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39 レクオンの過去1
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レクオンの母エイメルダは国境に近い伯爵領に生まれた。フェラーズと同じような田園地帯で、騒がしい王都とは真逆ののどかな土地だ。
しかしエイメルダは田舎には似つかわしくない、銀の髪と海色の瞳が印象的な美しい少女だった。涼しげな美貌のわりに人見知りする性格だったが、それが父としては気に入ったらしい。
父イザイアスが国境の視察で領主の館を訪れた際、二人は出会って親しい間柄になった――というよりイザイアスが一方的に領主の娘エイメルダを気に入り、求婚して夫妻となった。
その頃は大貴族のなかに17歳を迎えた娘はいなかったので、誰も反対する者はいなかったのだ。ダゥゼン公爵家も今ほど勢力が大きくはなく、イザイアスに婚約を強制する動きもなく、二人は無事に結ばれた。
エイメルダの故郷は貧しくはないが豊かでもないので、彼女は侍女をひとりだけ連れて後宮へ入った。嫁入り道具も最低限だったから女官たちは彼女を軽んじ、王妃として敬う者は少なかったらしい。
賑やかな場所が苦手なエイメルダは、女官が少ないほうがいいと言ってあまり気にせず過ごしていたようだが、花嫁としての幸せにはほど遠い環境だったことだろう。
やがて彼女はイザイアスとの子を身篭り、無事に男児を出産した。男児はレクオンと名付けられたが、生まれた瞬間だれもが絶句し、赤子の鳴き声だけが虚しく響いた。
『ねぇ、王妃さまの子を見た?』
『陛下には全然似てないわよね。先祖返りって聞いたけど……』
『まさか誰かと密通でもなさったのかしら。だってあの髪と目、ラトヴィア人と同じじゃない』
レクオンが一歳になる頃には、王宮のいたるところで王妃を詰る声が聞かれるようになった。エイメルダの部屋は後宮の二階にあり、男子禁制で国王以外は入れない。レクオンは紛うことなき正統な王子である。
しかし商人として王宮に出入りするラトヴィア人もいたため、絶対とは言い切れない雰囲気があった。警備にあたる騎士に金子を渡し、誰かを内密に王妃の部屋へ連れてくるのは無理な話ではない。
仮にエイメルダが大貴族の娘であれば状況は違ったかもしれないが、彼女の父親は王宮に繋がりを持たない辺境の貴族だ。エイメルダはますます孤立し、女官たちの陰口に耐えられなくなり、王宮の隅にある離宮へ移った。
妻を信じていたイザイアスも王宮内の声を無視できなくなり、エイメルダを王妃ではなく側妃とする決定に頷くしかなかった。
翌年、イザイアスはダゥゼン公爵家の令嬢を王妃として迎える。名をコルティニーといい、体の弱い娘ではあったが、数ヵ月後には子を授かった。生まれた男児はマシュウと名付けられ、国王によく似ていたことから一気にダゥゼン公爵家の力が増していった。
『ぼくは王子なんでしょ。なんで離宮にいなきゃならないの?』
三歳になったレクオンは、自分がなぜ王宮で暮らせないのかと不満だった。離宮も王宮の一部だと侍女はいうけれど、父が新しい妻を迎えたことぐらい知っている。彼女とその息子が後宮にいることも。
なぜ自分と母だけが、こんな離れた場所で暮らさねばならないのか。レクオンだって弟と同じ王子なのに。でも不満を口にするたびに、エイメルダは悲しそうな顔でつぶやいた。
『ごめんね……。私がちゃんと産んであげられなかったから……。ごめんね』
“ちゃんと産む”の意味は分からない。でも母が謝るたびにムカムカした。なんで謝るんだよ。ごめんというのは、悪いことをしたときに使う言葉だろ。母上がなにをしたっていうんだよ。
五歳を過ぎて自我が強くなると、離宮で我慢するのも限界になってくる。レクオンは母と侍女の目を盗み、たびたび王宮のなかへ忍び込むようになった。
王宮は色んな場所に分かれていて、後宮のほかに宮廷人たちの部屋、国王や貴族たちが集まる政務室や議場がある。後宮は女ばかりで居心地が悪いので、レクオンはもっぱら男が集まる議場あたりを散策した。
廊下を歩いていると、「ほら、あの王子だ」だの「本当に先祖返りなのか」だのいう言葉は聞こえたが、自分はなにも悪いことはしていない。王子なのだから王宮を自由に行動するのは当たり前のことだ。だから気にもせず大人たちの様子を観察し続けた。
それを聞いてしまったのは運が悪かったんだろう。いや、いつか必ず耳に入る話だったのだ。
『王太子はマシュウ殿下で決まりだな』
『ああ。レクオン殿下には、どんな卑しい血が流れているか分かったものではない』
『側妃も大人しい顔をして大胆なことをなさる。まさかラトヴィア人と通じるとはな』
なんだその話は――。レクオンはドアの向こうから聞こえてきた声に耳を澄ませた。議場に残った誰かが、母と自分のことを話している。でも褒めている感じではない。
(いやしいってなんだ? つうじるってのも、よく分からない……)
ドアの横にいるレクオンに気づきもせず、大人達は勝手な話を続ける。
『見た目だけはお綺麗な方だからな……。さぞかし男たちの誘惑が多かったんだろうよ。でもラトヴィア人に脚を開いたのは失敗だったよな』
『ははは、そうだな。陛下ももっと身のかたい女を選べば良かったものを……。面食いでいらっしゃるから、簡単に美女の誘惑に落ちたんだろう』
