12 / 30
12 神託
しおりを挟む
そして空間は元の真っ白な世界へと変わった。
セイラは俯いて、視線を自分の足元へ落とした。
「…………」
何の言葉も出てこない。
クロノスと知り合ったのはつい昨日のことだけど、彼が楽しそうに笑っている時でさえ、その瞳には何の感情も浮かんでいないのが怖かった。
なんでこの人の目はこんなに空っぽなんだろうと不思議だった。
そっと目を閉じると、八歳のクロノスの顔が見えてくる。
見開いた目に、ナイフと血を流して倒れる母だけを映した彼の顔が……。
〈クロノスは恐らく、いまだに母の愛を求めています。彼が女性に対して異常な執着を見せるのは、愛されたいと思う心の裏返しなのでしょう〉
「そう……でしょうね。最後までお母さんに愛されたいと思っていたでしょうから……」
その母を自分が殺すことになるとは想像もしていなかっただろう。
「わたし……旦那さまの傍にいます。この気持ちは同情なのかもしれないけど、それでも……少しでも旦那さまの心を癒してあげたい。彼を愛したいです……」
自分はクロノスに同情している。それは疑いようもない真実だ。
でも、ここから気持ちを育てることもできるんじゃないかと思うのだ。
〈ありがとう、セイラ。この夢から覚めたら大神官に法具をもらってください。それがあなたの道しるべとなるはずです〉
「法具? どんなものなんですか?」
〈鎖の付いた水晶なのですが、二人の愛の深さによって色が変わります。最初は青、そして緑になり、黄緑、黄色……二人が心から愛し合うことが出来たとき、真っ白に変わります。それに呼応するように、結界も少しずつ元に戻ります〉
「分かりました。ありがとうございます」
〈クロノスがあなたを心配しているようですから、そろそろ戻った方がいいでしょう。結界がもつのはあと一年程です。なるべく急いでください……では、健闘を祈ります〉
「えっ、一年!? ちょ、待ってくださ……」
セイラが女神に向かって伸ばした手も虚しく、パチン!としゃぼん玉が弾けるような音がして目が覚めた。
目の前に、嫌になるぐらい綺麗な顔がある。長い銀の睫毛を数えられそうなほど近い。
「うわっ」
「……うわって、君ね……。ずい分うなされてたから心配したのに」
「す、すみません」
うなされてたのは、あなたの過去を見てたからなんですけども。
セイラは改めてクロノスを見た。八歳の彼は少女のように見えたけど、今はどこから見ても立派な成人男性だ。がっしりした肩や厚い胸板からは、あの小さなクロノスを感じ取ることはできない。
でも八歳のクロノスは確かに今の彼に繋がっている。どれだけ体が成長しても、彼の空虚な瞳は同じだから。
じっと見ているセイラをどう思ったのか、クロノスはいきなり口付けてきた。
「んんっ…………ちょ、ちょっと旦那さま! ここ神殿の中ですよ!」
「いや、じっと見てくるからキスして欲しいのかと思って」
「違います!」
ああ、この人を愛そうと誓ったばかりなのに。
先が思いやられる。
はあ、と溜め息をついて顔を上げると、大神官と若い神官が顔を赤らめて気まずそうにしているのが見えた。
すみません、本当にすみません。
セイラは気を取り直して言った。
「あのう、女神さまから法具のことを聞いたのですが……」
「おお、やはりですか! 伝記の通りだ!」
大神官は壁際のテーブルまで行くと、その上にあった木箱を持って戻ってきた。
そしてセイラに見せるように木箱を開ける。
中には白いハンカチに包まれた水晶のネックレスが入っていた。
「これが法具なのですか? 大神官さまが仰ってた伝記というのは何でしょう?」
「三百年前に現れた巫女さまは伝記を残してくださったのです。それにはこの法具のことも書いてありまして、青い水晶が真っ白になった時に結界が戻ったと……そのように記されております。ただ、どうして色が変わるのかは何故か書かれていないのです」
「そ、そうですか……。女神さまは、聖なる力が高まると色が変わると仰ってたような気がします」
まさか愛の力です、なんて言えない。
そんなことを言ったらクロノスに全ての事情を話すことになってしまう。
義務のような愛はいやだ。そんなものは真実の愛とは言えない。
何も知らないままセイラを好きになってほしいのだから。
セイラは法具を手に取り、頭から鎖を通した。青い水晶が胸元できらきら光っている。
「へえ。すごく綺麗だね。君の髪と瞳の色にも合ってる」
ひとの胸元に堂々と手を伸ばして、水晶をいじくっているクロノス。少しは遠慮してほしい。この人はセイラのことを完全に自分の物だと思っている。
「そろそろ城に戻ろう。君もお腹が空いただろう?」
「あ、はい。そうですね」
寝ていただけとは言え、女神の空間ではかなり精神に負担があったと思う。疲れたし、お腹がぺこぺこだ。
セイラはクロノスの腕の中で馬に揺られながら、黒い森をもう一度見回した。
「眠りの森も旦那さまの領地なのですか?」
「いいや。眠りの森は国王の直轄地になっている。でもその隣は俺の領地だから、陛下は君の世話を俺に命じたんだよ。俺なら君をすぐに神殿に連れてってやれるからね」
「ああ、だから……」
コルバルの王はきっと最初から巫女をクロノスの妻にするつもりだったに違いない。
夫婦でなんとかしろと言われている気がする。
どのみちセイラが失敗すればコルバルもシュレフも……世界中の国に魔物が溢れてしまう。
そうなる前にクロノスに愛してもらわなければ。
わたしはこの人を好きになれそうなんだけどなあ。
今のクロノスは恐らく、セイラをお気に入りの玩具かペットのようにしか思っていない。対等の相手として自分を愛してもらうにはどうすればいいんだろう。
女神さまはクロノスに関して、いまだに母の愛を求めている、と言っていた。
まずはその気持ちを満たしてあげればいいんだろうか?
