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53 姫との別れ

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 めでたく法案が通った二日後、ルルシェはドレスを着て王宮の門に立っていた。リョーシィ姫が国へ帰るため、見送りに出てきたのだ。

 今だけはメイドではなく、貴族の令嬢としてここに来ている。姫はすでにただの客人ではなく、大切にしたい友人の一人だからだ。もちろんルルシェが勝手に思っているだけで、姫にそれを伝える気はない。身分も離れているし、姫にはまだ嫌われているかも知れないから。

 荷物を積んだ馬車、国境まで送る騎士、姫と侍女が乗る馬車、とかなりの大所帯である。リョーシィはいつも通りニカッと笑い、ルルシェの体を抱きしめた。

「元気でな、ルルシェよ。我はそなたのことを気に入った。リョーシィ姫の友人と名乗ることを許そう。今度はそなたから、カイへ遊びに来てくれ」

「あっ……ありが、とう、ございますっ……!」

 耳元で優しい声を出されたら、我慢していた涙が溢れてしまう。ルルシェはぼろぼろ泣きながら姫の体を抱きしめ返した。

 リョーシィは笑いながら馬車に乗り、窓からルルシェとイグニスに対してぐっと親指を立てる。あれは“あなたに幸運を”という仕草だ。ルルシェも最後は笑顔で馬車を見送った。

 姫には本当に感謝している。本来の自分の姿で戦えと教えてくれたのは彼女だ。おかげでこれからどう生きていくか覚悟を決められたし、後腐れなくスタレートンへ戻ることが出来る。

 姫が乗った馬車が見えなくなり、ルルシェは振り返って王宮の方へ体を向けた。すぐ後ろにはイグニスが立っていてじっとルルシェを見ている。意味深な視線にドキドキした。

(どうして私を見てるの。まさか私、酔った日に勢いで告白でもしちゃったの?)

 イグニスがそれを気にして、どう断るべきかと迷っていたらどうしよう。

 ルルシェは逃げるように門を後にし、西棟へと戻ってすぐにメイド服に着がえた。メイド長の指示でワイン蔵に入り、他国から輸入された酒のラベルを翻訳し、誰にでも分かるように自国語のメモを貼り付けておく。働いていると時間が経つのはあっという間で、気づいた時には日が落ちていた。

 夕飯の時間、ルルシェはデイジーに来月末で仕事を辞める予定だと伝えた。たった一年という期間でも彼女は“ルーナ”と仲良くしてくれたので、黙っていなくなる訳にはいかないと思ったのだ。

「そっかぁ。寂しくなるけど、しょうがないかな……。ルーナはめちゃくちゃ賢いし、大きなお屋敷で侍女として働くことも出来そうだもんね。そしたらさ、いい出会いもありそうじゃない? ルーナはきっとモテると思うんだ」

「……ありがとう。ここで頑張ってこれたのも、デイジーが優しくしてくれたおかげだよ」

 デイジーは「いや、そんな」と照れて赤くなったあと、餞別だと言って小さな髪飾りをくれた。ルルシェはお礼を伝えて受け取り、さっそく髪に付ける。こんな風に、気安い友達として誰かと過ごすのは初めてだった。

 男として生きてきた十八年、ルルシェには女性の友人はいなかった。本来の自分に戻り、王宮で働くことになったからこそ、新しい関係を築くことが出来たのだ。
 デイジーとも、カサンドラを始めとする令嬢たちとも、リョーシィ姫とも。

 ルルシェは自室に戻り、貯まっていた書類の翻訳に手をつける。残りひと月、心残りなく仕事を完遂したい――が、先ほどのデイジーの言葉でハッと思い出したことがあった。

 彼女は「ルーナはきっとモテる」なんて褒めてくれたけれど、よく考えれば自分はすでに純潔を失っている。簡単に結婚できるような立場ではない。

(父さまに、正直に言うしかないか……)

 イグニスと体の関係があると知ったら、父と母は卒倒してしまうだろうか。でもイグニスは悪くない。死ぬかもしれないと勘違いした自分が愚かなだけだ。

 せっかく領地を継承できるのに婿の問題は残るが、父に頼んで信用できる男性を探してもらおう。かなり歳の離れた婿が来たとしても、とにかく跡取りを産むことができればそれでいいのだから。

 ただ、母は悲しむかもしれない。父と母は熱烈な恋愛の末に結婚したことで有名だ。自分たちが望むとおりの結婚をしたから、娘の相手だって好きな人を見つけてやりたいと望むのではないだろうか。
 それに関しては本当に申し訳なく思うが、婿となった人物を好きになれれば問題はないはずだ――多分。

 十八年間、他人も自分も騙して生きてきたルルシェは強靭な精神力を持っている。彼女が望むことは『スタレートンの発展』であり、そのためなら自分の本心さえどうでもいいという思い込み――と言うより、ほとんど自己洗脳のような状態が長く続いてきた。

 だから自分が本当は何を望んでいるのか、ルルシェ自身も分かっていないのである。

(ひと月たったらスタレートンへ帰ろう。そして婿をとるために父さまに相談しよう)

 無理やり心の整理を終わらせたルルシェは、そのままの状態で働き続けた。強力な暗示は彼女に安寧をもたらし、自分は間違っていないのだという妙な正義感さえあった。

 そして、残りの期間が十日になったある日の夜。西棟に来るはずのない人物の訪問によって、ルルシェの心の平穏は崩れることになったのだ。
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