『マシュウ殿下さえ王太子になれば、あとは我らの時代だ』
どうもこいつらは、母だけでなく父まで馬鹿にしているらしい。下卑た笑い声に怒りが頂点に達したレクオンは、勢いよくドアを開けて議場に飛び込んだ。
しかしエイメルダは田舎には似つかわしくない、銀の髪と海色の瞳が印象的な美しい少女だった。涼しげな美貌のわりに人見知りする性格だったが、それが父としては気に入ったらしい。
父イザイアスが国境の視察で領主の館を訪れた際、二人は出会って親しい間柄になった――というよりイザイアスが一方的に領主の娘エイメルダを気に入り、求婚して夫妻となった。
その頃は大貴族のなかに17歳を迎えた娘はいなかったので、誰も反対する者はいなかったのだ。ダゥゼン公爵家も今ほど勢力が大きくはなく、イザイアスに婚約を強制する動きもなく、二人は無事に結ばれた。
エイメルダの故郷は貧しくはないが豊かでもないので、彼女は侍女をひとりだけ連れて後宮へ入った。嫁入り道具も最低限だったから女官たちは彼女を軽んじ、王妃として敬う者は少なかったらしい。
賑やかな場所が苦手なエイメルダは、女官が少ないほうがいいと言ってあまり気にせず過ごしていたようだが、花嫁としての幸せにはほど遠い環境だったことだろう。
やがて彼女はイザイアスとの子を身篭り、無事に男児を出産した。男児はレクオンと名付けられたが、生まれた瞬間だれもが絶句し、赤子の鳴き声だけが虚しく響いた。
『ねぇ、王妃さまの子を見た?』
『陛下には全然似てないわよね。先祖返りって聞いたけど……』
『まさか誰かと密通でもなさったのかしら。だってあの髪と目、ラトヴィア人と同じじゃない』
レクオンが一歳になる頃には、王宮のいたるところで王妃を詰る声が聞かれるようになった。エイメルダの部屋は後宮の二階にあり、男子禁制で国王以外は入れない。レクオンは紛うことなき正統な王子である。
しかし商人として王宮に出入りするラトヴィア人もいたため、絶対とは言い切れない雰囲気があった。警備にあたる騎士に金子を渡し、誰かを内密に王妃の部屋へ連れてくるのは無理な話ではない。
仮にエイメルダが大貴族の娘であれば状況は違ったかもしれないが、彼女の父親は王宮に繋がりを持たない辺境の貴族だ。エイメルダはますます孤立し、女官たちの陰口に耐えられなくなり、王宮の隅にある離宮へ移った。
妻を信じていたイザイアスも王宮内の声を無視できなくなり、エイメルダを王妃ではなく側妃とする決定に頷くしかなかった。
翌年、イザイアスはダゥゼン公爵家の令嬢を王妃として迎える。名をコルティニーといい、体の弱い娘ではあったが、数ヵ月後には子を授かった。生まれた男児はマシュウと名付けられ、国王によく似ていたことから一気にダゥゼン公爵家の力が増していった。
『ぼくは王子なんでしょ。なんで離宮にいなきゃならないの?』
三歳になったレクオンは、自分がなぜ王宮で暮らせないのかと不満だった。離宮も王宮の一部だと侍女はいうけれど、父が新しい妻を迎えたことぐらい知っている。彼女とその息子が後宮にいることも。
なぜ自分と母だけが、こんな離れた場所で暮らさねばならないのか。レクオンだって弟と同じ王子なのに。でも不満を口にするたびに、エイメルダは悲しそうな顔でつぶやいた。
『ごめんね……。私がちゃんと産んであげられなかったから……。ごめんね』
“ちゃんと産む”の意味は分からない。でも母が謝るたびにムカムカした。なんで謝るんだよ。ごめんというのは、悪いことをしたときに使う言葉だろ。母上がなにをしたっていうんだよ。
五歳を過ぎて自我が強くなると、離宮で我慢するのも限界になってくる。レクオンは母と侍女の目を盗み、たびたび王宮のなかへ忍び込むようになった。
王宮は色んな場所に分かれていて、後宮のほかに宮廷人たちの部屋、国王や貴族たちが集まる政務室や議場がある。後宮は女ばかりで居心地が悪いので、レクオンはもっぱら男が集まる議場あたりを散策した。
廊下を歩いていると、「ほら、あの王子だ」だの「本当に先祖返りなのか」だのいう言葉は聞こえたが、自分はなにも悪いことはしていない。王子なのだから王宮を自由に行動するのは当たり前のことだ。だから気にもせず大人たちの様子を観察し続けた。
それを聞いてしまったのは運が悪かったんだろう。いや、いつか必ず耳に入る話だったのだ。
『王太子はマシュウ殿下で決まりだな』
『ああ。レクオン殿下には、どんな卑しい血が流れているか分かったものではない』
『側妃も大人しい顔をして大胆なことをなさる。まさかラトヴィア人と通じるとはな』
なんだその話は――。レクオンはドアの向こうから聞こえてきた声に耳を澄ませた。議場に残った誰かが、母と自分のことを話している。でも褒めている感じではない。
(いやしいってなんだ? つうじるってのも、よく分からない……)
ドアの横にいるレクオンに気づきもせず、大人達は勝手な話を続ける。
『見た目だけはお綺麗な方だからな……。さぞかし男たちの誘惑が多かったんだろうよ。でもラトヴィア人に脚を開いたのは失敗だったよな』
『ははは、そうだな。陛下ももっと身のかたい女を選べば良かったものを……。面食いでいらっしゃるから、簡単に美女の誘惑に落ちたんだろう』
『マシュウ殿下さえ王太子になれば、あとは我らの時代だ』
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