セイラは俯いて、視線を自分の足元へ落とした。
「…………」
何の言葉も出てこない。
クロノスと知り合ったのはつい昨日のことだけど、彼が楽しそうに笑っている時でさえ、その瞳には何の感情も浮かんでいないのが怖かった。
なんでこの人の目はこんなに空っぽなんだろうと不思議だった。
そっと目を閉じると、八歳のクロノスの顔が見えてくる。
見開いた目に、ナイフと血を流して倒れる母だけを映した彼の顔が……。
〈クロノスは恐らく、いまだに母の愛を求めています。彼が女性に対して異常な執着を見せるのは、愛されたいと思う心の裏返しなのでしょう〉
「そう……でしょうね。最後までお母さんに愛されたいと思っていたでしょうから……」
その母を自分が殺すことになるとは想像もしていなかっただろう。
「わたし……旦那さまの傍にいます。この気持ちは同情なのかもしれないけど、それでも……少しでも旦那さまの心を癒してあげたい。彼を愛したいです……」
自分はクロノスに同情している。それは疑いようもない真実だ。
でも、ここから気持ちを育てることもできるんじゃないかと思うのだ。
〈ありがとう、セイラ。この夢から覚めたら大神官に法具をもらってください。それがあなたの道しるべとなるはずです〉
「法具? どんなものなんですか?」
〈鎖の付いた水晶なのですが、二人の愛の深さによって色が変わります。最初は青、そして緑になり、黄緑、黄色……二人が心から愛し合うことが出来たとき、真っ白に変わります。それに呼応するように、結界も少しずつ元に戻ります〉
「分かりました。ありがとうございます」
〈クロノスがあなたを心配しているようですから、そろそろ戻った方がいいでしょう。結界がもつのはあと一年程です。なるべく急いでください……では、健闘を祈ります〉
「えっ、一年!? ちょ、待ってくださ……」
セイラが女神に向かって伸ばした手も虚しく、パチン!としゃぼん玉が弾けるような音がして目が覚めた。
目の前に、嫌になるぐらい綺麗な顔がある。長い銀の睫毛を数えられそうなほど近い。
「うわっ」
「……うわって、君ね……。ずい分うなされてたから心配したのに」
「す、すみません」
うなされてたのは、あなたの過去を見てたからなんですけども。
セイラは改めてクロノスを見た。八歳の彼は少女のように見えたけど、今はどこから見ても立派な成人男性だ。がっしりした肩や厚い胸板からは、あの小さなクロノスを感じ取ることはできない。
でも八歳のクロノスは確かに今の彼に繋がっている。どれだけ体が成長しても、彼の空虚な瞳は同じだから。
じっと見ているセイラをどう思ったのか、クロノスはいきなり口付けてきた。
「んんっ…………ちょ、ちょっと旦那さま! ここ神殿の中ですよ!」
「いや、じっと見てくるからキスして欲しいのかと思って」
「違います!」
ああ、この人を愛そうと誓ったばかりなのに。
先が思いやられる。
はあ、と溜め息をついて顔を上げると、大神官と若い神官が顔を赤らめて気まずそうにしているのが見えた。
すみません、本当にすみません。
セイラは気を取り直して言った。
「あのう、女神さまから法具のことを聞いたのですが……」
「おお、やはりですか! 伝記の通りだ!」
大神官は壁際のテーブルまで行くと、その上にあった木箱を持って戻ってきた。
そしてセイラに見せるように木箱を開ける。
中には白いハンカチに包まれた水晶のネックレスが入っていた。
「これが法具なのですか? 大神官さまが仰ってた伝記というのは何でしょう?」
「三百年前に現れた巫女さまは伝記を残してくださったのです。それにはこの法具のことも書いてありまして、青い水晶が真っ白になった時に結界が戻ったと……そのように記されております。ただ、どうして色が変わるのかは何故か書かれていないのです」
「そ、そうですか……。女神さまは、聖なる力が高まると色が変わると仰ってたような気がします」
まさか愛の力です、なんて言えない。
そんなことを言ったらクロノスに全ての事情を話すことになってしまう。
義務のような愛はいやだ。そんなものは真実の愛とは言えない。
何も知らないままセイラを好きになってほしいのだから。
