シンキクサイレン

秋旻

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 僕が彼女の右手をつかんだ瞬間、それを待っていたかのように、彼女は後ろへ倒れこんだ。彼女の右手と僕の右手は、くっついたまま離れなかった。どうやら彼女は、屋上の手すりだけではなく右手にも接着剤を塗っていたらしい。
 テレビコマーシャルで『九十九.九パーセントの粘着力』とアピールされていた接着剤は、僕と彼女の体重に絶えるだけの力は無かった。屋上の手すりと彼女の足をくっつけていた接着剤は一瞬で剥がれ、僕と彼女は下へと落ちた。三階建ての校舎の屋上から地面までの距離など計算したこと無かったが、叫び声をあげる余裕もないほど、一瞬の出来事だった。
 しかし僕と彼女は、地面に激突することは無かった。なぜなら彼女の腰にはワイヤが巻かれており、そのワイヤーの先は屋上の手すりにしっかり結ばれていて、命綱の役割を担っていたからだ。僕に見えないように服で隠されていたので気づかなかった。
 地面から三十センチも離れていない地点で、僕は彼女の右手につながったまま宙吊り状態だ。全身に力が入らない。言葉を発する気力もない、放心状態の僕を見て、彼女の口は笑った。
「このワイヤーの強度は本物のようね」
 それから僕と彼女は教員ら数人に救助され、くっついた右手は力ずくで剥がされた。彼女が信用して使っていた接着剤は、コマーシャルなどで言われるほどの粘着力は無かったらしい。期待を裏切られたからなのか、彼女と僕の右手が離れたとき、彼女は少しがっかりしたような表情をしていた。
 御手洗陽菜(みたらいはるな)。この彼女の名前を知ったのは、保健室で教員から説教を受けているときだ。
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