを話したりも出来たのに)
「なにを話していたんだ?」
急に真後ろから低い声が響き、ルルシェはびくっと肩をはね上げた。なんで密着するほど近づいてくるのか。そこまで近寄らなくても声は聞こえますけど。
「べ、別に。たいした話は……」
「そうか? あいつ――ニェーバは、おまえに何度かごめんなさいと謝っていたように見えたが」
「……!」
地獄耳ですか。聞こえたんですか。心臓がバクバクと音を立てて、外まで聞こえるんじゃないかと冷や冷やする。
「足を、踏んだりしたから……謝ってたんです」
「ふうん」
燃えるような瞳がじっと見ている。ああ嫌だ。子供の頃からこの目に見つめられるのが苦手だった。嘘をついたら業火で燃やすぞと言われているみたいで。
(心配しなくても、僕はきっと地獄に落ちますから)
だからイグニスはさっさとルルシェを捨てればいい。嘘だらけの人生を歩んでいる小心者のことなんか忘れてしまえばいいのだ。
王子はふっと表情を和らげ、珍しく笑顔を見せた。何かたくらんでいるのかと不審に思う。
「もうすぐおまえの誕生日だな。一日休みをやろうか?」
「えっ、いいんですか?」
「ああ。たまには領地に戻って親孝行してこい」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
たくらんでるなんて誤解してすみませんでした。
ルルシェは王子の武骨な手を握ってお礼を伝え、父と母の顔を思い浮かべる。久しぶりに母の手料理が食べたい。公爵の城で出てくる料理は豪勢だけど、母の素朴な料理が食べたいときもあるのだ。
ルルシェは上機嫌でイグニスと一緒に夜会を辞し、公爵の城に戻った。すごく嬉しくて浮かれていたから、イグニスが何を考えているかなんて気にも留めなかった。
「おまえも少し飲んだらどうだ?」
「いえ。僕はオレンジをかじるだけで充分ですので」
ルルシェが酒を飲めないと思っているイグニスは、にやにやしながらグラスを口に運ぶ。酒を飲めないわけじゃない。酔うのが怖いだけだ――と言いたいところだが、ぐっと我慢。イグニスがべろべろに酔っ払ったら、王宮に置き去りにしてしまおうか。
不穏な妄想をしていると、後ろから声を掛けられた。
「殿下、ルルシェ卿! 本日戻って参りました!」
「えっ……アンディ卿? おかえりなさい!」
カイ帝国に行っていたアンディである。彼はルルシェの微笑みを見て、「あなたの笑顔は癒されるなぁ」と呟いた。アンディの後ろに立つひょろっとした肌の浅黒い男が、「ワァア」と声を上げて近寄ってくる。
「もの凄い美人サン! 初めまして。ワタシ、ニェーバいいます」
『は、初めまして。僕はルルシェと申します』
『おお、あなたはカイの言葉が分かるのですね。僕は石工職人でね、橋を作るために呼ばれたのですよ』
『そうだったんですね。ニェーバさんに作ってもらう橋はマラハイドという領地の中にありまして、後ろにいる黒髪の目付きが悪い人がマラハイド公爵です』
「……おい。今、俺のことを目付きが悪いとか何とか紹介しただろう。俺もカイ語を話せるってことを忘れるなよ」
カイ語が分からないアンディは、ニェーバとイグニスの間でそわそわしている。ニェーバは王子に一礼したあと、ルルシェのほうへ手を伸ばしてきた。
『良ければ、僕と踊ってもらえませんか? あなたのような美しい人と踊りたいなぁ』
「えっ」
「なんだと!」
「? ど、どうしたんですか?」
おろおろしているアンディ。ちょっと気の毒。
『いいですよ。男同士で踊るのも面白そうですね』
「おいっ、ルルシェ!」
ルルシェはイグニスを無視してニェーバの手をとった。今回のルルシェは女性パートだが、イグニスと一緒に何度か練習したからまあ大丈夫だろう。