セイラは法具を手に取り、頭から鎖を通した。青い水晶が胸元できらきら光っている。
「へえ。すごく綺麗だね。君の髪と瞳の色にも合ってる」
ひとの胸元に堂々と手を伸ばして、水晶をいじくっているクロノス。少しは遠慮してほしい。この人はセイラのことを完全に自分の物だと思っている。
「そろそろ城に戻ろう。君もお腹が空いただろう?」
「あ、はい。そうですね」
寝ていただけとは言え、女神の空間ではかなり精神に負担があったと思う。疲れたし、お腹がぺこぺこだ。
セイラはクロノスの腕の中で馬に揺られながら、黒い森をもう一度見回した。
「眠りの森も旦那さまの領地なのですか?」
「いいや。眠りの森は国王の直轄地になっている。でもその隣は俺の領地だから、陛下は君の世話を俺に命じたんだよ。俺なら君をすぐに神殿に連れてってやれるからね」
「ああ、だから……」
コルバルの王はきっと最初から巫女をクロノスの妻にするつもりだったに違いない。
夫婦でなんとかしろと言われている気がする。
どのみちセイラが失敗すればコルバルもシュレフも……世界中の国に魔物が溢れてしまう。
そうなる前にクロノスに愛してもらわなければ。
わたしはこの人を好きになれそうなんだけどなあ。
今のクロノスは恐らく、セイラをお気に入りの玩具かペットのようにしか思っていない。対等の相手として自分を愛してもらうにはどうすればいいんだろう。
女神さまはクロノスに関して、いまだに母の愛を求めている、と言っていた。
まずはその気持ちを満たしてあげればいいんだろうか?
0
あなたにおすすめの小説
祓い師レイラの日常 〜それはちょっとヤなもんで〜
本見りん
恋愛
「ヤ。それはちょっと困りますね……。お断りします」
呪いが人々の身近にあるこの世界。
小さな街で呪いを解く『祓い師』の仕事をしているレイラは、今日もコレが日常なのである。嫌な依頼はザックリと断る。……もしくは2倍3倍の料金で。
まだ15歳の彼女はこの街一番と呼ばれる『祓い師』。腕は確かなのでこれでも依頼が途切れる事はなかった。
そんなレイラの元に彼女が住む王国の王家からだと言う貴族が依頼に訪れた。貴族相手にもレイラは通常運転でお断りを入れたのだが……。
単純に婚約破棄したかっただけなのに、生まれた時から外堀埋められてたって話する?
甘寧
恋愛
婚約破棄したい令嬢が、実は溺愛されていたというテンプレのようなお話です。
……作者がただ単に糸目、関西弁男子を書きたかっただけなんです。
※不定期更新です。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
訳あり冷徹社長はただの優男でした
あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた
いや、待て
育児放棄にも程があるでしょう
音信不通の姉
泣き出す子供
父親は誰だよ
怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳)
これはもう、人生詰んだと思った
**********
この作品は他のサイトにも掲載しています
脅迫して意中の相手と一夜を共にしたところ、逆にとっ捕まった挙げ句に逃げられなくなりました。
石河 翠
恋愛
失恋した女騎士のミリセントは、不眠症に陥っていた。
ある日彼女は、お気に入りの毛布によく似た大型犬を見かけ、偶然隠れ家的酒場を発見する。お目当てのわんこには出会えないものの、話の合う店長との時間は、彼女の心を少しずつ癒していく。
そんなある日、ミリセントは酒場からの帰り道、元カレから復縁を求められる。きっぱりと断るものの、引き下がらない元カレ。大好きな店長さんを巻き込むわけにはいかないと、ミリセントは覚悟を決める。実は店長さんにはとある秘密があって……。
真っ直ぐでちょっと思い込みの激しいヒロインと、わんこ系と見せかけて実は用意周到で腹黒なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:4274932)をお借りしております。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる