上 下
59 / 62

59 番外編 イグニス18歳、悩める日々2

しおりを挟む
「うーん……なんの巣だろう。奥のほうに望遠鏡があるのは見えますけど」

「……もういい。ギルトーに事情を話しておくから」

「でも、今度なにか無くしたら野宿させるって言ってましたよ。侍従長の目は本気でした。側近の僕まで巻き添えになるの嫌ですし、取ってきます」

「え? おい……!」

 うろたえるイグニスを置き去りにして、ルルシェは四つん這いになった。その姿勢のまま、穴の中にそろそろと入っていく。

「…………!!」

 イグニスは微動だにせず、側近を見ていた――というより、目を離せなくなったのだ。凝視してはいけないものだという意識があるのに、なぜか目がそこに釘付けになる。

 ぷりっとした形のいいお尻と、すらりと伸びた脚。それらがもぞもぞ、くねくねとイグニスの目の前で動いている。

(くっ、くそぉおお! 俺はこんなもの気にならない! 見ても何にも感じない!)

 イグニスは意地になって側近を見守った。少年の尻など見たところで、どうという事はない。自分は己を律することができる。何しろ王子であり、公爵なのだから――と思っていたのに、なぜか股間がむずむずしてきた。血が集まっているのを感じる。これはまずい。

 イグニスは泣きそうになりながら、必死で別のことを考えようとした。しかし目の前では相変わらず、彼の気になる人物がお尻を揺らしている。
 血流が勢いよく一点に集中するのを感じるし、なんと絶望的なことに、ズボンがうっすらと膨らんできたではないか!

「もっ、もうやめろ! そんなもの取らなくていい!」

「きゃあっ!?」

 いきなり腰に抱きつかれたルルシェは、思わず女の子のような悲鳴を漏らした。しかし幸いなことに、主君である青年は自分のことに必死で悲鳴に気づかない。

 二人は穴から出た勢いのまま坂道をごろごろと転がった。イグニスは側近を守ろうとし、彼の細い体を抱きしめる。自分のほうがずっと体が大きいのだ。どこかへぶつかっても、自分のほうがダメージを減らせるはずだ。

 木の葉だらけになりながら、二人は坂の下に到着した。イグニスは最後までルルシェを守り、側近が上になるように体の向きを変える。しかし、そのとき思いもよらぬことが起こった。

「…………?」

 唇にふれる、柔らかなもの。紫銀の髪がイグニスの額をさらさらとくすぐり、長い銀の睫毛が見える。目を見張るイグニスの前で、銀の睫毛がゆっくりと開いた。
 瞬きする度に、紺碧の瞳が見えたり隠れたりする。まるで宝石のように美しい。

 イグニスの上でルルシェは呆然としていたが、やがて顔を赤らめて彼から離れた。

「すっ、すみません! ごめんなさい! 僕……僕なんてことを……!」

 赤くなったルルシェは次第に青くなり、目に涙をためて主君に謝罪している。イグニスはむくりと起き上がり、そっと唇にふれた。今、確かにここに触れた。ルルシェの唇が。 

「……なんで謝るんだよ」

 イグニスは不思議になり、側近へ質問する。たしかに唇はぶつかったが、男としてはそれ程おお事だとは思わないのに。
 ぶしつけな事を訊かれた側近はうつむき、言いにくそうに答えた。

「だって……。殿下の初めてが僕だったら、申し訳ないじゃないですか。男同士なのに。あの……初めてでした?」

「初めてじゃない。だから気にするな」

 嘘だ。初めてのキスだった。しかしなぜかプライドが邪魔をして正直に言えない。イグニスとしてはむしろ、逆のことが気になるのだ。

「おまえはどうなんだよ。初めてだったのか?」

 側近に問うイグニスの顔は真剣そのものだった。真っすぐな視線に気圧けおされてルルシェは少し驚いたようだったが、素直に答えてくれる。

「はい、初めてでした。でもまあ、ぶつかっただけですから……気にする必要はないですよね」

(気にしろ。大いに気にしろ)

 イグニスは心の中で呪詛のようにつぶやく。一生、気にすればいいのだ。そしたら自分を惑わす魔性の側近を許せそうな気がする。

 ふとルルシェの手元を見ると、彼はちゃんと望遠鏡を持っていた。どうやら穴から取り出せたらしい。イグニスは立ち上がり、側近に声を掛ける。

「帰るぞ」

「はいっ」

 二人は一緒に坂道を登った。その姿はまるで仲の良い兄弟のようだったが、青年のほうはひどく上機嫌であった。
 何しろ気になる人物の初めてを奪えたのだ。今日という日、狩猟に来たのは正解だった。鹿だけでなく、別の獲物も狩ることができたのだから。

 なぜ喜びを感じるのか理解できないまま、側近の少年を連れて城に戻る。料理長は鹿を喜び、さっそく今夜の晩餐に出しますと告げた。イグニスは満足げに頷く。

 彼はまだ知らない。四年後に、ずっと男だと信じていた側近の正体を知ることを。そして、ルルシェを妻として迎えることになるなんて、この時の彼には知るすべすらなかった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

腹黒上司が実は激甘だった件について。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:138

妹が私の婚約者も立場も欲しいらしいので、全てあげようと思います

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:18,254pt お気に入り:4,062

異世界転生雑学無双譚 〜転生したのにスキルとか貰えなかったのですが〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,002pt お気に入り:33

男装令嬢の恋と受胎(R18)

恋愛 / 完結 24h.ポイント:78pt お気に入り:37

伯爵令嬢は執事に狙われている

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:449

処理中です...