二人がダンスホールに入ると周囲からざわめきが起こった。令嬢たちが「ルルシェ様の隣はどなた?」とささやき、ちらちらと視線を送ってくる。イタズラしているみたいで楽しい。
『ふふ、面白いですね』
『カイの舞踏は自由なんです。誰と踊ってもいいし、一人で踊ってもいい』
『へえ……自由でいいですね』
ニェーバはイグニスと並ぶぐらい背が高い。踊りながら視線を合わせると、彼はニカッと太陽のように笑った。
『そう、自由です。お祭りの時には男装したり女装したり、みんな好きな仮装をします。ちょうど今のあなたのように』
もう少しで足を止めてしまうところだった。
(男装ってばれた? どうして……)
周囲の人間はルルシェの動揺に気づかず、にこやかに踊っている。ここで自分の秘密を露見させるわけにはいかない。ルルシェは必死に手足を動かした。それでも出た声は震えている。
「な、んで……」
『ごめんなさい、言ってはいけないことでしたか? あなたの男装は秘密なんですね』
ニェーバは悲しそうに微笑み、『誰にも言いません』と小声でつぶやいた。ルルシェは返事の代わりに小さく頷き、もう一度ニェーバを見あげる。
『どうして分かったの?』
『僕が習っているカイの武術は人の気を読みます。人の気というのは、男女で異なっているんですよ。だからすぐに分かりました』
『そうなんですか……』
もしカイ帝国に行っていたら、向こうで女だとバレて大騒ぎになったかもしれない。想像すると背筋が冷たくなり、ルルシェはぶるっと体を震わせた。
『大丈夫ですか? 驚かせてごめんなさい』
『平気です。教えてくれてありがとう』
とても優しい人だ。アンディも素直で優しい人柄をしているから、カイの皇帝は彼を信頼していい職人を送ってくれたのだろう。
ダンスを終えて二人は軽く礼をし、ホールからアンディのもとへ戻った。イグニスはぶすっとしている。アンディとニェーバは他の貴族にも挨拶してくると告げて離れて行った。
ルルシェはぼんやりと踊る貴族たちを見つめる。
(この中にも男装しているひとはいるのかな……。もしいたら、お互いに悩みを話したりも出来たのに)
「なにを話していたんだ?」
急に真後ろから低い声が響き、ルルシェはびくっと肩をはね上げた。なんで密着するほど近づいてくるのか。そこまで近寄らなくても声は聞こえますけど。
「べ、別に。たいした話は……」
「そうか? あいつ――ニェーバは、おまえに何度かごめんなさいと謝っていたように見えたが」
「……!」
地獄耳ですか。聞こえたんですか。心臓がバクバクと音を立てて、外まで聞こえるんじゃないかと冷や冷やする。
「足を、踏んだりしたから……謝ってたんです」
「ふうん」
燃えるような瞳がじっと見ている。ああ嫌だ。子供の頃からこの目に見つめられるのが苦手だった。嘘をついたら業火で燃やすぞと言われているみたいで。
(心配しなくても、僕はきっと地獄に落ちますから)
だからイグニスはさっさとルルシェを捨てればいい。嘘だらけの人生を歩んでいる小心者のことなんか忘れてしまえばいいのだ。
王子はふっと表情を和らげ、珍しく笑顔を見せた。何かたくらんでいるのかと不審に思う。
「もうすぐおまえの誕生日だな。一日休みをやろうか?」
「えっ、いいんですか?」
「ああ。たまには領地に戻って親孝行してこい」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
たくらんでるなんて誤解してすみませんでした。
ルルシェは王子の武骨な手を握ってお礼を伝え、父と母の顔を思い浮かべる。久しぶりに母の手料理が食べたい。公爵の城で出てくる料理は豪勢だけど、母の素朴な料理が食べたいときもあるのだ。
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